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犯罪者はどこに目をつけているか

犯罪者はどこに目をつけているか すぐに役立つ防犯の実学。

 本書の特徴はタイトルにある。犯罪者の声や視線を中心に据えたこと。強盗、強姦、窃盗、侵入、ひったくりの「元犯犯罪者」へインタビューやヒアリングを行い、決行する「判断ポイント」や「タイミング」を詳らかにしている。

 しかも、犯罪でシノいできたプロ中のプロから、出来心で犯ったアマチュアまで幅広くカバーしており、仮にわたしが犯罪に遭うのなら、このいずれかのパターンに当てはまるだろう。彼らが何を見て「やる」と決めているかが分かれば、その対策も自ずと見える。また、彼らが嫌がること、避けたいことが事前に知ることができれば、それの逆を突けばいい。

 元犯罪者たちは、防犯対策への突っ込みも厳しい。「防犯カメラ」や「クレセント錠」「コンクリ塀」「アルミ格子」に対する、わたしの防犯常識がひっくり返される。

 例えば、「いかにも防犯カメラでござい」は、そんなに困らないという(そこだけ避ければいいから)。問題は、道路から見えない死角に防犯カメラが仕込んであるのは嫌がる(プラス光センサーのライトで効果大)。

 あるいは、「クレセント錠」(窓につけるクルリと回すやつ)は、カギと見ないほうが良いらしい。あれは密閉度を上げるものであって、泥棒からすればすぐに開くか外から丸分かりの印なんだそうな。警備用の赤外線センサーは高額だし落ち葉や猫でも反応するから、使い勝手が難しい。

 ではどうすればよいかというと、極めてアナログな策を持ってくる。「釣り糸センサー」と呼び、防犯ブザーと透明なテグスを使った簡単な仕掛けだ。いわゆる「ブービートラップ」といえば分かるだろうか、図解しているからすぐに作れるし、何よりも安価なのがありがたい。

 だが、そういう仕掛けだけでも不十分だという。「やる」と決めた意志をくじくのは、音、光、そして周囲の視線だ。鳴っているブザーに「どうしたの?」と目を向け・声をかけるご近所の協力が必要になる。光センサー、防犯カメラも然りだが、自分の家だけを守るのではなく、近所ぐるみ、地域ぐるみで防犯意識を高めることが重要だと説く。

 この“防犯意識”が曲者だ。「意識を高める」って大層でカッコいいけれど、具体的に何も言ってないに等しい―――と思いきや、本書では極めて直裁に断定する→「防犯意識=町をきれいにする」。

 犯罪者の品定めの決め手となるのは、三大汚れだという。即ち、1.落書き、2.ゴミ、3.放置自転車だ。これらを減らすことは、死角を減らすだけでなく、町を見る視線があることを伝えていることになる。“きれい”は安全に直結するのだ。

 このように、「個人を守る」をスタートとし、住宅、町、国ぐるみまで防犯を推し進める。防犯対策基本法や、「防犯税」はやりすぎかも…と思うが、これはわたしの“防犯意識”の問題か。

 他にも、「あぶない場所」とはどういう場所か、あぶない場所で、かつ一番襲われやすい(犯罪者にとって襲いやすい)ゾーンはどこか、犯人目線で解説してくれる。練習問題まであるので、文字どおり、犯罪者になった気分で「正解」を探せる。一人のプロの説明だけでなく、複数人に当たった結果、同じ「正解」に至っている。彼らは、セオリーどおり素直に行動していることが、よく分かる。

 犯罪者は人の隙をみてやるもの。そういう意味で、犯罪という仕事は、「隙間」産業だといえる。プロの一人はこう述べる「その隙とは、やられるヤツの油断であり死角だ。自分たちはそこを突く」。

 隙をゼロにすることは不可能だが、減らすことはできる。そのために、すぐに役立つ一冊。

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いま読んでいる本をやめてでも読むべき「日本の歴史をよみなおす」

日本の歴史をよみなおす 「つくられた」歴史認識に一撃を与える一冊。

 「女の地位は低い」や「日本は農本社会」は、つくられたイメージだと主張し、その傍証を挙げてゆく。多数派の歴史認識がくり返されることで強化され、常識化してゆく過程はE.サイード「オリエンタリズム」を思い出す。だが、著者が主張する反証・反例が少なすぎる。そんな一点でもって全面展開するのが“歴史学”なの?

 「全ての日本人が読むに値する」という惹句に誘われて読む。本の目利きも絶賛してるから安心かと最初は思った。POPには、「いま読んでいる本をやめてでも読むべき」とあり、相当自信があるらしい。新しい知見が得られるというよりも、もともと薄々感じてたことを補強してもらえる。いわば、「つながる」読書になった。

 たとえば、「女」に対する固定観念を揺さぶる。女性が公的な世界から排除され、抑圧されつづけていたというのは、「これまでの常識」にすぎないという。銭を持たず身一つで自由に旅をする女や、(ただ一例だが)女庄屋の事例を持ってきて、男中心の封建社会という「建前」をぐらつかせる。また、ルイス・フロイス「日欧文化比較」より、女の「性」に対するハードルが低かったことを指摘したり、宮本常一「忘れられた日本人」から祭りのときはフリーセックスが行われていたという習俗を紹介する。

 あるいは、農本社会は「つくられた」イメージだという。「農家」として扱われながら、実質は回船や漁業で栄えた事例を示したり、商工業者や芸能民が賤視される過程を説明することで、このイメージの再考を迫る。さらに、「百姓≠農民」を証明し、数多くの非農業民を含んで「農民」が成り立っているのだと主張する。日本の歴史学が、農本主義に染め上げられているというのだ。

 言わんとしてることは分かるし、証拠として挙げている、著者が『発見した』文書を疑うつもりもない。だが、全国に一つしかない例や、ただ一人のポルトガル宣教師の手記をもって全てに援用するのは難しい。「無かった」と主張するつもりはないが、多様なありようのうちの一例なのでは。 また、米作を主とし、土地を石高で測る制度が一般化したのは、「米=兵糧」だったからだということは、わざわざ指摘するまでもない。

 仮に農本主義に異を唱えるのなら、反証一つでは不十分。例えば、ある地域経済において石高で測ろうとした経済と、実体経済の乖離を算出する。つまり、その地域全体の経済のうち、石高が占める割合を推算したり、税収のうち租庸調の配分を洗い出し、地域図を作成するアプローチが役立つ。

 さらに、農業、林業、水産業、工芸品、製鉄だけでなく、運輸、観光、教育、宗教、闇事業も含めた包括的な生産性を概算し、そこで農業がどう位置づけられているかを見る必要があるだろう。もちろん地域性はあるが、おおむね農業が主である地域が多かったのでは―――と推察する。

 著者の視点が面白ければ面白いほど、ツッコミたくなる。「学会の固定観念」「世間の常識」を自分で設定しては壊す、スクラップビルドのレトリックが目につく。黒澤明や司馬遼太郎の作品で「さもありなん」と感じていた、ダイナミックでエロティックな日本人を想起させてくれる分、論理の粗が目立つ。平易に、面白く読めるのに、もったいない。

 「いま読んでいる本をやめてでも読むべき」という宣伝に偽りはないが、読んだら一言いいたくなる。そういう知的挑発に満ち溢れた一冊。

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