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寺山修司の「ポケットに名言を」

 「ことば」にたいする姿勢が、変わった。印刷されたものを不変とみなし、ありがたがってたのは昔話。いつから変わったか?

 ワープロが普及してキーボードがあたりまえになってから。ネットに向かってことばを紡ぐようになったから。本は変わらないが読み手は変化することに気づいてから。しかも時代に解釈しなおされることが分かったから。

 そのうえ、寺山修司の「名言などは、シャツでも着るように、軽く着こなしては脱ぎ捨ててゆく」は効いた。言葉で殴り倒されて、ぐさりと胸を一突きされて、その傷手に塗られた薬のように効いた。

 要するに、ことばが古びるのではなく、わたしが変わる。合う/合わないを着て確かめればいい。箴言とか金言のレッテルは措いといて、まず遣ってみよう。

勤勉な馬鹿ほどはた迷惑なものはない
ホルスト・ガイヤー「人生論」
 どの時代でも「勤勉な馬鹿」はいたが、この時代だけ特異なことに、テレビやネットで拡大されてよく見える。かつてモブに埋もれていたのが、バカ発見器や集バカ装置で続々と目にする。衆愚化ではなく、集愚化やね。もちろん、わたしもその一人。画期的なバカ避けができるまで、踊りつづける、おもしろいからね。例外はtumblr、勤勉な馬鹿を隔離する装置だ。「馬鹿には見えない服」があったように、「馬鹿にしか見えないインターネット」こそtumblrなのだ。

 ところどころ、どこかで目にし耳にした作家や作品がちらほら。だが、そんなセリフがあったことすら覚えていない。寺山修司は、わたしが気にも留めなかった一文を、あざやかに切り取ってみせる。目のつけどころが修司でしょ。

女を良くいう人は、女を充分に知らない者であり、
女を悪くいう人は、女をまったく知らない者である。

ルブラン「怪盗アルセーヌ・ルパン」
「僕の思念、僕の思想、そんなものはありえないんだ。言葉によって表現されたものは、もうすでに、厳密には僕のものじゃない。僕はその瞬間に、他人とその思想を共有しているんだからね」
三島由紀夫「旅の墓碑銘」
 若い自分に読んで聴かせてやりたい言葉がいっぱい。本書は、まさにわたしが若いときに編まれた名言集なので、出会わなかったことがもったいない。(どうせ耳は貸さないだろうが)「まあ読んでおけ、これは若いうちに読まないと損する本だぞ」なんて脅してでも読ませたい。ハタチのわたしに読ませたい「うらおもて人生録」と一緒やね。頭ガツン級はこれだ、童貞、リア充、既婚未婚に限らず、これだ。
女というものは愛されるためにあるものであって、
理解されるためにあるものではない。

オスカー・ワイルド「語録」
「女というのは分からない」という悩みそのものが誤りだったことに気づくのは、人生のなるべく早めのほうが苦しまずにすむ。本書ではページは離れているものの、ブルース・リーの次のセリフを並べたい。
Don't think., FEEL!
Bruce Lee
 わたしが着てきた「シャツ」と比較するのも愉しい。ジュール・ルナアルの次のセリフなんて、明石家さんまが18歳のとき、師匠に言われた話を思い出す。
幸福とは幸福をさがすことである
ジュール・ルナアル
 明石家さんまの逸話はこれ。弟子稼業で掃除していたさんまに、師匠は「それ、楽しいか?」と尋ねたという。もちろん楽しいわけないから、さんまは「いいえ」と答える。すると師匠は、「掃除はどうしたら楽しいか考えろ」というのだ。ここでさんまは気づくのだ、「楽しくなることを考えてることは楽しい」ってね。ひょっとすると、この師匠、ルナアルの幸福論(またはこの名言集)を読んでいたのかもしれない―――そう考えると、もっと愉しい。

 本書の型破りなところは、引用元に歌謡曲や映画まで入ってくるところ。呪文呪語の類だったり、引用可能な他人の経験だったり、思想の軌跡を一切無視して、一句だけとり出して、ガムでも噛むように「名言」を噛みしめろという。その反復の中で、意味は無化され、社会と死との呪縛から解放されるような一時的な陶酔を味わえという。

