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科学者の社会的責任『科学・技術と現代社会』

科学・技術と現代社会上科学・技術と現代社会下

 「知りたい」が科学であり、「変えたい」が技術である。従って、技術の限界は人が今の姿形をしている身体的物理的な限界に依存するが、科学の限界は存在しない。人が「知りたい」を止めないかぎり。科学に善悪はない。だから、技術は物理的限界まで、科学は人である限り、どこまでも行ける。

 しかし、本書の著者である池内了はそう考えない。べき乗で歴史を振り返り、科学と技術が密接に絡み合い、社会の中で発展してきたことを指摘する。科学の軍事化、制度化、技術化、商業化といった観点から「科学と社会」の関係性を掘り下げる。そして、科学や技術を規定し限定するのは社会であり、「知りたい」科学、「変えたい」技術には、社会的な責任が伴うと主張する。これが本書の趣旨。

 歴史視点「科学の歴史と技術の変容」から始まり、倫理観点「科学者の社会的責任」、そして理論の視点「要素還元主義からの科学の限界」など様々な角度から掘り下げている。テーマも多岐にわたり、原発事故、科学の軍事化、核エネルギー、バイオテクノロジー、トランス・サイエンスなど、現代社会の科学にまつわるほぼあらゆる問題を俎上に載せている。

 これは、科学者のタマゴにとっての教科書にもなるし、人類の科学技術史の“早回し”として読んでもいい。ここ20年間の科学に関する諸事件のまとめが秀逸で、リアルタイムで接してきたものを振り返ると、世界が加速しているような感覚に囚われる。人類の祖先からSTAP細胞問題まで、一人の個人がここまで手広く科学論を展開したものは凄いの一言。

 特に、序章の「原発事故をめぐって」と題した原発問題が圧巻だ。話を展開していくうち、原発事故だけに留まらず科学者の社会的責任やトランス・サイエンス問題まで拡張する。多額の金を受け取ってきた原発立地自治体は、事故を引き受けるのは当然というニュアンスに、植民地的発想を感じるといった主張は鋭い。

 所々に出てくる、科学者としてのホンネが面白い。たとえば、科学者は「世界一」という言葉にめっぽう弱いという告白がある。これは、国家の威信を示すものとして推進された、宇宙開発、原爆開発、加速器開発、南極探検などのビッグサイエンスにそのままつながる。なかでも戦争は、社会から科学への作用が最も強く働く動機となる。愛国的な科学者・フリッツ・ハーバーの事例が象徴的だ。大気と水から窒素肥料の作成を可能にし、農業生産性を飛躍的に高めた業績がある一方、ユダヤ人虐殺に用いられたチクロンBを作り出した。

 科学の倫理性を問う事例が考えさせられる。2009年のイタリアの地震学者の例だ。ラクイラ地方の大地震が「予知」できず、被害を拡大させたとして、過失致死罪の容疑で訴追されたという。科学者は「安全」だと断言できないだろうが、パニックを回避するため行政サイドから歪められたのだろう。

 また、水俣病の加害企業が設けていた診療所の医師のエピソードも興味深い。奇病の原因は工場排水であると仮説を立て、誰よりも早く確証を得ていたにも関わらず、雇用主への報告にのみ留めていた。保身のためとはいえ公にしなかったことに対し、著者は「ジレンマ」という言葉を用いて、同情的な立場をとる。直前の、企業べったりの御用学者への辛辣さとは対照的なり。科学者である前に人間だという前提は、どちらにもあてはまると思うぞ。こうしたダブスタや脇の甘さが散見されるが、議論を誘っているのだろう。

 そう、個々の事例は有意義なのだが、そこからの考察に首をかしげたくなる。できの悪い新聞社説のように「○○すべき」「○○であるべき」が頻出し、そう言いたい気持ちは伝わるのだが、根拠がない。参考文献は沢山載せているのに、大いに参考にしたはずのURLが一切ないのが笑える。具体的な数値はインターネットで調べなさいという親切設計なので、著者が何を元にそれが正しいと信じるのかが分からない。ひょっとすると、ネットには好みの立場に応じたエビデンスが選べることを知らないのだろうか。

 また、著者自身が自白しているが、議論が整理されていない。MECEになっていないため、何度も同じ主張や事例を読まされるはめになる。削除すると前後のつじつまが合わなくなるからと弁明しているが、これは編集の責だろう。科学に関する議論の呼び水となるだけでなく、批判的な読みも誘惑する。一人の個人が全部を語るには、科学は壮大かつ複雑すぎるのかもしれぬ。

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人生が捗るトルストイ『戦争と平和』

戦争と平和 忘れっぽいので書いておく。わたしは死ぬし、あなたも死ぬ。なぜなら生きてるから。わたしの命は時である。時は、微分すると今になり、積分すると人生になるから

 では、この死ぬまでの時は、何のためにあるのか? それは、幸せになるため。人生は、それを使って幸せになるためにある。小説の最高傑作として掲げられるトルストイ『戦争と平和』には、この究極のライフハック「幸せになる方法」が書いてある。

 いきなり答えを書く。「なぜ生きるのか」に衝き動かされ、自分探しに翻弄された主人公ピエールがたどり着いた結論だ。たえず探し求めていた「人生の目的」から解き放たれ、自分が完全に自由であることに気づく場面で、エピローグの直前にある。

ことばではなく、理屈ではなく、直接の感覚で、もうずっと前にばあやから聞かされていたことを悟ったのだ。それは、神さまはほらこれですよ、ここですよ、どこにでもいますよ、ということだった。

 これは、キリスト教の大文字で書く「神」に限らず、"ものごとをそうあらしめているもの"として捉えても成り立つ。個人から人類、世界の隅々に至るまで、因果の外から「いま」と「ここ」をそうさせている存在―――万物理論から神に至るまで―――を悟り、一体になること。限りなく自由でいながら、完全に自分に従っていること。人を、何かの評価により判断するのではなく、そのままに接して善きものを見出すこと。そして、信仰や思想、家庭など、自分の愛するものを守り慈しみ一体となること。これが答えだ。

 ただし、これだけでは伝わらない。「神は遍在する」なんて切り取った言葉では伝わらないのと一緒。読者は彼と一緒に莫大な遺産を譲り受け、乱痴気狂宴三昧に耽りし、情欲に呑まれ愛のない結婚をし、博愛に目覚め秘密結社に没頭し、激戦区を生き残り、ナポレオン暗殺を試み、幾多の苦難と出会いと別れを経た後で、ここにたどりつく。そのとき、ピエールと同じ感覚で噛み締めることができる。

 この答えを「いかに生きるか」で実行したのが、もう一人の主人公アンドレイ。優秀で、名誉欲が強く、軍人としてロシアの危機を救うことでナポレオンに成り代わろうとするのだが、そこは人生、波も山もある。彼のぶつかる壁と挫折、そしてそこからの這い上がりは、「いかに生きるか」とは、それがどのような状況であれ、選び取ることができることを伝えてくれる。これは、大きな失敗と大切な人の死により、人生に幻滅した状況で自問するシーンからの引用。アンドレイも、人生を変えるような出会いにより、幸福になる方法に気づく。

幸福になるためには、幸福の可能性を信じなければならない、とピエールが言ったのは、正しかったんだ。そして、おれは今それを信じている。死者を葬るのは、死者に任せておこう。生きているあいだは、生きて、幸福にならなければならない

 そして、アンドレイと出会うことで、「生きることそのもの」を実践したのが、ナターシャだ。明るく自由で天真爛漫な美少女に、波乱万丈の運命が襲いかかる。そして、生きることは苦悩であり喜びであり愛であることを、まさにその身をもって示してくれる。トルストイが全身全霊を込めて作り上げた理想のヒロインとして紹介されているが、「これが女の生きる道」とばかりに大化けし、運命に開き直る態度が清清しい。清純ビッチとは彼女のこと、大嫌いで大好きだ。

 総登場人物が500人を超えるといわれているが、メインキャラクターはこの三名。ピエール、アンドレイ、ナターシャだけ押さえればよろしい。ただし、他をただの脇役とみると嬉しい悲鳴を上げるだろう。トルストイ凄ぇ! と驚くのは、準主役から脇役から端役まで、ことごとく生々しく書き分けているところ。純朴から邪悪まで、ちょっとした科白や動作で「そんな奴いるいる」と思わせてくれる。

