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読者は安全ではない『居心地の悪い部屋』

居心地の悪い部屋 人は現実との折り合いをつけるために小説を読む。にもかかわらず、現実は折り合いも理解もできないことを、この短編集は改めて教えてくれる。呑め、さもなきゃ呑まれる。

 現実はときに受け入れがたいほど辛く、無慈悲で理不尽な結末をもたらす。いや、「無慈悲」や「理不尽」というのは、情(なさけ)や理(ことわり)で理解しようとしたら失敗した形容であって、そうした情理の外にあるものが現実なのだ。辛すぎる現実を引き受けるために、嘘でもいいから因果や善悪が必要で、そいつをドライブするのが小説なのだ。偽の現実に自分をかさね、わたしはそこに慰めや教訓めいたものを見いだす。

 だが、慰めや折り合いをつけるために開いた小説が、「小説であること」を裏切ってきたらどうなるか? これは怖い。これは、足下の地面が揺らぐ怖さであり、わたしがわたしであることを裏切る怖さだ。岸本佐知子氏が編んだ『居心地の悪い部屋』は、この怖さに満ちている。オロズコ「オリエンテーション」あたりがそのまんま。こうやって始まる。

あちらに並んでいるのがオフィスで、こちら側がブースです。あそこが私のブースで、あなたのはここ。あなたの電話はこれです。電話にはけっして出てはいけません。

 どうやら「あなた」は派遣社員で、語り手の「私」からオリエンテーションを受けていることが分かる。電話に出るのも掛けるのもダメだけど、緊急に限ってOKだという。そのためには「上司」の許可が必要で、「上司」が不在ならあそこに座っている誰それに相談せよという("緊急"なのに)。

 こんな感じで、「私」は仕事内容や同僚となる人を紹介してくれるのだが、微に入り細を穿ちすぎている。同僚たちの猟奇的な性癖や、奇怪な夫婦生活のすべてを「私」は監視・把握してフォローを促してはくるものの、仕事にさしつかえない限り放置する。オフィスについて何でも知ってて何でもレクチャーするくせに、肝心の「上司」と「私」については名前すら教えてくれない。この非対称のアンバランスさが、もやもやと薄気味悪い。

 そこでわたし気づく。現実は、この「私」が居ないだけで、そっくりそのままなんだと。そこには因果や善悪など存在せず、薄々わかっていた暴力性が、はずみで発火する。ひょっとすると、すべては伏線だけで終わって、悲劇も何も起らないかもしれない。それはそれで現実だ。誰も説明なんてしてくれない。自分で自分を納得させるしかないんだ、と。

 そして、いちばん怖いのは、このもやもやしたズレや薄々感が溜まってゆくにつれ、異様を異様だと思わなくなるところ。政治や洗脳の話なら分かる。イデオロギーに染まると、その異常を客観視できなくなるからね。でもこれは、日常が出発点なのだから、逃げられない。

厭な物語 読み手を嫌な気分にさせるのを狙った、いわゆる「後味の悪い小説」はある。『厭な物語』あたりがオススメで、読み手の感情を逆なでし、運命の残酷さを見せつけてくれる。クリスティーからソローキンといった大御所のイヤミス(イヤなミステリ)が厳選されている。『厭な物語』と比べると、『居心地の悪い部屋』は不条理度が高めに見える。それは、後者の狙いが後味の悪さよりもむしろ、読後の不安感を煽るところにあるから。唐突で、不可解で、脈絡もないように見えても、それは読み手であるわたし自身がそうなのだ、ということに気づかせてくれる。安全圏から異常を味わうのが『厭な物語』なら、本書はそこから引きずりだしてくれる(もしくは安全圏という小説の化けの皮を引き剥がしてくれる)。

 『居心地の悪い部屋』とは、その本を手にしている読者がいる部屋がそうなるのだ。この不安感覚は、現実との折り合いを小説に求めたのに、そこでなんの説明もつじつまも合わないところからくる。

 あなたの居る部屋を、居心地の悪い部屋にする一冊。

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