« 2013年2月10日 - 2013年2月16日 | トップページ | 2013年2月24日 - 2013年3月2日 »

人生を台なしにされる『毒になる親』

毒になる親 親とは呪いだ。

 遺伝情報のみならず、思考や習慣、振る舞いや癖といった名前の「わたし」を渡しているから。プラスもあるが、ネガティブな奴もある。「わが子の不幸を望む親はいない」はキレイゴト。自覚の有無にかかわらず、歪んだ自分をダイレクトにうつされる。この場合、「伝染(うつ)される」が正しい。本書は、この負の連鎖に苦しむ人と、それを断ち切る処方が書いてある。正直、読むのが苦しかった(子どもである過去の自分と、親である今の自分を試されるようで)。

 自分に価値を見出すことができない人がいる。どんなに努力しても不十分であるという切迫感、罪悪感、フラストレーション、自己破壊的な衝動、そして日常的な怒りに駆られる人がいる。自分の人生ではなく、誰か他人の、親の望んだ「わたし」を強いられた結果だという。

 ところが、自分の身に起きている問題や悩みと「親」との因果関係に気づいている人はほとんどいないらしい。著者はこれを「心理的な盲点」と呼び、自分の人生を左右している問題の最も大きな要因が親であると考えることに抵抗を感じるという。「自分の問題は自分の責任だ」と抱え込んでしまうのだ。そうして心を病み、相談を求めるようになる(著者は精神科医)。

 著者は断言する。

「自分の問題を他人のせいにしてはならない」という主張はもちろん正しい。だが、それをそのまま幼い子どもに当てはめることはできない。自分を守るすべを知らない子どもだった時に大人からされたことに対して、あなたに責任はないのである。

 幼い子に対して親がしたことに関する限り、すべての責任は親が負わなければならない。社会のせいにしたり、子どもの友人関係に押しつけたりすることは可能だし、そういう親は沢山いる。だが、わたしがそうなりうるかを考えると、違うと言える(言いたい)。「子どもがおかしい」と言われるが、本来タブラ・ラサの存在がおかしくなるのは、成長の過程にある。そこに最も大きく、いちばん強く関わっているのは家であり、親である。

 本書では、かなり厳しい「親の呪い」が紹介されている。虐待やネグレクト、言葉の暴力など、ネガティブな行動を執拗に継続し、子どもの人生を支配する親がいる(例外は性的虐待で、一回でも最悪のダメージを及ぼす)。そんな、子どもにとって害をなす親を、著者は「毒になる親(Toxic Parents)」と定義している。

 子どもを「しつけ」るために、暴力を正当化する親。支配欲を満足させるために、わが子で性欲を満足させる親。「お母さんが病気で死んだのはお前のせいだ」と追いつめる親。「可哀想な親」を(無自覚に)演じることで、子どもに罪悪感を植え付け、コントロールする親。共通文句は「あなたのためだから」。

 もちろん、親も人だ。だから完全な親なんて存在しない。誰でも欠点はあるし、アルコールや借金などの問題で頭を抱えていることもあるだろう。親の親が鞭を惜しまなかった例もある。

 しかし、だからといって子どもをスケープゴートにしていい理由にはならぬ。「お前の気持ちなんか重要ではないんだ、私は自分のことで頭がいっぱいなんだから」という強いメッセージを発し続け、子どもが「透明人間」になったように感じていいわけがない。「まともな一家」の仮面を守るために、性的虐待から目をそらし、はかり知れない苦しみとともに生きることを強いていいわけがない。

 著者は、そうした「毒になる親」との対決を迫る。親に植え付けられた罪悪感を捨てよ、と促す。自分の中でことあるごとに出てくるネガティブな思考は、本当に自分の考えなのか、あるいは親に刷り込まれた呪縛なのか、振り返れという。そして、怒りとともに吐き出す方法が紹介されている。手紙や直接会って、あるいは墓前にて、親のデトックスをするのだ。

 親の応酬もイメージトレーニングできる。事実の否定、問題のなすりつけ/すりかえ/ごまかし、妨害行動、(配偶者などとの)三角関係が紹介されている。対決により、親子関係が“変わってしまう”だろう。共依存に陥っている人は恐れるかもしれない。だが、それこそ望むもので、「親の感情から自由になる」ことが本書の目的なのだ。

 最もガツンと来るのが九章、「毒になる親」を許す必要はないという件だ。ひどい思いをさせられた人は「怒り」という感情を外に出す必要がある。子どものときに望んでいた愛情を親から与えられなかった人は「深い悲しみ」という感情をはき出す必要がある。自分にされたことを矮小化しないで、と釘を刺す。「許して忘れなさい」と言う人がいるが、それは「そんなことは何も起きなかったというフリをし続けなさい」と言っているのと同じ。

 怒りや悲しみは、「許す」ではなく「赦す」。自分の感情を殺して罪を許しても、事実を否定しているだけ(むしろ、そんな親こそ躍起になって事実を否定するだろう)。その怒りや悲しみを抱えていると、自分が滅ぼされてしまう。だから、その感情を「手放す」のだ。著者は「吐き出す」「爆発させる」ことを勧めるが、洗い流す、漱ぐという意味で「赦す」ことになるだろう。

 今の(親としての)自分が、どこまでできている/できていないかを問われているようで、厳しい読書だった。その一方で、昔の(子どもとしての)自分が、どこまで影響を引きずっているか問われているようで、悩ましい読書だった。さらに、そういうわたし自身の「毒」も感じながら、身のすくむような読書だった。

 誰にでもオススメできる本ではないが、どうしようもない問題や感情を抱えて苦しんでいる人には、大きなヒントとなる。

| | コメント (12) | トラックバック (0)

« 2013年2月10日 - 2013年2月16日 | トップページ | 2013年2月24日 - 2013年3月2日 »