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苦しまないためのソンタグ『隠喩としての病い』

 予習として読む、苦しまないためのスーザン・ソンタグ。

 試験や結婚、性交や子育て、人生は初めてに満ちている。事故や事件に巻き込まれなかったら、おそらく「初がん」するだろう。いきなり初体験はキツいもの、だから「がん」を予習する。

がんの練習帳 自信がついたのは、『がんの練習帳』。患者と家族から見たケーススタディ集だ。人生のさまざまなステージで「がん」と出会い、どうやって乗り越え/付き合い/闘ってきたかの予習になる。告知されたときの心構え、検診や療法選択のコツ、費用から最期の迎え方まで、すべて練習できる。もちろん具体的な療法や症状は人によるが、どうやって「がんとつきあっていく」かを考える羅針盤になった。不安や恐怖のあまり、ネットの寓話に振り回されたり、病ではなく医者と闘った人の話を聞くたびに、「この本を読んでいたら……」と激しく感じる。

 ソンタグは、そうした不安や恐怖を取り除く「道具」を示してくれる。なぜ自分なのか?どうしてこうなったのか?遺伝や不摂生なのか?病の理由を己に向けてしまい、ただでさえ弱っているにもかかわらず、自分で自分を責め立ててしまうことになる。それは巧妙に仕組まれた隠喩の罠に陥ってしまっていのだと告発したのが、本書だ。

隠喩としての病い がん、結核、らい病、チフス……病をとりまくテクストを読み解きながら、そこにひそむ権力とイデオロギーの装置を解体する。病気は悪行への罰なりという先入観や、内的なものを劇化するための自己表現としての「病」を、ソンタグは次々と暴いてゆく。そこには実際の病ではなく、語り手から意味を付与され、喧伝されるための「隠喩としての病い」が白日の下にさらされる。ソンタグ自身のがん経験から、ときに激しく、ときに鋭く穿つような射撃が、くりかえし行われる。

 そして、人体におきる「出来事としての病い」は、ひとまず医学にまかせるとして、それと重なり合って苦しめる病の隠喩、すなわち言葉の暴力から解放してくれる。がんは、ひとつの病気だ―――とても重大な病気ではあるにしても、ひとつの病気にすぎないのだ―――呪いでも罰でもない、そこに「意味」などないのだというメッセージが、くりかえし伝わってくる。わたしが「初がん」したら直面するであろう苦しみのうち、せずにすむ部分を取り除いてくれる。

 心の保険として、手元におきたい一冊。

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