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読書する少女がエロティックな理由「文学少女図鑑」

 ええ、もちろん変態ですとも。女の子が本を読んでいる姿に、いたく興奮するから。高校のとき、あの子が読んでた一冊をコッソリ盗み見し、必死になって探したもの。やたら尾崎翠率が高く、クラスで流行ってた村上春樹は「男に都合いいエロ本」と両断してたなぁ…

 本に夢中になっている横顔を斜めから見つめる。後れ毛と耳の形を確認し、わずかに開いた唇のシルエットを凝視する。視線に気づいて振り向いて、あわてて隠そうとする様も可愛ゆし。

 本書は、そうしたわたしの欲望を充分に満足させてくれる。なぜならこれは、「読書好きな女の子がお気に入りの本を読んでいる、そして、それを紹介しているという、ただそれだけの本です」から。

 タイトルに「文学少女」と銘うつが、いかにも少女から、妙齢の美人までとり揃えている。高校生、大学生、会社員、年齢も職業もさまざまだが、共通している原則がある。

 それは、「本人が」「ガチで」「オススメ」しているところ。かわいい女の子を見つけてきて、いかにも似合いそうな本を持たせて、それっぽい所で撮ってきたのではない。ホンモノなのだ。だから、こちらが赤くなりそうな初々しい取り合わせや、ドン引きしたくなる強烈な奴まで、色々ある。

 たとえば、「され竜(されど罪人は竜と踊る)よりも、後味悪く、むなくそ悪いから『Strange Strange』がイイ」という女子大生に惹かれる。もっと後味の悪いのあるよ、とイケナイ本を教えたくなる(そして『変態ッ!!』って罵ってもらうんだ)。

 あるいは、「一行読んだだけで、恋に落ちました」と魅惑的なコピーでオススメしてくるのは女優・小宮一葉さん。見目も素敵な上に、手にしているのは、ガルシア・マルケスの「エレンディラ」。ちょっとオジさんと呑みに行こうか、と近づきたくなる(そして、『やだこれ~あっちに行ってもらえます?』って追い払ってもらうんだ)。

 好きな小説を告白することは、自分の感性をカミングアウトすること(『心のヌード』とはよくぞ言ったものなり)。これが大人の階段のぼると、臆面なくなったり、反対に羞恥プレイのネタになる。

 それと知ってか知らずか、感受性を丸裸にして身を任せている少女を、思う存分眺めることができる。ただ本を読みふけっているだけなのに、すごくエロティックに見えてしまうのは―――わたしが変態だからだけじゃない…はず。

 おまけ。中の人からオフィシャルサイトを教えてもらう(ありがとうございます@hagiwaraosamu)。文学少女のお試しとしてご観覧あれ→[文学少女図鑑・フォトギャラリー]

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「この世で一番おもしろいマクロ経済学」で見晴し良好

 経済音痴のわたしに最適な一冊。

 そして、素朴な疑問「経済学者はバカなのか」に対する解答が得られた。その答えを言おう、経済学者はバカではない。むしろ利口な方なのに、バカと呼ばれているだけなんだ。

 つまりこうだ。マクロを取り巻く知見が不安定なのは、経済の性質について相反する主張があるから(本書では、経済を「円満な家庭」と見なす派閥と「崩壊家庭」と考える派が対立する)。政府の役割についての意見も違う。政府とは、成長と安定を促す「よい親」と考える人と、「悪い親」だから手出しするなと主張する人が、これまた争う。

 それぞれ信じるイデオローグに固執し、互いが互いをバカ呼ばわりするからややこしくなり、岡目八目、経済学者は何なの? バカなの? という話になるのだ。本書では、それぞれの「宗派」を両論併記で並べているため、一瞬混乱するかもしれない(幾度「どっちやねん!」とツッコミを入れたことか)。

 だが、『そういうもの』なのかもしれない。流行のように入れ替わって、時の政府が採用した派が巨額マネーを動かして、ノーベル賞をせしめる。ノーベル賞をもらう経済学者の主張が、年によってあべこべなのは、経済学自体が揺れている証左なんやね。マクロ経済学のジョークに、こんな秀逸なのがある。