 おあつらえの名言がある。脳内リピート再生される度にドーパミンがあふれ出る。噛みしめすぎて、行動律になりつつある。この一句を、本書のラストに書き入れたい。

欲望は言葉にしなくちゃ、ほら、(うー!) 消えちゃうでしょう?(にゃー!)
ニャル子さん

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食べることは生きること「地球のごはん」

 「食は文化」が、よく見える。

 あるいは、ブリア=サヴァランの警句「ふだん何を食べているのか言ってごらんなさい、そうすれば、あなたがどんな人だか言ってみせましょう」をグローバルにスライスした断面が見える。

 世界30カ国80人の「ふだんの食事」を紹介しているが、ユニークな点は、本人と一緒に「その人の一日分の食事」を並べているところ。朝食から寝酒、間食や飲み水も一切合切「見える」ようになっている。

 おかげで表紙のイリノイ州の農家(4100)から名古屋市の力士(3500)、上海雑伎団の曲芸師(1700)やナミビアのトラック運転手(8400)が、何を、どんな形で口にしているか、一目で分かる。カッコ内の数字は「その人の一日分」のカロリー(kcal)だ。身長体重年齢も併記されており、「この体格でこんなに摂るのか」とか、「ちっぽけなパッケージなのに、こんなにカロリーあるんだ…」など、想像力が刺激される。

 例えば、高カロリーの傾向は、「職業」や「場所」に出てくる。激しい肉体労働だと高カロリーになりがちだが、高地や寒冷地の人々も高カロリーの食事をする。チベットの僧やエクアドルの主婦が驚くほど高いカロリーを摂取しているのは、高地ほど吸収しにくい(or心肺に負荷が掛かるので必要)のかと考えてしまう。

 また、量的にわずかなのに高カロリーな食事の共通点を見つけることができる。それは、パッケージングされた工業製品だというところ。長距離トラックの運転手やアメリカ陸軍は仕事柄、全ての食事が「製品」ということになる。見た目とカロリーがちぐはぐで混乱するだろうが、職業として理に適っている。

 さらに本書を面白くしているところは、「カロリー順」に並んでいる点だ。最初はケニアのマサイ族(800)、最後はイギリスの主婦(12300)で、前者はあまりの少なさに、後者はあまりの多さに愕然とする。「普通の人の普通の食事」って何だろうと思えてくる。世界の両端を見る思いがする。

 時折、著者の意図が透ける。わざとか知らずか、途上国の食に困る人と、先進国のダイエットに励む人が並んでしまう。象徴的なのは、ヨルダン川を隔てた西と東だ。パレスチナの運転手(3000)とエルサレムのユダヤ教の指導者(3100)が綺麗に隣り合う。どちらもパンと卵と乳製品、そしてボトル飲料を同じカロリーだけ摂る。どちらも同じ40代、家族想いで甘いものに目がない。

 カロリーの高低は、所得の高低と一致しないことも気づく。つまり、低所得者の摂るカロリーは、必ずしも低いわけではないのだ。むしろ逆で、所得が低い人のほうが、高カロリーの食事をしている例を多々見る。ネット越しの聞きかじりで知ってはいたが、具体的な「製品としての食」を目にすると説得力が増す。

 同じ著者の「地球家族」は、普通の家庭の家の中にあるもの全部出して撮ったもの、「地球の食卓」は一般的な一週間分の食材と食事風景が描かれている。共通して見えるのは、「普通」や「一般的」とは国によるということ。そして本書で分かるのは、「普通」とは境遇や職業、ライフスタイルにもよるということ。それが最も見えるのは、全ての国、文化、職業、生き方に共通している、「食べる」という行為なのだ。

 「食べることは生きること」が見えるスゴ本。

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先生の赤本「入門 いじめ対策」

 一席ぶつのもいいが、具体的に動く。

 子どもが通う学校で、「ウチは大丈夫か?」と呼びかけやアンケートが実施されているそうな。大仰すぎると水面下に潜るぞーとは思うが、やらないより○。わが家では、寝しなに子どもに語ったり、夫婦でしみじみ話したり、参考書で「予習」してる。天下国家やゆとり教育の荒廃を嘆いても無駄、具体的に動いている。そこで見つけた、先生にとっての赤本を紹介しよう。

 小・中・高のいじめ事例から自殺予防までを扱った一冊。「入門」と銘打つ150p.足らずの本だが、中身はかなり充実しており、関連書籍の紹介は膨大といっていい。入門というより、むしろエッセンス本だな。類書より優れているのはII章、「いじめの緊急対応」になる。今のいま、いじめの対応について悩んでいる先生方は、II章から読むべし。

