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人は脳で食べている『味わいの認知科学』

味わいの認知科学 「食べる」を深めると科学と文化になる。「おいしい」とは、舌の先から脳の向こうまでをひっくるめた経験であり、歴史・文化的背景をも含めた現象なのだと考えさせられる。

 超ブラックな映画『未来世紀ブラジル』では、レストランの場面が印象的だ。客はメニューから選ぶのだが、必ず「番号」で注文する。メニューには肉やサラダの画像が並んでいるにもかかわらず、料理の名前がない。決して「ステーキを下さい」と言ってはいけない。なぜなら、「ステーキ」なんてものはもはや存在しておらず、「合成した何か」だから。客は番号で注文し、「合成した何か」を口に入れ、「おいしい!」と叫ぶ行為を楽しむ。この未来では、食事は過去の遺物であり、料理を名前で呼ぶことはタブーなのだ。

 本書を読みながら、このシーンが頭をよぎった。わたしたちは、「おいしい」ものを食べているというよりも、むしろ「おいしいと思うもの」を食べているに過ぎないのではないか。あるいは、能書きやネット・マスコミ情報に踊らされている客をバカにして、「ヤツらはラーメンを食ってるんじゃない、情報を食ってるんだ」と断ずる店主がいる。悲しいが、まったくもってその通り。それでも、「おいしい」と思わせる何かが「味」以外にあるのではないか───と何度も自問する。『味わいの認知科学』には、その反問に相当するものがある。

 味わいとは何か、「おいしい」とはどういう現象なのか? この疑問に、科学からのアプローチで迫ったのが本書になる。「食」は文化や地域によって異なり、その味わいはヒトの遺伝的特性や身体構造、個人的経験、文化的背景にも左右される。本書では、分子生物学、口腔生理学、情報工学、認知心理学、物性物理学など様々な知見を集めながら、人が「おいしい」と感じているときに何が起きているかを説明しようとする。そこでは、「おいしさ」は、単純に味や匂いや食感に還元できるものではなく、普遍的な美が存在しないように、普遍的な美味も存在しないことが分かる。

 たとえば、「味」は「におい」によって騙される。バニラエッセンスなど甘い香りを加えると、実際に含有している甘味物質量以上の甘味を感じる。これは、バニラそのものに甘味があるのではなく、過去に食べたアイスクリームなどの記憶が主観的甘さを想起させている。減塩食品に醤油のにおいを添加し、(主観的)塩味を付与した商品が開発されている。これも同じ理由によるが、文化や食生活による学習によって増強効果が左右される。

 また、「味」は「色」によって騙される。黄色や赤、ピンクなど様々な色を付けた同じ白ワインの甘味を判定させると、テイスティングの熟練者であればあるほど、ピンク色のワインを最も甘いと判断する。これは、「ピンクのロゼは一般に甘い」という知識を反映している可能性がある。また、「青色の食べ物はおいしそうに見えない」のは、青色の食べ物に慣れていないからだという指摘もある(ある種のエビの卵や熱帯地域の魚は、青い料理の食材になる)。

 あるいは、「味」は「共食者」によって騙される。共食者とは、一緒にご飯を食べる人のこと。その表情や食卓の雰囲気によっても味は変わる。これは子どもの好き嫌いをなくす裏技としても有名だが、幼稚園児を対象としたモデリング効果の研究が紹介されている。ニンジン嫌いな子は、ニンジンが好きな子と一緒に食事をすると、ニンジンが好きになるというやつ。ヒトは、他人が飲食しているものが気になって仕方がない傾向をもつというのだ。ラーメン屋の行列や、口コミ情報をチェックする心理は、ここにある。

 「情報を食べている」まさにそこを突いた研究もある。心理学からのアプローチだが、「誤帰属」や「気分一致効果」という理論で、料理の味ではなく雰囲気の満足感が「おいしさ」に大きな影響を与えているという。笑ったのは認知不協和の解説だ。自分でメニューから選んで、代金を払うという行為によって、おいしさの評価が上昇するという。つまり、わざわざお金を出して自分で選んだ料理がおいしくなかった場合、労力と対価の間に不協和が生じることになる。これを回避するため、その料理を「おいしい」と判断する方向に傾くという。俗に言う「他人の財布で食う焼肉はおいしい」は間違っているのかも。

 「味」を歪める様々な要素や先入観のみならず、解剖学的なアプローチからすると「味」は受容器と知覚の間に高次処理が関わっているという。甘味や苦味といった味の受容体は、その反応と味認識が必ずしも一対一になっていないとうのだ。すなわち、一つの受容体で複数の味物質を受け取っていたり、逆に、一つの味物質が複数の受容体と結合することもあるため、「味」を知覚する複数のチャネルが存在するというのだ。言葉にすると「甘い」かもしれないが、それを惹起させる反応と経路は複数ある。紅茶に浸したマドレーヌが、同じ思い出を呼び覚ますこともあれば、違う経験に結びつくこともあるのは、このせいなのかもしれない。

 ヒトは五感すべてを使って食べており、「おいしさ」を感じている。「味」だと感じている大部分は、オルトネイザル嗅覚と口腔内の体性感覚(テクスチャー)に起因するものであり、色や形などの視覚情報、パリパリやシャキシャキなどの聴覚情報、鼻先に漂う香り(レトロネイザル嗅覚)など、「味」に留まらない様々な感覚が喚起される。さらに、その時の気分や体調、雰囲気、BGM、共食者などの環境に加え、パッケージや産地や能書きといった情報から得られるイメージ、そして、それまでの記憶と経験とあいまって、「おいしい」は感得させられる。つまり、人は脳を使って食べているのだ。

 「食べる」奥深さと研究の成果を味わえる一冊。

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