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アグリカルチャーとアグリビジネスの間「食の終焉」

 「食」から斬ったグローバリゼーションの本質。

 食にまつわる、生産、加工、流通、消費の巨大なサプライチェーンを「食システム」と捉え、綿密な取材に基づき、それぞれの最前線で何が起きているか、互いにどう作用し、どこに向かっているかを分析する。激しく納得させられる一方で、厳しく反論したくなる、刺激的な一冊。

 500頁超のボリュームと、農学、経済学、生物学、人類史、環境工学、遺伝子工学、マネジメントと分野を跨がるアプローチにたじろぐが、どの切口も「目的」が鮮やかで、スリリングだ。というのも、これは犯人探しミステリのように読めるから。

 十億人が饑餓で苦しむいっぽう、十億人が肥満に悩んでいるのはなぜか?とても安全とはいえないものが食品流通に入りこむのはなぜか?生産者から搾り取られた利益はどこに"消えて"いるのか?そもそも、なぜこんなに食製品が安いのか?

 槍玉になるのは、食品総合商社、世界的な食品メーカー、メガ・スーパーマーケット、ファーストフード・チェーン、遺伝子組み換え作物を開発する多国籍バイオ化学メーカー、そして政府。誰のせいで、こんな食システムになったのか?"真犯人"が明かされるとき、驚きと納得で、怒り戦くことだろう。

 犯人をどうするかはさておき、問題の本質は経済としての「食」と生物学的な「食」の価値のズレにあるという。食システムは他の経済部門と同様に進化してきたとはいえ、食そのものは経済現象ではない。食システムを動かす経済的動機と、人の体の生物学的限界との関係が断絶したことが、様々な歪みを生み出しているというのだ。

 この結論に至るまでの道のりで、なかなか楽しい告発に出会えた。例えば、アメリカの市場主義は上っ面だけで、自由主義とは、「アメリカが自由にしていい」施策のあたり。債権をちらつかせ強引に市場開放させ、自国でだぶついた穀物を売りつける。代わりにモノカルチャーのバナナ共和国に仕立て上げるやり口だ。

 日本にもとばっちりがあったね。「アメリカ=自由市場、日本=保護政策」産業のコメ、半導体を買ってもらってるんだから、カリフォルニア米を買うべし、という某経済新聞のキャンペーンを思い出す。

 「誰が中国を養うのか」の件が最高だ。「農業大国」アメリカは名目上の話で、安価な穀物価格は、莫大な補助金なしではありえないという。過剰生産と価格低下のサイクルは中国へ向かう。中国はアメリカからの穀物輸入量を増やし、アメリカに還流する鶏肉を生産するという仕掛け。2016年までにアメリカは世界最大の食肉輸入国になるという。

 かつて世界を養っていることを誇った国が、今度は世界に養われる側に回ったのだという結論は、「誰が中国を養うのか」という見出しと逆説的で可笑しい。

 しかし、だ。ツッコミどころもある。興味深く食システムを抉り出すいっぽうで、完全に抜け落ちている面があるのだ。著者がどんな食生活を送っているかが透けて見えて、これまた可笑しい。

 それは、著者が提案する「解決策」に出ている。抽象的には、「自分自身の食管理を、自分自身の手に取り戻すこと」で、具体的には「魚を食え」という。牛肉、豚肉、鶏肉の代わりに、タンパク質は海から入手せよと提案する。著者が普段なに食べているか、よく分かる「提案」だ。

 確かに、ケロッグのシリアルで朝食、マクドナルドでランチ、TVディナーで晩飯の毎日で、「レンジでチン」を"自炊"と称するようなら分かる。だが、わたしたちの「食」はもっと多様だ。鶏肉、豚肉、牛肉だけ食べてるわけじゃない。

 例えば、「地球のごはん」。「食は文化」が、よく見える。世界30カ国80人の「ふだんの食事」を紹介しているが、ユニークな点は、本人と一緒に「その人の一日分の食事」を並べているところ。朝食から寝酒、間食や飲み水も一切合切「見える」ようになっている。

 もちろん「製品」としての食もあるが、「グローバル経済に支配されている」は言い過ぎだろう。その人の生き様同様、選択の余地はある。何を食べるのか、わたしたちは選ぶことができるのだ。

銀むつクライシス あるいは、「銀むつクライシス」。カネを生む魚がどのようにマーケティングされ、乱獲され、壊滅していくのを「銀むつ(マゼランアイナメ)」から追ったルポルタージュ。乱獲の現状を抉る一方で、代替魚がいかに豊富かをも示している。

 化学肥料でドーピングされた土壌が流出するところまでは「食の終焉」で示されているが、その栄養素がどこへ行くかは語られていない。ここからわたしの仮説になるが、ハーバー・ボッシュ法により大量生産・消費されるようになった合成肥料は、100年かけて流出し、海を肥沃にしているのではないか。栄養過多の海は、かつて"赤潮"と呼ばれる環境問題だったが、そうした栄養は深海へ沈んでいる(もしくは沈下中)なのではないか。

 絶滅が懸念されている一方、豊漁による価格崩壊も聞く。海洋生物が増殖している・大型化している統計情報は得られていないが、かつてないほど海は豊穣となっていると考える。「食の終焉」の著者とは異なるアプローチだが、食の未来は海にあるという結論は一致する。日経サイエンスの「世界の人口を養う“窒素”の光と影」に当たってみよう。

 食システムの真犯人を追うのもよし、真犯人の「その後」を想像するのもいい。調査のボリュームに圧倒されつつ、著者の「穴」を探すのも楽しい。スリリングで、刺激的で、ツッコミたくなる一冊。

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