 さらに、脇役たちは全員、この「なぜ生きるのか」「いかに生きるのか」について無頓着なところが面白い。金持ちでも貧乏人でも、庶民でも美人でも、それぞれがそれぞれの初期パラメータの中で、生きることに汲々とする。求める“幸せ”に相当するものが名誉だろうと財産だろうと、人生は選べること、世界(の認識の仕方)は選べることに気づかない。そこへ戦争の災厄が津波のようにのしかかり、直接間接関係なく、それぞれの人生を、世界を一変してしまう。日常は破壊され、すぐそこに死がある。それでも生きねばならない。主役脇役関係なく、人は変化する。だが、人生を変えようとしないものは、人生によって変えられてしまう。このコントラストが、主役/脇役で鮮やかすぎる。

 たとえば、ナターシャの兄のニコライ。決して人生を変えようとはしない彼の軌跡はとても対照的だ。彼の人生との折り合いの付け方は、一つの理想と見てもいい。あるいは、ピエールと結婚する絶世の美女エレンが、この上もなくゲスくていい。(すべては仄めかしに描かれるが)ミステリ的に視るならば、この艶女、宮廷便所として近親相姦や堕胎を繰り返し、倫理や善悪を超越したところで、やはり「人生によって変えられた」運命を辿るように読める。激変する環境に適応するべく、自分を変えてしまう。そうした人々の一方で、生きる目的を突き詰めたピエールとアンドレイは、いかようにも生きようとする。時空を超えてニーチェの言葉「なぜ生きるか知っている者は、どのように生きることにも耐える」が脳内再生される。

 非常に興味深いのは、男の下劣さはまるで生き様のように性格の一属性として書くくせに、女の下劣さは恥ずべき罪のようにあばきたてるところ。『アンナ・カレーニナ』や『クロイツェル・ソナタ』にも共通するのだが、これほどまでに、女を愚かしく美しく表すのは、何か恨みでもあるの? と問いたくなる。「女というものはいくら研究を続けても、常に完全に新しい存在である」と告白しているが、何歳でここに到達できたか知りたいところ。

 岩波文庫で全六巻という大長編、面白さは無類かつ至上。3回乗り過ごし、2晩徹夜し、1回会社を休むほどの、夢中小説であり徹夜小説でありスゴ本なり。深読み・裏読みを誘う伏線が張られていたり、限りなくスプラッタ&ホラーな瞬間もある。先を知りたくなさに、次ページをめくるのをためらう時もあった。誰だよ、崇高なブンガクに奉っているのは。これには、小説を読むあらゆる喜びと興奮が、たっぷり詰まっている。カメラワークは演劇を意識しているのか、遠景(舞台装置)→近景(人物描写)→アクション/会話のフォーマットを守りつつ、必要に応じて接写、内面描写へとどんどん潜り込んでくる。キレイで可愛らしい所作の裏側に、エグくて下劣な心情が潜んでいることを、情け容赦なく描きたてる。

 戦争シーンは苛烈だ。躍動と混乱がせめぎあい、テンションが極限まで引き絞られた直後、砲弾が直撃し人が肉塊になる様を、突き放したような冷静さで描く。淡々と記される、飛び散る血潮や流れる内臓に、思わずページから目を反らす。暴力装置としての戦争は、人知の埒外で進行する。モスクワ繚乱の最中、煽られた群衆の狂暴さが、ひとりの男に集中する瞬間、本を置いて逃げ出したくなる。やり始めたことをやりとげようとする群衆は、どこまでも残虐になれる。そう、命令されれば、名分があれば、人は、どこまでも人でなくなることができる。

 物語構造の妙も楽しめる。ニコライ一家総出でオオカミ狩りに行くシーンがあるのだが、その一連のエピソードの後に、今度はニコライが出征し、フランス兵を“狩り”だす戦闘シーンを重ねる。どちらもニコライは狩人としてふるまうのだが、その獲物となるオオカミ/フランス兵の運命が対照的だ。あるいは、宮廷内の陰謀戦が精妙で正確で効果的であるほど、それらが足を引っ張る戦場での混乱や行き違いやあからさまな命令違反が対比される。人は、愚かなことを、この上もなく真面目に実行する存在だが、戦争はこれを拡大してみせる。

 そう、人類は幸せになるため、平和を求めて戦争をする。隣人愛を大切にする数百万のキリスト教徒が、なぜこれほどまで苛烈に、真剣に、互いに殺し合ったのか? 本書のあちこちでトルストイは顔を出し、物語を外れて歴史談義を始める。いわゆる歴史学者が言う、ナポレオンがどうしたとか、民意がそうだったといった後付けの思弁を、ことごとくこじつけだと斬り捨てる。これが本書を冗長にしているという人もいるが、飛ばしてしまうと、なぜこんな大長編を書いたのか読み落としてしまう。

 トルストイは、人類の運動としての歴史を、そこに生きる人々の自由意思の総和であると見なす。誰も戦争など望んではいない。にもかかわらず、人類の幸福、自由のためという正当化で、互いに殺しあうことになるのは、自由意思を必然に変えているものがあるというのだ。昔の人は神や運命と呼んでいたものを、歴史学は権力者や思想、勅令や啓蒙書で説明しようと試みても、この矛盾「人類は平和を求めて戦争をする」を解決できない。仮に説明できるとするならば、その時代の人々の一人一人の内側に立ち、どのような意思がどうやって相互作用を及ぼし、周囲の状況から制限された情報の微細に至るまで徹底的に裏付けをする必要がある(バタフライ効果を想定したコメントもある)。いわば、神の如き全知を必要とする≒人ではあずかり知らぬ運命がある、と言えるのだ。

 トルストイはこれをやった。『戦争と平和』の作者として、神として遠景(舞台装置)→近景(人物描写)→アクション/会話のフォーマットを踏襲しつつ、接写、内面描写へと徹底的に裏付ける。「ナポレオンがモスクワ入りした」と書くのではなく、その日に彼が見たもの、聞いたもの、感じたことを紙上に再現する。同様に、「ナポレオンは冬将軍に負けた」と書くのではなく、放棄された大都市で掠奪と殺人を繰返す将兵の一人一人の行動を追跡することで、放棄された金目の物を追って、兵卒たちがモスクワに呑み込まれ・解体されてゆく経緯を明らかにする。

 もちろん全ては無理だ。限られた紙数というリソースで、人類の運動を再現しようというのだ。読み手は、「その時」「その場」を全知として立ち会うことで、数の上で優るロシア軍が敗退することになる瞬間を理解し、迫り来る冬に浮き足立ち、ナポレオン軍が自身を獲物だと自覚した恐怖を感じとる。そうした意思の総和の上に戦闘行為があり、戦争が遂行されている。この著作は、ある年代のある地域の人類の総和を再現させる試みなのだ。

 トルストイは、「『戦争と平和』という本について数言」という小論の中で、「これは長編小説ではない」と断言する。ましてや叙事詩でも、歴史的な編年記でもない述べる。散文芸術作品の既成概念を外れた、「著者が表現しようと思い、現に表現されている形式で、表現することのできたものにほかならない」という。今の言葉で代弁するなら、『戦争と平和』とは「人はなぜ平和を求めて戦争をするのか」に答えるシミュレーターなのだ。

 この饒舌を冗漫だと斬るのは勿体ない。ピエールが視た細部に宿る神を見逃すことは、緻密かつ繚乱に紡がれる数々の人生“群”を捨ててしまうことになるから(そのなかにきっと、わたしの人生があり、あなたの人生がある)。『アンナ・カレーニナ』が結婚が捗らせる傑作なら、『戦争と平和』は人生を捗らせる傑作なり。

 絵にも描けないおもしろさ、たっぷりと、ご堪能あれ。

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文学の魔道書『偏愛蔵書室』

偏愛蔵書室 いい本を書く人は、いい本を読んでいる。

 いわばGIGO(garbage in garbage out)の対偶だね。開高健や池澤夏樹、ナボコフやモームから知った経験則でもあるのだが、これに諏訪哲史を入れるべき。

 なぜなら、この『偏愛蔵書室』そのものが魅惑的な書評集であり、見知った本から察するに、惑溺を誘う文学ばかりだから。流行に背を向け、公序良俗クソ喰らえな態度が好きだ。傑作も怪作も分け隔てなく、ペダンチックに喜々として語る、挑戦的な口調も大好きだ。

