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『アジア史概説』はスゴ本

アジア史概説 「交通」から見たアジア史。

 文明の原動力を、陸塊の形態に還元したマクロ史観の大胆な試みとして、ジャレ・ド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』[レビュー]があるが、宮崎市定『アジア史概説』は、これを「交通」に還元して俯瞰する。西アジアのペルシア・イスラム文明、東アジアの漢文明、その間のインドのサンスクリット文明、そして東端の日本文明───各文明は互いに交通という紐帯によって緊密に結び付けられており、相互に啓発しあい、競争しあい、援助しあいながら発展してきたダイナミズムを、一気に、一冊で読み通すことができる。

 あたりまえなのだが、ざっくり歴史を古代/中世/近世と分けるとき、文明は軌を一つにして変遷しない。にもかかわらず、西洋史のスケールに囚われてしまい、アジアの各文明とのタイムラグを見落としてしまう(もちろん、ヨーロッパが最も「遅れて」いた)。現代を“支配”している欧米の価値観で振り返るとき、この最遅に合わせることで、文明の相互影響が矮小化されてしまうのだ。本書は、歴史の中心を西アジアに据え、そこを行き来する文化や技術、制度の波及を解説することにより、わたしが陥りがちなこの弊害を炙り出してくれる。

Photo つまりこうだ。数百年単位で、ヨーロッパ、西アジア、東アジアと巨視的に眺めたとき、それぞれの地域での発展には前後があり、時代差が認められる。もともと中世や近世といった区分そのものがヨーロッパ中心史観なので、これを基準にして実年代を他の地域にあてはめようとすると、そこでは既に一歩も二歩も進んだ段階に突入しているため、共通の時代色を見つけようとしても無理があるというのだ。この歴史発展の傾斜を可視化したものが、p.225のこの図になる。そして、この時代の傾斜を解消していくのが「交通」になる。

 たとえば、ゲルマン民族とスラヴ民族は、最も開明の遅れた民族で、その生活が世界水準に達したのは、ここ数百年来だったという。にもかかわらず、現在では最先端を争う文明の所有者になったのは、「交通」で説明できる。すなわち、世界交通の大道から外れている間は、最低限度の刺激をアジアの文明から受けていたが、その素質を発揮するには至らなかった。これが、ポルトガルの新航路の発見から始まる、交通線の変化により、イスラム領域の通過を最低にしつつ、東アジアと直結するようになった。ヨーロッパは、ここから巻き返しを図る(同時に、トルコ帝国の衰退はここから始まる)。交通の発達と文明の進展は鶏卵の関係かもしれないが、ヨーロッパの膨張と海上交通の変化は、たしかに軌を一にしているといえる。

 ある技術や文化に着目し、それが伝播していく様を追いかけているのが面白い。たとえば、中国を統一した始皇帝が地方を巡行し、文字や貨幣を一定にしたのだが、それ以前の中国ではほとんど見られなかった。だが、それより半世紀前、インドに統一をもたらしたアショカ大王は、諸国を巡っていたるところに碑銘を刻んだという。そしてさらに250年ほど前、ペルシアのダリウス大王も同様のことをしていた。「世を平らげた王はその威徳を民に知らせる」という価値観が、ペルシャ→インド→中国と伝わっていく様が面白い。司馬遼太郎『項羽と劉邦』で、威光を見せびらかしている始皇帝を見た項羽が「我取って代わるべし」と叫んだエピソードがあるが、本書をタネにしたのかも。

 あるいは、ユダヤ教の中から「悪魔」という存在を生みだしたのは、ペルシャ文明との接触によるという。バビロン幽囚中に二神教的影響をこうむり、エホバ崇拝のほかにはじめて悪魔という存在を考え、一神教の中に二元論的色彩を加味せざるを得なくなり、ひいてはキリスト教を発生させることになったという。また、ユダヤ教の偏狭性を乗り越える発想をキリスト教が得られた理由として、仏教思想の感化を指摘する。さらに聖トマスの四諦観は釈迦伝記の換骨奪胎とし、キリスト教の中に仏教思想を見いだすことで、思想は互いに伝播しあっていることを解き明かす。

 日本も例外ではない。孤立した歴史を育んできたのではなく、アジアとの交流・交渉を軸に捉えなおすことで、日本の動きがより見えてくる。倭寇なんて典型例で、これは明の鎖国主義の破綻から生じたものだと説く。日本と中国沿岸の民は、もともと自由貿易を行っていたが、明の海禁政策により、中国人に対して弾圧が加えられた。これに反発した中国人が、日本人を誘って沿海の都市を略奪し始めたのが、倭寇の真相だという。

 また、明治維新のダイナミズムを生み出した薩摩と長州は、他の地域と比べて明らかに文明度が進展していたが、その理由として朝鮮半島や明・清との密貿易にあったという指摘は鋭い。江戸幕府の鎖国令により貿易に制限が加えられるほど、密貿易による利益が増大し、薩長の国力が蓄積されていたのだ。

 世界史におけるイギリスやオランダの極道っぷりは、本書でも遺憾なく発揮されている。だが、ギリシア文化はアジア文化の一支流にすぎないとか、日本や中国における製紙・印刷技術に比べ、西欧では紙すら普及していない未開蒙昧だったなど、節々で反・西洋史観が滲み出る。植民地主義やパターナリズムを正当化する後付け臭がないのはいいことなんだけど、妙な違和感がある。

 それもそのはず、本書はもともと、1942年に『大東亜史概説』として企画されたものとのこと。いわゆる大東亜共栄圏の歴史として各国語に翻訳し、共栄圏の人々に読ませようという遠大な目的があったそうな。そのため「アジアの中心としての日本」という姿勢で書くように文部省から要請されたという。欧米ならいざしらず、そんな恥知らずな歴史は描けないので、源泉を西アジアとし、そこから伝播していくスタンスになったとのこと。歴史は勝者がつくるもの。言い換えるなら、この歴史が遺されている限り、日本は敗者ではないのかも……とも思いたくなる。

 時代の流れを縦軸に、文明の往還を横軸にすることで、アジア中心の世界史を立体視できる一冊。

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