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スゴ本オフ「結婚」「学校」のご案内

好きな本を持ち寄って、まったりアツく語り合うスゴ本オフのご案内。片方だけでも、両方参加もよし、あなたのオススメを力説するのも、放流本をハンティングに来るのもよし。

テーマ 「結婚」
 日時 5/25(土) 11:00〜18:00
 場所 シーサー株式会社
 申込 スゴ本オフ「結婚」(ただいま招待制)
 あなたのオススメ結婚本を教えてくださいませ→[募集中]

テーマ 「学校」
 日時 6/1 (土) 11:00〜17:00
 場所 東洋大学(白山キャンパス)
 申込 スゴ本オフ「学校」(残席6名)
 あなたのオススメ学校本を教えてくださいませ→[募集中]

スゴ本オフとは?

  • テーマに沿ったオススメを、まったり熱く(暑く?)語り合うオフ会です
  • 一人5分の持ち時間で、お勧め本をプレゼンします
  • 本に限らず、映画、コミック、音楽もありです(電子書籍やゲームもありました)
  • 最後に持ち寄った本をシャッフルします
  • 放流できない本は紹介だけで持ち帰るのはOK
  • みなさん本好きなだけで、読書家でもなんでもないですぞ
  • 見学歓迎、ブックハンター大歓迎
  • 基本的に、参加費は2000円くらい(飲み物と軽食をご用意します)


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大事なのに、学校で教わらないこと『生きる技術』

生きる技術 『生きる技術』とは、社会で生き延びる技術であり、世を渡るコツである。

 くだらないところで、つまらない意地をはって、身をほろぼしてしまわないように、予め読んでおくといい。そういう意味で「タメになる」本だから、息子の朝読にオススメしよう。

 古今亭志ん生や司馬遷、マーク・トウェインからモンテーニュまで、「とっておき」の文章を集めたアンソロジーだが、一本筋が通っている。それは、どの人生にも効くところ。つまり、立場や年代に応じて、読み替えができるんだ。

 たとえば、斎藤隆介の「大寅道具ばなし」。大工に惚れ込んだ職人衆の聞き語りなのだが、この一文(一聞?)に惹かれる。「買えるから買おうじゃ駄目だ、買えなくても買っちまうんだ」と一念発起して、少ない稼ぎから捻出して、道具の良い奴良い奴を集めていくのだ。

 仕事の腕は道具で決まる。道具さえ良ければいい、というのではなく、出来の上限は道具が設けるというのが真意らしい。写真撮影を仕事にしている人から、同じ話を聞いたことがある。プロとは、あらゆる要望に応える写真を撮ることができる人であり、そのための機材をそろえるのが仕事なのだという。

 あるいは、萩原朔太郎の「僕の孤独癖について」なんて、中二病に良いクスリだ。ニヒリズムといえば聞こえはいいが、世を斜に眺める自己愛と区別がつかぬ。自らの孤独癖を慰めるためにショーペンハウエルを持ち出す。「天才とは、孤独であるように宿命づけられているのであって、かつそれ故にこそ、彼らが人間中での貴族であり、最高な種類に属する」。

 だが、孤独だからといって、天才である証拠にもならないし、ましてや他人より優れているつもりで孤高を気取るなら馬鹿者だろう。これは、若い頃のわたしにいってやりたい。自意識過剰のコンプレックスに気づくためには、その塊をつきつけてやればよい。これはその試金石になる。

 さらに、嬉しいことに、ショーペンハウエルの「みずから考えること」もある。ほらあれだ、「読書とは、自分の頭脳で考える代わりに、他人の頭脳で考えること」だから、本ばかり読んでいると、自分で考えられなくなるぞというやつ。これは読書の通過儀礼の一つだろう。わたしの場合は、「本ばかり読んでいるとバカになる」に書いた。

 これは、「学びて思わざれば、則ち罔し、 思いて学ばざれば、則ち殆し」を知っていれば、ショーペンハウエルが後段の独善に陥っているのが分かる。彼は巨人の肩に乗ったことがないか、乗る必要を感じたことがないに違いない。端的に言えば、彼は数学や物理学を学んだことがないのだろう。思想とは、人一生がひねり出せる本か脚注にすぎず、学問の蓄積は「歴史」として扱われる知だと仮定するならば、彼の主張は成り立つから。

 G.マルケス『百年の孤独』に出てくる、独力で二次方程式の解法を編み出した男のエピソードを思い出す。一切の学問を受けず、自分だけで、一生を費やし、二次方程式の解法をつくりあげたのだ。それはそれで凄いことだろうが、才能の無駄遣い甚だしい。どのくらい独善に陥っているかのバロメーターとしても、本書が使える。