  問題はいつも同じなのに
  答えは数年ごとに変わる

 では、マクロ経済学の問題とは何か? 大目標は2つある、「経済成長を説明すること」、そして「経済崩壊を説明すること」という。本書では、金融政策、政府の役割、自由貿易と比較優位、外国為替や景気循環といった観点から、この目標への道筋をつけてくれる。

 もちろんコミック形式で分かりよさを目指したものだから、ざっくりした説明でしかない。それでも、「地球温暖化を解決するための『市場』の使い方」や、「財政破綻せずに高齢化社会を乗り切る」といった問題への取り組みは見える。

 ただ、それぞれの党派の解決策を併記しているので、「どっちやねん!」とツッコみたくなるかもしれぬ。それでも、どこかの派閥に即した「経済学入門」を読んでしまい、その色に染まってしまうよりは良いかと。経済学という入口に立って、全体を見渡すのにちょうどいい一冊。

 姉妹本として「この世で一番おもしろいミクロ経済学」がある。マクロ経済は数年でガラっと変わるのと違い、ミクロ経済は、100年たっても間違いなく、ほぼ今と同じなんだそうな。ミクロが安定しているのは、注目する基本の話が一緒だから。著者ヨラム・バウマンはこう喝破する。

  昔々
  最適化する個人がおりましたとさ…
  あとは全部数学よ!

 あわせて読むと、いっそう見晴らしが良くなる二冊。

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「早川書房・東京創元」のスゴ本オフ

 好きな本を持ち寄って、まったりアツく語り合うのがスゴ本オフ。知ってる本を手がかりに、知らない人と出会い、その人のオススメを手にする。読書の世界が拡張する。

 今度は豪華だ、東京創元と早川書房の2つの出版社シバリのスゴ本オフだ。SF、ミステリ、ホラー、ファンタジー、ノンフィクション、早川書房と東京創元の本ならなんでもあり。それぞれのマイベストを紹介してもよし、知られざる逸品を持ち込んでもいい。

 日時:10/28(日)13:00-20:00
 場所:千代田区麹町
 参加費:2千円
 申込:以下のいずれかでどうぞ
  1. faceboook「早川書房X東京創元」最強タッグ 締め切りました
  2.以下をここにメールして。 締め切りました

  ニックネーム:
  紹介する本(何冊でもOK):
  Ustreamで顔出しOK/NG:

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「スゴ本オフとは…」の簡単な紹介

  • 一言なら、オススメ本をもちよって、5分でプレゼンする読書会。最後はブックシャッフルといって、本の交換会をします
  • 当日はtwitterやUstreamで実況します。@zubapita、@yasuyukima、そしてUstream「sugohon」をチェックしてください
  • ブックシャッフルする本は、「放流」なので、基本あげちゃう。あげるのNGな方は紹介だけもOK。そのときは、放流用に別の本をご用意くださいませ
  • 「すごい読書家がウンチクを傾けあう会」というイメージがあるらしいが、違う。「これだけはオススメしたい」という熱度を分かち合う会が近い。宝探しというか狩り場だね
  • 直近やったのは「スゴ本オフ@ホラー」、恐~い本が集まりました。過去のスゴ本オフは、右下あたりの「スゴ本オフ」に並べてあります

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松丸本舗へ狩りに行け

 みんなでブックハンティング@松丸本舗の報告。

 「本屋は一人で行くもの」という固定観念を破って、集団で狩りに行く。気ままにぐるぐる周回し、コレハ! というのをオススメしあう。単独だと気付かなかった逸品を紹介されたり、反対に教えてあげられたり。「みんなで本屋めぐり」は視野がグンと広がるので是非。

 それも、ただの書店ではつまらない。松岡正剛の書棚ともいえる松丸本舗でハンティング。ふつうの書店なら「買う/買わない」の判断は容易い。「二度読むか否か」で即断できるから。だが、松丸本舗は読書欲よりも"物欲"が刺激されるので危険だ。読みたい本より欲しい本があるから。評判は知ってて、ずっとガマンしていた欲望が放出されるので、財布がピンチになる(カード使えるので要注意)。

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 最初は独りで、次は声を掛けていただいた方とオススメあいながら循環する。もともと変化に富んだ書棚なのだが、今回、根本的な変動があったのが目を惹いた。コアを囲う棚のセレクトが、大幅に変わっていたから。