 とはいっても、特別な手法があるわけではない。「見守り」「個別指導」「保護者の面談」などは、容易に想像できる。違うのは、「必ずチームで対応せよ」と念押しするところ。他の教師、主任教師、指導員とチームで対応しなさいとある。「いじめの緊急対応」では、学校をあげて片時も本人から目を離さないように体制を組めという。教師が組織をあげて本気で取り組んでいる姿が無言の圧力になるんだって。

 また、被害者との面談での「べからず」集は、文字どおり反面教師として役立つ。言ってはいけない一言はこれだ。

  • 「気にするな」
  • 「それはいじめではない」
  • 「あなたにも責任がある」
  • 「もっと強くなろう」
  • 「○○さん(いじめの相手)にも、いいところがある」
  • 「みんなの迷惑も考えろ」
 面談は静かなところで時間をとって、絶えず「あなたは悪くない」メッセージを送れとある。最後には、勇気をもって話してくれたことを称賛し、「あなたを守る」姿勢を必ず伝えろという。また、「孤立させないための席替え」や「クラスで話し合っても限界がある」など、ノウハウ的に役立ちそうなものを類書から選んでくれている。これは、先生にとって心強いマニュアルになるだろう。

 III章の予防策は、具体的で分かりやすい。いじめは、もちろん無くすべきものだ。しかし、「いじめは、あってはならない」前提で見るのと、「いじめは普通にある」目で見るのと、自ずと結果は違ってくる。ホラあれだ、「バクはあってはならない」を強調しすぎると、バクが報告されなくなるのと同じで、「いじめはあってはならない」を強調しすぎると、いじめが報告されなくなる。

 だから、職員のアンテナ感度を上げろという。具体的にはここを見ろという。

  • 全校集会のとき、ある子どもの周りの空間が大きいと感じる
  • 休み時間にうろうろしている
  • 授業中、ある子が発言しても周囲の反応がない/冷ややか
  • 給食の配膳時、ある子の盛り付けの食品を食べない
  • 作品や写真へのいたずら
  • ある子のものが頻繁になくなる
  • 衣服の汚れ
  • 保健室のへの頻回来室
 そして、得られた情報をどう扱うかも具体的だ。情報交換をシステム化しろという。つまり、職員会議や職員打ち合わせの時間の最後に、児童生徒に関する情報交換の時間を設定するのだ。5分でもいい、気になることを自由に話す時間をもうけることで、インシデントを共有するのだ。

 たとえば、こんな感じ―――「□さんが、丁寧にに玄関掃除をしていた。しかし、他の子が掃除に協力的でないのが気になった」「○学年の△さんは、ときどき、独りで理科室の水槽を眺めている」など、なんでもない「けど気になる」ことを伝え合う。この辺は、スタンダップミーティングと同じノリやね。

 さらに、アンケートは定期的にやれという。特に、「学級の雰囲気と自己肯定感を把握する質問」は使えそう。これは、「雰囲気」と「自己肯定感」を点数で出してもらい、散布図にプロットしていくもの(googleったら、群馬県総合教育センターの[これ]が出てきた)。犯人探し・被害者探しというよりも、居心地の悪さを感じている人がいないか、学級のまとまりに差が生じていないかをあぶりだすツールのようだ。PDF概要版を確かめてほしい。

 本書の後半は怒涛の事例集となっている。「クラス全員から帰れコールで自殺を決意した中2女子」とか、「彼女をNTRれるという陰湿ないじめにあった高2男子」、さらには被害者が実は加害者で「あいつを『いじめっ子』にしてやる」など、かなりキツい話がある。学校側の対応も描かれているが、奏功した例もあれば、逆効果だった事例、感知できなかった話もある。過去問としてシミュレーションしてほしい。

 ただし、現場にとって、ただでさえ激務なのに、さらに負担増になることは確かだ。文部科学省が旗を振る「いじめ対策」は、パンフレットかチェックリストか、相談窓口の設置程度だ。本気でなんとかする気なら、予算をアサインするだろう。「いじめ対策」補助金や、「いじめ保険」といったビジネスチャンスとからめれば、メンタリングマネジメントはアウトソースできるのでは―――と妄想する。

 妄想さておき、具体的に動ける一冊。

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