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ホセ・ドノソ『別荘』はスゴ本

別荘 気づいたら朝になってた、久しぶりの完徹小説。

 眠れないまま読み始め、読み耽るうち眠れなくなり、朝を越えて昼も過ぎて読み続ける。物語に憑かれたアタマが使いものにならず、目眩と耳鳴りがすごい(休日で良かった)。キャラの特異性でなく、展開の妙だけでなく、物騙りそのもののダイナミズムに鷲掴まれる。捩れた意識が酔ったように感じられる(シラフなのに)。この経験は珍しい。わずかに似ているとしたら、マルケス『百年の孤独』、セルバンテス『ドン・キホーテ』。

 もちろん、小説というフィクションを読んでいる自覚はあるのだが、収縮自在の時空間と、虚構を越境してくる侵食感に、「そもそも私が読んでいるこれは現実なのだろうか」とまで疑いだす。劇薬小説『夜のみだらな鳥』が極彩色の悪夢なら、『別荘』はアップデートされる悪夢である。

 この一冊かけて、ある別荘の「一日」が語られる。大人たちは日帰りのピクニックに出かけ、子どもたちは取り残される。あたりは人食い原住民の集落と、異様な繁殖力を持つ植物に囲まれ、文明からは隔絶されている。子どもの数は33人。食糧をめぐる争いと、欲望と陰謀にまみれた企みと、別荘が象徴する富を取り戻すための闘いが繰り広げられる。孤立した環境で子どもだけのサバイバルというと、ゴールディング『蝿の王』が出てくるが、大人への純粋な憎しみの様はむしろ、スティーヴン・キング『トウモロコシ畑の子供たち』を髣髴とさせる。

 不思議なことに、「一日」のはずの時間が、ところどころ歪んでいる。妊娠出産するまでのありえない時間が「一日」の間に経過していたり、争いがあり、破壊があり、再生がなされるまでが「数時間」だったり、そもそも時間が経過する概念が消し飛ばされたり。ありがちな小説時間「全体」の早送り・巻き戻しだけでなく、ある場所・ある期間だけが妙に伸びたりつづめられたりしている。

 最初は、別荘の内外で伸縮しているのかと思いきや、どうやら作者の騙りにより自在に曲げられているようだ。ホセ・ドノソは、語りたいものを騙り尽くすまでは、現実的な時間経過なんてどうでもいいと考えているらしい。一貫した「つじつま」よりも登場人物の記憶よりも、騙りそのものに任せなければならないという意志を感じる。

 しかも、時間だけでない。5歳の子どもが死について哲学者のように語らせたり、瓜二つの双子といいながら、片方は美しく、もう片方は醜いと矛盾したことを言い出す。小説にリアリティを求めたり、ファンタジーの中でのもっともらしさを欲しがるなら、『別荘』は極めて不親切な傑作である。作者は、リアリスティックな世界を小説の中で実現するのではなく、これを読んだ人に作用させる「リアル」の方に興味があるようだ。

 そう、ドノソは現実に背を向ける。物語の中にちょくちょく登場しては、「これはフィクションだ」と宣言する。読み手と小説の間に距離感を保ち、これが作り話に過ぎないことを念押しする。フィクションを現実らしく装わせるための仕掛けは偽善であり、唾棄すべきとまで言い切る。この「本当らしくなさ」は物語の隅々にまで行き渡っている。批評家によると、本作は1973年チリのクーデターの暗喩らしい。あくまで嘘だとしらを切る態度は、本作に滲み出る政治性を物語化しているように見える。

 その結果、登場人物の振る舞いが、どんどん神話的になってくる。息子を生贄にする件なんて聖書からキャラクターをフィルタリングして、物語性だけを忠実にコピーしたように見える。ポリフォーニックな書きっぷりなのに、「(物語に)言わされている」ように思えてくる。個人よりも、物語が生き生きと脈打ち始める。

この物語を読む際に起こる融合───私が言いたいのは、読者の想像力と作者の想像力を一つにする瞬間のことだ───は、本物の、現実を装うところからではなく、現実の「装い」が常に「装いとして」受け入れられるところから生じるはずである
 現実の装いとしてのフィクション受け入れると、虚構との距離感が分からなくなる。今まで小説のリアリティは、「小説世界がどれだけ現実らしいか」こそがスケーラーだった。しかし、小説が現実らしさをかなぐり捨て、「フィクションを読む現実」を突付けてくることで、今度は物語が現実を侵食しはじめる。

