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劇薬小説 ジャック・ケッチャム「ザ・ウーマン」

 愛するとは食うこと、愛されるとは食われること。

ザ・ウーマン 食うことで、相手と一体化する。食われることで、相手の一部になる。できないから珍宝満好でガマンするしかない。没入するのを眺めていると、ああ、食われているなぁ、愛されているなぁと実感する。そこに好悪の感情はない。好きとか嫌いとかではなく、「食いたい」「食われたい」欲望なのだ。欲望の発揮にフレームワークを用意したのは文明の罪だが、枷がないときりがない。性交でさえフォーマットがあるのだからね現代は。キスは味見でセックスは食事―――の隠喩なんだ。

 そういう根源的な欲望にゴツンと当たって、そこに在ることを気づかせるのがケッチャム。昔、「ジャック・ケッチャムが好きだ」なんてヤツは頭がイカれてると書いたが、今も変わらず読みたくなる。渇いた喉に飲みたくなる。

 血みどろ食人すぷらったーだからではない。もし、あなたが残虐スキーなら、閲覧注意の友成純一『獣儀式』、読むハードコア・スプラッタの『野獣館』、あるいは古典だけど破壊力抜群のサド『ソドムの百二十日』(≠『ソドム百二十日』)をオススメする。あなたを「こわす」読書になることを請合う。

 ケッチャムが嫌なのは、読み手が巻き込まれること。父ちゃんが食人族を拉致ってくるって状況は、どうみても狂ってるし、登場人物ことごとく入れないし、緊迫シーンでは閃くような残像描写で置いてけぼりにされる。でもね、純粋な目撃者になれる。見ているだけで何もできない。ただ、見ている対象と一体化する。ケッチャムは読み手を共犯者にする。

 こちらを見られずに、向こうだけを自由に“見る”ことは、一種の特権だ。すべての読者は、この特権を持っている。読書は視姦だ。これを知っているケッチャムは、「こうでしょ、こうでしょ」と笑いかけながら、読みどおりの展開に転がしてゆく(書きながら絶対笑ったはずだ、と確信もてる場面がある)。そして、見ているこっちを見つめ返してくる、タイトルにもあるウーマンが(読者と登場人物がオーバーラップする場面がある)。アドレナリンとドーパミンに塗れながら、カミソリ噛み締める気分になれ。

 そこには怒りとか嫌悪とかいう感情ではなく、食う・食われるという状態が上書きされる。感情移入じゃなくって、本能が上書きされる。ウーマンの中に自分自身を見つけるのは、本の中の登場人物だけじゃないことに気づいてゾッとする。文明で飼いならされた思考の贅肉やら“しきたり”というフレームワークが削ぎ落とされて、ヒリヒリする欲望(とりわけ食欲)にゴツンとぶち当たる。ここからは―――人によるのかも。わたしは「食いたい」よりも「食われたい」。

 今年最悪の読書を、お約束する。

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