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この本がスゴい!2014

 人生は短く、読む本は尽きない。

 せめて「わたし」が知らない凄い本と出合うべく、それを読んでる「あなた」を探す。それがこのブログに込めた意味であり、このブログを通じて数え切れないほど「あなた」に教わった。「自分の興味=世界のすべて」という独善に陥りそうなわたしの蒙を何度も開いてくれた。そんな「あなた」に感謝を込めて、今年読んだ中から選んだ。

 ここで紹介するのは今年読んだスゴ本の一角かつ100%わたしの趣味だ。もっと多様でさらに熱いのを求めるなら、facebook「スゴ本オフ」をご覧あれ。面白い本をリアルに相互に紹介しあう、宝の山脈になっているから。


フィクション


きんいろモザイク

 原悠衣
 芳文社

きんいろモザイク かわいいは正義だ。

 大事なことだからもう一度、かわいいは正義だ。痛勤電車で揉まれ、仕事でシバかれ、暗い欲望に惑いまくりの中年には、可愛い女子高生のゆるふわな日常が、ものすごく効く。ギスギス息苦しい空間や、ぎゅっと胸を押さえつけてくる不安に対し、一話二話と読むだけで、ふっとラクにしてくれる。「ま、いっか」という気分にさせてくれる、Kindleにある常備薬。きゃっきゃうふふな掛け合いに癒されるのは、猫のじゃれあいを見ているようなもの。

 1000年前に、雀の子や幼児を見て「ちいさきものは、みなうつくし」と言った人がいたが、激しく同意せざるを得ない。でもね、オジサンはその輪の中に入れない。遠くから(画面越しに)ほのぼの口元ゆるめながら、眺めているのみ。この一抹の寂しさも味のうち。


大江健三郎自選短篇

 大江健三郎
 岩波文庫
 [レビュー]

大江健三郎自選短篇 入門にして傑作選が、一冊で読める。

 セックスとイデオロギー、祈りと救済。大江文学のエッセンスが凝縮された、入門にしてベスト短篇集が、一冊で読める。ノーベル賞作家が、自作ぜんぶを読み直し、選びなおし、加筆修訂した定本のベスト版、これが1500円で釣銭くるなんて。どれだけ日本って有り難いのだろう。中毒性の高い大江節を読みながら、嬉しさにまみれる。

 同時に、通して読むことで、時代性と普遍性のトレードオフが浮かび上がる。デビュー作『奇妙な仕事』や初期の『死者の奢り』『飼育』『セヴンティーン』を横断する、戦後日本の閉塞感やグロテスクな性のイメージが見える。面白いことに、この閉塞感やドロヘドロ感、もはや戦後ですらない現代にあてはめても伝わってくる。


ドリアン・グレイの肖像

 オスカー・ワイルド
 光文社古典新訳文庫
 [レビュー]

ドリアン・グレイの肖像 人生は顔に出る、鏡をみろ。

 あなたなら、鏡の中に何を見るか、という寓話。「性格は顔に出る、生活は体型に出る、落ち着きのなさは足に出る」というが、むしろ、顔や体に出ているのは、わたしの過去だ。どのように生きてきたかを積分したものが、素のわたし。そしてそれは、見たくない過去を隠すように巧妙に隠されている。これを「肖像画」に投影したのが本書になる。

 若く美しく純真な青年が、わるいオッサンにそそのかされ、快楽と背徳に堕ちてゆく。年齢と悪徳を重ねているにもかかわらず、美青年のまま。その代わり、青年をモデルにした肖像画だけが醜く変貌していく……というミステリは、(オチは予想できても)物語として充分おもしろい。中途半端に生真面目で小心者のドリアンよりも、突き抜けて達観したオスカー卿のアフォリズム集としても愉しい。ベスト3は以下の通り。

そもそも結婚などやめておけ、ドリアン。男は疲れたから結婚する。女は好奇心から結婚する。そして両方ともがっかりするんだ

一生に一度しか恋をしない人間こそ浅はかなんだよ。彼らが忠実とか貞節とか呼んでいるものは、習慣による惰性か想像力の欠如だ

子どもは誰しもはじめは親を愛する。そして成長と共に親を裁くようになる。やがて親を許すこともあるが


その女、アレックス

 ピエール ルメートル
 文春文庫
 [レビュー]