 周囲の棚は専属の店員さん(BSE : Book Shop Editorと呼ぶそうな)が作っていたのだが、この『顔』を前面に押し出し、「この人が選んだこの本」という場ができている。既読を頼りに人を探し、その人がオススメする未読を選ぶというスタイルは、まさにわたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいるの実践なり。

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 コアの書棚(本殿、と呼ばれている)は流石に完成されているので流動性は少ない。「完成された」は誉め言葉でもあるが、「動かない」はマイナスにもなる諸刃の剣。もちろん買われた一冊と同じ一冊は補充されるが、「松丸本殿」に新たな一冊(≠新刊書)が入ることはない。関連する新刊が差し込まれることはあるが、店主の吟味をくぐっているのだろうか。

 ここに来る人は、新しい本を求めているわけではなく、新しい知を得たいがためにエスカレーターを上ってくる。何度も通うと、コンセプトや斬り口で集散をくり返すだけで、全体としての流動性は(1~3Fと比較すると)低いことが分かる。だから、澱まないために外の血―――すなわち、他者の書棚や他人のレコメンドを注入するのは正解だろう。

 先日ここで指摘した「松丸本舗にないもの=生活臭」へのまさにカウンターとなる本が見つかった。これだ。

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 日常から乖離した超人的な教養人だから、生活感のある本はそぐわないんじゃないかと思っていた。だが本書を見る限り、書店員さんが押し込んだんじゃぁないかと。ちなみにこれ、マチャミさんが発見、「ほら、生活関連の本あるでしょ」って言いながら。参りました、独りだと見つけられなかっただろう。

 以下、参加者いただいた方や、わたしの戦利品なり。

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 次回の松丸オフは以下の通り。残念ながら9末に閉店のため、本好きはいまのうちに目に焼き付けておくべし。赤いウエストバックでウロウロしているわたしを捕まえて、「これがオススメ!」「○○な本を探してるんだけど…」なんてオフ会にしようず。

 日時と場所 9/15(土) 12:00~17:00 松丸本舗
 参加費無料、申込不要、途中参加・途中退出OK
 終わったら、有志で一杯やりましょう


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打ちのめされるようなすごい本「笹まくら」

 過去が襲ってくるという感覚を、知っているか

 昔の失敗や、封印していたトラウマが、いきなり、何の前触れもなく、気がついたら頭いっぱいを占めている、あの感覚だ。あッという間も、逃れようもなく組み敷かれ、後悔の念とともに呆然と眺めているしかできない。

 きっかけは、ちっぽけだ。些細な出来事だったり、たあいのない会話の言葉尻だったり。だが、ひとたびトラウマが鎌首をもたげると、蛙のごとく動けない。そして自分は、「あのときは、どうしようもなかった。ああするしかなかった」と、ひたすら、言い訳をする(己が壊れないためにね)。

 これを二十年間やった男の話。だが安心するがいい、これは読者の過去やトラウマに絶対ひっかからない、徴兵忌避した男の話だから。戦争中、全国を転々と逃げ回った過去が、二十年後のしがないリーマン生活に、フラッシュバックのように差し込まれてくる。

 この差し込まれ具合がスゴい。戦中と戦後の跳躍が、一行空きなどの隔てなく、シームレスにつながる。戦後の日常生活からいきなり戦中の逃亡生活に変わっている。ジェイムズ・ジョイスの「意識の流れ」手法を巧みに使っており、行きつ戻りつがスリリングな読書になる。わたしの生活とも人生ともまるで違うにもかかわらず、うっかりすると「もっていかれる」読書になる。

 だが、徴兵忌避は罪なのか、「過ち」なのだろうか? もちろん戦時中は犯罪だったが、戦後は掌を返したように扱われる。英雄視するやからも出てくる。「抱いて!」という女も出てくる。本人はヒーロー気取りでやったわけではないのに。

 そして、相手の言動を絶えず再評価しようとする───「自分の徴兵忌避の過去を知っているか」「徴兵忌避について賛成か反対か」───という判断基準で。この、「自分がどう見られているか」を常にチェックする態度は脅迫観念じみており、疑心暗鬼を二十年続けてきた中に、一種の狂気を見てとることができる。

