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『立花隆の書棚』 vs 『松岡正剛の書棚』

 最初に結論、セイゴオ師の勝ち。

 物量は立花隆が圧倒的だが、質量は松岡正剛に軍配が上がる。書棚の写真を並べると、本に対する扱いが如実に現れており、とても興味深い。

立花隆の書棚 『立花隆の書棚』にある本は、「資料」だ。ビルを丸ごと書庫にした通称ネコビルは有名だが、百聞一見、噂に聞くのと写真を見るのとまるで違う。地下二階から地上三階までビッシリと占める本棚の光景は圧巻なり。さらに、屋上、階段、床上、三丁目書庫、立教大学研究室までを入れると、20万冊になるという。

 だが、それぞれの棚に詰め込まれた書物は、雑然としている。ストーリーも驚きもないし、整理すらされていない。その分野に絡む本は、ミソもクソも選り好みせずガツンと大人買いしてきましたといった感じ。これらは本ではなく、資料なのだ。

 「書棚は、持ち主の知的歴史の断片なのだ」と言い切る力強さは頼もしいが、同じ口から、「書棚は常にめちゃくちゃになる、そうならざるをえない」が飛び出してくる。この断定の不安定さがイイ。そう、一人の人間が扱うには“めちゃくちゃ”といってもいい物量がある。

 とはいえ、あたりまえやね。知識を仕込み、取材の下準備をするための、資材置き場をみせてもらったようなもの。あれだけの書物を生産するのに、これだけの莫大なインプットを要するのかと思うとクラクラしてくる。これらは、あの著作群の燃料なんやね。本というより薪に見えてくる。魔窟に迷い込んだ気分で、こわごわザッピングするのがちょうどいい。

松岡正剛の書棚 『松岡正剛の書棚』は、今は亡き松丸本舗に並ぶ五万冊の本の記録だ。濃くて深い書評千夜千冊に出てきた作品をキーブックとして、そこから派生する本を両隣や脇、上下に展開する。クロスオーバーな書棚は、その並べ方そのものが「作品」といえる。既読の一冊を手がかりに、まるで知らない(でも濃密に関連した)二冊に出会える仕掛けとなっている。見せるというより、魅せる本棚であり、想起や惹起を促すための記憶装置なのだ。

 もし、セイゴオ氏と話す機会があったら、試みに自分にとって大切な本をいくつか挙げてみるといい。瞬く間に「それならコレは読みましたか?」と思いがけない本を返してくる。あれだけの知の宇宙がごっそり頭に入っているだけでなく、かつ分野外のルートで意外な本がつながっていることに気付かせてくれる。読んだ本が血となり腸となり筋肉となっていることがよく分かる。小説を一頁ずつ(文字通り)食べるお下げの妖怪がいるが、あれと一緒。セイゴオ氏にとっての本は、(文字通り)食料なんやね。桃源郷に迷い込んだ気分で、うきうき桃狩りをするといい。

 松丸本舗で撮った、究極の書棚の極々一部は、下記の通り。セイゴオ氏と松丸スタッフの心気がにじみ出ている。『立花隆の本棚』をお持ちの方は、是非、比べてみて欲しい。

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 松丸本舗はCDショップになってしまったが、セイゴオ師の書棚は豪徳寺にある。次の7枚は、編集工学研究所で撮影したもの。まさに時を失う知の伽藍、ここにお布団敷いてひねもす読書と対話だけの暮らしをしたい。

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 松岡正剛氏の編集工学研究所は豪徳寺にある。ネコビルは一般公開されてないみたいだが、編集工学研究所は公開されている(事務所でもあるので、事前に確認してね)。百聞一見、ぜひ訪れて「ここにお布団敷いて暮らしたい」気分になって欲しい。

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巨匠ボルヘスが選んだ文学全集『バベルの図書館4 フランス編』

バベルの図書館4 ボルヘスが編んだ傑作短篇集に、どっぷり漬かる。

 アメリカ編イギリス編ときて、今回はフランス編なのだが、ボルヘスが狙ってヤったのかどうかは別として、お国柄というか、対照的というか、臭うくらい性質が際立っている。

 ポーやメルヴィルの狂気と揶揄を堪能するのがアメリカ編なら、ウェルズやサキの残酷な寓意に震えるのがイギリス編になる。特に、トリックや意外なオチの宝庫はイギリス編で、後世のミステリ、幻想譚のネタバレ集になっている。初読なのに懐かしさがこみ上げる。

 フランス編で目を惹くのが、悪意。人のもつ純然たる悪意が、あからさまに描かれる。厭らしいことに、憎しみや妬ましさといった“不純物”が入っていないのだ。まじりっけなし、真っ直ぐな邪悪に触れてしまえる。ブラックユーモアといえばサキ(イギリス編)が有名だが、ブロワの場合、登場人物に敵意を抱いているとしか思えない。無邪気ともいえる書き口で、無慈悲な運命を抉ってみせる。そして、そのやり口も初読なのに懐かしいのだ。

 たとえば、ボルヘス曰く、『ロンジュモーの囚人たち』はカフカを予兆しており、そのプロットは究極のプロットと言っても良いとまで持ち上げる。だが、わたしにはカフカの短篇よりも、若かりし頃のS.キング(でなきゃ、リチャード・バックマン)がいかにも書きそうな不条理に見える。『ある歯科医へのおそろしい罰』は、ホラー短編マンガにありそうな話だし、さもなくば新聞社会面にひっそりと載っていてもおかしくない。

 あるいは、パンを便所に投げ込んでまわる人の話が、たまらなく嫌な気分にさせられる。そいつは、このことに憑かれて、パン屋に全財産を注ぎ込んだという。そいつは、いつなんどきも、大きなパンを小脇に抱えて歩いていた。いかにも楽しそうに、ぴょんぴょん跳ねながら、貧乏人の住む界隈の公衆便所に、いそいそ出かけて行くんだと。そしてたまたま、腹ぺこで死にそうな貧乏人の目の前で、これ見よがしにパンを投げ込むことができたりすれば、うれしさの余り天にも昇る心地になったという。

 貧乏人の目の前で、パンを便所に投げ込むこと、そいつの生き甲斐は、この意地悪(もはや“邪悪意”といっていい)を果たすこと───これに一種の残虐さを見いだす。人の心に残虐なのだ。

 人の悪意を見せ付けるために作り出された物語や、絶対的強者の残酷さをテーマとする寓話、正義と愚行が逆転してしまう奇譚などが、次々と広がっている。ボルヘスの紹介と相まって、半中毒状態に陥る。

ヴォルテール
 メムノン
 慰められた二人
 スカルマンタドの旅行譚
 ミクロメガス
 白と黒
 バビロンの王女

リラダン
 希望
 ツェ・イ・ラの冒険
 賭金
 王妃イザボー
 最後の宴の客
 暗い話、語り手はなおも暗くて
 ヴェラ

ブロワ
 煎じ薬
 うちの年寄り
 プルール氏の信仰
 ロンジュモーの囚人たち
 陳腐な思いつき
 ある歯医者へのおそろしい罰
 あんたの欲しいことはなんでも
 最後に焼くもの
 殉教者の女
 白目になって
 だれも完全ではない
 カインのもっともすばらしい見つけもの

カゾット
 悪魔の恋

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