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『影武者徳川家康』はスゴ本

 二人の怪物に蕩かされる。モチーフである家康と、著者である隆慶一郎だ。

影武者徳川家康上影武者徳川家康中影武者徳川家康下

 痛勤ラッシュの現実逃避タイムが、これほど楽しみだったことはない。六百頁、全三巻とあるが、読み干すのがもったいなく、惜しむように(でもページを繰る手ももどかしく)どっぷり漬かる。沢山の方からの「読めゼッタイ」というプッシュは真実なり、感謝・感謝。

 映画やドラマで、よくあるでしょ?ラストのどんでん返し。最後の土壇場になって、そこに至るもろもろの謎を解き、伏線を回収し、かつ、世界を一変させてしまうやつ。善玉だと思ってたら実は張本人だったというファイナルストライク。隆慶一郎がすごいのは、これを一行目からやったこと。

 つまりこうだ。徳川家康がどんな人物で、何を成したかは、史実として「確定」している。これを、冒頭でひっくり返して、ひっくり返した「史観」でもって、もろもろの謎を解き、伏線を回収し、かつ世界を一変させてしまったから。

 答えはタイトルにある。家康は関ヶ原で殺され、残りの「家康」を影武者が成り代わる。

 ありえない。影武者が主の仕事ができるわけがない。だいたい姿は似ているかもしれないが、風貌は?記憶していることは?家族や家臣の目を誤魔化すことなんてできやしない。突拍子もないなーと進めるうちに……オイちょっと待て!えぇっ!うわっと叫ぶ読書になる。

 最初は替玉バレの脅威をかわしていくのをヒヤヒヤしながら見守って、次第に見えてくる影武者(二郎三郎という)の真の姿に戦慄し、怒涛のごとく襲い掛かる陰謀と暗躍の応酬に振り回される。

 問題は、それら一つ一つが、史実として裏打ちされていること。「家康は関ヶ原で死んだ」という爆弾を破裂させたあと、表では通史どおり。その一点を除けば、家康がどんな生涯を送ったか、どんな事件が起きたかは、知っての通りに進行する。

 だが、その裏で進行する心理戦と権謀術数は凄まじい。影武者を殺して征夷大将軍ならんとする秀忠の執念には、読んでるこっちが息苦しい。孤立無援から、仲間を集め、駆け引きを綱渡り、相手を出し抜く。そこにはしたたかで強靭で、かつ智略に富んだ、戦国生き残りの男がいる。この痛快さと逆転劇に魂を蕩かされる。

 荒唐無稽かというと、違う。著者によると、「徳川家康」という怪物の、最後で最大の変貌が、関ヶ原にある。わが子に対して冷淡だったのに、ある時期より以降、生まれた子どもを溺愛するようになる。これまで性技に熟した年増を好んでいたくせに、娘より若い女を好むようになる。齢をとると嗜好は変わるというが、極端すぎる。文字どおり、「人が変わってしまう」のだ。

 さらに、関ヶ原を境に、謎の部分が増えてくる。なぜ征夷大将軍に就任を三年も引き伸ばしたのか。その位を、たった二年で秀忠に譲っているのはなぜか。駿府を大改造し、西のみならず東に対しても難攻不落の地にしたのはなぜか。最大の謎は、最後の敵たる豊臣家と終始和解に努めたのは、なぜか―――著者はその解を、影武者家康の暗闘に求める。

 隆慶一郎は云う、「家康に惹かれるのは悪女に惚れるのに似ている」。人生の振幅があまりにも大きすぎる。善かと思えば悪であり、徹底した現実家かと思えば、途方もない夢を見る夢追人である。どの姿をとっても、妖しく、人の心をそそってやまない。どこに本物の姿があるのか、どれが本音なのか、掴みたくもなろうというものではないか、とも告白する。

 数百年経過してなお、未だに尻尾をつかませない怪物。著者は、膨大な資料を読み込み、この「史実」に徹底的に向かい合う。正史とさえれる徳川実紀ですら、家康を神格化するための虚構があると指摘する。本当の家康をあぶりだそうとする著者の疑義があちこちに挟まれ、立証され、暴かれる。この謎解き家康のプロセスに蕩かされる。

 止め時が難しいので、放っておくと徹夜小説になる。シビれる歴史時代小説ランキングにて、「不眠本中の不眠本」の評は正しい。明日の予定のない夜に、全三巻そろえてから、どっぷり浸れ、がっつりハマれ。

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