 厳選された100冊が凄まじく偏っていていい。東西、硬軟幅広く、文学の森の奥深くまで分け入って、戻ってこれなくなっている。正直、これらが並んでいる書棚は近寄りたくない。帰り途が分からなくなること請け合い。

 硬質で強靭な梶井基次郎やリルケを経由して、どろり濃厚ゲルルンジュースの丸尾末広、バーカーの沼に浸る。ラヴクラフトやボルヘスの悪夢を徹夜で視て、サドや澁澤龍彦の鮮血と純潔を渉猟し、埴谷雄高やプルースト山脈を踏破する。女性作家が少ないのは、著者の趣味が如実に出ておりニヤリとする。

 さらに、紹介の仕方がいい。あらすじ(物語)よりも文体(詩)、文体よりも批評を重視し、「どんなお話か(what)」よりも、「どのように(how)/なぜ(why)語られたか」に焦点を当てる。ひたすら技法や構成の妙を取り上げて、それが自身にどのような影響を及ぼしたかを語り尽くす。この書評自体が小説論であり、自叙伝であり、言語芸術入門になっているのだ。

 一冊につき三ページ、一作家一作品という"縛り"があるので、ズバリ穿って踏み込むのがいい。澁澤龍彦『少女コレクション序説』から、「少女」とは男が発明した観念だと言い出したり、三島由紀夫『憂国』に命がけのオナニズムを見出す件に激しく頷く。最高の小説であるプルーストの巨編『失われた時を求めて』に拮抗するのが、梶井基次郎『檸檬』だと言い切ったのにはブッ飛んだ。

 ただし、何かを誉めるために他を貶めるのはフェアじゃない。「小説とはこうあるべき」を掲げるのはかまわない。小説は好きに書いて読めばいいものだから。だが、そぐわないものを否定して、ノスタルジックに「昔は良かった」するのは、やめたほうが吉。いかなる偏愛であれ、そのストライク球を見逃してしまうから。

 たとえば、大衆小説だからスルーしているのだろうが、エログロ超絶技巧なら、野坂昭如『骨餓身峠死人葛』や友成純一『狂鬼降臨』あたりがお薦めだ。少女の残虐美なら丸尾末広を随一とする前に、氏賀Y太や早見純を読みなされといいたい。傑作と売行きを相反するかのように嘆息するなら、高野文子『黄色い本』や、こうの史代『夕凪の街 桜の国』をそっと差し出そう。コマと絵とセリフの超絶技巧に舌を何回転もさせるだろう。

 また、著者一流の文学論が可笑しい。文体の技巧や、韻律的な響きを重視し、物語なんて文学の一部に過ぎぬと言ってはばからないワリに、海外モノを「翻訳」で済ませているのはこれいかに。プルースト『失われた時を求めて』は、鈴木訳と井上訳の順に読んで震撼せよという件には茶を噴いた。原文原理主義になるつもりはないが、翻訳において真っ先に犠牲になるのは、まさに著者が主張する「詩」の部分だろうに。文学を生業とする方の、あまりに無邪気な矛盾が微笑ましい。

 求道的に文学の森を探索するのはいい。だが、そのストイシズムを外へ向け、現代の小説を商業主義で軽薄な小説もどきと斬るのいただけない。小説は自由だ。小説は芸術であり商品だ。小説はいつだって風俗を映してきた。「小説とは○○だ」と好きなだけ言うがいい。だが、「これは小説ではない」と言った瞬間、衒学が匂いから臭いに変わる。この臭いに辟易しなければ、文学の森のこの上もなくたの(も)しい未知案内となる。文学は、ここまで拗らせることができるのだ。

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スゴ本オフ「2014ベスト」まとめ

 好きな本を持ちよって、まったり熱く語り合う。それがスゴ本オフ。

 飲んだり食べたりゲームしたり、料理をしたり映画を観たりハイキングにも出かけたり。「本」つながりでどんどん広がる友人の輪。そして、「その本が好きなら、この本はきっと気に入るはず」というアドバイスがリアルで聞ける(←重要)。気になる方は、facebook[スゴ本オフ]をご覧あれ。

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ビール!ビール!

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40個の唐揚げがぺろりと

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サンドイッチ充

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6kgのローストビーフがぺろりと

 主催者のわたしが言うのも変だが、自分自身にとって、大変ありがたい場となっている。いかに狭い井戸に閉じこもっていたか、どんなに凄い本が自分の圏外に沢山あるか、具体的な作品でもって思い知らせてくれるから。

 「猫と犬」とか「怪物」、あるいは「嘘」といったテーマを設けて、それに沿った作品を持ってくるのだが、今回は「2014ベスト」と称し、今年読んだオススメを持ちよって。これがまた、バリエーションが広くて深くて面白い。まさしく、「わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」本の山となった。

 当日のtwitter実況は、[みんなの選んだ今年読んだベストな本(& CD、映画)はこれだ]「にまとめてある。ここでは、いくつかご紹介。

隠喩としての病 まず、このブログの[2014ベスト]でもある、ソンタグ『隠喩としての病』。がん保険が身体に関わるものなら、本書は心のための保険となる一冊。がんや結核など、病をとりまくテクストを読み解きながら、「隠喩の罠」にひそむ権力とイデオロギーの装置を解体する。「出来事としての病い」は、ひとまず医学にまかせて、病の隠喩、すなわち言葉の暴力から解放してくれる。がんは呪いでも罰でもない、そこに「意味」などないのだというメッセージが、くりかえし伝わってくる。

邂逅の森 熊谷達也『邂逅の森』に惹かれる。秋田のマタギの、流転する人生の物語なのだが、一人の生涯の軌跡が神話のように展開する様が読みどころらしい。自然と闘い、社会と戦い、自分と戦い、最後に神と戦う。神と言われる熊と戦う大河ドラマ。冬山が持っている、静謐な空気や絶望感を、さらりと、装飾ぬきで、淡々と描く。冬山登山の経験がある人には、きっと、「まさにこのとおりの世界」だと納得してもらえるとのこと。一言で評すなら、「男臭いもののけ姫」で、直木賞、山本周五郎賞をダブル受賞(史上初)している。

 悪女ネタが楽しい。男たちを翻弄しながら悪を愉しんだ女の一生を描いた『悪女について』(有吉佐和子)、「悪女」たちが血を好む理由を考える戸、悪女の悪女たる所以がわかってくる『世界悪女物語』(澁澤龍彦)、運命の女や悪女について必読の『サロメ』(ワイルド)などが紹介される。なかでも、男を破滅させるファム・ファタールについての考察が鋭い→
「その男の社会的な存在としては破滅だが、その女との個人的な関係にとっては、最高の存在になる。なぜなら、その女のおかげで、破滅させられるほど深く濃い運命を味わったのだから」。

悪女について世界悪女物語サロメ

 『インターステラー』の紹介もあった。ネタバレを回避しつつ紹介する高度なプレゼンだった。すごい映画なんだけど、紹介が難しいのよ。「○○みたい」と喩えることもできるのだが、その喩えが重大なヒントにるという隔靴掻痒感。休憩時間に「観た人」だけで集まって、ヒソヒソ話をしているのがエロトークみたいで笑えた。ちなみに、このオフ会後に、「インターステラーを観にいこう会」が急遽発足して、レイトショーへ向かったグループがあったけれど、羨ましい限り。

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インターステラーのパンフが被った

 「ラノベ作家休憩所」なる同人誌があるのを知った。同じジャンル小説でも、児童小説や青春小説と、ライトノベルは異なるという。つまりこうだ、大人が子供に選ぶのが児童小説で、大人が昔を懐かしむために読むのが青春小説。だが、ライトノベルは、「青春真っ盛りの人が、体内や脳内のドロドロしたリビドーを投影するもの」になる。でもって「ラノベ作家休憩所」の紹介。ふだんラノベの枠内で縛られているラノベ作家たちが、「これこそが面白いライトノベルじゃぁあ!」と気合を入れて書いたアンソロジーが、「ラノベ作家休憩所」なんだそうな。[読者と作者のマッチング/ラノベ作家休憩所『中性小説。』感想]で詳述しているので参考されたし。

