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被災地の子どもにオススメする一冊を選ぶなら

 「被災地だから」というのなら、特にコレというのは無い。中高生に「コレいいよ」というつもりで選ぶ。宮崎駿の、非常にメッセージ性の強い一冊だ。

 本に関わる人たちの飲み会に混ぜてもらった。これは、文字通り「混ぜてもらった」になる。編集者、起業家、書店員から、デザイナー、ライター、エージェントといったそうそうたる面子の中、「ブロガー」という肩書きでご一緒させてもらう。濃くて熱くてエキサイティングで、旨くて上手くて美味い宴だった。タイトルの「被災地の子どもにオススメする一冊を選ぶなら」は、そこでのお題。

 いわゆる定番ばかりと思いきや、全く知らないスゴ本にも出会えたのが収穫。

1歳から100歳の夢 最も惹かれたのが「1歳から100歳の夢」。1歳から100歳に渡る、100人の夢を集めた写真集だ。右手がポートレイト、左手がメッセージ、つぶやき、決意表明、日常描写になっており、ひとまず自分の年齢の人を確認したくなる。次いでわが子の年代、自分の親の年代へと行きつ戻りつ読める。これは、それぞれの時代を生きぬいて、今の日本を一緒に歩む「みんな」の一冊になる。

 逆説的だが、山田風太郎の「人間臨終図巻」を思い出す。アンネ・フランクから東郷平八郎まで、古今東西の著名人たちの臨終をまとめたものだ。これをユニークにしているのは、享年順であること。読み手の年齢と重ねながら読むと、自分の凡庸さと命の儚さ、そして「まだまだこれから感」がふつふつと湧き上がる。「臨終図巻」が死者たちの夢なら、「1歳から100歳」は生者たちの夢になる。

1歳から100歳の夢 定番だが、吉野源三郎「君たちはどう生きるか」を読む。何度もオススメされてはナナメ読みだったが、これを機にきっちり読もう。これは、わたしの子に渡す一冊になるだろうから。「ガンバの冒険」の原作「冒険者たち」も然り。ルブランの「アルセーヌ・ルパン」もそう。

 このような「後がつかえている本」が増えているのに気づく。未読本か再読本を積んでいくうち、わたしではなく、わたしの子どもに託したくなる───そんな一冊だ。もちろん子どもは、わたしの思いに関わらず、読みたい本を手にするだろう。だが、読み慣れたジャンルから一歩出るときの出口(入口?)のために、書棚を遺すくらいのことはしておきたい。

 そんな意味でも、被災地に関係なく中高生に手にして欲しい(オトナの思いの詰まった)リストになっている。

  • 「君たちはどう生きるか」吉野源三郎
  • 「はてしない物語」ミヒャエル・エンデ
  • 「TUGUMI」よしもとばなな
  • 「李陵・山月記」中島敦
  • 「水源」アイン・ランド
  • 「1歳から100歳の夢」いろは出版
  • 「アルジャーノンに花束を」ダニエル・キイス
  • 「対話篇」金城一紀
  • 「宮本武蔵」吉川英治
  • 「ワイルド・ウィンター ブランキー・ジェット・シティ インタビュー集」
  • 「ロックで独立する方法」忌野清志郎
  • 「せいめいのれきし」バージニア・リー・バートン
  • 「星の王子さま」サン=テグジュペリ/池澤夏樹訳
  • 「永遠の仔」天童荒太
  • 「アルセーヌ・ルパン」モーリス・ルブラン
  • 「麦ふみクーツェ」いしい しんじ
  • 「たいせつなこと」マーガレット・ワイズ ブラウン
  • 「甲子園への遺言」門田隆将
  • 「希望をはこぶ人」アンディ・アンドルーズ
  • 「こうちゃん」須賀敦子
  • 「篦棒な人々」竹熊健太郎
  • 「七瀬ふたたび」筒井康隆
  • 「NO LIMIT」栗城史多
  • 「流れる星は生きている」藤原てい
  • 「ビビを見た」大海赫
  • 「余命1年からの奇跡」野澤英二
  • 「冒険者たち」斎藤惇夫
  • 「ハッカーと画家」ポール・グレアム
  • 「シュナの旅」宮崎駿
  • 「心に響く5つの物語」藤尾秀昭
  • 「ひとつ」マーク・ハーシュマン
  • 「聖の青春」大崎善生
  • 「チボー家のジャック」デュ・ガール
  • 「宇宙飛行 行ってみてわかったこと、伝えたいこと」若田光一
  • 「得手に帆あげて」本田宗一郎

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 わたしがオススメした一冊は「シュナの旅」。プレゼンタイムが1分もらえたので、会場の皆さんに質問してみる。もののけ観た人、ナウシカ観た人、千と千尋が好きな人……と順々に聞いていって、「これ知ってる人」と訊ねると、ほぼ皆無だったのが面白い。「宮崎駿の原点にして頂点」というと異論がありそうだが、15分で読める絵物語で、彼の強いメッセージが伝わってくる───「生きろ」ってね。

