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『レトリックと人生』はスゴ本

レトリックと人生 今年一番どころか、人生ベスト10に入る一冊。

 「人は、どのように世界を理解しているのか」について、納得のゆく結論が得られる。"理解"を理解することができ、メタ的な知見が手に入る。知覚とは、経験のフィードバックループで構築されたパターンを通じて世界を追認識する行為だと考えていた。だが、まさか"理解"そのものも同じ仕様であるとは思わなかった。ヴィトゲンシュタインからピンカーまで、これまで読んできた名著のみならず、わたし自身の体験と照応し、腑に落ちる。本書を読むことそのものが、驚きと興奮に満ちた知的冒険となった。

 その仕様こそが、レトリック(原題ではメタファー/隠喩)だ。人は、メタファーを通じて世界を理解している、というのが本書の主旨になる。メタファーは、単なる言葉の綾ではなく、認知や思考が基づいている概念体系の本質を成している、"理解"の器官なのだ。

 たとえば、「時間」という概念。24時間とか一世紀といった目盛りはあるものの、便宜上つけたものにすぎない。変化を認識するための基礎的な概念にもかかわらず、哲学や自然科学、文化や時代によって定義が異なっている。時間そのものを明確にできないが、時間が「どのようなもの」かは共有できている。それは「Time Is Money(時は金なり)」のメタファーで理解しているから。


  • You're wasting my time. 君はぼくの時間を浪費している
  • This gadget will save your hours. この機械で何時間も節約できる
  • How do you spend your time these days? 最近何に時間を使っている?
  • You're running out of time. 時間がなくなってきたよ

 時間とは、金のように「価値がある」もので、何らかの活動に割り当てて「使う」ものでもある。大切なものをムダに「浪費する」こともできる一方で、工夫により「節約」したりもできる。時間にまつわる様々な述語を見ていくことで、「どのようなもの」かが浮かび上がってくる。人は、時間をいうものを、他の事柄(=メタファー)を通じて理解しているというのだ。

 あるいは、「気分」という概念につけられる方向性。漠然とした心身の状態を、「気分上々」とか「気分が落ち込む」と表現する。「Happy Is Up; Sad Is Down(楽しいは上、悲しいは下)」の事例を見ていると、「上」と「下」に感情が付けられていることが分かる。健やかに成長することは、地上から上の方向に向かって伸びることであり、老いや病いに侵され、死に向かうことは地面(地下)に向かってうなだれ倒れることである。


  • Get Up Hurry! (早く起きろ)
  • He Fell Asleep. (彼は眠りに落ちた)

 他にも、内外(in/out)、前後(front/back)や着離(on/off)といった空間の方向性の関係が解説される。これは、人の肉体そのものが方向性を持ち、物理的環境の中で機能しているという事実から生じているという。人は地面に足をつけて「立ち」、前と後ろといった「向き」があり、前に向かって「進む」。世界の"理解"の仕方が、物理的な空間体験との相互作用から生じているというのだ。

 面白い思考実験がある。「Up」という概念を単独で理解しようとしてもできない例として、球形の地球外生物を持ち出してくる。重力場の外にいる球形の生物がいるとしよう。この生物は、自分たちの経験に基づく知識しか持たない。そうした生物にとって、「Up」は何を意味するだろうか。その答えは、球形生物が行う生理的活動や文化によって決まっていく。メタファーから成る概念は、現実に構造を与えているというのだ。これはフレーム問題を解く鍵となる。コンピュータが肉体(=知覚と経験のフィードバックループ)を持たない限り、AIは人のような理解に到達することはない。どんなに脳科学が進んだとしても、せいぜい「脳がどのように活動しているか」が分かるだけだろう。

 このアイディアを進め、メタファーが現実に構造を与えているだけでなく、新しい現実を創出するという。つまり、(その文化にとっての)新しいメタファーが概念体系に入り込み、知覚様式や行動基盤を変化させる。良い悪いは別として、「あたりまえ」がアップデートされるのだ。たとえば、世界が西欧化したのは、「時は金なり」というメタファーを自国の文化に取り入れたことによって生じたという。既にこのメタファーの中にいるわたしが、その外側に立つことは極めて難しいが、あえて歴史を振り返るなら、時ではなく「機(=時機、タイミング)」を見ることに価値がある時代があったと考える。

 さらに、文化や時代のみならず、メタファーは概念そのものを書き換える。時間を意義あるものとしてとらえ、時間に基づいて労働を数量化するところから、「労働時間」(Labor Time)に対照となる「余暇時間」(Leisure Time)という概念が出てくる。「なにも活動しない=無意義」とする社会では、余暇活動も生産的に計画的に使われるようになる。労働と時間を「資源」とするメタファーが、労働時間外=余暇の概念を上書きする。余暇は"vacation"の空っぽの時間を効率よく使う活動になってしまったのだ。語源と使われ方に着目すると、メタファーの影響力が透ける。かつて「学校/school」は「スコレー/閑暇」だったが、学校での活動は暇つぶしではない。「教育の効率化」が普通になったいま、次は「子育ての効率化」があたりまえになるのだろうか。

 知覚と経験のフィードバックで構成される全体像を、本書では「経験のゲシュタルト」(expriental gestalt)と呼ぶ。これは、肉体や知覚、感情、物理的環境や相互作用を通じて、「世界とはこういうもの」を常に更新してゆく。世界とは様々な相があり、部分で構成され、段階を持ち、因果関係により説明される。押せば動くし、食べれば無くなる。特定の文化や言語圏における一貫した経験は、そのまま世界を理解する仕様となる。これがメタファーだ。原題は、"Metaphors We Live By"(メタファーによって、生きている)というのは、メタファーが無い、ナマの、物自体の世界は、理解することも生きることも適わない。

 これまで、「人は、どのように世界を理解しているのか」について、シントピカル読書を続けてきた。哲学(ヴィトゲンシュタイン『論理哲学論考』)、認知科学(ピンカー『心の仕組み』)、経済学(カーネマン『ファスト&スロー』)、科学哲学(チャルマーズ『科学論の展開』)などから攻めてきた。これに、積読山のチョムスキー『統辞構造論』、レイコフ『数学の認知科学』)を追加する予定だ。

 そこから得られたアイディアを加速し、補強し、知的興奮を沸き立たせてくれるのが、レイコフ&ジョンソン『レトリックと人生』。チョムスキーとの相性は悪いが、どんな反応・融合をするかは楽しみだ。

 "理解の仕様"について、理解を可能にする一冊。

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