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動いているコードに触るな『失われてゆく、我々の内なる細菌』

失われてゆく プログラマの格言に、「動いているコードに触るな」がある。ビジネス環境の変化に合わせ、巨大なシステムを維持・改善していく上で、ほぼ原則といってもいい。

 その意味はこうだ。長いこと複雑怪奇な状態なのに、なぜか正しく動いているプログラムに対し、不用意に手を入れると、思いもよらない不具合が出る(これをデグレードという)。一見冗長で、まわりくどく無駄なことやっているようなので、よかれと思って直す。すると、触った部分とは関係なさそうな別の場所・タイミングで、予想外の動作をする。結果、因果が特定できないまま解析が長引くことになる。きちんとリソースを充てて改善するならともかく、「なぜ上手く動いているか」が分からないまま改修するのは、非常にリスキーなのだ。

 人体に常在し、ヒトと共進化してきた100兆もの細菌群を「マイクロバイオーム」と呼ぶ。このマイクロバイオームの多様性を描いた本書を読むと、抗生物質の濫用により、人体システムにデグレードを起こしていることが分かる。コンピュータより複雑で、何年、何十年、ともすると次の世代から影響が出るため、因果を見つけるのはもっと難しい。ここ数十年で急増した、アレルギーや自己免疫性疾患、ホルモン・代謝異常という「病気」の一部は、人体システムにおける細菌の生態系が破壊されたことが原因だと見えてくる。それも、数十年前、ともするとその親の世代に、「治療」として投与された抗生物質によるジェノサイドが引き起こしたものなのだ。

 たとえば、ピロリ菌。かつて、胃がんや胃潰瘍のリスクを上昇させる「悪玉」として、これを除菌することが治療だと考えられていた。しかし、近年の研究で、ピロリ菌は、胃食道逆流症を抑制し、結果として食道がんを予防することが明らかになった。ピロリ菌は、ヒトを病気から守る一方で、ヒトを病気にもする。

 この両義性について、生態学者は、ピロリ菌と人類の共進化の視点から説明する。ピロリ菌を保有していても、子ども時代から青年期にかけて病気を引き起こすことは稀だ。すなわち、そこに淘汰圧は働かない。医学の発展によって、ピロリ菌の病原菌としての振る舞いが目立つほど、ヒトの平均寿命が延びたと考えることができる。このメカニズムを理解しないまま、不用意に「ピロリ菌=悪玉」として除菌することで、人体をデグレードさせていたのだ。

 あるいは、抗生物質。ウィルス感染と細菌感染の区別を待たず、時間的制約や訴訟リスクを回避するため、抗生物質は安易に過剰に使われてきた。結果、何百万人の子どもたちが、罹ってもいない細菌感染症のために抗生剤で「治療」されてきた。これが問題にならないほうがおかしいという。

失われてゆく まず、抗生物質が効かない耐性菌の問題がある。突然変異により耐性が「親から子」へ伝達されるだけではなく、「菌から菌へ」水平に伝達される遺伝子の水平異動がある。これは、Rプラスミド(薬剤耐性因子)と呼ばれる環状のDNA分子が、抗生物質への耐性遺伝子を乗せて、接合によって菌から菌へ移動することで実現している。[見えない巨人 微生物]より。結果、製薬会社の新薬開発が、耐性菌の出現に追い付かない事態となっている。

 さらに、抗生物質の成長促進効果がもたらす影響がある。化学的組成や構造の違いによらず、抗生物質は成長を促進させることが知られており、鶏、牛、豚などの家畜に大量に投与されている。わたしたちは、より安い価格で食肉を手に入れることができる一方、日常的に抗生物質を摂取することになる。ここ数十年の子どもの早熟化は、単なる食生活の向上のみならず、抗生物質の影響もあるのだ。そして、その代償として、肥満や喘息、I型糖尿病の例が挙げられている。家畜を早く肥らせるために与えた抗生物質が、まわりまわってヒトの代謝や免疫の発達過程に悪影響を及ぼす。このデグレードの解析は数十年かかっており、いまだに解決に至っていない。