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ラノベ作家休憩所はamazonで売ってない

やっぱり肉料理 最後は、「ブックシャッフル」という名の本の交換会となる。ずらりと並べられた皆さんのオススメ本(DVD、CD、ゲーム等)を、希望者に差し上げる。もちろん、稀少本だったり大切なものであれば、プレゼンで紹介だけして回収すればいい。わたしは、地産地消を大事にしたカリフォルニアキュイジーヌを紹介した『やっぱり肉料理』(横田渉)を、ジャンケンでゲット(希望者が重なった場合、ジャンケン争奪戦となるのだ)。肉料理が捗ること請合う、見た目からしておいしそうな一冊。

 今回は、「本とコスプレ」というサブ企画があり、紹介する本にちなんだコスチュームでプレゼンをした(わたしは適当なのがなかったので素のまま)。ド派手なももクロ法被で、飼い殺しアイドル予備軍の悲哀を語ったり、妖艶なヴァンパイア姿で『世界悪女物語』を紹介したり、弓道着で艦これの矛盾点を追及したり、女学生、調査兵団(進撃の巨人)、牛や虎の着ぐるみ、着物、サラリーマン等など、ハロウィンとクリスマスとお正月がいっぺんにやってきたような濃厚パーティでしたな。

これぞ!小説

  • 『ブラック・ダリア 』ジェイムズ・エルロイ(文春文庫)
  • 『ブラックライダー』東山彰良(新潮社)
  • 『売女の人殺し』ロベルト・ボラーニョ(白水社)
  • 『フラッシュ・ボーイズ 10億分の1秒の男たち』マイケル・ルイス(文藝春秋)
  • 『大江健三郎自選短篇』大江健三郎(岩波文庫)
  • 『邂逅の森 』熊谷達也(文春文庫)
  • 『日本文学100年の名作第1巻1914-1923 夢見る部屋 』池内紀ほか編(新潮文庫)
  • 『すばらしい新世界』ハクスリー(講談社文庫)
  • 『悪童日記 』アゴタ・クリストフ(ハヤカワepi文庫)
  • 『ふたりの証拠 』アゴタ・クリストフ(ハヤカワepi文庫)
  • 『第三の嘘』アゴタ・クリストフ(ハヤカワepi文庫)
  • 『二流小説家 』デイヴィッド・ゴードン(ハヤカワ・ポケット・ミステリ)
  • 『ポアロのクリスマス』クリスティー(ハヤカワ文庫)
  • 『きもの』幸田文(新潮社)
  • 『木暮荘物語』三浦しをん(祥伝社文庫)

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ラノベの皮を被った○○○○

  • 『All You Need Is Kill 』桜坂洋(集英社スーパーダッシュ文庫)
  • 『救世小説。』日日日ほか(ラノベ作家休憩所)
  • 『流星小説。』日日日ほか(ラノベ作家休憩所)
  • 『中性小説。』日日日ほか(ラノベ作家休憩所)
  • 『正常小説。』日日日ほか(ラノベ作家休憩所)
  • 『私たちが星座を盗んだ理由』北山猛邦(講談社文庫)


有用度は読み手次第

  • 『ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか?』ダニエル・カーネマン(早川書房)
  • 『アルゴリズムが世界を支配する』クリストファー・スタイナー(角川書店)
  • 『江戸文学を選び直す: 現代語訳付き名文案内』井上泰至ほか(笠間書院)
  • 『ナイチンゲール伝 図説看護覚え書とともに』茨木保(医学書院)
  • 『小林秀雄 学生との対話』国民文化研究会(新潮社)
  • 『エッセンシャル思考』グレッグ・マキューン(かんき出版)
  • 『トリーズの発明原理40』高木芳徳(ディスカヴァー・トゥエンティワン)
  • 『隠喩としての病』スーザン・ソンタグ(みすず書房)
  • 『おだまり、ローズ: 子爵夫人付きメイドの回想』ロジーナ・ハリソン(白水社)
  • 『エドワーディアンズ ---英国貴族の日々』ヴィタ・サックヴィル=ウエスト(河出書房新社)
  • 『ブルネイでバドミントンばかりしていたら、なぜか王様と知り合いになった。』大河内博(集英社)
  • 『ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること』ニコラス・G・カー(青土社)


子ども向けと侮るなかれ

  • 『パンダ銭湯』tupera tupera(絵本館)
  • 『てつぞうはね』ミロコマチコ(ブロンズ新社)
  • 『オバケ! ホント?』岡田善敬(福音館書店)
  • 『クマのプーさん プー横町にたった家』A・A・ミルン(岩波書店)


イヤミス=厭なミステリ

  • 『5人のジュンコ』真梨幸子(徳間書店)
  • 『部屋』エマ・ドナヒュー(講談社文庫)
  • 『猫舌男爵』皆川博子(講談社)
  • 『イニシエーション・ラブ 』乾くるみ(文春文庫)
  • 『厭な物語』クリスティーほか(文春文庫)
  • 『対岸の彼女』角田光代(文春文庫)
  • 『ショコラの魔法 knocking egg 』みづほ梨乃(ちゃおホラーコミックス)


アイドル・カツドウのリアル

  • 『はぐれアイドル地獄変』高遠るい(日本文芸社)
  • DVD『ちゃおちゃおTV』(小学館)

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充実のももクロ


サイエンス・フィクション&ノンフィクション

  • 映画『インターステラー』クリストファー・ノーラン監督(ワーナー・ブラザーズ)
  • 『いぬやしき』奥浩哉(イブニングKC)
  • 『BRUTUS 2014/12/1進撃の巨人特集』ブルータス編集部(マガジンハウス)
  • 『縮みゆく男』リチャード・マシスン(扶桑社ミステリー)
  • 『ドミトリーともきんす』高野文子(中央公論新社)
  • 『味しさの脳科学:においが味わいを決めている』ゴードン・M・シェファード(合同出版)

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悪童日記三部作は一気に読むべし

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ともきんすは書評コミックなのかも


Mangiare!

  • 『やっぱり肉料理 カリフォルニア・キュイジーヌのとっておきレシピ』横田渉(大和書房)
  • 『アツアツでも冷めても、美味しい! おいしい! ホットサラダ』藤原美佐(大和書房)
  • 『見てびっくり野菜の植物学―ゲッチョ先生の野菜コレクション』盛口満(少年写真新聞社)
  • 『小さくて強い農業をつくる 就職しないで生きるには21』久松達央(晶文社)
  • 『築地』テオドル・ベスター(木楽舎)


Cantare!

  • CD『バード・アンド・ディズ』チャーリー・パーカー
  • CD『Live in NYC』グレッチェン・パーラト
  • CD『永遠/TOWA』ピンク・フロイド(Sony Music)
  • DVD『BABYMETAL』BABYMETAL(トイズファクトリー)
  • CD+Blu-ray『ももクロ春の一大事2014 国立競技場大会 NEVER ENDING ADVENTURE 夢の向こうへ』ももいろクローバーZ


Amore!

  • 『世界悪女物語 』澁澤龍彦(河出文庫)
  • 『サロメ』ワイルド(光文社古典新訳文庫)
  • 『初恋』ツルゲーネフ(光文社古典新訳文庫)
  • 『危険な関係 』ラクロ(角川文庫)
  • 『悪女について』有吉佐和子(新潮社)

 次のテーマは「歴史」。何かの(誰かの)通史的な作品でもいいし、歴史の定義といった論文もあり。さらに「過去だけが必ずしも歴史じゃない」という発想からすると、現代史、未来史だってアリだろう。「歴史」というテーマで集まってくるのだから、時系列に並べると面白くなるかも。

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辛すぎる現実を受け入れるための嘘『知らない映画のサントラを聴く』

知らない映画のサントラを聴く 人生に嘘が必要な理由は、ちゃんとある。ありのまま現実に向かい合ったら、そのシビアさに痺れるから。辛すぎる現実を引き受けるため、自分で自分に嘘をつく。

 彼女の場合は深刻だ。23歳で無職で、未熟なフリも相当きつい。特殊な家庭事情なわけでもなく、大学教育だって受けてきた。責任を負わないよう、一応は役に立つように生きてきたけれど、このままでは許されないことぐらい分かってる。もう親や社会のせいにもできない。だめにししてしまった人生を、自分で背負っていくしかない―――自覚はある。追い立てられる焦燥感の中、夜な夜な"泥棒"を探す。大切な親友からの贈り物を奪った犯人を探すうち、その親友の元カレに出会い、成り行きで同棲するハメになる。

 この辺の筆運びというかテンポがうまい。物語に引きずり込むのが、抜群に上手い(安定の竹宮ゆゆこ節)。とにかく先が気になる。こいつら、どうするの、どうなるの、トントン拍子に読めてしまう。

