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読むほどに酔うほどに『不穏の書、断章』

不穏の書、断章 読むほどに酔うほどに、あの日の夢が重なってくる。

 わたしの一番ダメなところに潜り込んでくるのが、フェルナンド・ペソア。試みに、どこかの頁をあけてみるがいい。どの頁でもいい、簡潔に記された片言にワシ掴みにされる。

文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけで十分でないことの告白である
私はひたすらやり直すことで人生を過ごしている
だが、どこからやり直すのか
凡俗の人間は、たとえ人生が辛くても、少なくとも人生を考えないから幸せだ。人生を外から生きること、ただ日々を生きること、犬や猫がしているように、これが普通の人がしていることだ。そして、人生とはこのように生きるべきなのだ。猫や犬と同じように満足して生きたかったならば。考えると壊れてしまう。考えることは、解体することだからだ。

 世界の虚構性に気づき、自分の中の空白を自覚したことはあるだろう。リアルタイムに現実を更新することで、ようやく認識してるフリができる(誰だって中二病になる、治ったと勘違いするかしないかだけ)。

 "わたし"というものが実は何もなく、代わりに無数のなにか(誰かの言葉だったり感覚の記憶の残滓)のざわめきに満ちた、単なる思念のたまり場に過ぎない。しかし、生きてるフリが上手になればなるほど、それが本当になる。いわば、仮面がひっつく、というやつ。オトナになる、というやつ。ペソアはそいつを、剥がす、溶かす、解体する。こんなところに、俺ガイル。

愛する者が愛しているもののことを知っているためしはない
なぜ愛するのかも 愛がなになのかも
ひとはほんとうに誰かを愛することはけっしてない。唯一愛するのはその誰かに関して作り上げる観念だけだ。愛しているのは、自分がでっちあげた観念であり、結局のところ、それは自分自身なのである

 これは、わたしも考えたことがある。性愛は他人の身体を使った自慰行為だから、厳密に愛の実践者を定義するならば、童貞・処女のオナニストになる。だが、かなり昔に中二を越えて、酸いも苦いも飲み下したオッサンだと、この続きを無理矢理考えられる。

 実は、ほんとうの意味で誰かを愛する手段は、ただ一つだけある。それは性愛でも純愛でもない、愛する人を食べることで一体化する方法だ。妻が逝ったなら、密やかに実行してみようと妄想するのだが、おそらくわたしが先だ、残念ながら。食べてみて初めて、彼女なんて非在だったことに気づくだろうに。

 これは、呑む人によって酔い方が変わる酒、白昼夢か、明晰夢(ただし現実のほうが夢オチ)か。bot[フェルナンド・ペソア]が響くなら、種本で酔うべし。くれぐれもイッキするなかれ、悪酔いするぜ。

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