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「早川書房・東京創元」のスゴ本オフ

 好きな本を持ち寄って、まったりアツく語り合うのがスゴ本オフ。知ってる本を手がかりに、知らない人と出会い、その人のオススメを手にする。読書の世界が拡張する。

 今度は豪華だ、東京創元と早川書房の2つの出版社シバリのスゴ本オフだ。SF、ミステリ、ホラー、ファンタジー、ノンフィクション、早川書房と東京創元の本ならなんでもあり。それぞれのマイベストを紹介してもよし、知られざる逸品を持ち込んでもいい。

 日時:10/28(日)13:00-20:00
 場所:千代田区麹町
 参加費:2千円
 申込:以下のいずれかでどうぞ
  1. faceboook「早川書房X東京創元」最強タッグ 締め切りました
  2.以下をここにメールして。 締め切りました

  ニックネーム:
  紹介する本(何冊でもOK):
  Ustreamで顔出しOK/NG:

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「スゴ本オフとは…」の簡単な紹介

  • 一言なら、オススメ本をもちよって、5分でプレゼンする読書会。最後はブックシャッフルといって、本の交換会をします
  • 当日はtwitterやUstreamで実況します。@zubapita、@yasuyukima、そしてUstream「sugohon」をチェックしてください
  • ブックシャッフルする本は、「放流」なので、基本あげちゃう。あげるのNGな方は紹介だけもOK。そのときは、放流用に別の本をご用意くださいませ
  • 「すごい読書家がウンチクを傾けあう会」というイメージがあるらしいが、違う。「これだけはオススメしたい」という熱度を分かち合う会が近い。宝探しというか狩り場だね
  • 直近やったのは「スゴ本オフ@ホラー」、恐~い本が集まりました。過去のスゴ本オフは、右下あたりの「スゴ本オフ」に並べてあります

Sugohon03

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松丸本舗へ狩りに行け

 みんなでブックハンティング@松丸本舗の報告。

 「本屋は一人で行くもの」という固定観念を破って、集団で狩りに行く。気ままにぐるぐる周回し、コレハ! というのをオススメしあう。単独だと気付かなかった逸品を紹介されたり、反対に教えてあげられたり。「みんなで本屋めぐり」は視野がグンと広がるので是非。

 それも、ただの書店ではつまらない。松岡正剛の書棚ともいえる松丸本舗でハンティング。ふつうの書店なら「買う/買わない」の判断は容易い。「二度読むか否か」で即断できるから。だが、松丸本舗は読書欲よりも"物欲"が刺激されるので危険だ。読みたい本より欲しい本があるから。評判は知ってて、ずっとガマンしていた欲望が放出されるので、財布がピンチになる(カード使えるので要注意)。

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 最初は独りで、次は声を掛けていただいた方とオススメあいながら循環する。もともと変化に富んだ書棚なのだが、今回、根本的な変動があったのが目を惹いた。コアを囲う棚のセレクトが、大幅に変わっていたから。

 周囲の棚は専属の店員さん(BSE : Book Shop Editorと呼ぶそうな)が作っていたのだが、この『顔』を前面に押し出し、「この人が選んだこの本」という場ができている。既読を頼りに人を探し、その人がオススメする未読を選ぶというスタイルは、まさにわたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいるの実践なり。

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 コアの書棚(本殿、と呼ばれている)は流石に完成されているので流動性は少ない。「完成された」は誉め言葉でもあるが、「動かない」はマイナスにもなる諸刃の剣。もちろん買われた一冊と同じ一冊は補充されるが、「松丸本殿」に新たな一冊(≠新刊書)が入ることはない。関連する新刊が差し込まれることはあるが、店主の吟味をくぐっているのだろうか。

 ここに来る人は、新しい本を求めているわけではなく、新しい知を得たいがためにエスカレーターを上ってくる。何度も通うと、コンセプトや斬り口で集散をくり返すだけで、全体としての流動性は(1~3Fと比較すると)低いことが分かる。だから、澱まないために外の血―――すなわち、他者の書棚や他人のレコメンドを注入するのは正解だろう。