 そしてズシンと、胸底に響く。彼女が、どんな現実の贖罪として、その嘘を呑みこもうとして吐き出したかを知って。「圧倒的恋愛小説」というキャッチーだが、これ「恋」だったらどんなに救われうるだろうに、と空を仰ぐ(涙がこぼれないように)。残りの人生ぜんぶを罰ゲームにするわけにはゆかぬ。だから彼女は吐き出した嘘を粉々にして、もう一度自分の居場所をつくろうとする。前半の不器用なジタバタ感が、一気に発火し爆発するところが痛快なり。

 この、嘘が壊れるところ、感情がぶちまけられるところ、そして読み手を引っ張ってきたある謎が明かされるところがシンクロする。読み手への効果をよく図ってて、薄々分かっててもグッときてしまう(Amazonレビューだと盛大にネタバレしているのでご注意を)。

 ラノベじゃないことを強調する新潮文庫nexは、「べべべつにラノベじゃないんだからねっ(///)」感が出てて良いレーベルなり。ラノベじゃないなら、キャラノベ(キャラクターノベル)だな。この彼女、錦戸枇杷というのだが、一巻できちんと物語は終わってても、もう一度会いたいと思わせるから。

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この本がスゴい!2014

 人生は短く、読む本は尽きない。

 せめて「わたし」が知らない凄い本と出合うべく、それを読んでる「あなた」を探す。それがこのブログに込めた意味であり、このブログを通じて数え切れないほど「あなた」に教わった。「自分の興味=世界のすべて」という独善に陥りそうなわたしの蒙を何度も開いてくれた。そんな「あなた」に感謝を込めて、今年読んだ中から選んだ。

 ここで紹介するのは今年読んだスゴ本の一角かつ100%わたしの趣味だ。もっと多様でさらに熱いのを求めるなら、facebook「スゴ本オフ」をご覧あれ。面白い本をリアルに相互に紹介しあう、宝の山脈になっているから。


フィクション


きんいろモザイク

 原悠衣
 芳文社

きんいろモザイク かわいいは正義だ。

 大事なことだからもう一度、かわいいは正義だ。痛勤電車で揉まれ、仕事でシバかれ、暗い欲望に惑いまくりの中年には、可愛い女子高生のゆるふわな日常が、ものすごく効く。ギスギス息苦しい空間や、ぎゅっと胸を押さえつけてくる不安に対し、一話二話と読むだけで、ふっとラクにしてくれる。「ま、いっか」という気分にさせてくれる、Kindleにある常備薬。きゃっきゃうふふな掛け合いに癒されるのは、猫のじゃれあいを見ているようなもの。

 1000年前に、雀の子や幼児を見て「ちいさきものは、みなうつくし」と言った人がいたが、激しく同意せざるを得ない。でもね、オジサンはその輪の中に入れない。遠くから(画面越しに)ほのぼの口元ゆるめながら、眺めているのみ。この一抹の寂しさも味のうち。


大江健三郎自選短篇

 大江健三郎
 岩波文庫
 [レビュー]

大江健三郎自選短篇 入門にして傑作選が、一冊で読める。

 セックスとイデオロギー、祈りと救済。大江文学のエッセンスが凝縮された、入門にしてベスト短篇集が、一冊で読める。ノーベル賞作家が、自作ぜんぶを読み直し、選びなおし、加筆修訂した定本のベスト版、これが1500円で釣銭くるなんて。どれだけ日本って有り難いのだろう。中毒性の高い大江節を読みながら、嬉しさにまみれる。

 同時に、通して読むことで、時代性と普遍性のトレードオフが浮かび上がる。デビュー作『奇妙な仕事』や初期の『死者の奢り』『飼育』『セヴンティーン』を横断する、戦後日本の閉塞感やグロテスクな性のイメージが見える。面白いことに、この閉塞感やドロヘドロ感、もはや戦後ですらない現代にあてはめても伝わってくる。


ドリアン・グレイの肖像

 オスカー・ワイルド
 光文社古典新訳文庫
 [レビュー]

ドリアン・グレイの肖像 人生は顔に出る、鏡をみろ。

 あなたなら、鏡の中に何を見るか、という寓話。「性格は顔に出る、生活は体型に出る、落ち着きのなさは足に出る」というが、むしろ、顔や体に出ているのは、わたしの過去だ。どのように生きてきたかを積分したものが、素のわたし。そしてそれは、見たくない過去を隠すように巧妙に隠されている。これを「肖像画」に投影したのが本書になる。

 若く美しく純真な青年が、わるいオッサンにそそのかされ、快楽と背徳に堕ちてゆく。年齢と悪徳を重ねているにもかかわらず、美青年のまま。その代わり、青年をモデルにした肖像画だけが醜く変貌していく……というミステリは、(オチは予想できても)物語として充分おもしろい。中途半端に生真面目で小心者のドリアンよりも、突き抜けて達観したオスカー卿のアフォリズム集としても愉しい。ベスト3は以下の通り。

そもそも結婚などやめておけ、ドリアン。男は疲れたから結婚する。女は好奇心から結婚する。そして両方ともがっかりするんだ

一生に一度しか恋をしない人間こそ浅はかなんだよ。彼らが忠実とか貞節とか呼んでいるものは、習慣による惰性か想像力の欠如だ

子どもは誰しもはじめは親を愛する。そして成長と共に親を裁くようになる。やがて親を許すこともあるが


その女、アレックス

 ピエール ルメートル
 文春文庫
 [レビュー]

その女アレックス 読むなら徹夜を覚悟して。

 今年のベストミステリ。ミステリなのに、ミステリじゃなく、ミステリだ。この感覚を伝える、いちばんピッタリする言葉は、あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!『おれは奴の前で階段を登っていたと 思ったらいつのまにか降りていた』である。物語に作者に登場人物に、投げ飛ばされる先がスゴい。これまで読んできたどのミステリとも異なり、いくつかの傑作を彷彿とさせ、かなりグロい描写と、とんでもない着地点が待っている。完徹保証の◎印。

 誘拐・監禁されるアレックスと、犯人を追う警部の展開が、スピーディに交互するが、章を追う毎に全く違う様相と次元を帯びてくる。いわゆるミステリ王道の、読み進めることで新たな発見がある構成ではなく、見えていたはずのものが、これっぽっちも見えていなかったことに気づかされる。「私は今まで、何を読んできたのか?」と何度も自問するに違いない。これを、さかさ絵・騙し絵で評する人がいたが、言い得て妙なり。なんども瞠目するはずだから、明日の予定のない夜に。


ボヴァリー夫人

 ギュスターヴ・フローベール
 河出文庫
 [レビュー]

ボヴァリー夫人 痛い女の真骨頂。

 傑作。男に狂って贅沢三昧の挙句、破滅する女の話なんて珍しくない。しかし、これを古典にまで成したのは、間違いなく小説のチカラ。だから安心してハマってほしい、「小説を読むこと」の、純粋な悦びが汲みだせるから。

 恋に恋するこじらせ女や、哀れなほど典型的なコキュ、既視感ありまくる浮気相手など、分かりやすくカリカチュアライズされた登場人物は、「俗物」の一言で片付く。世間体を気にして、見栄に振り回される人生は、反面教師と扱ってもいいが、むしろ、こういう人々で世は成り立っていると気づくべき。戯画的に誇張されているとはいえ、彼女が抱く「人生のこれじゃない感」は嫌悪を持って共感されるだろう。善人の愛と狂人の恋の、よくできた御伽噺と思いきや、世界は俗物で成立しており、俗物により世は回っているという、ウンザリするほど現実的な話に付き合わされる。

 同時に、"つくりもの"としての小説の愉しみはたっぷり堪能できる。手を代え品を換えた語りの形式(一行目から驚いた)や、いくつものイメージを重ねて連ねて輻輳させる映像的なシーン(結婚式と葬式)、恋の探りあいと政治演説の絡まりあいを、会話と描写のシンフォニー(農業共進会の一幕)、衣装や建物の構造、ちょっとした小道具まで、細部に淫してフェティックに書き込む。人の俗悪から、こんなにスゴいものが生み出されるのだ。


ボーン・コレクター

 ジェフリー ディーヴァー
 文春文庫
 [レビュー]

