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『ナチスドイツと障害者「安楽死」計画』はスゴ本

 「役に立たない人を安楽死させよう」という世の中になるなら、それはどんなプロセスを経るか?

 これが、嫌と言うほど書いてある。ヒトラーの秘密命令書から始まったT4作戦[Wikipedia]を中心に、医師が「生きるに値しない」と選別・抹殺していった歴史が緻密に書かれている。

 対象となった人は多岐に渡る。うつ病、知的障害、小人症、てんかんに始まり、性的錯誤、アル中、反社会的行動も含まれていた。こうした人びとが何万人も、ガス室に送られ、効率的に殺されていった。ユダヤ人の迫害にばかり目が行っていて、本書を読むまで、ほとんど知らなかった自分を恥じる。本書は、不治の精神病者はガス室へ『夜と霧の隅で』で教えていただいた(hachiro86さん、ありがとうございます)。

 問題は、ナチスに限らないところ。優生学をナチスに押し付け断罪することで、「消滅した」という図式にならない。社会システム化された「安楽死」(というより集団殺人)は、びっくりするほどありふれて見えて、そこだけ切って読むならば、ディストピア小説の一編のようだ。ハンナ・アレントが観察した、「悪の陳腐さ」そのもの。

 著者は主張する。欧米社会では伝統的に障害者を医療の枠でとらえ、「決して回復しない病人」とみなしてきた。異なるものへの恐れ、病人や障害者の持つ弱さへの憎しみ、完璧な健康、完璧な肉体への異常な衝動は、もともとそこにあり、ナチスドイツはこの闇を白日のもとにさらしたにすぎないというのだ。

 確かにこの計画は、ヒトラーが承認し、第三帝国の下で実行されたのは事実だ。だが、計画を生みだしたのは医者であり、遺伝学や生理学の権威が、科学的正当性のもとで推進したものだ。そこには、「善意」すらあったという。リハビリ可能なものはリハビリで「治癒」し、「治癒不能」なものを抹殺することで、民族の浄化に貢献すると信じていた。

 ヒトラーが署名したのは、治癒不能の重い病気を抱える患者に対し、十分慎重な診察のもと、安楽死がもたらされるよう、特定の医師の権限を拡大する命令書だ。当初は、苦しみから解放するという建前だった。社会の幸福のため、科学的正当性のもと、社会を合理化しようとしたというのだ。結果として狂気の沙汰が生まれたからといって、始めた人は狂人とは限らぬ。その見極めはどうすればできるのか?

 ひとつの斬り口として、「健康」というマジックワードが挙げられる。

 戦力増強という目的があったものの、ナチスほど国民の「健康」に執着した組織はなかったという。タバコとアルコールの追放運動を大々的に行い、飲酒運転には高額な罰金を課した。結核の早期発見のためのX線検査、学校での歯科検診、身体検査を制度化したという。全国的なキャンペーンが行われ、栄養のある食事、運動、新鮮な空気、適切な休養が啓発された。決められた「健康」を満たせない者は「役に立たない」とみなされる。つまり国民は、「健康」を強要されたのだ。

 もちろん「健康」であることは望ましい。だが、「健康」を決めるのは医者だというのは少し変だ。そして、「健康」でない人は排除すべしという考えは全くおかしい。健康ジャンキーを揶揄する「健康のためなら死んでもいい」言葉があるが、ブーヘンヴァルト収容所の所長のこの言葉も負けず劣らず強烈だ「うちの収容所に病人は一人もいない。健康な人と死人だけだ」。そして、「健康か否か」の線引きが医者にのみ委ねられ、「健康か死か」という二択しかないのであれば、それは狂気の沙汰にしか見えない。

 「健康」は、一見、中立的な善に見える。誰だって病や苦痛を避けたいから、健康に異を唱える人などいない。だが、誰も反対しないからこそ、「健康」をレトリックとして、先入観を押し付けることができる(この場合は第三帝国のイデオロギーだ)。

 このレトリックは、第三帝国が無くなっても感じることができる。若々しい男女や、はつらつとしたお年寄りが宣伝する、「健康食品」や「健康的な体」というメッセージの背後にある、「健康への強迫観念」を、確かに感じることができる。

 「健康」の背後にあるモラル的な風潮をあぶりだしたレポートとして、『不健康は悪なのか』がある。ヘルスケア用語に隠された肥満嫌悪や、「ポジティブであり続けること」を強要される癌患者、新薬を売るために創出される精神疾患など、「健康」という言葉に隠されたイデオロギーが、グロテスクなまでに暴かれる。「不健康な人は排除される」世の中が来るのなら、その途中経過はここにある。