 著者はここから、腸内細菌が脳の発達に関与する仮説を示す。ヒトの腸管は通常、一億個以上の神経細胞を含んでおり、これは脳細胞の数に匹敵する。腸の神経叢から脳に直接送られる信号が、認識の発達や発達や気分に影響を与えることが、最近の研究から明らかになっている。たとえば脳で作られ、脳で作用していると考えられていたセロトニンは、実はその80%は腸内で産出されていたことが分かった。学習や気分、睡眠の制御にかかわるセロトニンは、脳ではなく腸がコントロールしていたのだ。

 さらに、腸の神経細胞は腸管細菌と恒常的な接触を持っており、そこには膨大な量の交叉応答があるという。つまり、腸内細菌は、腸の神経叢を通じて脳と「対話」を行っているのだ。子どもに抗生物質が投与されると、セロトニン産生に関わる細菌の構成が動揺するといった研究も示されている。ヒトは脳だけでなく腸でも「思考」し、その「思考」は細菌の働きに少なからず左右されているのだ。

 本書の主張はこうだ。長い時間をかけてヒトと常在菌は共進化し、代謝、免疫、認識を含む体内システムを発達させてきた。しかし、ここ数十年で抗生物質が大量に使われるようになり、常在菌の多様性が失われつつある。20世紀後半に劇的に増加した諸疾患は、(それぞれ個別の原因がある可能性はあるものの)この多様性の喪失が大きな要因を占めているのではないか。化学物質による環境破壊に警鐘を鳴らしたレイチェル・カーソンの『沈黙の春』に倣って、本書では「抗生物質の冬」と呼んでいる。数十年、数世代にわたって影響が出る、免疫と代謝のデグレードが起きているのだ。

 しかし、著者はどちらかといえば楽観的に先を見ている。数百万年かけてきたヒトと細菌の共進化からすれば、この急速な変化は数十年にすぎない。人類誕生からすれば一瞬の出来事になる。急速な変化は急速な離脱を可能とする。抗生物質の過剰使用の規制や、(母親の膣細菌への暴露機会を増やすため)できるだけ帝王切開に頼らない出産、計画的な糞便移植などのアイディアを提示する。「動いているコードに触るな」は原則だが、触るときには充分なリソースを充て、「なぜそうなっているのか」のメカニズムを解明した上で、段階的に改善してゆく。これは、プログラムもマイクロバイオームも同じだろう。

 マイクロバイオームと健康の関係を考えるとともに、そのメカニズムについて進化生物学の観点で理解を深める読書となった。今まで、ビタミンやミネラルといった栄養バランスに気をつけていたが、これからは、わたしの体内の細菌たちのことも考えた食事にしよう―――そう行動を促す読書にもなった。

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エロスの図書館『ソドムの百二十冊』

ソドムの百二十冊 古今東西の書物を、エロスの名のもとに分類した図書館。

 サドやバタイユといった王道から、漱石や鴎外、丸尾末広や村上春樹まで、様々なのに偏っている、その偏愛っぷりが素敵ですな。知っている本を手がかりに、周辺で紹介されている作品を浚うもよし、知らない作品の解説を飲み下すことで、快楽の世界を拡張するもよし。エロスの自由度の高さに驚くことを請合う。

 素晴らしいのは、わたしの既読本を、エロティックなまなざしで穿ち読むことで、そこに潜む煩悩を、黒く炙り出してくれるところ。そのときはサラリと通り過ぎた一文が、実は脈打つ欲望の熱い一端だったことに気付かされ、愕然とする。作品が、まるで別のものに変異する一方、さもありなんと何度も頷く。