ボーンコレクター上ボーンコレクター下

 「最初は、『ボーン・コレクター』から始めなさい」と、ミステリ読みの猛者から忠告された。発端は、ミステリ同好会にて「ジェフリー・ディーヴァー読んだことない」と言ったことに始まる。当然、笑われた。それだけでなく、羨ましがられた。ディーヴァー知らないミステリ好きは、("ミステリ好き"と名乗って良いかどうかは別として)幸せ者らしい。睡眠時間と引き換えに、ジェットコースターミステリーを堪能できるから。そして、どれを読んでも間違いないが、最初は『ボーン・コレクター』だというのが満場一致のアドバイスだった。

 これは確かに、やめられない止まらない。数日の間に、次々に起こる誘拐監禁殺人事件を、時間制限つき謎解きアクション濃縮サスペンス全部入りにした作品だから。科学捜査の薀蓄やプロファイリング推理戦だけでなく、登場人物それぞれの過去や苦悩が絶妙なブレンド比で絡んでくるのは、上手いとしかいいようがない。「やめ時」が無いまま、徹夜になる前に一気に読み干す。残ページ数と話の盛り上がりで展開を予想するという極悪な読書の仕方だったけれど、それでもさらに、わたしの「読み」をひっくり返されたのが心地よい。ディーヴァーの最高傑作は『ウォッチメーカー』だとアドバイスもらったので、来年のお楽しみにしよう。


オービタル・クラウド

 藤井太洋
 早川書房
 [レビュー]

オービタル・クラウド iPhoneと○○で、エンジニアが世界征服する。「全部で千ドルもかかってないぜ。ポケットマネーで作れるんだ、こういうのは」は、リアルだ。携帯ドローンが飛び交い、GoProで成層圏の画像を目指すなら、千ドルでオービタル・クラウド(衛星軌道上の雲)を作る時代はそこにある。

 一行で紹介するなら、「2020年に起きる前代未聞のスペース・テロを描いたSF」で済むのだが、近未来というよりむしろ現未来だ。手法の基本原理と問題点は本書に書いてあり、設計はネットで引ける。怖いのは、「私でもできそう」と思えてしまうところ。そして、最初に実現した人は、文字通り人類の支配者になれる。宇宙といえば、宇宙船や宇宙ステーションといった巨大な建造物を想定してしまうわたしにとって、極小のスペース・クラフトは、間違いなく「いま・ここ」の延長上にある現実なのだ。本書は、『さよならの儀式』読書会でお薦めされた逸品。冬木糸一さん、ありがとうございます。


遁走状態

 ブライアン・エヴンソン
 新潮クレスト・ブックス
 [レビュー]

遁走状態 あらゆる読書は毒書であることを思い知らされる、離人症の読書。

 全部で19編あるどの短篇も、すばらしく厭な話ばかり。一行目から、「何かがおかしい」と引き込まれ、不安定でグロテスクな状況に巻き込まれた人物の視点で追っていくうちに、現実を確固たるものにしているはずの境界―――私とあなた、生と死、記憶と現実など―――が曖昧にされてゆく。

 そんな場合、話者を「信頼できない語り手」とみなすことで、読み手である"わたし"を護ろうとする。だが、すぐに分かる。どんどんズレてゆく世界は、それはそれで一貫している。悪夢のように「おかしい」が、夢の中では、限りなく明晰で合理的だ。ループする展開にらせん状に呑み込まれてゆく読中感覚は、カフカやコルタサルを髣髴とさせる。

 ひょっとすると、信頼できないのは話者ではなく、物語世界でもなく、"わたし"自身なのかもしれない。世界が壊れているのではなく、登場人物が狂っているのではなく、世界を認識する方法がズレはじめており、現実とうまく折り合わなくなる―――それは"わたし"なのだ。とびきりの毒書を、保証する。本書はアブソリュート・エゴ・レビュー『遁走状態』をきっかけに手にしたもの。ego_danceさん、ありがとうございます。


左巻キ式ラストリゾート

 海猫沢めろん
 星海社文庫
 [レビュー]

左巻キ式ラストリゾート 読む暴力

 セックス&バイオレンス描写の破壊力のみならず、そのコンテンツを嗜む人を狙い撃つ悪意という名の善意が残酷すぎる。歴戦のエロゲーマーにトドメを刺すのが、これだ。

 もとはゲームのノベライズ。記憶喪失の主人公が目覚めたのは、12人の少女が生活する学校。お約束のハーレム世界、閉鎖空間、そいつをぶち壊すサイコパス。女を蕩かす催淫剤、連続陵辱スプラッタ、純愛、そしておもらし。文字通り読み手(=プレイヤー)を引き込み、問いを突きつけ、自分がやっている行為を無理やり見せ付けてくれる。読み手を、物語の消費者とさせてくれない、危険な劇薬小説(読者は安全圏でないことに注意されたし)


別荘

 ホセ・ドノソ
 現代企画室
 [レビュー]

別荘 気づいたら朝になってた、久しぶりの完徹小説。劇薬小説『夜のみだらな鳥』が極彩色の悪夢なら、『別荘』はアップデートされる悪夢である。どちらも悪夢であることに変わりはないが。

 眠れないまま読み始め、読み耽るうち眠れなくなり、朝を越えて昼も過ぎて読み続ける。物語に憑かれたアタマが使いものにならず、目眩と耳鳴りがすごい(休日で良かった)。キャラの特異性でなく、展開の妙だけでなく、物騙りそのもののダイナミズムに鷲掴まれる。捩れた意識が酔ったように感じられる(シラフなのに)。この経験は珍しい。わずかに似ているとしたら、マルケス『百年の孤独』、セルバンテス『ドン・キホーテ』。

 もちろん、小説というフィクションを読んでいる自覚はあるのだが、収縮自在の時空間と、虚構を越境してくる侵食感に、「そもそも私が読んでいるこれは現実なのだろうか」とまで疑いだす。小説が現実らしさをかなぐり捨て、「フィクションを読む現実」を突付けてくることで、今度は物語が現実を侵食しはじめる。現実の劣化コピーとしての騙りではなく、小説を読む現実のリアリティが騙られる、不気味で不条理なグロテスク・リアリズムを、ご堪能あれ。


ノンフィクション


なぜ理系に進む女性は少ないのか

 スティーブン・J. セシ/ウェンディ・M. ウィリアムス他
 西村書店
 [レビュー]

なぜ理系に進む女性は少ないのか 「知性に性差が存在するか?」問うた瞬間、フェミニズム十字砲火を喰らう、極めて微妙な質問を、徹底的に検証したのが本書である。米国、カナダ、英国を代表する研究者による15の論説をまとめ、科学者による論証を批判的に解釈することで答えようとしている。

  1. 「理系に女性が少ない」は、そもそも本当か
  2. それは能力が低いからなのだろうか
  3. 単に関心が低いからなのだろうか
  4. 脳構造やホルモンなど、生態学的なものか
  5. 性淘汰など遺伝的・社会的状況の組み合わせの結果か
  6. 生まれつきの能力の差異があるのだろうか
  7. 文化のせいなのか
  8. 社会が女性を家庭に束縛しているのだろうか

 ややもすると感情と政治と修辞法に満ちたものになりがちな議論を、経験的なデータを示し、注釈と文献を示すことで、懐疑的な読者が自分で評価できるようにしている。帯に「フィールズ賞を受賞した女性は、まだいない」とあるが、まさに本年、マリアム・ミルザハニによって否定されたのは感慨深い。本書を紹介した、[知性の性差という地雷]という拙記事で、刺さってしまった方がいたのも感慨深い(コメント欄参照)。


「ニセ医学」に騙されないために

 NATROM([NATROMの日記]
 メタモル出版
 [レビュー]

「ニセ医学」に騙されないために 「バカは死ななきゃ治らない」というが、わたしは容易くバカになりうる。なぜなら、わたしの理性や論理の"正しさ"は、気分や体調で簡単に覆るから。大病をして精神的にも参ったとき、どれくらい愚かになれるか。予防として読む。

 病気になり、気が滅入っているとき、病気の理由を周囲にぶつけたくなる。矛先が家族や医者に向くとき、医学以外にすがりたくなる。病院の治療だけで大丈夫か、他にできることはないか、藁を探してインターネットを掘削する。患者の不安につけこんで、食い物にするのは「ニセ医学」だ。

