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数学とは言語である『脳はいかにして数学を生みだすのか』

 数学とは何か?

 もとは数の学問として始まったが、数論や幾何学を超えて、構造(群論)や空間(フラクタル幾何)、変化(カオス理論)まで広がっており、答えるのは容易ではない。

 キース・デブリンの言葉を借りると、「数学はパターンの科学」あるいは「秩序、パターン、構造、論理的関係性の科学」になる。抽象化された対象のパターンに対し、定義と公理と論理を用いることにより、真理を確立する営みになる。この考えだと、流体力学や数理経済学、ゲーム理論といった応用数学まで拡張できる。数学は科学の女王という理由はここにある。

 そして、数学がどこから来たのか? 数学を生み出しているものは何か? と考えると、もっと面白くなる。本書は、fMRIやPETによる脳研究から得られた知見を元に、脳の各部位における数理機能を還元的なアプローチで説明する。著者は理論物理学者の武田暁氏で、『脳はいかにして○○を生み出すのか』という問いかけで、物理学や言語について研究成果を著している。そして、今回は数学がターゲットになる。

 面白いことに、ヒトの脳には「数を認知する領域」があるという。IPS領域(Intraparietal sulcus)といい、頭頂部にある。素数を暗誦したり、簡単な計算、数の大小比較などを行っているときに活性化する領域だ。文字よりも数字に強く反応し、ここに磁気刺激を加えると、数字の大小判断ができなくなる(他の脳機能は変わらず)。

 さらに著者は、数理思考の制御機能を担っているのは、左脳ブローカー野だという仮説を立てる。もとは、喉や唇、舌の運動制御のために進化し、特に言語の構文制御を担っている脳部位になる。脳の中に、数学に特化した領域があるというよりも、言語解析に用いられる部位が数学の論理的思考にも転用されているという説明だ。すなわち、「数学も一種の自然言語であり、また地域によらずに広く用いられているきわめて普遍的な言語である」というのだ。

 認知科学のアプローチから迫ったレイコフ『数学の認知科学』も同じ方向であることに気づき、嬉しくなる。これは、「人はどのように数学を理解しているか」という問題に対し、「人はメタファーを通じて数学を理解する」と応えたスゴ本だ。

 ざっくりかいつまむとこうだ。人の抱く抽象概念は、感覚-運動経験から推論様式(すなわちメタファー)を用いて取り込んでいる。厳密な数学的概念を、人はそのまま取り込んでいるのではなく、メタファーを通じて理解しているというのだ。人の抱く数学的概念の本質は、数学をどんなに調べても明確はできない。だが、メタファーを調べることで、「数学の理解のされかた」が明らかになるというのだ。

 『脳はいかにして数学…』で武田氏は膨大な参考文献を紐解いているが、『数学の認知科学』が見当たらなかった。脳科学において数学と言語が同じ領域から生み出されていると仮説づけられるのなら、メタファーにおいても同様のことが言えるだろうし、イメージや音声、平衡・重力感覚など、より感覚-運動経験に近いところで同じような実験ができるのではないだろうか。

 この場合、数学のありかを「脳」だけに求めると陥穽が待っているように思える。数学そのものは抽象化されたパターンを思考する営みかもしれないが、それを実行する人は感覚-運動経験を通じたメタファーを通じて行っているのだから。

 「数学がやってくるところ」を物理的に調べる取組みが見える一冊。

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