 先日ここで指摘した「松丸本舗にないもの=生活臭」へのまさにカウンターとなる本が見つかった。これだ。

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 日常から乖離した超人的な教養人だから、生活感のある本はそぐわないんじゃないかと思っていた。だが本書を見る限り、書店員さんが押し込んだんじゃぁないかと。ちなみにこれ、マチャミさんが発見、「ほら、生活関連の本あるでしょ」って言いながら。参りました、独りだと見つけられなかっただろう。

 以下、参加者いただいた方や、わたしの戦利品なり。

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 次回の松丸オフは以下の通り。残念ながら9末に閉店のため、本好きはいまのうちに目に焼き付けておくべし。赤いウエストバックでウロウロしているわたしを捕まえて、「これがオススメ!」「○○な本を探してるんだけど…」なんてオフ会にしようず。

 日時と場所 9/15(土) 12:00~17:00 松丸本舗
 参加費無料、申込不要、途中参加・途中退出OK
 終わったら、有志で一杯やりましょう


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打ちのめされるようなすごい本「笹まくら」

 過去が襲ってくるという感覚を、知っているか

 昔の失敗や、封印していたトラウマが、いきなり、何の前触れもなく、気がついたら頭いっぱいを占めている、あの感覚だ。あッという間も、逃れようもなく組み敷かれ、後悔の念とともに呆然と眺めているしかできない。

 きっかけは、ちっぽけだ。些細な出来事だったり、たあいのない会話の言葉尻だったり。だが、ひとたびトラウマが鎌首をもたげると、蛙のごとく動けない。そして自分は、「あのときは、どうしようもなかった。ああするしかなかった」と、ひたすら、言い訳をする(己が壊れないためにね)。

 これを二十年間やった男の話。だが安心するがいい、これは読者の過去やトラウマに絶対ひっかからない、徴兵忌避した男の話だから。戦争中、全国を転々と逃げ回った過去が、二十年後のしがないリーマン生活に、フラッシュバックのように差し込まれてくる。

 この差し込まれ具合がスゴい。戦中と戦後の跳躍が、一行空きなどの隔てなく、シームレスにつながる。戦後の日常生活からいきなり戦中の逃亡生活に変わっている。ジェイムズ・ジョイスの「意識の流れ」手法を巧みに使っており、行きつ戻りつがスリリングな読書になる。わたしの生活とも人生ともまるで違うにもかかわらず、うっかりすると「もっていかれる」読書になる。

 だが、徴兵忌避は罪なのか、「過ち」なのだろうか? もちろん戦時中は犯罪だったが、戦後は掌を返したように扱われる。英雄視するやからも出てくる。「抱いて!」という女も出てくる。本人はヒーロー気取りでやったわけではないのに。

 そして、相手の言動を絶えず再評価しようとする───「自分の徴兵忌避の過去を知っているか」「徴兵忌避について賛成か反対か」───という判断基準で。この、「自分がどう見られているか」を常にチェックする態度は脅迫観念じみており、疑心暗鬼を二十年続けてきた中に、一種の狂気を見てとることができる。

 一方で、「ズルしやがって」「うまいことやりやがって」という後ろ指さされ感がイヤらしい。断じて「ズル」のつもりではなかった。名分なき戦争への反対、「自分が戦うにふさわしいものか」という問題を思い詰めた上での行動であって、反国家意識からではなかった。

 むしろ、いつ捕まるか分からない、不安と恐怖のなかの絶望的な逃走だった───のだが、本当なのだろうか? 二十年も経過すると、かつての「決意」の記憶も薄らぐ。プリンシパルを結論づけたわけでもなく、ただ勢いに乗じた若さゆえのことだったこと───それに気づかないよう、自分の意識を上手に回避させてゆく。この「見ないように」する姿勢もイヤらしい。

 これ、「信用できない話り手」の技法を組み合わせると、ものすごく面白く読める。徴兵忌避という過去を言い訳に現在の行動基準・評価軸があるものの、そもそもそんなことをしでかした原因に目を背けつつ、結果の「徴兵忌避」だけに汲汲とする姿勢は、まさに戦争について日本人がとり続けている態度をずばり指しているようだ。

