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『2666』はスゴ本

2666 すごい経験をした、「面白い」を突き抜けている。

 一番大切なものは、隠されている。それが何か、読めばわかるのだが、読み終わっても消えてくれない。「余韻が残る」といった可愛らしいものではなく、ずっと頭から離れないのだ、呪いのように。

 モチーフを描いて、背景ともに詳細を語る。その後、モチーフだけ消し去ってしまう。なくなった空間に、視線と伏線がなだれ込む。モチーフのあった場所は消失点となり、その周囲には注釈や言伝が散りばめられる。ボルヘスの『伝奇集』のイントロを思い出す。

長大な作品を物するのは、数分間で語り尽くせる着想を五百ページにわたって展開するのは、労のみ多くて功少ない狂気の沙汰である。よりましな方法は、それらの書物がすでに存在すると見せかけて、要約や注釈を差し出すことだ。
 ボルヘスは提案する、代わりに架空の書物への注釈を付けろと。だが、ロベルト・ボラーニョは、そうしない。八百ページ超、二段組の、ほとんど鈍器のような作品にするのだ。本来は以下の五冊になる作品群が、編者の意向により一つにまとめられている。ボラーニョの遺志とは異なるようだが、非常に助かった。

 1. 批評家たちの部
 2. アマルフィターノの部
 3. フェイトの部
 4. 犯罪の部
 5. アルチンボルディの部

 というのも、それぞれの「部」は、独立しているようでいて、互いに連環し、張り巡らされた伏線が循環しているから。進めるたびに幾度も振り返り、確かめ、かつて通ったところを驚愕しながら読み返し、既視感に苛まれながら再び消失点のピントを合わせる。あたかも巨大な広角レンズで撮ったかのように、被写界深度が奥まで行き届いている。

 いちばん大切なことは、いつまでも書かれないまま、どこまでも読み手を惹いてゆく。この物語を読み解くヒントは、ある画家のエピソードにある。才能により名声を得るが、最後の作品を描いた後、筆を持つほうの手を切り落として、作品の中心に貼り付ける。手を失ったことにより、もう描けないが、その手によって作品は完成するのだ。モチーフは消されたものの、不在そのものが主題なのかも。

 最初は不在の作家を追う話なのが、語り継がれるうちに、行方不明の女の話に、さらに常識はずれの猟奇殺人にまで至る。一見したところ、エピソードのつながりが低いのに、「書かれないこと」を囲むように配置されていることに気づいた瞬間、俄然存在感を帯びてくる。相互参照性が押し出される。ゆるい構成だと多寡みてたら、実は包囲されていた感覚が押し寄せてくる。

 読み手を導くテクニックがまたスゴい。ガルシア・マルケス十八番の、一炊の夢に一族の口伝を遡上させたり、ドストエフスキーそこのけのポリフォーニックな語りを重ねたり、ピンチョンを彷彿とさせるエピソードの入れ子構造を実現させたり、現代に至る小説の成果を存分に味わうことができる。大きな物語から小さなエピソードまで、思い出す作家は多々あれど、似ている作品はなに一つないまま、最後に驚くべき全体像が浮かび上がる。こんなこと、初めての体験だ。

 本から離れると、写真や絵画のように読めるが、本を開いて近づくほど映画的になる。複数のシークエンスをカットして並べた構成は、手練の技そのもの。本や手紙、メールの小道具と、それを読む人、さらにその発信者といった異なる被写体を、オーバーラップさせながらカットバックする進行は映画の技法だ。さらに、緊迫した事件を発生している速度と同じスピードで描写するシーンと、淡々としたインタビューの書き起こしと、簡素なレポートの並べ方が、いやらしいほど絶妙なり。

 なによりも、盛り上がりを盛り上げない態度が潔い。山場をセンセーショナルにしないし、描写密度を上げたりしない。コーヒーを淹れるシーンも、陵辱されて殺害された娘の遺体の描写も、(読み手はびっくり仰天する)謎の種明かしも、著者は同じ濃度で描く。異様で執拗な誘拐殺人(未解決)も、発作的な殺傷事件(すぐ解決)も、同じ質量で書く。モチーフの喪失に気づけば、そこへのアプローチそのものが盛り上がりになるんだといわんばかりだ。

 消失点の向こう側にあるものは、サンタテレサの誘拐殺人事件。ティーンから学生、人妻、売春婦といった若い女が行方不明となり、猟奇的に殺され、遺棄され、発見される様が淡々と、延々と羅列される。これは、シウダー・フアレスで実際に起きた(起きている?)事件を基にしている。小説も現実も、犯人と目される者は捕まり、刑務所へ送られる。

 だが問題はここから、その後も犠牲者は出続けるのだ。模倣犯説や撹乱説が取りざたされるが、殺され・棄てられる女性は増え続け、その数は200人とも300人とも言われている。小説では、怨恨や嫉妬による「ふつうの」殺人も混ざるように並べてあるため、読み手は、「ふつうの」殺人事件と、ソドムの犠牲者の区別がつかなる仕掛けになっている。

 ボラーニョは、この事件そのものを描こうとしたのではない。確かに、犯罪の外観や、肉薄する人や犠牲者の半生も書いたが、その中心――― whydoneit whodoneit ―――は、あなたの目で確かめてほしい。ほのめかしやミスリードにより、あなたはある予想を抱くだろう(おそらくそれは、わたしと同じだ)。だが、それを手繰っていった先は、消失点の向こう側に消えている。この事件を取り巻く人々の連環を書き重ねることで、巨大な喪失を、空白を示そうとしたのかもしれぬ。そこに何を見出すかは、もちろんわたしの勝手なのだが、読む度に変わっていそうで、面白い。外環が緻密で豊饒なほど、中心の真空が磁力を持つ。

 豊饒なる喪失を堪能すべし。

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コメント

『2666』は買ったまままだ読めていないんですが,『野生の探偵たち』もお薦めですよ。人によっては『2666』より上に押す方もいらっしゃるくらいです。

投稿: kogule | 2013.02.21 11:15

>>kogule さん

オススメありがとうございます。『野生』の噂はかねがね……でも実は『通話』で挫折しているんですよ……ひっかかれない読書だったので。『2666』が初ボラーニョだったりするのです。なので、『通話』再戦からボラーニョを辿ろうかと。

投稿: Dain | 2013.02.22 02:12

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