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殺傷力の高いラブストーリー4選

 「ずっと前から好きでした」の殺傷力はなかなかのもの。

 幼なじみの男子への告白を、「予行練習」と誤魔化したことから始まるすれ違いを描いたボカロが原作で、マンガや小説になり、映画にもなっている。息子がくり返し聴いているので耳にタコができている。

 息子がハマっているノベライズ版『告白予行練習』を読んでみると、これがまた超絶×極甘仕立てとなっている。糖尿病になるくらい甘々で、耐性があればキュンキュンし通しだし、なければ悶死すること請合う。キラキラした甘酸っぱい青春模様は、別の星・別の生物を眺めているくらい非現実的だ(なんだよあの頭のお団子は!?)。同時代の頃は眩しすぎて目を背けていたのだが、なるほど高校恋愛はこういうのが理想なのか……と感慨深い。高校生のわたしなら、直視に耐えかね、瞬殺されていただろう。

 わたしが薦める作品を放り出し、自分で「好き」を探索する子を見ていると、ちょっと寂しい。期間も経験も物量も間口も深度も感度も精度も、わたしのほうが上だ(親の傲慢)。だから、わたしが薦める作品を読めば、余計な回り道をすることなく次々と傑作にめぐり合えるはずなのに(そうカスタマイズできるのに)。

 けれども、そんなわたしの手を振りほどき、アドバイスもお薦めも聞こうとしなくなって久しい。おそるおそる歩いていた公園が行きつけとなり、わたしを放り出してどんどん勝手に行ってしまうようになった時期を思い出す。それはもう10年以上も昔の話なのだが、息子の成長ぶりに目を見張る。いっぽう、自分の趣味を押し付けようとするわたしの身勝手さが目に余る。

 よかろう。大きなお世話を百も承知で、ここはひとつ、対抗作品を挙げてみよう。とーちゃんが選んだ、殺傷力の高いラブストーリーを受けてみろ。すべてを潜り抜け、それでも立っていられたら、とーちゃんを超えたことになる。獅子はわが子を千尋の谷に突き落として試すというが、ホントに死んでしまうかも級の、リア充御用達のやつ。

 注意しなければならないのは、これらはけして、「大人のラブストーリー」ではないこと。プロトコルまみれの大人の恋愛ではなく、疲れた大人を癒す(もしくは殺す)、プリティでピュアピュアなラブストーリーだ。


たまこラブストーリー

 「ずっと前から好きでした」の昇降口のシーンは、破壊力がある。告白を「練習だ」と言い張る夏樹のいじらしさは、(その後の展開とも相まって)ずっとそっと心にしまっておきたい美しさがある。これに対抗するのは、「たまこラブストーリー」の河原の告白シーンである。

 これだ。

 もち蔵視点のたまこがかわいすぎて直視がつらい。すっとカメラを引いて、飛び石の二人をロングショットで眺める視点がある。これがわたしだった。告白することも、されることも、そういう状況に近づくこともなく青春を終わらせると、残りの一生、それを探し回ることになる。

 ラノベやアニメは、失われた青春を求める代償だと自覚している。人は最後に思い出したものを過去として生きている。なかった青春を甘酸っぱい記憶で上書きすることで、せめて、最後は幸せな記憶にしようと求める。「たまこラブストーリー」はそんな記憶がたくさんある。商店街の路地、体育館の場面、教室の窓辺、そして新幹線のホーム。ラストの一瞬、(糸電話の中で響き渡る)たまこの声に持ってかれた。心ぜんぶ。初見の映画館、本当に真っ暗闇の中で聞いた「もち蔵、大好き!」に死んだ(以降、それが聞きたくってDVDが出るまで5回ほど通うことになる)。初見の感想は、[『たまこラブストーリー』で幸せな記憶を]に書いた。

 やわらかくって、あったかくって、ぷにぷにで、観た人を幸せにする、おもちみたいなラブストーリー。テレビシリーズを見てなくても問題ないので、ぜひ幸せになってほしい。


この恋と、その未来。

 幸せの次は、辛い恋にしよう。

 恋とは、求めるものを投影した相手に惚れてから幻滅するまでのわずかな期間のことを指すか、または一生醒めない夢を見続けること。従って、叶った恋は恋でなくなるから、ホントの恋は片想いになる。「この恋」を、ずっと大事にしていきたいのなら、決して明かしてはならないし、露ほども表にしてはならない。そのためには、嘘でもいいから彼女をつくり(そのコにとってはいい迷惑だ)、周囲を騙し、自分を偽る。恋の本質は、秘めた幻なのだ。

 表紙の人は、未来(みらい)といい、GID(性同一性障害)である。身体は女性なのに、心は男性という不安定な思春期を過ごし、「男」として全寮制の高校に入学する。そのルームメイトとなった四朗が主人公で、未来のことを好きになってしまう───というのが物語の骨格になる。最初は、戸惑いながらも男として、親友として接していく。しかし次第に、女の身体という秘密を隠す共犯者として、そして、いかにもラノベらしいフォーマットに則ったイベントを進めていくうち、だんだんと惹かれていく。

 この恋を明かしたならば、恋が終わる。そもそも、体は女で心が男に惹かれるこの気持ちは、恋なのか。この痛みと苦しみを味わおう。この苦痛はじわじわくるので瞬殺は少ないだろう。もっと長い感想は、[最高のライトノベル『この恋と、その未来。』───ただし完結するならば]


