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行為の哲学『それは私がしたことなのか』

それは私がしたことなのか 安全運転していたのに、飛び出してきた子どもを轢いてしまったとしよう。

 自責の念に押しつぶされそうになりながら、「あのときもっと注意していれば」と後悔する。親しい友人が、「運が悪かったのだ、いつまでも悩んでもしょうがない」と慰める。このとき、「そうだね、ボクのせいじゃないよね」とケロリと気持ちを切り替えたなら、その友人は不審に思うだろう。

 なぜか?

 これを解き(説き)明かす行為論が熱い。ヴィトゲンシュタインから始まり、心脳問題を俎上に乗せ、認知科学に代表される精神を物質に還元しようとする考えに真っ向から反論する。後半は「過失という行為」を深堀りすることで、カントに代表される合理主義的哲学が覆い隠そうとしている、義務や責任と運との緊張関係を暴きだす。

 前半を「心の哲学」に割き、物心二元論を批判するライルの議論や行動主義、決定論、リベットの実験やミルグラム実験などを通じて、行為の哲学を手際よく紹介している。ただ、「心の働き」=「脳の働き」に反対するあまり、脳の活動の一つ一つに「意図」があると想定するなど、こじつけに近いような“反論”が展開されている(これはこれで、興味深い)。

 特に後半の行為論がめっぽう面白い。「そもそも行為とは何か」という命題を、哲学から探求し、「何かが(自然に)起こることと、人が(意図的に)行うことの違いは、一体どこにあるのか」を突き詰める。そして、その狭間に当事者ではコントロール不能だったもの、「運」の要素を見出す。そして、近代以降、義務を課し責任を追及する、道徳的・法的な視点から、「運」という要素が、いわば不純物として排除されている傾向があるという。

 これは、「過失」というキーワードをどのように扱っているかで明らかになる。ある過失に対し、「回避できた」を「回避する能力をもっていた」と同一視することによって、「過失を犯すかどうかは行為者の意のままになったことだ」と牽強付会したい思想が透け見える。だが、コントロール可能性という観点から道徳的・法的な義務ないし責任を根拠づける考え方は、我々の生きる現実の世界と齟齬をきたしているという。

 たとえ自分のコントロール能力を超え出ていたとしても、自分はその出来事に対して、他人とは置き換えのきかない位置―――いわば、その出来事に対して最も近い位置―――に立ちうる。そこで抱く後悔と申し訳なさは、単に「自分には落ち度はない、自分の過失ではない」と考えることによっては取り除くことのできない、割り切れない感情になる。

 この感情こそが、行為者として我々個人が経験するものは本質的に他人と置き換えがきかない証左になる。出来事と行為者と傍観者が等距離にある「均質な世界」ではなく、行為性と出来事の間に、運も含んだ濃淡があることが分かってくる。

 これまでは、客観的な責任や義務、社会全体の幸福の最大化を論じた、「偏りのない公平な倫理学」だったという。そして著者は、本書を通じ、新たな倫理学の方向性を提案する。そこでは、当事者たちの「傷」を受け止め、偏った視点と公平な視点を共に視野に入れながら、具体的な問題ごとに手探りの探求がなされるというのだ。

 均質な普遍性を是とする哲学(や科学)と、個別の問題を実地で考える倫理学(や文学)の、“もやっとした部分”を垣間見る。ブンケイリケイと分けて悦に入るより、こうしたぎりぎりのところまで考え抜き、グレーゾーンの舌触りを味わう。なかなか愉しい。

カーヴァーズ・ダズン ブンケイ観点なら、『レイモンド・カーヴァー傑作選』[レビュー]がすぐに浮かぶ。日常のちょっとした異物感や、突然訪れた悲劇を、削ぎ落とした過去完了のセンテンスで重ねるように描いている。行為の哲学に最も太く接続されるのは、『足もとに流れる深い川』や『ささやかだけれど、役に立つこと』だろう。まさに行為者の身の上に降りかかった出来事に対し、どのように振舞うか(振舞えるか)が、虐げられた心によりそう形で提示されている。

 リケイ観点なら、『心の仕組み』[レビュー]がそれにあたる。心とは、自然淘汰を経て設計されたニューラル・コンピューターであり、複数の演算器官からなる系であり、進化によって作り出されてきたというのだ。『それは私がしたことなのか』において、哲学の観点から反論されていた、「心の働き=脳の働き」については、暫定解答が思考実験の形で与えられている。

心の仕組み上心の仕組み下

 心脳問題に対する哲学からの視点で手にしたが、哲学と倫理の狭間にある行為論まで深堀りできる。行為の哲学入門と銘打っているが、門をくぐってかなり奥まで入り込んでいる。行為の哲学「それは私がしたことなのか」について、徹底的に考え抜きたい方に最適な一冊。

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