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知の科学へようこそ『教養としての認知科学』

 知的システムと知能の性質を研究する認知科学の入門書。人はどのように世界を認識しているか? より知的な存在を作り出すことができるか? 「考える」とは何か? そのとき何が起きているのか? といった疑問を抱いている人にとって、格好の入り口となる一冊。

 なぜなら、この領域は下記のごとく広範囲で学際的だから。むしろ、「知の科学」はつかみどころがなさすぎて、いったん扱える範囲に切り分け、それぞれの専門分野から光を当てないと、攻略すら難しい。

 人工知能(ニューラルネット、コネクショニズム)★
 神経科学(認知神経科学、脳科学)
 哲学  (心の哲学、認識論)★
 心理学 (認知心理学、進化心理学、文化心理学)★
 言語学 (生成文法、認知言語学)
 人類学 (認知人類学、認知考古学)
 社会学 (エスノメソドロジー、ナラティブ分析)

 本書は、青学・東大の人気講義を書籍化したもので、「知の科学」を多角的に紹介している。もとは哲学の領域だった「表象」の概念から、記憶や思考のベーシックス、コンピュータと人の思考プロセスの類似と相違、身体化された知性などを、広く薄く分かりやすく解説する。おそらく教養課程の講義なので、枕詞「教養としての」がついているのだろうが、ずばり「認知科学入門」のほうが中身に合っている気が。

 「知の科学」が面白いのは、好きな領域から登り始めればいいところ。選んだ専門に没頭して直登するのもいいし、表象や情報フレームワークが張り巡らされているから、隣接する分野へトレッキングしてもいい。わたしは欲張りなので、特に興味のある★領域から並行して攻略している。ある分野に精通するようになってから、別の領域に足を踏み入れると、知のありようはがらりと変わって面白いし、登るのが困難なら別ルートで迂回してもいい。この組み合わせの妙が愉しい。

 たとえば、「4枚カード問題」という事例が示される。有名な問題なので、どこかで聞いたことがあるかもしれない。これは、人がいかに論理的に考えていないかを示す格好の教材である。

【問1】

4枚のカードがある。このカードの片面には数字が、もう片面には平仮名、あるいはカタカナが書かれている。さて、このカードは「片面が奇数ならば、その裏は平仮名」となるよう作られているという。本当にそうなっているかを調べるためには、どのカードを裏返してみる必要があるか。何枚裏返してもかまわないが、必要最低限の枚数にすること

      「3」
      「8」
      「う」
      「キ」

 答えは反転表示→「3」と「キ」。「3」はすぐに分かる。裏側がカタカナだったらルール違反になるから。「キ」を裏返す必要があるのは、もし奇数だったらルール違反になるから。最初のカードは閃くけれど、次のカードの正答率は低いよという話。「4枚カード問題」に限らず、フレーミング効果や確証バイアスの事例を挙げながら、人の思考には、合理性、論理性とはかけ離れたクセがあることが紹介されている。これだけだったら、面白いトリビアになるだけだ。

 しかし、ここからぐっと興味深くなる。「4枚カード問題」を変形した、この問題だとどうなるだろう。

【問2】

あなたは、ある国の空港で入国管理を行う立場にある。この国に入国するには、コレラの予防接種が必要となっている。今、目の前のカードには、「入国」か「一時立ち寄り」が記され、裏には予防接種のリストが記されているカードが4枚並んでいる。あなたがチェックしなければならないのはどのカードか?

      「赤痢、疫痢」
      「コレラ、赤痢」
      「一時立ち寄り」
      「入国」

 本質は問1と同じのため、答えは書かない。非常に興味深いことに、この問題の正答率が問1よりも高くなったという。なぜか? 偶奇やカナといった抽象的な問題ではなく、より具体的になったからか?