その女アレックス 読むなら徹夜を覚悟して。

 今年のベストミステリ。ミステリなのに、ミステリじゃなく、ミステリだ。この感覚を伝える、いちばんピッタリする言葉は、あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!『おれは奴の前で階段を登っていたと 思ったらいつのまにか降りていた』である。物語に作者に登場人物に、投げ飛ばされる先がスゴい。これまで読んできたどのミステリとも異なり、いくつかの傑作を彷彿とさせ、かなりグロい描写と、とんでもない着地点が待っている。完徹保証の◎印。

 誘拐・監禁されるアレックスと、犯人を追う警部の展開が、スピーディに交互するが、章を追う毎に全く違う様相と次元を帯びてくる。いわゆるミステリ王道の、読み進めることで新たな発見がある構成ではなく、見えていたはずのものが、これっぽっちも見えていなかったことに気づかされる。「私は今まで、何を読んできたのか?」と何度も自問するに違いない。これを、さかさ絵・騙し絵で評する人がいたが、言い得て妙なり。なんども瞠目するはずだから、明日の予定のない夜に。


ボヴァリー夫人

 ギュスターヴ・フローベール
 河出文庫
 [レビュー]

ボヴァリー夫人 痛い女の真骨頂。

 傑作。男に狂って贅沢三昧の挙句、破滅する女の話なんて珍しくない。しかし、これを古典にまで成したのは、間違いなく小説のチカラ。だから安心してハマってほしい、「小説を読むこと」の、純粋な悦びが汲みだせるから。

 恋に恋するこじらせ女や、哀れなほど典型的なコキュ、既視感ありまくる浮気相手など、分かりやすくカリカチュアライズされた登場人物は、「俗物」の一言で片付く。世間体を気にして、見栄に振り回される人生は、反面教師と扱ってもいいが、むしろ、こういう人々で世は成り立っていると気づくべき。戯画的に誇張されているとはいえ、彼女が抱く「人生のこれじゃない感」は嫌悪を持って共感されるだろう。善人の愛と狂人の恋の、よくできた御伽噺と思いきや、世界は俗物で成立しており、俗物により世は回っているという、ウンザリするほど現実的な話に付き合わされる。

 同時に、"つくりもの"としての小説の愉しみはたっぷり堪能できる。手を代え品を換えた語りの形式(一行目から驚いた)や、いくつものイメージを重ねて連ねて輻輳させる映像的なシーン(結婚式と葬式)、恋の探りあいと政治演説の絡まりあいを、会話と描写のシンフォニー(農業共進会の一幕)、衣装や建物の構造、ちょっとした小道具まで、細部に淫してフェティックに書き込む。人の俗悪から、こんなにスゴいものが生み出されるのだ。


ボーン・コレクター

 ジェフリー ディーヴァー
 文春文庫
 [レビュー]

ボーンコレクター上ボーンコレクター下

 「最初は、『ボーン・コレクター』から始めなさい」と、ミステリ読みの猛者から忠告された。発端は、ミステリ同好会にて「ジェフリー・ディーヴァー読んだことない」と言ったことに始まる。当然、笑われた。それだけでなく、羨ましがられた。ディーヴァー知らないミステリ好きは、("ミステリ好き"と名乗って良いかどうかは別として)幸せ者らしい。睡眠時間と引き換えに、ジェットコースターミステリーを堪能できるから。そして、どれを読んでも間違いないが、最初は『ボーン・コレクター』だというのが満場一致のアドバイスだった。

 これは確かに、やめられない止まらない。数日の間に、次々に起こる誘拐監禁殺人事件を、時間制限つき謎解きアクション濃縮サスペンス全部入りにした作品だから。科学捜査の薀蓄やプロファイリング推理戦だけでなく、登場人物それぞれの過去や苦悩が絶妙なブレンド比で絡んでくるのは、上手いとしかいいようがない。「やめ時」が無いまま、徹夜になる前に一気に読み干す。残ページ数と話の盛り上がりで展開を予想するという極悪な読書の仕方だったけれど、それでもさらに、わたしの「読み」をひっくり返されたのが心地よい。ディーヴァーの最高傑作は『ウォッチメーカー』だとアドバイスもらったので、来年のお楽しみにしよう。


