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人類の歴史とは、ホモセクシャルの歴史である『【図説】ホモセクシャルの世界史』

ホモセクシャルの世界史 読書の魅力は、「世界がそれまでと違って見える」である。世界が変わったのではなく、新しい目を得たのだ。いま見えている世界が唯一絶対だと思いたいなら、本は要らない。

 なかでも「スゴ本」は、読前読後で自分をアップデートするものだ。それまでの常識や固定観念を破壊するだけでなく、意識すらしていなかった部分を認識の明るみに引きずり出してくれる。本書は、わたしの中の飼い慣らされた部分を引きずり出してくれたという意味でスゴい(ただし、これをどう扱うかはわたしの問題である)。単にホモをいっぱい集めた本だと思い、興味本位で手を出したら、返り討ちに遭ったようなもの。自分がどんだけステレオタイプでホモを見てきたかを思い知った。

 本書は、古今東西における男どうしの性愛をまとめたものである。豊富な図版と大量の文献を元に、その美学、愛、官能、技法、因縁、そして運命を、微に入り細を穿ち、精力的に渉猟してゆく。大まかな時系列・地域別にまとめられてはいるものの、随所に異なる視点や斬り口が設けられており、じつに多様な読み方ができる。

 たとえば、歴史上の偉人や巨匠たちが大量に登場するため、ホモ列伝として読んでも凄いし、男の同性愛がどのように発生し、広まり、禁止され、復活したのかという巨大な文化史として捉えることもできる。また、男女の性愛や、女性の同性愛とを比較した歴史的考察を横断し、「人類にとって性愛とはなにか」を地球規模で考え直す一助にしても面白い。

 人類とともに古い少年愛の実践者が、山とでてくる。アレクサンドロス大王やレオナルド・ダ・ヴィンチといった有名どころの紹介だけでなく、そこに潜む異説エピソードが面白い。たとえばプラトン。あの哲人がそうだったのは知っていたが、「プラトニック・ラブ」とは精神的な愛であるというのは平俗化された意味だというのは知らなかった。元は男性同士の気高い情愛関係を示していたというのだ。

 宗教ネタ、開祖カップリングも興味深い。釈迦と阿難、イエスとヨハネの師弟関係がホモエロティックなものとして語り継がれ、ずばり「結婚」とまで言及されていたエピソードが紹介されている。最後の晩餐でイエスの胸元に寄りかかった構図は知らなかったが、見ればそうとしか思えなくなる(ヨハネではなくラザロという説も併せて紹介されている)。

 全員ホモのカップルで構成された、古代ギリシアの最強軍隊の話が泣ける。テーバイの神聖部隊の理念に基づいたもので、愛するもの同士で一緒になって戦った。互いに相手から見苦しい様を見られまいとして、かつ愛する者を守ろうとして、非常な威力を発揮した。これを破ったのはマケドニア大王フィリッポス二世(アレクサンドロス大王の父)で、戦闘後にこの事実を知って漢泣きに泣いたという。

 文学の観点からの洞察も面白い。メルヴィル『白鯨』にて、おおっぴらに行為を描いてはいないものの、ホモセクシャルな関係としかいいようのないシーンが出てくるが、著者自身がそうだったとは知らなかった。太宰治『走れメロス』の原典となったモイロスとセリヌンティオスの友愛関係や、スティーヴンソン『宝島』のジム少年と一本脚の海賊ジョン・シルヴァーのマトロタージュ(念友関係)、ウェルギリウスが少年愛者だったことを知った上で冥界案内人として登場させたダンテ『神曲』など、枚挙に暇がない。

 ホモセクシャルの痕跡を時間軸のエピソードで眺めるだけでなく、オセアニア、南北アメリカ大陸、アフリカ大陸、ユーラシア大陸と、地域文明を横断する巨視的な観点からも俯瞰する。すると、時代を問わず、場所に限らず、男を愛する男の話は極めて普遍的に見いだすことができるだけでなく、異性愛をも上回る人気を誇っていることが分かる。

 唯一の例外がユダヤ教で、つねに大国に脅かされた弱小民族の窮状を反映し、産めよ殖やせよが至上命題となっており、生殖以外の性行為を「浪費」とみなしたためだと説明する。イスラム、ヨーロッパ、中国と一定の反映を誇った文化には、必ずといっていいほど同性愛の痕跡を見いだすことができ、むしろホモセクシャルを禁忌とする考え方こそが偏狭だという気になってくる。

 ではなぜ、ホモセクシャルを悪徳とする考え方が広まったのか? 著者は愚直なまでにドグマを守るキリスト教徒に原因を求め、様々な根拠を提示するが、なかでもパウロの「自己嫌悪型ゲイ」という観点が面白かった。『コリントス信者への第二の手紙』の12章7節にある、「私の肉体に与えられた一つの棘」という件を元にしている。そこからパウロ自身の同性に対する情欲であった解釈を引き、自己の性的指向を知って嫌悪感に陥る「隠れゲイ」だったというのだ。

 わたしがホモセクシャリティに感じる背徳性は、キリスト教社会から押しつけられた倫理観だと考えると、ちょっと愉快である。日本にはかつて男性同士の性愛が「衆道」「美道」にまで高められ称揚されていた。そうした下地に花開いた今日のBL文化と、かつて移植された欧米的価値観がせめぎあっているのかもしれない。もちろん、異説、俗説、都市伝説が混ざりこんだものなので、そのまま「ほんとう」と信じるのは愚かだろう。だが、妄想の上とはいえ、人類はここまで自由になれるのかと思うと、嬉しくなってくる。