 チェンとホリオークの研究(Cheng&Holyoak:Pragmatic reasoning schemas,1985)によると、この問題が「許可」の文脈で提示されたからだという。「もし○○をするなら、××をしなければならない」という形(許可のスキーマ)で出題された場合、わたしたちの推論は、論理学的な正解と一致するらしい。つまり、わたしたちは、状況の意味に対応したスキーマに基づいて推論を行っているというのだ。しかも、限られた認知のリソースを案分して、ゆらぎと冗長性を保たせながら思考している姿は、進化心理学から斬り込むと、もっと面白くなるに違いない。

 章末で紹介されている書籍がまたいい。それぞれの領域の入門から初段くらいまで取り揃えている。各章を読みながら興味を惹いた本を順に追いかけていくだけで、知の科学を縦走できるだろう。

 間口広く、奥深い、知の科学へようこそ。

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村上春樹の読書案内&創作教室『若い読者のための短編小説案内』

若い読者のための短編小説案内 もはや「若い読者」ではないし、熱心な村上春樹の読者でもないが、この一冊から得るものは多かった。理由はみっつある。

 ひとつは、なぜ村上春樹が短編小説を書くのかを、確認できたこと。もうひとつは、小説を読む喜びの根っこがどこにあるのかを、再確認できたこと。そしてみっつめは、小説を書く秘訣のうち、最も重要なものが何であるかについて再確認できたこと。すべてここで明かすつもりだが、聞いてしまえばなんてことのない。だが、そこに至るまでの過程こそが、喜びであり肝なのだ。これ、「人はなぜフィクションを必要とするのか」にもつながる話。

 本書は、以下の作家から各一作品ずつ短編小説を挙げ、読み手と書き手の両方の視点から読み解いた読書案内。米国の大学での講義内容を元にしているため、しゃべり言葉になっており、とても読みやすい。また、あらすじを紹介しつつ進めているため、これらを読んでなくても問題なく楽しめる。(ただし、きっと読みたくなる)。

 吉行淳之介  『水の畔り』
 小島信夫   『馬』
 安岡章太郎  『ガラスの靴』
 庄野潤三   『静物』
 丸谷才一   『樹影譚』
 長谷川四郎  『阿久正の話』

 一作品につき一章を割り当て、自身の創作手法も織り交ぜながら、紹介と読解を深めてゆく。「長編小説を書くためのスプリングボードとしての短編小説」「フィクションとしての説得力をどうやって保たせるか」など、短編小説に限らず創作を志している方であれば、たくさんの気付きが得られるだろう。ここでは、「自分を回復させるために書く」件で最も響いた一文を引用する。

物語を書くことによって、心の特定の部分を集中的に癒すことができます。精神的な筋肉のツボのようなところを、ぎゅっと効果的に押さえることができます。それは短く深い夢を見ることに似ています。

 上述の6作品のうち、わたしは『樹影譚』しか読んでないが、かつて『笹まくら』で打ちのめされた「意識の流れをずらす+信頼できない語り手」手法が濃密に凝縮している……という印象だった。このぼんやりとした印象を、本書では「丸谷才一の変身術」として、明晰に徹底的に語りつくしており、二重に驚いた。手品のタネあかしだけでなく、その手品がどこからやってきたかまで曝露しているからだ。egoとselfのせめぎあいから、その作家の「作家性」にまで寄り添った"読み"は、わたしの"読み"とはまた違って、深くて濃くて面白い。

 村上は言う、本の読み方というのは、人の生き方と同じであると。ひとつとして同じ読み方は存在しない。読むことも、生きることも、孤独で厳しい作業かもしれないが、その違いを含めた上で、あるいはその違いを含めるがゆえに、まわりにいる人々のうちの何人かと、とても奥深く理解しあうことができると。「気に入った本について、思いを同じくする誰かと心ゆくまで語り合えることは、人生のもっとも大きな喜びのひとつである」。わたしたちは孤独な存在だけれど、小説という幻想を共有できる場所を持つことで、少しのあいだ慰められるのだろうか。