 ニセ医学とは、医学のフリをしたデマのこと。「がんの特効薬」「白い食物はNG」「日本人は薬漬け」「医者は自分に抗がん剤を使わない」など、巷に蔓延るニセ医学を、徹底的に追求する。カルトとして両断すればいいレベルの噂話に、ソースの論文まで遡って検証する姿勢に頭が下がる。ニセ医学を信じたばっかりに、無駄にしたお金や健康や命(!)の事例を紹介するとともに、どのような詭弁を弄してカルト化しているかを解きほぐす。


病の皇帝「がん」に挑む

 シッダールタ・ムカジー
 早川書房
 [レビュー]

病の皇帝がんに挑む上病の皇帝がんに挑む下

 人類はがんをどのように理解したか、これを多角的に描く。

 本書を人になぞらえて「がんの伝記」と評されるが、言い得て妙なり。これは、がんとの全面戦争の叙事詩なだけでなく、対峙した医者たちの手記であり、沢山の患者の闘病記になっている。ウィルスや遺伝学からのアプローチ、古代から現代に至る医療技術の変遷を追う一方で、環境汚染の疫学論争を扱い、たばこ撲滅キャンペーンによる第三世界への「がんの輸出」といった今日的なテーマまで広げる。

 本書を読むことで、がん戦史の証人としての視点から、最前線に立った医師として、あるいは侵された当事者として、がんを丸ごと知ることができる。「がんリテラシー」というものがあるならば、実際に宣告されることの次に、本書が王道になる。事故にも事件にも巻き込まれずに生き延びたなら、おそらくがんを告げられるだろう。そのとき、もういちど、読み直す。


食品偽装の歴史

 ビー・ウィルソン
 白水社
 [レビュー]

食品偽装の歴史 食の黒歴史。BSE(狂牛病)や毒ギョーザ、雪印、食べ残しを別の客に出すとか、メニューの写真とかけ離れた料理など、食の闇は今に始まったことではない。だが、昔はどうだったんだろうと紐解いてみたら、これまた凄まじい歴史だった。

 美味なるワインのため鉛中毒になった古代ローマ人から始まり、目方をごまかしたパン屋の運命(灼熱したオーブンに放り込まれた)、産業革命後は悪質さのオンパレードとなる。虫・痰・糞だけでなく、化学物質を安易に使った、「毒」と呼んでもいい危険な工作がなされていた。混ぜ物や偽装、保存料・添加物、遺伝子操作の問題を、暗黒の歴史として描き、そこにまつわる様々な問題―――純正食品問題、原産地表示、マーガリン論争、合法的添加物問題、保存料問題、トランス脂肪酸、自然食品問題といった論争を紹介する。人類は、凄いものを食べてきたことがよく分かる。食品偽装は、経済によって動機付けられ、政治と科学によって決定された現象なのだ。


白と黒のとびら

 川添愛
 東京大学出版会
 [レビュー]

白と黒のとびら 見た目ファンタジー、中身ガッツリ計算理論しながら、「計算とは何か?」計算の本質に迫る。

 それは、与えられた前提とルールを組み合わせて解を導くこと。では、「人にはできて、コンピュータにはできない計算問題」はあるのか。この秘密は、計算式そのものではなく、計算を解釈する箇所に潜んでいると予想する。人を計算する機械と見なしたとき、問題を解釈する言語をどのように「計算」しているのか?魔法使いの弟子という、ライトノベルな入口から、こんな隠れたテーマが待っている。あくまでファンタジックな冒険物語なのに、情報科学・数学・認知科学にわたる理論―――オートマトンと形式言語をめぐる知的冒険を堪能する。第一章は無料で読めるので、お試しにどうぞ[東京大学出版会:白と黒のとびら]。本書はyuripopのお薦めで出会えた逸品なり、いつもありがとう。


生きがいについて

 神谷美恵子
 みすず書房
 [レビュー]

生きがいについて 「人生に、意味はないけど甲斐はある」この視点で批判的に読む。「人生の一冊」などと名著の評判が高いが、欺瞞を暴くように読むことで、人生における意味と甲斐の区別がよりはっきりした。

 本書の前提である、「人生は生きるに値するか」や「人生の意味とは」という設問がずれている。「値」や「意味」に付随する「価値」という概念は、そのまま、「人の存在意義=人の利用価値」になる。金で測ろうと愛で量ろうと、有用性こそが人生の意義になってしまう。そうではなく、それだけで本人が生きてて良かったと感じられる、一人称の「甲斐」こそに焦点を当てるべき。有用性は甲斐の一つにすぎないのに、両者を同じにしてしまったことが、本書の欺瞞だろう。

 もう一つ、本書が陥っているのが選択バイアス。著者が勤務するハンセン病療養所の例を挙げながら考察を進めているが、調査結果の半分以上を占める負のイメージ(孤独、不安、ニヒリズム)を切り捨てる。健康者に対する怒りや憎悪の念こそが彼らを生かしている、すなわち「生きがい」となっている現実の半分を、「のこされた問題」として扱い、答えのない問いとする。そして、正のイメージ(希望や可能性)を生きがいの俎上に乗せるのだ(結果、前向きな結論となる)。本書は確かに名著なのだが、手放しで誉める人には気をつけたい。批判的に接することで、自分のなかの「生きがい」を振り返るのに有用な一冊となるだろう。


科学革命の構造

 トーマス・クーン
 みすず書房
 [レビュー]

科学革命の構造 「科学とは何か」について本質的なところで答えた名著。科学における「進歩」について新たな見方をもうけ、コペルニクスやニュートン、アインシュタインが人類にもたらした「知」を問い直す。

 ただし、科学を純朴に信仰する人にとっては劇薬級だろう(あるいは、いちゃもんつけて理解を拒むかもしれぬ)。なぜなら、何か統一理論みたいなものがあって、そこへ連続的に進化していくような「科学」について、疑問を投げかけ、揺さぶってくるから。科学教の信仰者は、盤石だと信じていた地面が実は動いていたというヴェゲナー的コペルニクス的感覚に目眩するに違いない。本書は、読書猿[何を読もうか迷った時のために→Googleが選ぶ世界の名著120冊]で出会ったスゴ本。このテーマについては、同ブログの[パラダイムとかクーン『科学革命の構造』を5分間で説明する]という素晴らしい記事があるのだが、タイトルに反して5分で読めない濃度と物量なのでご注意を。


ゲーデル・エッシャー・バッハ

 ダグラス・R・ホフスタッター
 白揚社
 [レビュー]

GEB 天才が知を徹底的に遊んだ、一生モノの一冊。

 不完全性定理のゲーデル、騙し絵のエッシャー、音楽の父バッハの業績を"自己言及"のキーワードとメタファーで縫い合わせ、数学、アート、音楽、禅、人工知能、認知科学、言語学、分子生物学を横断しつつ、科学と哲学と芸術のエンターテイメントに昇華させている。

 たとえば「数学は、考えられるどんな世界でも同じだろうか?」という刺激的な問いが投げかけられる。数学の"確からしさ"は、現実との対応により信念のような形で経験的に信じられているのではないか―――という恐ろしい疑念が湧きあがる。よしんばゲーデルにたどり着いたところで、「どの数論が正しいか」という疑問が突付けられる。この再帰性のテーマは、バッハのカノンやエッシャーの騙し絵の形で繰り返し紹介される。

 本書が一生モノだというのは、このテーマで『科学革命の構造』や『レトリックと人生』まで読ませてしまうところ。つまり、「正しさ」や「確からしさ」とは経験的なものなのか、あるいはメタな存在が規定しているのか、という問いの追及になる。一生学んでいられる、楽しくも恐ろしいテーマなのだ。

 本書と出会うきっかけは、結城浩さんが何度も読み返していると聞いて興味が湧いたこと。予習と挫折と再挑戦と回り道を繰り返し、読了までに8年かかったのは、ひとえにわたしの勉強不足によるもの。再読はつまみ読みすることにしよう。『数学ガール』シリーズがもっと愉しくなるに違いない。そもそも、こんなオッサンになって数学をやり直しているのは、彼のせい(おかげ)。暗記で突破した受験科目が、こんなにも愉しく恐ろしいものだったなんて知らなかった。ありがとうございます、結城さん。


論理哲学論考

 ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン
 光文社古典新訳文庫
 [レビュー]

論理哲学論考 難しく考えすぎていた、これは数学なんだ。そのつもりで、冒頭の野家啓一「高校生のための『論考』出前講義」と併せて読むと、すんなりいける。なので岩波青ではなく、光文社古典新訳をお薦めする。