 一方で、「ズルしやがって」「うまいことやりやがって」という後ろ指さされ感がイヤらしい。断じて「ズル」のつもりではなかった。名分なき戦争への反対、「自分が戦うにふさわしいものか」という問題を思い詰めた上での行動であって、反国家意識からではなかった。

 むしろ、いつ捕まるか分からない、不安と恐怖のなかの絶望的な逃走だった───のだが、本当なのだろうか? 二十年も経過すると、かつての「決意」の記憶も薄らぐ。プリンシパルを結論づけたわけでもなく、ただ勢いに乗じた若さゆえのことだったこと───それに気づかないよう、自分の意識を上手に回避させてゆく。この「見ないように」する姿勢もイヤらしい。

 これ、「信用できない話り手」の技法を組み合わせると、ものすごく面白く読める。徴兵忌避という過去を言い訳に現在の行動基準・評価軸があるものの、そもそもそんなことをしでかした原因に目を背けつつ、結果の「徴兵忌避」だけに汲汲とする姿勢は、まさに戦争について日本人がとり続けている態度をずばり指しているようだ。

 つまり、「戦争でしでかしたことについて、どう見られているか」ばかり気にして、そもそもそんな戦争に至った原因を見ないようにしている、という姿勢のことだ。主人公の負い目は、日本人の後ろめたさとオーバーラップする。主人公の名前は、二つある。偽名「杉浦」と、本名「浜田」だ。戦中と戦後、二人の主人公の連続性と、名前を使い分けることで過去を隔離しようとする断続性が、戦中と戦後の日本人のメタファーであるとするなら、これほど強烈な皮肉はない。

 戦前と戦後が重なりあう。過去と現在が立体的に絡み合い、読者をより合わさった意識の世界に連れて行く。日本は、昭和二十年八月十五日を契機に、全く別の新しい社会に生まれ変わったわけではない───そういう思いが伝わってくる。

打ちのめされるようなすごい本 本書は、米原真理「打ちのめされるようなすごい本」で、打ちのめされるようなすごい本としてオススメされていたもの。たしかにそのとおり、技法としても面白さとしても傑作なり。

 過去が襲ってくる、思い出に呪われる感覚に鳥肌を立てろ。ただね、トラウマとなった逃亡生活なのに、振り返ると、あれほど輝かしく、自由で、のびのびとした瞬間はなかった、と見えてしまう。セックスであれ、食べ物であれ、戦中のほうが生々しく、いかにも生きているように描かれている。

 「人生がGAMEOVERになっても続くなんて、誰も教えてくれなかった」という至言がある(tumblrで拾った)。このセリフをぶつけたくなる、鮮やかなラストに打ちのめされろ。


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魔法少女のガチバトル「魔法少女育成計画」

 どうしたらプリキュアになれるか?

 ずっとわたしを悩ませて続けてきた。ずば抜けた身体能力を持ち、格闘戦に長け、必殺の癒し砲を放つ伝説の戦士。ご町内の困った人を助け、ご近所の平和を守る、魔法少女に、俺はなる!決心してから幾年月たったことか。

 ところが、娘があっさり答えを出す。しれっと「こないだの映画で一緒に観たじゃん」とまで言う。プリキュアオールスターズの名台詞のこれだろう───「誰かを守りたい、その心が女の子を強くする」。そして、あなたがプリキュアになるための5つの方法を見ると、わたしだって可能性はある。

 だが問題は残る。プリキュアになって、俺は何をするのか? 魔法少女になることで、いや、その契約をすることが、いったいわたしの生活が、運命が、どう変わってゆくのか?