オービタル・クラウド

 藤井太洋
 早川書房
 [レビュー]

オービタル・クラウド iPhoneと○○で、エンジニアが世界征服する。「全部で千ドルもかかってないぜ。ポケットマネーで作れるんだ、こういうのは」は、リアルだ。携帯ドローンが飛び交い、GoProで成層圏の画像を目指すなら、千ドルでオービタル・クラウド(衛星軌道上の雲)を作る時代はそこにある。

 一行で紹介するなら、「2020年に起きる前代未聞のスペース・テロを描いたSF」で済むのだが、近未来というよりむしろ現未来だ。手法の基本原理と問題点は本書に書いてあり、設計はネットで引ける。怖いのは、「私でもできそう」と思えてしまうところ。そして、最初に実現した人は、文字通り人類の支配者になれる。宇宙といえば、宇宙船や宇宙ステーションといった巨大な建造物を想定してしまうわたしにとって、極小のスペース・クラフトは、間違いなく「いま・ここ」の延長上にある現実なのだ。本書は、『さよならの儀式』読書会でお薦めされた逸品。冬木糸一さん、ありがとうございます。


遁走状態

 ブライアン・エヴンソン
 新潮クレスト・ブックス
 [レビュー]

遁走状態 あらゆる読書は毒書であることを思い知らされる、離人症の読書。

 全部で19編あるどの短篇も、すばらしく厭な話ばかり。一行目から、「何かがおかしい」と引き込まれ、不安定でグロテスクな状況に巻き込まれた人物の視点で追っていくうちに、現実を確固たるものにしているはずの境界―――私とあなた、生と死、記憶と現実など―――が曖昧にされてゆく。

 そんな場合、話者を「信頼できない語り手」とみなすことで、読み手である"わたし"を護ろうとする。だが、すぐに分かる。どんどんズレてゆく世界は、それはそれで一貫している。悪夢のように「おかしい」が、夢の中では、限りなく明晰で合理的だ。ループする展開にらせん状に呑み込まれてゆく読中感覚は、カフカやコルタサルを髣髴とさせる。

 ひょっとすると、信頼できないのは話者ではなく、物語世界でもなく、"わたし"自身なのかもしれない。世界が壊れているのではなく、登場人物が狂っているのではなく、世界を認識する方法がズレはじめており、現実とうまく折り合わなくなる―――それは"わたし"なのだ。とびきりの毒書を、保証する。本書はアブソリュート・エゴ・レビュー『遁走状態』をきっかけに手にしたもの。ego_danceさん、ありがとうございます。


左巻キ式ラストリゾート

 海猫沢めろん
 星海社文庫
 [レビュー]

左巻キ式ラストリゾート 読む暴力

 セックス&バイオレンス描写の破壊力のみならず、そのコンテンツを嗜む人を狙い撃つ悪意という名の善意が残酷すぎる。歴戦のエロゲーマーにトドメを刺すのが、これだ。

 もとはゲームのノベライズ。記憶喪失の主人公が目覚めたのは、12人の少女が生活する学校。お約束のハーレム世界、閉鎖空間、そいつをぶち壊すサイコパス。女を蕩かす催淫剤、連続陵辱スプラッタ、純愛、そしておもらし。文字通り読み手(=プレイヤー)を引き込み、問いを突きつけ、自分がやっている行為を無理やり見せ付けてくれる。読み手を、物語の消費者とさせてくれない、危険な劇薬小説(読者は安全圏でないことに注意されたし)


別荘

 ホセ・ドノソ
 現代企画室
 [レビュー]

別荘 気づいたら朝になってた、久しぶりの完徹小説。劇薬小説『夜のみだらな鳥』が極彩色の悪夢なら、『別荘』はアップデートされる悪夢である。どちらも悪夢であることに変わりはないが。