火垂るの墓 たとえば野坂昭如の分析。ある観点から複数作品を横断的に見ていくことで、野坂文学における近親相姦の役割を明らかにする。その要となるのは、「蛍」だ。野坂文学では、蛍が女の性のメタファーとして表れてくるという。とことん猥雑だが、どこか滑稽な男のエロスを描いた『エロ事師たち』では、蛍を潰したときの臭いが登場する。その生臭さは、自分を犯そうとする義母から滴っていた臭いと重ねられて描かれる。

 また、有名な『火垂るの墓』では仲睦まじい兄妹における性の目覚めの箇所を示した後、節子が蛍の墓を作るシーンを読み解く。これは、ただの「お葬式ごっこ」という遊びではなく、女としての喜びを知らぬまま死なねばならない運命を、節子が先取りして演じた場面として読めるというのだ。清らかな光を放つ聖女としての存在の裏側に、生臭い肉を持つ女がいる。この構図を、「蛍」で読み解くのが面白い。

 また、バタイユの禁止と侵犯のパラドクスをBL(ボーイズ・ラブ)に当てはめた考察が面白い。BL腐女子がリアルで男性同性愛者に出会って好きになったとしても、寝た途端に相手は異性愛者になってしまう。腐女子は禁止の彼方の不可能な関係に萌えているというのだ。そしてこの欲望のメカニズムは、ロリコンやコスプレ萌えにも当てはまるという。ロリータ・コンプレックスは「無垢」な少女に欲情するものであって、もし彼女と性交してしまったら、それは少女ではなく「女」になってしまうから。また、どんなにコスプレに萌えても、いざ行為に及ぶため脱がせてしまえば裸になってしまう……というのだが、果たしてそうだろうか?

ロリータ ナボコフ『ロリータ』の語り手であり少女性愛者でもあるハンバート・ハンバートは、少女と肉体関係を持った後でも、崇高な存在として宝物のように扱う。逃避行の乱れた生活の中で荒んできたとしても、彼の「ロリータ」は変わらない。なぜなら、現実の少女ドロレス・ヘイズではなく、彼の内面に映る「ロリータ」こそが至高の存在なのだから。同様に、BL腐女子が男性同性愛者と寝ても、侵犯したことにはならないと考える。腐女子が望むのは、男×男なのであって、現実に女と関係を持つ男とは別のものなのだ。ロリコンであれ、BLであれ、抽象化した関係に惑溺するものだから、リアルがどうあれ、脳内が現実になる。

城の中のイギリス人 このように、作者と問答しながら読み進めると、新しい作品の発見のみならず、自分の中で抱いていた答えを掘り当てることもある。なかなか愉しい読書案内である一方、「それ入れるならコレ外すなよ」とツッコミたくなるのもいくつか。本書は、禁断の書を中心としたソドムの図書館なのだから、マンディアルグ『城の中のイギリス人』や野坂昭如『骨餓身峠死人葛』といった背徳小説を並べるのは素晴らしい。巨大な蛸がうごめく水槽に少女を突き落とし、墨と吸盤にもみくちゃに吸われているところを犯す、という場面から、マンディアルグは葛飾北斎『海女と蛸』を見たのではないかと想像できる想像力が凄い。

ジェローム神父 だが、これらを入れるなら、甘酸っぱい思春期を、残虐美とエロスで塗り固めたジャック・ケッチャム『隣の家の少女』がないのはなぜ? 食人猟奇の残虐性と少女性の両方を堪能できる、澁澤龍彦+会田誠+マルキ・ド・サド『ジェローム神父』は絶対でしょうに。丸尾末広をマンガとして推すなら、氏賀Y太や早見純は入れようよ、好みの問題というよりも、この図書館を「ソドム」と名づけるなら。エロスとタナトスのキーワードで論評するなら、命がけのオナニーをルポルタージュした『デス・パフォーマンス』は必携でしょう……など等、次々と出てくる。わたしの中に、暗い穴が開いていることがよく分かる。ツッコめばツッコむほど、穴を覗き込むことになり、その向こう側でこっちを視ている気配がはっきりしてくるのが、怖い。これは、そういう意味で、とても怖い本でもある。


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