 よく生きるとは、よく死ぬこと。バートランド・ラッセル「いかに老いるべきか」には、よく死ぬ方法が書いてある。死こそ普遍なのだから、あらゆる読者が対象になる。彼によれば、死の恐怖を征服するもっともよい方法は、自分の関心をだんだん広汎かつ非個人的にしていくのが肝心だという。自我の壁を少しずつ縮小し、自分の生命が次第に宇宙の生命に没入するようにすることを目指せという。

 「自分をなくすこと=死」として、その練習をせよという。これを河を下る喩えで述べる。最初は小さく、次第に激しく、だんだん大きく、最後に海へ没入して、苦痛も無く個人的存在を失う―――これが、死なんだそうな。病気や老衰で死に自覚的になったとき、あらためて思い出そう。

 ちくま「哲学の森」シリーズは、子どものためにと入手したが、子どもになんてもったいない。まずはわたしが全読しよう。

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結婚あるある『結婚のアマチュア』 同棲あるある『喰う寝るふたり 住むふたり』

結婚のアマチュア 最初に結論。何年やっても、誰とやっても、結婚のアマチュアのまま。

 充足することはなく、ただ慣れるだけでしかない。仮にプロフェッショナルがいるとするなれば、彼・彼女は結婚サギと呼ぶべき。結婚とはゴールであるという欺瞞は、実は真実かもしれないと信じさせてくれる意味において。

 これは、結婚生活のシミュレーション。「夫サイド」「妻サイド」の両面から見た結婚生活。どちらの言い分も、正しく、悩ましい。まるで自分を見ているようで、身に詰まされる。嫁姑の確執、浮気、子どもの教育、近所・近親づきあい。平凡な結婚に降りかかる平凡な問題は、息苦しく苛々してくる。時と場は違えども、本質は同じなのか。

 夫の視点がほろ苦い。エネルギッシュで奔放ところに惚れて結婚したのに、情緒不安定で疲れるばかりだと愚痴る。同じ性格の表と裏なのに。激しい喧嘩をする度に、「なぜ、あんな女を結婚相手に選んでしまったのだろう。なぜ、自分の手に負えないような女に目が向いてしまったのだろう」と苦悩する。

 妻の視点がほろ苦い。落ち着いたところが好ましいと思って結婚した夫は、怠惰で、引きこもりなだけ。「ちょっと喧嘩したのが何だっていうの?それは私たちの結婚生活が活気にあふれていたという証拠じゃない?」という主張は、彼女の本心だろう。喧嘩をしたって、謝れば仲直りできるのだから。

 どちらも(その立場において)正論で、愚かだ。夫は、自分の内省そのものが矛盾していることに気付いていない。「自分の手に負える女」なんて存在しないのに。妻は、謝っただけで仲直りできると思っている。「ごめん」と言えば終わったことにしている。相手がそれを受け入れてはじめて修復できるはずなのに。どちらもk、人間関係は、双方向であることを知らないのか、忘れてしまったのか。この辺はイジメと似ている。夫婦関係とは、イジメ関係なのだろうか。

喰う寝るふたり住むふたり 同じ結婚生活を、男女のそれぞれの面から見たのが『結婚のアマチュア』なら、同じ同棲生活を、男女のそれぞれの面から見たのが『喰う寝るふたり 住むふたり』になる。これは、交際10年、同棲8年目の、恋人以上、夫婦未満のアラサーカップルの話。

 そんな設定は多々あるが、『喰う寝る』がユニークなのは、同じイベント/インシデント/トラブルを、最初は彼氏目線、次は彼女目線で交互に描いているところ。「なぜ、そんな態度を取ったのか」とか、「そのセリフの裏側の意味は?」といった伏線が回収される仕掛けになっている。

 ひとうの言動に、彼・彼女で正反対に捉えてしまうおかしさと、誤解が引き起こす感情の“ゆれ”が、笑いと涙を誘う。芥川『藪の中』の、ほんわか版やね。自分がしゃべっていること、していることを、もう一つメタな視線で眺められるなら、しなくてもいい喧嘩や、怒らずに済んだことがあっただろう。相手を大事に想う気持ちがわき上がってくる、あたたかい一冊。

 スゴ本オフ「結婚」の予習として結婚本を探しているが、読めば学べる。踏まなくていい地雷、仕掛けなくていい夜襲、回避可能な決戦は、傷を負った後に分かるもの。実践の前にシミュレートしてほしい。

 スゴ本オフは、好きな本を持ち寄って、まったり熱く語り合うオフ会なり。次回は「結婚」がテーマ。現在、招待制になっているので、参加したい方は、facebook「スゴ本オフ」からどうぞ。

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