 眠れないまま読み始め、読み耽るうち眠れなくなり、朝を越えて昼も過ぎて読み続ける。物語に憑かれたアタマが使いものにならず、目眩と耳鳴りがすごい(休日で良かった)。キャラの特異性でなく、展開の妙だけでなく、物騙りそのもののダイナミズムに鷲掴まれる。捩れた意識が酔ったように感じられる(シラフなのに)。この経験は珍しい。わずかに似ているとしたら、マルケス『百年の孤独』、セルバンテス『ドン・キホーテ』。

 もちろん、小説というフィクションを読んでいる自覚はあるのだが、収縮自在の時空間と、虚構を越境してくる侵食感に、「そもそも私が読んでいるこれは現実なのだろうか」とまで疑いだす。小説が現実らしさをかなぐり捨て、「フィクションを読む現実」を突付けてくることで、今度は物語が現実を侵食しはじめる。現実の劣化コピーとしての騙りではなく、小説を読む現実のリアリティが騙られる、不気味で不条理なグロテスク・リアリズムを、ご堪能あれ。


ノンフィクション


なぜ理系に進む女性は少ないのか

 スティーブン・J. セシ/ウェンディ・M. ウィリアムス他
 西村書店
 [レビュー]

なぜ理系に進む女性は少ないのか 「知性に性差が存在するか?」問うた瞬間、フェミニズム十字砲火を喰らう、極めて微妙な質問を、徹底的に検証したのが本書である。米国、カナダ、英国を代表する研究者による15の論説をまとめ、科学者による論証を批判的に解釈することで答えようとしている。

  1. 「理系に女性が少ない」は、そもそも本当か
  2. それは能力が低いからなのだろうか
  3. 単に関心が低いからなのだろうか
  4. 脳構造やホルモンなど、生態学的なものか
  5. 性淘汰など遺伝的・社会的状況の組み合わせの結果か
  6. 生まれつきの能力の差異があるのだろうか
  7. 文化のせいなのか
  8. 社会が女性を家庭に束縛しているのだろうか

 ややもすると感情と政治と修辞法に満ちたものになりがちな議論を、経験的なデータを示し、注釈と文献を示すことで、懐疑的な読者が自分で評価できるようにしている。帯に「フィールズ賞を受賞した女性は、まだいない」とあるが、まさに本年、マリアム・ミルザハニによって否定されたのは感慨深い。本書を紹介した、[知性の性差という地雷]という拙記事で、刺さってしまった方がいたのも感慨深い(コメント欄参照)。


「ニセ医学」に騙されないために

 NATROM([NATROMの日記]
 メタモル出版
 [レビュー]

「ニセ医学」に騙されないために 「バカは死ななきゃ治らない」というが、わたしは容易くバカになりうる。なぜなら、わたしの理性や論理の"正しさ"は、気分や体調で簡単に覆るから。大病をして精神的にも参ったとき、どれくらい愚かになれるか。予防として読む。

 病気になり、気が滅入っているとき、病気の理由を周囲にぶつけたくなる。矛先が家族や医者に向くとき、医学以外にすがりたくなる。病院の治療だけで大丈夫か、他にできることはないか、藁を探してインターネットを掘削する。患者の不安につけこんで、食い物にするのは「ニセ医学」だ。

 ニセ医学とは、医学のフリをしたデマのこと。「がんの特効薬」「白い食物はNG」「日本人は薬漬け」「医者は自分に抗がん剤を使わない」など、巷に蔓延るニセ医学を、徹底的に追求する。カルトとして両断すればいいレベルの噂話に、ソースの論文まで遡って検証する姿勢に頭が下がる。ニセ医学を信じたばっかりに、無駄にしたお金や健康や命(!)の事例を紹介するとともに、どのような詭弁を弄してカルト化しているかを解きほぐす。


病の皇帝「がん」に挑む

 シッダールタ・ムカジー
 早川書房
 [レビュー]

