« 2013年12月1日 - 2013年12月7日 | トップページ | 2013年12月15日 - 2013年12月21日 »

結論 : 酒は飲んでも呑まれるな『酒が語る日本史』

酒が語る日本史 歴史の裏に酒あり。神代から近代まで、「酒」で斬った日本史。つくづく結論は変わっていない。

 有名無名に限らず、昔の呑ん兵衛を探し出し、飲みっぷりをダシにして、各時代の様相、歴史像を描く。酒豪と思っていたら、敵を欺くための演技だったとか、逆に意外な飲み助が見つかって面白い。酒席の振る舞いから見える時代の気質の移り変わりが面白い。

 たとえば、万葉集の「酒を讃むる歌」で有名な大伴旅人。酒は心の憂さのはらしどころ。これは酒を讃える素直な歌に読めるのだが、本書の解説を読むと、彼のニヒリスティックな視線に気づく。

   験なき 物を思わずば 一杯の
   濁れる酒を 飲むべくあるらし

 あれこれ悩んでも、たいした結果にならない。それよりいっそ、濁り酒でも飲んでいたほうがよい。なぜそんな心境になったのか?旅人の半生を振り返ると、ままならない歯痒い立場だったらしい。酔い泣きに徹底したほうがむしろ結構だ、という吐露に共感する。

 下戸の光秀が信長の盃を辞退したエピソードが凄まじい。激怒した信長は脇差を突きつけ、「この刃を呑むか、酒を飲むか、どちらかにしろ」と迫り、むりやり飲ませたという。こうした遺恨が本能寺につながったかどうかというと、そこは歴史学者、光秀の叛逆の必然性をおもしろく語ろうとしてつくった話だと評する。酒にまつわるエピソードは、史実か否かというより、「酒に性格が出る」格言を用いた、一種のプロパガンダなのかもしれぬ。

 そう、「呑むと人が変わる」というのは嘘で、酒とは自制心を取り除いて、その人が本当にしたいことを拡大してくれるものなのだ。泣き上戸は本当は泣きたいのであり、大虎は暴れたい衝動をガマンしている(酒が入るまで)。「酒が人を駄目にするのではない、元々駄目なことを気づかせるだけ」とはよく言ったもので、この真実は日本史にも数多く見つけることができる。

 相手を酔わせて魂胆を聞き出し、後に有利な言質をとろうとする「ずるい」酒が頼朝。「百薬の長とはいへど、万の病は酒よりこそ起これ」と罪科を並べる一方、注しつ注されつも良いものよと、どっちつかずの兼好。「酔ってるときに頼みごとをしてはいけない」と戒めた結城氏新法度は、よっぽど痛い目にあったのだろうとニヤリとする。

 神前での儀式ばった酒席から、奢侈・豪傑を標榜するツールとしての酒肴。愚痴を言い合い、謀反の企ての場となったり、政治社交の具材になったり。

 そして、酒から出た過ちや成功が、どの時代も似通っているのが面白い。酒席で出た一言で、文字通り首を切られた人や、能力的にはアレだけれど、酒の場のとりもちで出世した人、泥酔して大事な用をすっぽかした人、ぜんぜん変わっていない。呑まぬ人には、あきれるしかないだろうが、日本人は一生、酒から卒業できないのかも。酒を通して日本史を見ると、ありきたりな結論が歴史の分だけ重くなる。酒は飲んでも、呑まれるな。

 寒い夜、熱燗を片手に読みたい。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

地震の人類史『図説・地震と人間の歴史』

地震と人間の歴史 地震が文明にどのような影響を与えてきたかを考察した一冊。

 西欧人の立場から、人類が地震現象をどのように受け入れ、科学としての地震学がどのように誕生し、発展していったかを解説する。地震の測定方法の変遷、プレートテクトニクス理論の浸透、予知の可能性、文化や精神面への影響など、図解を多用しながら多角的に説明する。

 大いに興味をそそられたのは、地震が人類に与えたインパクトを大きめに見積もっているところ。1755年のリスボン大地震や1923年の関東大震災を引きながら、人やインフラへの被害のみならず、国家経済そのものへもたらした影響を強調する。ポルトガルを衰退期に追いやり、昭和金融恐慌を引き起こし、急速な軍事化をもたらしたのは、それぞれの首都を直撃した大地震だというのだ。

 歴史学者は、社会が変容する原因を「人」の営為に求めようとするあまり、地震など自然災害による変化を最小限に見積もろうとする傾向があるという。ヒロシマやアウシュビッツは20世紀における大惨事として記憶される一方、地震による大破壊があったサン・フランシスコと東京への反響がそれほど強くないのは、そのせいだというのだ。震災と人災を一緒くたにする発想は、新しいというより珍しい。

 地震予知と社会との葛藤も描かれている。ヴェスヴィオ火山がまもなく噴火するという予兆や警告を無視した結果、被害が拡大し、ポンペイの災害は記憶に留まったという主張には納得。今村明恒なる地震学者が1905年に関東大震災を予測したが、当時の主流派に否定されていたエピソードや、2009年にイタリア政府の科学者が否定したラクイラ大地震が、1週間後に現実になったという話が紹介されている。数知れない外れた予言は葬られ、本当に災厄がやってきたときにだけ、狼少年の名は刻まれるのかもしれぬ

 自然現象ではなく、「人が引き起こした地震」という着眼点もある。ダムの地下にある断層に水が浸透して地震が起きる「ダム誘発説」のことだ。2008年、四川省で起きたM7.9の地震により、7万人近くが死亡し、市街は壊滅した。この震央が紫坪補ダムに非常に近かったことが、研究者の注目を集めたという。このダムが3億tの水を貯水し終わったのが2006年のことだった。後戻りはできないだろうから、因果関係が解明されることはないだろう。

 ちと恐ろしいのは、同国にある「三峡ダム」。この世界最大のダムは、生態系を変え、群発地震や異状気象を誘発しているという「噂話」をネットで聞く。Wikipedia[三峡ダム]によると、その有効貯水量は、220億tになるという。本書には無いが、美国のシェールガス革命も「人が誘発させた地震」になるのではと懸念している。

 時にシニカル、時にジャーナリスティックに描いているが、地震が日常である日本に住む立場からすると、切迫感が薄いような。あちらからすると、警戒しつつ付き合う、という感覚が異様なのかもしれない。地震から見た文明史を振り返ると、世界一の地震国の強さ・しなやかさを教えられる一冊。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2013年12月1日 - 2013年12月7日 | トップページ | 2013年12月15日 - 2013年12月21日 »