 つまり、「戦争でしでかしたことについて、どう見られているか」ばかり気にして、そもそもそんな戦争に至った原因を見ないようにしている、という姿勢のことだ。主人公の負い目は、日本人の後ろめたさとオーバーラップする。主人公の名前は、二つある。偽名「杉浦」と、本名「浜田」だ。戦中と戦後、二人の主人公の連続性と、名前を使い分けることで過去を隔離しようとする断続性が、戦中と戦後の日本人のメタファーであるとするなら、これほど強烈な皮肉はない。

 戦前と戦後が重なりあう。過去と現在が立体的に絡み合い、読者をより合わさった意識の世界に連れて行く。日本は、昭和二十年八月十五日を契機に、全く別の新しい社会に生まれ変わったわけではない───そういう思いが伝わってくる。

打ちのめされるようなすごい本 本書は、米原真理「打ちのめされるようなすごい本」で、打ちのめされるようなすごい本としてオススメされていたもの。たしかにそのとおり、技法としても面白さとしても傑作なり。

 過去が襲ってくる、思い出に呪われる感覚に鳥肌を立てろ。ただね、トラウマとなった逃亡生活なのに、振り返ると、あれほど輝かしく、自由で、のびのびとした瞬間はなかった、と見えてしまう。セックスであれ、食べ物であれ、戦中のほうが生々しく、いかにも生きているように描かれている。

 「人生がGAMEOVERになっても続くなんて、誰も教えてくれなかった」という至言がある(tumblrで拾った)。このセリフをぶつけたくなる、鮮やかなラストに打ちのめされろ。


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魔法少女のガチバトル「魔法少女育成計画」

 どうしたらプリキュアになれるか?

 ずっとわたしを悩ませて続けてきた。ずば抜けた身体能力を持ち、格闘戦に長け、必殺の癒し砲を放つ伝説の戦士。ご町内の困った人を助け、ご近所の平和を守る、魔法少女に、俺はなる!決心してから幾年月たったことか。

 ところが、娘があっさり答えを出す。しれっと「こないだの映画で一緒に観たじゃん」とまで言う。プリキュアオールスターズの名台詞のこれだろう───「誰かを守りたい、その心が女の子を強くする」。そして、あなたがプリキュアになるための5つの方法を見ると、わたしだって可能性はある。

 だが問題は残る。プリキュアになって、俺は何をするのか? 魔法少女になることで、いや、その契約をすることが、いったいわたしの生活が、運命が、どう変わってゆくのか?

 答えは本書にある。殺し合う魔法少女16人のどこかに、わたしがいる。試したいのだ、己が力を。超人的な力を手にしたら、やってみたくなるのが人情。プリキュアだと変身するのは敵が現れてから。では、皇帝ピエーロもおらず、苦労カード集めもなく、せいぜいご近所の平和を守る程度だったとしたら? 平和な世では、魔法少女の力を発揮する相手は、魔法少女しか、ぶっちゃけありえない

 これを実現したのが本書。音を操ったり、無生物に変身できたり、はたまた心の声が聞こえるといった、JOJO的能力を授けられた魔法少女たちが、生き残りを賭けて殺し合う。カンタンにまとめると、まどか☆マギカの面子をムリヤリ増やしてバトルロワイヤルにしたのがこれ。

 「いかにしていたいけな少女達を殺すか」に心を砕いた著者は、無慈悲に、苛烈に、残虐に、少女たちの命を砕いてゆく。「このライトノベルがすごい」と銘打っているが、ライトノベルのコードを逸脱しているのではないか? と思えてくる。わたしは大好物だが、吐き気がこみあげてくる人もいるかと思うので、表紙のかわいらしさに騙されないように。

 サバイバルバトルの先に何があるのか、そもそもなぜそんなことになったのか、映画「ハイランダー」ちっくなラストにぎょっとした。だが、生き残りがわたしだったとしても、同じ選択をしただろう。

 そうだ、娘はもう一つ、大事なことを言っていた。「プリキュアになるには、運がよくないと」、そのとおり。登校中にキャンディに激突するのも運だ。同様に、魔法少女になって、なおかつ生き残るためには、運こそ一番大事なのかもしれない。

 魔法少女になりたい全ての人に。

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