病の皇帝がんに挑む上病の皇帝がんに挑む下

 人類はがんをどのように理解したか、これを多角的に描く。

 本書を人になぞらえて「がんの伝記」と評されるが、言い得て妙なり。これは、がんとの全面戦争の叙事詩なだけでなく、対峙した医者たちの手記であり、沢山の患者の闘病記になっている。ウィルスや遺伝学からのアプローチ、古代から現代に至る医療技術の変遷を追う一方で、環境汚染の疫学論争を扱い、たばこ撲滅キャンペーンによる第三世界への「がんの輸出」といった今日的なテーマまで広げる。

 本書を読むことで、がん戦史の証人としての視点から、最前線に立った医師として、あるいは侵された当事者として、がんを丸ごと知ることができる。「がんリテラシー」というものがあるならば、実際に宣告されることの次に、本書が王道になる。事故にも事件にも巻き込まれずに生き延びたなら、おそらくがんを告げられるだろう。そのとき、もういちど、読み直す。


食品偽装の歴史

 ビー・ウィルソン
 白水社
 [レビュー]

食品偽装の歴史 食の黒歴史。BSE(狂牛病)や毒ギョーザ、雪印、食べ残しを別の客に出すとか、メニューの写真とかけ離れた料理など、食の闇は今に始まったことではない。だが、昔はどうだったんだろうと紐解いてみたら、これまた凄まじい歴史だった。

 美味なるワインのため鉛中毒になった古代ローマ人から始まり、目方をごまかしたパン屋の運命(灼熱したオーブンに放り込まれた)、産業革命後は悪質さのオンパレードとなる。虫・痰・糞だけでなく、化学物質を安易に使った、「毒」と呼んでもいい危険な工作がなされていた。混ぜ物や偽装、保存料・添加物、遺伝子操作の問題を、暗黒の歴史として描き、そこにまつわる様々な問題―――純正食品問題、原産地表示、マーガリン論争、合法的添加物問題、保存料問題、トランス脂肪酸、自然食品問題といった論争を紹介する。人類は、凄いものを食べてきたことがよく分かる。食品偽装は、経済によって動機付けられ、政治と科学によって決定された現象なのだ。


白と黒のとびら

 川添愛
 東京大学出版会
 [レビュー]

白と黒のとびら 見た目ファンタジー、中身ガッツリ計算理論しながら、「計算とは何か?」計算の本質に迫る。

 それは、与えられた前提とルールを組み合わせて解を導くこと。では、「人にはできて、コンピュータにはできない計算問題」はあるのか。この秘密は、計算式そのものではなく、計算を解釈する箇所に潜んでいると予想する。人を計算する機械と見なしたとき、問題を解釈する言語をどのように「計算」しているのか?魔法使いの弟子という、ライトノベルな入口から、こんな隠れたテーマが待っている。あくまでファンタジックな冒険物語なのに、情報科学・数学・認知科学にわたる理論―――オートマトンと形式言語をめぐる知的冒険を堪能する。第一章は無料で読めるので、お試しにどうぞ[東京大学出版会:白と黒のとびら]。本書はyuripopのお薦めで出会えた逸品なり、いつもありがとう。


生きがいについて

 神谷美恵子
 みすず書房
 [レビュー]

生きがいについて 「人生に、意味はないけど甲斐はある」この視点で批判的に読む。「人生の一冊」などと名著の評判が高いが、欺瞞を暴くように読むことで、人生における意味と甲斐の区別がよりはっきりした。

 本書の前提である、「人生は生きるに値するか」や「人生の意味とは」という設問がずれている。「値」や「意味」に付随する「価値」という概念は、そのまま、「人の存在意義=人の利用価値」になる。金で測ろうと愛で量ろうと、有用性こそが人生の意義になってしまう。そうではなく、それだけで本人が生きてて良かったと感じられる、一人称の「甲斐」こそに焦点を当てるべき。有用性は甲斐の一つにすぎないのに、両者を同じにしてしまったことが、本書の欺瞞だろう。