 追記。「勝屋久の日々是々」にて、当日のレポートがアップされている。本の全体写真や場の雰囲気は、こちらをどうぞ。英治出版の杉崎真名さん/ダイヤモンド社の和田史子さん/技術評論社の傳智之さんのお誕生会に参加させていただきました

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「世俗の思想家たち」はスゴ本

世俗の思想家 経済学の目的は、人の営みの本質をヴィジョンとして描くことが分かる。そして、経済学は科学でないことが、やっと腑に落ちる。

 スミス、マルクス、ケインズ、シュンペーター、経済学説史上の巨人たちの言動がときに生々しく、ときにユーモラスに語られる。彼らは皆、学説や主義の発明者というよりは、目の前の現実社会に影響を受けながらも、「なぜそうなっているのか」を得心しよう/させようと奮闘したのだ。

 彼らの出自も栄達もさまざまだ。裕福な教授もいれば、極貧の文筆家としての人生を送った者もいる。共通していることは、彼らの描くヴィジョンは、それぞれの個人的な経験に裏打ちされているところ。絶対的なプリンシパルがあって、そこから証明や体系を拡張したものでないオリジナリティが、経済学を世俗の思想にしている。

 たとえば、冷酷な物言いで追い詰められた感じを漂わせ、重苦しく、希望を失った人生を送ったマルクスが構想したのは、「破滅に向かう資本主義」だ。いっぽう、自らが愛した人生を、軽快に気楽に、そして首尾よく乗り切ったケインズは「持続可能な資本主義」の立役者となった。資本主義の崩壊を予言する情熱の下地に、マルクスの神経衰弱を見たり、一般理論の説得力の裏側に、ケインズの陽気さと闊達さを透かすことができる。

 つまり、言説には彼ら個人の、ひいては当時の世の中の裏付けが存在するのだ。インターナショナル全盛のときは、資本主義は打倒されることが真実だったし、帝国主義の勃興は、資本主義がみずから課したジレンマから逃れるための、歴史的趨勢だと考えられた。それらは、真実というよりも信念、つまり、ヴィジョンを指す者が何を信じるかに依存する。

 一部の(?)経済学者に対し、虫酸が走るのはここだ。モデルや数式や比喩を扱うのは問題ない。自らのアイディアを表現するとき、モデルやグラフや式にするほうが分かりやすいからだ。あるいは、「たとえ」を用いて理解を促すメリットもある。

 この場合、以下を主張するのは、「正しい」。

 1.このモデル(式、比喩etc)から、この事実の説明ができる
 2.このモデル(式、比喩etc)が正しいならば、次はこうなる

 しかし、次を主張するのは、おかしい。

 3.次はこうなる。なぜなら、このモデルが示しているから

 この主張は、モデルの正しさを当然視するあまり、「このモデルが正しいならば」という前提が抜けている。比喩や数式を駆使してモデルの説得力を高めることにやっきになるあまり、「モデルが正しい」ことは扱う人々の社会的環境に因ることを忘れてしまう───これが嫌らしいのだ。

 その「正しさ」加減が追試可能で、追試されているのが科学で、「正しさ」と「もっともらしさ」をはき違えているのが経済学。そして、モデルの数式がいかにも科学カガクしているので、余計に痒い。数式としての正しさと、数学的な正しさは別物であることに気づかないのが痛い。

 スタンリー・ジェヴォンズの純粋数学的な経済理論では、緻密な正確さをもった理論体系に還元できないパラメータを全部外している。つまり、理論に合わない現実は、見なかったことにするのだ。「詭弁としての経済学」は、自分で自分の首を絞めている。

 経済学を支えるのは、「何を信じるか」に過ぎぬ。相対する人の生い立ちや社会的情況に依存するのだ。ペシミストが見た社会は崩壊の危機に瀕しているし、(経済的に限らず)様々な意味で楽に・楽しく生きてきた人にとっては別の見方ができる。

 自らの信念に因り、モデルの説得力を高める、これが(その人にとっての)経済学の目的だ。では何のために?現在を理解し、より良い未来のためできる手立てを選ぶためだ。だから経済学者の舌は重い。間違えた場合、死なない程度に切り取られても文句は言えないくらいの重責を負う。

 しかし、紙以上に軽く回転する舌を持つ「経済学者」がいる。床屋談義の先見自慢でいいのなら済むが、うっかり為政者の/独裁者の耳に入ったならば、国が滅ぶ。酒屋で一席ぶつ程度なら勝手だが、採用されたならば、その舌、懸けろよと言っておく。

 そして、同じ理由で本書は面白い。それぞれの主張の根拠と動機は、赤裸々な彼らの半生かもしれない。だが、そこから照射される現実は、確かに強い説得力を持って現在に通じる。本書のテーマとして、そして結論として、そうした説得力をもつ「ヴィジョン」が無くなっていることが強調されている。

 だが大丈夫、いま見えないだけで、すこし経つと適切な名前が見つかるはずだ。そして、「あんな時代があったねと、いつか笑って話せる」ってね。「ブラック・スワン」は「分かりません」の別名かもしれないが、まだ名付けられてないならOK、「エコノミカル・ハイバネーション」とかね。

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