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人工知能=科学∩技術∩哲学『人工知能のための哲学塾』

 人工知能を実現するための、哲学的な手がかりとなる一冊。

 人工知能は、科学、技術、哲学が交錯するところにある。「知能とは何か?」を問うのが哲学であり、この問いを探索するのが科学であり、実現するのが技術になる。最近の人工知能ブームでは、科学と技術に目が行きがちだが、本書は根本のところから応えようとしている。新しく見えるだけの場所から離れ、現象学や認識論を俯瞰することで、現在の人工知能の限界が逆説的に見えてくる。

 ブームに乗っかって、たくさん本が出ているが、わたしが求める「本質」は無い。たいていの人工知能本は、「考える」が本質であるといい、意思決定用のモジュールを積めばよしとする。「考える」とは何かという問いは保留され、おなじみの「入力→処理→出力」ルーチンに落とし込まれる。

 そして、意思決定のためのデータを機械学習で増やしたり、アルゴリズムに動的にフィードバックさせる話になる。プロ棋士に勝つソフトウェアや、自動運転、人間そっくりの受け答えをするAIは、たしかに凄いのだが、なにか違う。

 わたしが求める本質とは、「考える」とは何かという問いかけに向かうもの。認知科学を齧ると、ヒトは脳以前に「考える」に近似した処理をしていることが分かるし([野性の知能])、分析哲学を読むと、「考える」基となる言語には身体的なメタファーが付いて回っていることに気づかされる[レトリックと人生]

 コンピュータに喩えるなら、データは環境に埋め込まれており、それを取得する方法に既に一定の意味が付いてくる。その「意味」は、いま解決したい問題によって解釈が変わってくる。同じクラスでも、状況によって異なるインスタンスが生成される(鉛筆がマドラーになったり武器になったり)。さらにいうなら、問題によって何をデータとみなすのか? という問いすら変わってくる。

 こうした問題意識に対して、以下の演目で応えてくれる。次に進むべき領域が見える議論もあれば、わたしが見落としていた観点もあり、積読山がさらに高くなる。

 第一夜 フッサールの現象学  現象学と人工知能の関係性
 第二夜 ユクスキュルと環世界 キャラクターの主観世界
 第三夜 デカルトと機械論   デカルト的な世界観
 第四夜 デリダ・差延・感覚  予測と感覚
 第五夜 メルロ=ポンティと知覚論 知性と身体性の関係

 実は、第零夜にあたるオーバービューは無料で公開されている([改めて知りたい、人工知能とは何か?:「人工知能のための哲学塾」第零夜])。ほとんど本書のまとめみたいになっており、10分で概観を知ることができる。なお、資料一式も無料で公開されており、[人工知能は、いつ主観的世界を持ち始めるのか?]から参照できる。

 ありがたいのは、単純に知性に関する哲学の議論を並べているだけでなく、それがAIの議論にどのように関わるかを深めているところ。

 たとえば、ギブソンのオプティカルフローの概念。「眼」はカメラに喩えられるが、生物の眼はそれほど精緻にはできていないという。ぼんやり明るい/暗いが分かる程度で、生物が移動することで明暗が変化し、周囲の光の配列が変わっていく(オプティカルフロー)。近くのものは速く動き、遠くのものは変わらない。それによって自分の位置や姿勢、周囲の情報を得ている。つまり、生物の「眼」は漠然と見るのではなく、自分の身体がどうなっているかを確認する機能として働いているというのだ。この概念から、ロボットや人工知能の「眼」は細かく世界を見すぎているのではないかという疑問が示されている。

 あるいは、現在のゲームキャラクターのAIに欠けているものとして、「身体感覚」を挙げる。ある程度までは自律的となっているものの、キャラクター自身が内部の身体感覚(自己感)を持っておらず、リアリティを感じにくくさせている。人の身体保持感覚は、所与のものではなく、身体を動かすたびにフィードバックされ(遠心性コピー)、それ故、「この身体は自分自身のものだ」と思い込ませているというのだ。著者は、メルロ=ポンティを引きながら、能動的主体としての行動の志向性を述べる。即ち、何ができるかということが意識の根本にあり、最初は「我思う」ではなく、「我能う(あたう)」というのだ。

 「人のような」は、人マネでもなく、人のふりをするという意味でもない。それは、「主観的な世界」を持つということであり、身体性と共にあることが分かる。「主観的な世界を考える」を意思決定モジュールに任せるのではなく、絶えずフィードバックを受けながら自身を確認する身体感覚と共に実装されなければならないことも見えてくる(たとえポリゴンの中の世界であろうとも)。

 哲学から人工知能に迫りながら、「知能とは何か」の本質へ掘り下げてゆく一冊。

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