 もう一つ、本書が陥っているのが選択バイアス。著者が勤務するハンセン病療養所の例を挙げながら考察を進めているが、調査結果の半分以上を占める負のイメージ(孤独、不安、ニヒリズム)を切り捨てる。健康者に対する怒りや憎悪の念こそが彼らを生かしている、すなわち「生きがい」となっている現実の半分を、「のこされた問題」として扱い、答えのない問いとする。そして、正のイメージ(希望や可能性)を生きがいの俎上に乗せるのだ(結果、前向きな結論となる)。本書は確かに名著なのだが、手放しで誉める人には気をつけたい。批判的に接することで、自分のなかの「生きがい」を振り返るのに有用な一冊となるだろう。


科学革命の構造

 トーマス・クーン
 みすず書房
 [レビュー]

科学革命の構造 「科学とは何か」について本質的なところで答えた名著。科学における「進歩」について新たな見方をもうけ、コペルニクスやニュートン、アインシュタインが人類にもたらした「知」を問い直す。

 ただし、科学を純朴に信仰する人にとっては劇薬級だろう(あるいは、いちゃもんつけて理解を拒むかもしれぬ)。なぜなら、何か統一理論みたいなものがあって、そこへ連続的に進化していくような「科学」について、疑問を投げかけ、揺さぶってくるから。科学教の信仰者は、盤石だと信じていた地面が実は動いていたというヴェゲナー的コペルニクス的感覚に目眩するに違いない。本書は、読書猿[何を読もうか迷った時のために→Googleが選ぶ世界の名著120冊]で出会ったスゴ本。このテーマについては、同ブログの[パラダイムとかクーン『科学革命の構造』を5分間で説明する]という素晴らしい記事があるのだが、タイトルに反して5分で読めない濃度と物量なのでご注意を。


ゲーデル・エッシャー・バッハ

 ダグラス・R・ホフスタッター
 白揚社
 [レビュー]

GEB 天才が知を徹底的に遊んだ、一生モノの一冊。

 不完全性定理のゲーデル、騙し絵のエッシャー、音楽の父バッハの業績を"自己言及"のキーワードとメタファーで縫い合わせ、数学、アート、音楽、禅、人工知能、認知科学、言語学、分子生物学を横断しつつ、科学と哲学と芸術のエンターテイメントに昇華させている。

 たとえば「数学は、考えられるどんな世界でも同じだろうか?」という刺激的な問いが投げかけられる。数学の"確からしさ"は、現実との対応により信念のような形で経験的に信じられているのではないか―――という恐ろしい疑念が湧きあがる。よしんばゲーデルにたどり着いたところで、「どの数論が正しいか」という疑問が突付けられる。この再帰性のテーマは、バッハのカノンやエッシャーの騙し絵の形で繰り返し紹介される。

 本書が一生モノだというのは、このテーマで『科学革命の構造』や『レトリックと人生』まで読ませてしまうところ。つまり、「正しさ」や「確からしさ」とは経験的なものなのか、あるいはメタな存在が規定しているのか、という問いの追及になる。一生学んでいられる、楽しくも恐ろしいテーマなのだ。

 本書と出会うきっかけは、結城浩さんが何度も読み返していると聞いて興味が湧いたこと。予習と挫折と再挑戦と回り道を繰り返し、読了までに8年かかったのは、ひとえにわたしの勉強不足によるもの。再読はつまみ読みすることにしよう。『数学ガール』シリーズがもっと愉しくなるに違いない。そもそも、こんなオッサンになって数学をやり直しているのは、彼のせい(おかげ)。暗記で突破した受験科目が、こんなにも愉しく恐ろしいものだったなんて知らなかった。ありがとうございます、結城さん。


論理哲学論考

 ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン
 光文社古典新訳文庫
 [レビュー]

論理哲学論考 難しく考えすぎていた、これは数学なんだ。そのつもりで、冒頭の野家啓一「高校生のための『論考』出前講義」と併せて読むと、すんなりいける。なので岩波青ではなく、光文社古典新訳をお薦めする。

 哲学的なことについて書かれてきたことの大部分は、意味がないという。なぜなら、「哲学的なことについて書かれてきたこと」は、言語を使っているから。プラトン以来、西洋哲学の歴史は、言語の論理を理解していないことによるナンセンスな言説の積み重ねなんだと。なぜなら、「言語の論理を日常生活から直接引き出すことは、人間にはできない(No.4.002)」から。