秒速5センチメートル

 ひとを好きになるとはどういうことかと、そのひとを好きになった気持ちはなにになるのかが、分かる(答:こころそのものになる)。

 3編にわたるオムニバス形式で、初恋が記憶から思い出となり、思い出から心そのものとなる様を、驚異的なまでの映像美で綴っている。ノスタルジックで淡く甘い展開を想像していたら、強い痛みに見舞われる。わたしの心が身体のどこにあってどのような姿をしているのか、痛みの輪郭で正確になぞることができる。

 感想は[『小説・秒速5センチメートル』の破壊力について]に書いたが、その反応はてなブックマークのコメントが面白い。いわば「人を選ぶ」作品のようで、刺さる人には致死的であり、刺さらない人には全くらしい。好みは人それぞれなのだが、刺さらなかった人は、何が刺さるのか教えてほしいもの。

 ぜひご教授いただきたいのは、これらを上回る殺傷力をもつ作品があるかどうか。もしご存知なら、教えていただきたい。食わず嫌いはしない。失われた青春を求めて、何度でも死ぬつもりだから。

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『小説・秒速5センチメートル』の破壊力について

 もし今まで観た中で最高のアニメを問われたら、ためらうことなく「秒速5センチメートル」を挙げる。

 3編にわたるオムニバス形式で、初恋が記憶から思い出となり、思い出から心そのものとなる様を、驚異的なまでの映像美で綴っている。

 ノスタルジックで淡く甘い展開を想像していたら、強い痛みに見舞われる。わたしの心が身体のどこにあってどのような姿をしているのか、痛みの輪郭で正確になぞることができる。予備知識ゼロで観てしまったので、徹底的に打ちのめされた。涙と鼻汁だけでなく、口の中が血の味がした(ずっと奥歯を噛みしめていたんだと思う)。初めて観終わったとき、それほど長い映画でもなかったのに(1時間とすこし)、疲労感で起き上がれなくなった(ずっと全身に力を込めていたんだと思う)。

 何度も観ているうちに、「それを観たときの出来事」が層のように積まれていく。どんな季節に、誰と/独りで、何を思い出しながら観たかが、痛みとともに遺されていく。あるときは彼の気持ちになり、またあるときは彼女に寄り添い、観たという記憶が思い出になる。「桜花抄」の焦燥感も、コスモナウトの広大さも、そして「秒速5センチメートル」の切なさも、ぜんぶ宝物だ。

 何度も観ているうちに、わたし自身の記憶と重なる。思春期のときに罹る「ここじゃない」感も覚えている。社会人になって心が少しずつ死んでいく感覚も知っている。だからこそ貴樹にシンクロしてしまい、そのキスが完璧であればあるほど、それに囚われてしまっていることにもどかしく、やるせない気持ちになる。その背中を見ている花苗が純粋でまっすぐで情熱的で、いじらしさを通り越して痛ましさまで感じてしまう。

 ああいうラストでなかったなら、もっと前向きなイメージを保てたはずなのに、あの手紙を渡せていたなら、もっと違った未来があったはずなのに、何度見てもストーリーは変わるはずもないのに、それでも強く願ってしまう、こうあってほしいと。そして観るたびに印象が変わる、あのラストの一瞬間、その人はあの人だったのだろうか(そんなわけない/ひょっとして……)、そして二人は視線を交わせたのだろうか(小田急の方が早い/微笑みが残されている)。

 そういうもやもやした思い出を引きずって、作品そのものにわたしが囚われて、貴樹みたいにいつまでもどこまでも未練たらたらに惑っている。そういう、呪いみたいな思い出を昇華してくれたのが、『小説・秒速5センチメートル』だ。映画と小説は相互補完的にできており、「秒速5センチ」にまつわるやりとりや、岩舟駅の駅員さんの優しい心遣い、ずぶ濡れになって露わになった身体の線だとか、ずっと謎だった「あの日、明里が家に帰らなくても親は心配しなかったのか?」が分かった。

 そして一番嬉しかったのは、あのラストシーン、わたしが陥っていた喪失感から救われたように思えたこと。ここは意図的に違えて書いているのだろう、どうにもならない現実と、どうしようもない思い出と、なんとか折り合いをつけて生きている貴樹が前へ進めるような、そんなラストだ。あのお互いの「渡せなかった手紙」に書かれていたことからも分かる、たとえ渡さなくても、気持ちはすでに伝わっていたことに。

 最後の数ページ、文字がにじんで桜吹雪に重なる。最初のシーンの駆けてゆく二人の後姿が見える。山崎まさよしの「One more time, One more chance」のサビがくり返し繰り返し響いてくる。映画によって厚く積もった思い出が、ゆっくり、じんわり溶けてゆく。呪いは解けた。もちろん痛みはある。もったいなくて、忘れたくない。この痛みもひっくるめて、わたしの心なのだ。

 もしあなたが、観ても読んでもいないなら幸せ者だ、明日の予定のない夜に観ればいい。もしあなたが、観たけど読んでいないなら、もっと幸せ者だ。明日の予定のない夜に読んで、そのあと映画を観ればいい。約束する、これ読んだら、もう一度、観たくなる。

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