 いちばん激しくうなづいたのは、小説を書く上で最も重要なところ。わたしに最初に教えてくれたのは、開高健、そして夏目漱石とボルヘス。最近だったら、ロベルト・ボラーニョがその作品(『2666』な)でもって示してくれた、小説の極意。村上春樹は、わたしの知る限り最も簡潔に、この極意を伝えている。

おそらくそこがキモなのですね。語られなかったことによって何かが語られているという、ひとつの手応えのようなものがあります。優れた作家はいちばん大事なことは書かないのです。優れたパーカッショニストがいちばん大事な音は叩かないのと同じように。

 パーカッショニストに喩えるところがいかにもだが、言わんとすることは絶対に忘れない。小説という形で差し出されたとき、それは(どんなに取り繕ってみせても)一つの嘘なのだ。真実を、真実だからという理由でそのまま書いたとしても、それはリアリティを欠いた、ひどく薄っぺらなものになるだろう。では、小説家はどうするのか? その代わりに、ひとつの嘘をでっち上げる。その嘘おかげで、物語は質量と体温を持てるようになり、嘘の中のリアリティとして扱えるようになる。ラブレーが喝破した「三つの真実にまさる一つのきれいな嘘を!」を、村上は物語の力だという。

僕らはその小説を書き上げ、「これは現実じゃありません。でも現実じゃないという事実によって、それはより現実的であり、より切実なのです」と言うことができます。そしてそのような工程を通して初めて、それを受け取る側も(つまり読者も)、自分の抱えている現実の証言をそのファンタジーに付託することができるわけです。言い換えれば幻想を共有することができるのです。それが要するに物語の力だと僕は思っています。

 これは受け取る側(読者)にも言える。ファンタジーというに付託する方向とは逆に、「きれいな嘘」のおかげで現実との折り合いをつけるやり方だ。現実は巨きすぎで、辛辣で、ややもすると圧倒されて何も考えられなくなる。そうなる前に、現実のメタファーとして小説を楽しむことによって、現実をシミュレートする。「現実そのままを生きる」なんてそれこそ嘘で、なんらかの形に加工することで、"かなしみ"だとか"愛"といった認識に帰着させることができる。それに気付かせてくれるのが優れた小説であり、その手技を紹介してくれるのが、本書になる。

 最後に。本書の講義をする際、学生に要求したこと3つを紹介する。これは、村上自身が心がけているポイントでもある。簡単そうに見えるけれど、これは、かなり難しい。

  • 何度も何度もテキストを読み込むこと(細部まで暗記するまで)
  • テキストを好きになろうと精いっぱい努力すること(冷笑的にならないように努めること)
  • 読みながら頭に浮かんだ疑問点を、どんなに些細なこと、つまらないことでもいいから(むしろ些細なこと、つまらないことの方が望ましい)こまみにリストアップして、みんなの前でそれを口にするのを恥ずかしがらないこと

 よい短編で、よい人生を。

 そうそう、次回のスゴ本オフのテーマは「短編集」。いつもは、「SF」とか「食」といったジャンルテーマなので、出てくる作品も似通ってくる。しかし今回はフォーマット縛りなので、器に何が入っているかは、出てきてからのお楽しみ。純文、文芸、ミステリ、エンタメ、ロマンス、ホラー、SF、冒険、ファンタジー、ノンフィクションとなんでもありだし、言語圏、地域、年代、作家しばり、ショートショート、オムニバス、アンソロジー、詩集も句集も「短編集」になる。

 読まずに死んだらもったいない鉄板から、思いもよらない傑作まで、いい短編に出合えることを請合う。詳細はfacebookで。アカウント持ってない方は、twitter(@Dain_sugohon)に@してくださいまし。

 7/23(土)13:00-17:00
 渋谷某所
 途中入退場OK
 facebookスゴ本オフ「短編集」の会

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