 これを克服して、問題をクリアにすることが、哲学の目的になるという。「語りえること」を、語れる内側から明確化するのだ。哲学とは、なにか難解で深遠そうな命題をひねり出すことではない。むしろ命題に潜む論理への誤解を明るみに出し、言語批判を通じて問題そのものをクリアにすること、すなわち「活動」こそが哲学だというのだ。

 そして、そのための厳密に論理的な文法を編み出し、展開する。ここが「数学」のところ。人工言語を用いることで、「考えることのできるものの境界」を線引きして、その内側で議論を尽くす。だからラストが、「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」で終わっているのだ。


2014ベスト


荒涼館

 チャールズ・ディケンズ
 ちくま文庫
 [レビュー]

 今年のフィクション・ベスト。すべての小説好きにお薦め。

荒涼館1荒涼館2
荒涼館3荒涼館4

 小説を読むことは 沢山の人生を生きることだ。そこに描かれた人々と、それを読む自分を掛け合わせ、好悪の反応から"私"が何者であるかを知る。デフォルメされた人物や、神視点の作者を通じ、人生劇場の一員として、自分をそこに放つ。『荒涼館』には、小説のあらゆる面白い要素、醜い感情、愛すべき人情、哀切そのものが、人生の形で詰まっている。小説はフィクションだが、湧きあがる喜怒哀楽の涙は、ぜんぶ本物だ。

 同時に小説は、読むこと通じてのみ肉薄できる芸術である。絵のように一望したり、音楽や料理のように「入ってくる」ものではない。こちらから読むという行為を通じ、その世界にもぐりこむことで「世界になる」経験だ。そして『荒涼館』は、読むことでしか堪能できない傑作である。重厚・巧妙に張り巡らされた伏線が引き絞られ、からめとられるとき、これまで通り過ぎてきた舞台や人物や事件やテーマでさえ(!)、実はそのシーンのために周到に準備されていたことに気づかされる。何度も読み直し、振り返り、噛み締めることになる。そんな戦慄が沢山、待っている。もちろん一筋縄ではいかない(かもしれない)。だが、きちんと向き合えば、得るものも大きい。それは、人生と一緒なのだ。


レトリックと人生

 ジョージ・レイコフ
 大修館書店
 [レビュー]

レトリックと人生 「人は、どのように世界を理解しているのか」について、納得のゆく結論が得られる。"理解"を理解することができ、メタ的な知見が手に入る。

 知覚とは、経験のフィードバックループで構築されたパターンを通じて世界を追認識する行為だと考えていた。だが、まさか"理解"そのものも同じ仕様であるとは思わなかった。ヴィトゲンシュタインからピンカーまで、これまで読んできた名著のみならず、わたし自身の体験と照応し、腑に落ちる。

 その仕様こそが、レトリック(原題ではメタファー/隠喩)だ。人は、メタファーを通じて世界を理解している、というのが本書の主旨になる。メタファーは、単なる言葉の綾ではなく、認知や思考が基づいている概念体系の本質を成している、"理解"の器官なのだ。「時間」や「位置」にまつわる様々な言い回しの事例を通じて、メタファーが現実に構造を与えているだけでなく、メタファーが新しい現実を創出する(つまり文化だ)やりかたを目の当たりにする。本書を読むことそのものが、驚きと興奮に満ちた知的冒険となった。本書は、読書猿[何を読もうか迷った時のために→Googleが選ぶ世界の名著120冊]で出会ったスゴ本。くるぶしさん、ありがとうございます。


隠喩としての病

 スーザン・ソンタグ
 みすず書房
 [レビュー]

隠喩としての病い がん保険が身体にかかわる保障なら、これは、精神にかかわる保障になる。がんを宣告された場合、しなくてもいい苦しみを、予め取り除いてくれるから。苦しまないためのスーザン・ソンタグ。

 試験や結婚、セックスや子育て、人生は「初めて」に満ちている。統計的に見ると、わたしはかなりの確率で、「初がん」するだろう。いきなり初体験はキツいもの、だから「がん」を予習する。不安や恐怖のあまり、ネットの寓話に振り回されたり、病ではなく医者と闘った人の話を聞くたびに、「この本を読んでいたら……」と激しく感じる。

