« 2012年1月15日 - 2012年1月21日 | トップページ | 2012年1月29日 - 2012年2月4日 »

最優秀の集大成「ピュリツァー賞 受賞写真 全記録」

ピュリツァー賞受賞写真全記録 凡百の言葉よりも選一の写真が雄弁だ。そんな最優秀を集大成した一冊。

 米国で最も権威あるピュリツァー賞、その受賞写真を年代順に眺める。ベトナム戦争、冷戦、アフリカでの紛争、イラクやアフガニスタンと戦争報道が多いのは、米国の国際的関心とフォトジャーナリズムの潮流が同期していたから。地震や噴火、津波などの災害モノもあり、安全な場所から歴史の現場を垣間見ることができる。

 ただし、内側・地方紙の報道写真も挟み込むように受賞している。井戸に落ちた乳児が救出される瞬間を捉えた一枚とか、大柄な赤ん坊を産み終えた直後の母親の笑顔とかに出会うとホッとする。パレードの交通整理をしている警官が、小さな子どもと目線を合わせている微笑ましいショットなんて、見てるこっちの頬がゆるむ。

 共通しているのは、一枚で全てを物語っているところ。出来事の背景や状況の説明、カメラマンのプロフィールから撮影情報まで記載されている。だが、そうしたキャプション抜きで、"起きていること"がダイレクトに伝わってくる。撮り手のメッセージ性は見えにくいが、ひたむきな"伝えたい"は熱いほど感じる。

 ショッキングなやつもある。たとえば公開絞首刑の図。ニヤニヤしている"観客"を背景に、ぶらぶらしている死体に椅子で殴りかかっている構図は、おもわず目を背けた。あるいは超高層ビルの崩壊。巨大な構造物が真っ二つになり、真ん中あたりから自重で沈む様子は、(何度も目にしたにもかかわらず)カタストロフを直接受ける。

 見るたび考えさせられた一枚にも再開する。「ハゲワシと少女」だ。スーダンの飢餓を訴えたもので、1993年3月のニューヨーク・タイムズに掲載されると同時に、称賛とバッシングにさらされた一枚だ。飢えた少女がうずくまっている背後で、その死を待ち構えているハゲワシが写っている[google画像検索]

 強烈な批判は報道のエゴイズムに向けられる。「"よい写真"を撮ることを優先し、なぜ少女を助けなかったのか」という問いが突きつけられる(後日、撮影者は自らの命を絶った)。少女の傍らに母親がいたとか、カメラマンは救護センターの場所を少女教えたといった情報をネット越しに聞いたが、"よい写真"は揺らがない。キャプション抜きで成り立っているから。何を入れて何を外すかは撮影者の意思による。写ったものが全てだと思い込むのは無邪気すぎる。だが、写ったものは"伝えたいもの"だ。

 こういった報道写真をもっと見たい。大御所はLIFEか、日本ならアサヒグラフ(休刊中)だろうか。歴史の目撃者の視点眺めると、「世界を変えた100日」になるだろうし、雑誌ならDaysJapan(マグナムフォト)、ネットならBIG PICTUREになる。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

"よい戦争"とは何か「戦争の経済学」

戦争の経済学 「戦争は割に合わない、儲けはドルだが、損は人命で数えるから」というセリフがある。だが、戦争を「プロジェクト」として捉えたら、どのように"数える"ことができるか。

 この問いに、本書は二つの読み方で応えている。一つは戦争に焦点をあて、これについて考える枠組みとして、経済理論を適用した読み。もう一つは、ミクロ・マクロ経済入門を説明するために、戦争をダシにした本として。どちらの側面からでも、「面白く」といったら不謹慎だから「興味深く」学ぶことができる。

 戦争で失われた人命の価値をカウントするため、保険支払いのための人命価値計算を持ってくる。ご丁寧にインフレ補正のために消費者物価指数(CPI)まで用いているところがミソ。式はこうなる。

  戦争時点の1人の人命価値
  = 2000年の1人の人命価値×(戦争年のCPI/2000年のCPI)

 「命に値段をつけるなんて!」と反応するのも結構だが、結構な値がついている(2000年時点で、米国の男性労働者は750万ドル)。これを"コスト"としてみるならば、決定者に戦争をためらわせる根拠にもなりうる。もっと悪い(良い?)ことに、この"コスト"より安価なロボット兵の大量生産に踏み切らせる動機にもなりうる(→現実はSFよりもSFだ「ロボット兵の戦争」)。

 経済学の教科書のトピックを"戦争"にあてはめると、突如イキイキとしてくる。例えば、ゲームツリーを用いて、テロリズムの選択モデルを分析するくだりは、(そのインセンティブの多寡はともかく)非常にありえそうだ。もちろん「自爆テロに合理性はあるか?」と、そもそも論に走ることもできるが、宗教観や異文化理解に流れるだろう。だが、もし自爆テロの合理性を考えるならば、どう説明できるかというアプローチに、経済学は役に立つ。

 「戦争=絶対悪」として捉える限り、本書を読むのは難しいかもしれない。だが、同じ場所で議論するためのツールとして、経済学を使うことはできる。人命や国土の荒廃といったセンシティブな要素は、付け加えるパラメータを何にするか、どの程度の価値と見なすかという形でまな板に乗せるのだ。

 巻末に、訳者・山形浩生氏が「プロジェクトとしての戦争」として、「日清戦争」の収支や、「自衛隊のイラク派兵」の便益を計算している。もちろん"進出権"だの"プレゼンス"は損得勘定にそぐわないかもしれないが、それでも、「元をとる」のは大変なことがよく分かる。

 では、経済の観点で「よい戦争」というものがあるだろうか? 著者は、第一次・二次大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争の個々のケーススタディを用い、以下の結論をはじき出す。戦争が経済的に有益なのは、以下の条件がそろったときだ。

  1. その国が戦争前に低い経済成長で遊休リソースがたくさんあるとき
  2. 戦時中に巨額の政府支出が続くとき
  3. 自国が戦場にならず、期間が短く、節度を持った資金調達が行われているとき
 条件がそろったからといって開戦するような輩はいないだろうが、それでもシビアすぎる。第一次・二次大戦の米国がたまたま合致していたにすぎぬ。そして、(経済の観点から)有益でない戦争を続けてきたのが、今の合衆国なのかも。たしかに戦争は、きわめて巨大な公共投資でありうるが、ありがちな「戦争はカネになる」論で事足れりとしないために。

 次はハルバースタム「ベスト&ブライテスト」か、タックマン「八月の砲声」に取り掛かろう。次回のスゴ本オフ「戦争編」までに、どこまで読めるか。

―――メモ : 誤りがいくつかあった(初版1刷)。

 p.198の末尾
  上の標本調査に基づいている。この調査に寄れば、7割の軍人世帯は…
  →「この調査に因れば」が正しい

 p.225中ほど
  でも限界収入は10億ドルにしかならない。表5・1はこれを…
  →「表5・2」が正しい

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2012年1月15日 - 2012年1月21日 | トップページ | 2012年1月29日 - 2012年2月4日 »