 ホモセクシャルは、ヘテロよりも、深くて多彩で、面白い。

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数学のセンス・オブ・ワンダー『数学の大統一に挑む』

数学の大統一に挑む 美しいものに触れたとき、感動はどうすれば伝わるか。

 満点の星空や、圧倒的な夕陽を一人で見ていたとしよう。もし、愛する人がいたら、この美しさやそのときの気持ちを、どう伝えるだろう? 写真を撮るか、キャンバスに描いてみせるか、やはり言葉で伝えたらいいのか。

 この問いに対し、星野道夫は、すてきな返答を遺している。それは、自分が変わってゆくことだ。その夕陽を見て、感動した自分が変わることによって、それがいかに凄いものであったかが伝わる。アップデートされた自分自身こそが、ビジュアルや言葉を超えたメディアとなる。

 『数学の大統一に挑む』の著者エドワード・フレンケル自身がそうだ。彼の半生を知るにつれ、数学が人を捕え鍛え変えてゆくさまを見て取ることができる。同時に、その一端でも触れることができるならば、世界の見え方が一変するほどの秘密が潜んでいることが分かる。

 その名は、ラングランス・プログラム。代数、幾何学、数論、解析という、異なる数学の領域のあいだに、さらには量子物理学の世界にまで架け橋を設けようとする計画だという。数学のあらゆる領域の基礎構造を成す、いわば数学の「ソースコード」を明らかにする試みだ。

 本書は、このラングランス・プログラムを様々な比喩やエピソードを用いて紹介するパートと、波乱と挑戦に満ちた著者自身の自伝とが撚り合わさってできている。特に、最難関の入試問題を全問正解したにもかかわらず、不合格させるための口頭審問のやりとりがカフカ寓話そのもので印象深い。反ユダヤ主義のソ連時代の圧力にめげず、教育システムのセキュリティホールを衝いてくる実行力がすごい。これはひとえに、数学への愛が成し遂げている。著者は、ガロアの論文を「人類に宛てたラブレター」だと評しているが、本書そのものが数学へ宛てたラブレターだといえる。

 そして数学を語るパート。数学の美しさ、華麗さ、勇壮さを熱っぽく力説するあまり、深く遠いところまで連れて行こうとする。著者曰く、わたしたちが学校で習う数学は、いわば猫のようなものだという。これに対し、ブレード群やガロア群、リーマン面といった現代数学は、トラなんだと。同じネコ科とはいえ、ずっと猫ばかり見せておいて、トラとはこのような生き物だと言ったとしても伝わるものではない。だから、堂々としたトラの姿を見てもらうために書いたという。そのトラの正体は、正直にいうと理解できなかった。

 もちろん、喩え話なら分かりやすい。例えば、「写真は、四次元の影である」という。4つ目の次元が時間を表わしているのなら、時間について「スライス」することは、写真にほかならない。動いている被写体の写真を撮るということは、時間軸でスライスして三次元の断片を作ることに相当するという(その後、三次元のスライスを二次元平面に射影することになる)。たくさん写真を重ねることで、動いている印象を作り出すことはアニメーションそのものだし、マルセル・デュシャン『階段を降りる裸婦像No.2』の例も腑に落ちる。

 だがこれを一般化して、n次元のフラットな空間の点を、n個の数で表すところから怪しくなる。直線や平面が「フラット」なのはいいとして、三次元空間が平べったいとはどういうことだろう? ここから曲率の話やリーマン面に連れて行かれると、理解が追いつかなくなる。それを補うための数式や証明が巻末注にまとめられているが、知っているのならいざしらず、未見のものは(この分量だけでは)噛みきれない。

 けれども、わたしは学んでいる。かつて『ゲーデル、エッシャー、バッハ(G.E.B)』に何度も挑戦し、挫折した経験から知っている。ポイントはこうだ。

 1) 分からないところは、いったんカッコでくくる
 2) その本だけで、学ぼうとしない

 分からない箇所にぶち当たったとき、注釈やネットを渉猟しても、「その理解のための大きなリソースを要する」ことが分かったなら、早々と撤退する。さもないと、先に進めることができなくなる。また、注釈が充実しているから、比喩が分かるからといって、その本だけで学べると思うのも禁物だ。その世界を見てもらおうと、例え話もそこそこにどんどんスピードを上げていくから(不完全性定理を『G.E.B』で理解しようとしたのが敗因)。

 学校の数学と異なる、大人の数学のメリットを生かそう。「数学は、待っていてくれる」のだ。試験や宿題といった制限時間を気にせず、ひたすら好きなだけ潜ればいいし、ダメなら他のルートを吟味すればいい。理解が困難な箇所や、手を動かす必要があるところは、別の入門書からやり直せばいい。

 本書の「トラ」ともう一度まみえるために、群論をやってみよう。対称性をはかる数学から世界がどう見えるか、わたしがどう更新されるか、楽しみだ。ブルーバックスの『群論入門』(芳沢光雄)からスタートするつもりだが、オススメがあったらご教授いただけると有難い。

 おまけ。p.273の正弦関数の値の印刷ミス(?)があった。φ=60度(π/3)なら、√3/2なんだけど、√が「3/2」全体にかかってた。改版時に直っているといいな。

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