 そうした不安や恐怖を取り除くのが本書だ。なぜ自分なのか?どうしてこうなったのか?遺伝や不摂生なのか?病の理由を己に向けてしまい、ただでさえ弱っているにもかかわらず、自分で自分を責め立ててしまう。これは、巧妙に仕組まれた隠喩の罠だと告発したのが、本書になる。

 がん、結核、らい病、チフス……病をとりまくテクストを読み解きながら、「隠喩の罠」にひそむ権力とイデオロギーの装置を解体する。人体におきる「出来事としての病い」は、ひとまず医学にまかせるとして、それと重なり合って苦しめる病の隠喩、すなわち言葉の暴力から解放してくれる。がんは、ひとつの病気だ―――とても重大な病気ではあるにしても、ひとつの病気にすぎないのだ―――呪いでも罰でもない、そこに「意味」などないのだというメッセージが、くりかえし伝わってくる。

 『隠喩としての病』と、『「ニセ医学」に騙されないために』は、ぜひ手にとって欲しい。大病になる前に、「こういう本があるのか」という目で見て欲しい。そして、いざそうなったとき、思い出して欲しい。せずにすむ苦痛や、しなくてもいい精神的な負担は、予め取り除いておくために、必要となるから。


スゴ本2015

 このブログを続けて10年になる。ブログを通じて、沢山の出会いと変化が生じた。新刊を、新しいが故に読むのはやめた。自分のアンテナだけを信じるのをやめた。代わりに、既にスゴ本を読んでいる「あなた」のおかげで、新しい出会いがあった。唯我独尊の井戸から出て、大海を眺めることができた。

 10年前と比べると分かる。幅も深さも、まるで違う。わたしにとってブログとは、ウェブ上のログ(web+log)ではなく、本のログ(book+log)なんだね。10年前のわたしを見なさい、貧弱!貧弱ゥ~だから。

この本がスゴい!2013
この本がスゴい!2012
この本がスゴい!2011
この本がスゴい!2010
この本がスゴい!2009
この本がスゴい!2008
この本がスゴい!2007
この本がスゴい!2006
この本がスゴい!2005
この本がスゴい!2004

 この10年で、メタ的に批判的に読めるようになった。感情移入一辺倒な読みでなくなった。物語が、なぜその構造を得ているか背景と共に読めるようになった。(あまり良いことではないが)都合のいい視座を選び、読むモードを変えられるようになった。(ぜんぜん良いことではないが)書き手の目線や手つきが見えるようになった。いま読んだ本が、過去読んだ本とつながり、未来に読む本とリンクするようになった。本というパッケージ単位ではなく、知のテーマに沿ってジャンルオーバーで多面的に攻めるようになった。世界がより見える・聞こえるようになり、より安寧を自覚できるようになった。さらに自律できるようになった(と思う)。どれもこれも、わたしが知らないスゴ本のおかげ。それを読んでる「あなた」のおかげ。感謝の気持ちしか湧いてこない。

 11年目も続けるが、後悔のない読書にしたい。つまり、ゴミみたいな新刊ばかり追いかけて、時を費やすことのないように。紹介のための、安易な読書に流されないように。死ぬとき、読まなかった本を思い出して「ああ、これ読んでおけばよかった」なんてことのないように読んで生きたい(とはいうものの、どんなに読んでも後悔はつきもの)。

 「いつか読む」は一生読まない。だから、2015年は、読まない後悔の大きい順に読むことにしよう。トルストイ、ウィトゲンシュタイン、ゴーゴリ、レイコフ、ピンチョン、マルケス、吉田武、レヴィ=ストロース、チョムスキー、ああ、河出書房新社の「日本文学全集」を踏破しなくては。クレスト・ブックスのラノベ版新潮文庫nexは、名作がひしめいているようだ。なにより、コミックがぜんぜん読めてねぇ……

 人生は短く、読む本は尽きない。いつ読むの?今でしょ!

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