 哲学的なことについて書かれてきたことの大部分は、意味がないという。なぜなら、「哲学的なことについて書かれてきたこと」は、言語を使っているから。プラトン以来、西洋哲学の歴史は、言語の論理を理解していないことによるナンセンスな言説の積み重ねなんだと。なぜなら、「言語の論理を日常生活から直接引き出すことは、人間にはできない(No.4.002)」から。

 これを克服して、問題をクリアにすることが、哲学の目的になるという。「語りえること」を、語れる内側から明確化するのだ。哲学とは、なにか難解で深遠そうな命題をひねり出すことではない。むしろ命題に潜む論理への誤解を明るみに出し、言語批判を通じて問題そのものをクリアにすること、すなわち「活動」こそが哲学だというのだ。

 そして、そのための厳密に論理的な文法を編み出し、展開する。ここが「数学」のところ。人工言語を用いることで、「考えることのできるものの境界」を線引きして、その内側で議論を尽くす。だからラストが、「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」で終わっているのだ。


2014ベスト


荒涼館

 チャールズ・ディケンズ
 ちくま文庫
 [レビュー]

 今年のフィクション・ベスト。すべての小説好きにお薦め。

荒涼館1荒涼館2
荒涼館3荒涼館4

 小説を読むことは 沢山の人生を生きることだ。そこに描かれた人々と、それを読む自分を掛け合わせ、好悪の反応から"私"が何者であるかを知る。デフォルメされた人物や、神視点の作者を通じ、人生劇場の一員として、自分をそこに放つ。『荒涼館』には、小説のあらゆる面白い要素、醜い感情、愛すべき人情、哀切そのものが、人生の形で詰まっている。小説はフィクションだが、湧きあがる喜怒哀楽の涙は、ぜんぶ本物だ。

 同時に小説は、読むこと通じてのみ肉薄できる芸術である。絵のように一望したり、音楽や料理のように「入ってくる」ものではない。こちらから読むという行為を通じ、その世界にもぐりこむことで「世界になる」経験だ。そして『荒涼館』は、読むことでしか堪能できない傑作である。重厚・巧妙に張り巡らされた伏線が引き絞られ、からめとられるとき、これまで通り過ぎてきた舞台や人物や事件やテーマでさえ(!)、実はそのシーンのために周到に準備されていたことに気づかされる。何度も読み直し、振り返り、噛み締めることになる。そんな戦慄が沢山、待っている。もちろん一筋縄ではいかない(かもしれない)。だが、きちんと向き合えば、得るものも大きい。それは、人生と一緒なのだ。


レトリックと人生

 ジョージ・レイコフ
 大修館書店
 [レビュー]

レトリックと人生 「人は、どのように世界を理解しているのか」について、納得のゆく結論が得られる。"理解"を理解することができ、メタ的な知見が手に入る。

 知覚とは、経験のフィードバックループで構築されたパターンを通じて世界を追認識する行為だと考えていた。だが、まさか"理解"そのものも同じ仕様であるとは思わなかった。ヴィトゲンシュタインからピンカーまで、これまで読んできた名著のみならず、わたし自身の体験と照応し、腑に落ちる。

 その仕様こそが、レトリック(原題ではメタファー/隠喩)だ。人は、メタファーを通じて世界を理解している、というのが本書の主旨になる。メタファーは、単なる言葉の綾ではなく、認知や思考が基づいている概念体系の本質を成している、"理解"の器官なのだ。「時間」や「位置」にまつわる様々な言い回しの事例を通じて、メタファーが現実に構造を与えているだけでなく、メタファーが新しい現実を創出する(つまり文化だ)やりかたを目の当たりにする。本書を読むことそのものが、驚きと興奮に満ちた知的冒険となった。本書は、読書猿[何を読もうか迷った時のために→Googleが選ぶ世界の名著120冊]で出会ったスゴ本。くるぶしさん、ありがとうございます。


隠喩としての病

 スーザン・ソンタグ
 みすず書房
 [レビュー]

隠喩としての病い がん保険が身体にかかわる保障なら、これは、精神にかかわる保障になる。がんを宣告された場合、しなくてもいい苦しみを、予め取り除いてくれるから。苦しまないためのスーザン・ソンタグ。

 試験や結婚、セックスや子育て、人生は「初めて」に満ちている。統計的に見ると、わたしはかなりの確率で、「初がん」するだろう。いきなり初体験はキツいもの、だから「がん」を予習する。不安や恐怖のあまり、ネットの寓話に振り回されたり、病ではなく医者と闘った人の話を聞くたびに、「この本を読んでいたら……」と激しく感じる。

 そうした不安や恐怖を取り除くのが本書だ。なぜ自分なのか?どうしてこうなったのか?遺伝や不摂生なのか?病の理由を己に向けてしまい、ただでさえ弱っているにもかかわらず、自分で自分を責め立ててしまう。これは、巧妙に仕組まれた隠喩の罠だと告発したのが、本書になる。

 がん、結核、らい病、チフス……病をとりまくテクストを読み解きながら、「隠喩の罠」にひそむ権力とイデオロギーの装置を解体する。人体におきる「出来事としての病い」は、ひとまず医学にまかせるとして、それと重なり合って苦しめる病の隠喩、すなわち言葉の暴力から解放してくれる。がんは、ひとつの病気だ―――とても重大な病気ではあるにしても、ひとつの病気にすぎないのだ―――呪いでも罰でもない、そこに「意味」などないのだというメッセージが、くりかえし伝わってくる。

 『隠喩としての病』と、『「ニセ医学」に騙されないために』は、ぜひ手にとって欲しい。大病になる前に、「こういう本があるのか」という目で見て欲しい。そして、いざそうなったとき、思い出して欲しい。せずにすむ苦痛や、しなくてもいい精神的な負担は、予め取り除いておくために、必要となるから。


スゴ本2015

 このブログを続けて10年になる。ブログを通じて、沢山の出会いと変化が生じた。新刊を、新しいが故に読むのはやめた。自分のアンテナだけを信じるのをやめた。代わりに、既にスゴ本を読んでいる「あなた」のおかげで、新しい出会いがあった。唯我独尊の井戸から出て、大海を眺めることができた。

 10年前と比べると分かる。幅も深さも、まるで違う。わたしにとってブログとは、ウェブ上のログ(web+log)ではなく、本のログ(book+log)なんだね。10年前のわたしを見なさい、貧弱!貧弱ゥ~だから。

この本がスゴい!2013
この本がスゴい!2012
この本がスゴい!2011
この本がスゴい!2010
この本がスゴい!2009
この本がスゴい!2008
この本がスゴい!2007
この本がスゴい!2006
この本がスゴい!2005
この本がスゴい!2004

 この10年で、メタ的に批判的に読めるようになった。感情移入一辺倒な読みでなくなった。物語が、なぜその構造を得ているか背景と共に読めるようになった。(あまり良いことではないが)都合のいい視座を選び、読むモードを変えられるようになった。(ぜんぜん良いことではないが)書き手の目線や手つきが見えるようになった。いま読んだ本が、過去読んだ本とつながり、未来に読む本とリンクするようになった。本というパッケージ単位ではなく、知のテーマに沿ってジャンルオーバーで多面的に攻めるようになった。世界がより見える・聞こえるようになり、より安寧を自覚できるようになった。さらに自律できるようになった(と思う)。どれもこれも、わたしが知らないスゴ本のおかげ。それを読んでる「あなた」のおかげ。感謝の気持ちしか湧いてこない。

 11年目も続けるが、後悔のない読書にしたい。つまり、ゴミみたいな新刊ばかり追いかけて、時を費やすことのないように。紹介のための、安易な読書に流されないように。死ぬとき、読まなかった本を思い出して「ああ、これ読んでおけばよかった」なんてことのないように読んで生きたい(とはいうものの、どんなに読んでも後悔はつきもの)。

 「いつか読む」は一生読まない。だから、2015年は、読まない後悔の大きい順に読むことにしよう。トルストイ、ウィトゲンシュタイン、ゴーゴリ、レイコフ、ピンチョン、マルケス、吉田武、レヴィ=ストロース、チョムスキー、ああ、河出書房新社の「日本文学全集」を踏破しなくては。クレスト・ブックスのラノベ版新潮文庫nexは、名作がひしめいているようだ。なにより、コミックがぜんぜん読めてねぇ……

 人生は短く、読む本は尽きない。いつ読むの?今でしょ!

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