 これは、『ドン・キホーテ』と一緒。セルバンテスは、憂い顔の騎士の偽者を登場させ、『ドン・キホーテ』の海賊版を作中作として出現させることで、メタ化した物語が物語を喰いはじめるよう仕向ける。小説は小説として受け止められるけれど、「私が読んでいるのは現実なのだろうか?」という自問がついてまわる。もちろん私が読んでいるのはフィクションの一つなのだが、そういう意味ではなく、フィクションを読んでるという現実味が揺らぐのだ。吐き気が、船酔いのような「ドノソ酔い」を堪能する。

 現実の劣化コピーとしての騙りではなく、小説を読む現実のリアリティが騙られる、不気味で不条理なグロテスク・リアリズム。アップデートされる悪夢をご堪能あれ。

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コメント

初めてお邪魔します。偶然このサイトに出会えてよかったです。本に対する造詣の深さ、素晴らしい読み応えに心がワクワクしました。オススメされている本を、すべからく読みたくなりました〜!大人向けのサイトの方もイイ!!
また遊びに来ます。応援してます!

投稿: うさビジ | 2014.10.10 18:50

>>うさビジさん

ありがとうございます。「これを評価するなら、コイツなんてどう?」てな感覚で、うさビジさんのお薦めがいただけると嬉しいです。

投稿: Dain | 2014.10.10 23:05

(どうやら絶版になっているようで悔しいですが、期待をこめて・・)ジョン・ファウルズの「魔術師」はよかったですよ!
お好みに合えば幸いです!

投稿: うさビジ | 2014.10.12 01:02

>>うさビジさん

お薦めありがとうございます、『魔術師』いいですね!何度も騙されているうちに、自身の現実が歪んでくる感覚は、大好物です。レビューはここ↓です。

呪われる傑作『魔術師』
http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2014/05/post-62db.html

投稿: Dain | 2014.10.12 14:59

ごめんなさい!浅はかでした!「よく調べもせず申し訳ない」と思いながらも「やった!!dainさんの魔術師レビューあるんだ!」と思ってしまって二回申し訳ありません。(光の速さで読みました)
読まれてないことを願いますが、ヴィクトル・ペレービンの「恐怖の兜」はどうでしょうか。「わけわからん系」として一定数のファンがいるようです。もしよければぜひ!

投稿: うさビジ | 2014.10.13 07:38

>>うさビジさん

お薦めありがとうございます。『恐怖の兜』は、読み始めるとすぐさま頭の中で警報が鳴り響くような「とんでもなさ」に引っ張り込まれて読みました。レビューは↓です。

『恐怖の兜』
http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2007/03/post_bcaa.html

お薦めの傾向からすると、うさビジさんは、こんなのが良いかもしれません(既読かもしれませんが……)。


現実をスウィングしろ「宇宙飛行士 オモン・ラー」
http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2011/02/post-ecd8.html

iPadは「砂の本」である
http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2010/06/ipad-eec6.html

完璧な小説「モレルの発明」
http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2011/11/post-a2f8.html

投稿: Dain | 2014.10.13 10:28

まさかの2度目に自分でもどんびきです。検索下手だとか、事前情報収集不足だとか、いろいろ言い訳せずに申し訳ないです。
しかも、おすすめの本まで教えてくださって、!す、すいません><「オモン・ラー」におお!と舌を巻き、その眼力の深さに驚嘆です。
迷いなく早速「砂の本」「モレルの発明」を読んでみたいと思います!
おそらくdainさんは、ほとんど読んでらっしゃると思うので、おすすめはあえて「ペレービン」シリーズとさせていただき、お役たてず申し訳ありませんことを今一度申し上げます。。
一読者としてしょっちゅうやって参ります。これからも応援させてください!

投稿: うさビジ | 2014.10.14 21:40

>>うさビジさん

ありがとうございます、未読かどうか気になさらず
「これ面白いよ」のノリでお薦めいただければ、うれしいです。

投稿: Dain | 2014.10.16 19:44

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