 答えは本書にある。殺し合う魔法少女16人のどこかに、わたしがいる。試したいのだ、己が力を。超人的な力を手にしたら、やってみたくなるのが人情。プリキュアだと変身するのは敵が現れてから。では、皇帝ピエーロもおらず、苦労カード集めもなく、せいぜいご近所の平和を守る程度だったとしたら? 平和な世では、魔法少女の力を発揮する相手は、魔法少女しか、ぶっちゃけありえない

 これを実現したのが本書。音を操ったり、無生物に変身できたり、はたまた心の声が聞こえるといった、JOJO的能力を授けられた魔法少女たちが、生き残りを賭けて殺し合う。カンタンにまとめると、まどか☆マギカの面子をムリヤリ増やしてバトルロワイヤルにしたのがこれ。

 「いかにしていたいけな少女達を殺すか」に心を砕いた著者は、無慈悲に、苛烈に、残虐に、少女たちの命を砕いてゆく。「このライトノベルがすごい」と銘打っているが、ライトノベルのコードを逸脱しているのではないか? と思えてくる。わたしは大好物だが、吐き気がこみあげてくる人もいるかと思うので、表紙のかわいらしさに騙されないように。

 サバイバルバトルの先に何があるのか、そもそもなぜそんなことになったのか、映画「ハイランダー」ちっくなラストにぎょっとした。だが、生き残りがわたしだったとしても、同じ選択をしただろう。

 そうだ、娘はもう一つ、大事なことを言っていた。「プリキュアになるには、運がよくないと」、そのとおり。登校中にキャンディに激突するのも運だ。同様に、魔法少女になって、なおかつ生き残るためには、運こそ一番大事なのかもしれない。

 魔法少女になりたい全ての人に。

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この本が怖い!スゴ本オフ@ホラー報告

 いちばん怖い本はこれだ。

 もちろん人による、何を怖がるかは。幽霊が怖い人もいれば、借金を恐れる人もいる。だが、まんじゅう怖いならお茶も怖がるように、恐怖には傾向がある。血か魂か、怨か愛か、超常か日常か、怖さの方向を吟味した、ガチ・ホラー・ベストはこれだ。

 同時に、スゴ本オフ@ホラーで出てきた、さまざまな人にとってのベストホラーも一緒に紹介しよう。何を怖がるかは人によるため、怖さの方向が、その人の「ひととなり」を表してくれる。

 ジャンルも世界も表現も種々雑多、まずはこれらをごろうじろ。

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 わたしの場合、異形を内面に認めたときが、いちばん「怖い」と感じる。子どもの頃から、異物が怖かった。なじみのないもの、知識がないもの、対処の経験がないもの、どう対応してよいか、分からないものを恐れた。これは、異質なものを排除しようとする本能が働いていたのだろう。悪霊や妖怪やゾンビを恐れたのは、そこからきている。

 異形なものを自分自身の中に見いだして、ぞっとする。排除すべきもの、忌むべきものを、他ならぬ自分の中に見つけてしまう。誰でも、自分から逃げることはできない、どこまで逃げても、自分と一緒なのだから。

 象徴的のは、血だ。身体に欠かせない存在なのに、それが出てくるということは、非日常になる。どうやらこれは、雄の発想らしい(嫁さんに告白したら鼻で嘲笑われた)。切断された肉体からほとばしる血潮とか、美しかった裸体が腐敗する様を鮮やかに描いたのが、「無惨絵」。ジャパニーズ・スプラッタの金字塔ともいうべき傑作だ。

 スゴ本オフ「POP」にて、最も戦闘力の高い本として「江戸昭和競作 無惨絵」が紹介されたが、思わず目を背けたくなる、圧倒的な画集だった。長らく絶版状態だったのが復刊され、丸尾末広と花輪和一の絵のみが採録されている。

 いっぽう、ジャパニーズホラーの傑作は「真景累ヶ淵」だ。「自分の中に異形を認める」読書になる。いわゆる怪談噺で、死んでも死にきれない怨念が化けて出る話なんだけど、怨霊そのものよりも、生きてる人間の方が怖い。なぜなら、取り憑かれ、呪い殺されるような人間は、それなりの悪行を積んでいる(分かりやすい因果応報)。

 だが、生きている人は際限がない。ぶっちゃけ、因業は、「血」「色」「銭」の三原色でに塗りつぶされている。カネが欲しい、あの女が欲しい、妬ましいといったきっかけで、両手を血に染める。良心のカケラも無さ、あさましさ、畜生っぷりにおののく―――と同時に、程度の差こそあれ、同じような業に自分自身も囚われていることを見せ付けられる。

 異質なはずの「業」を自分の中に見いだしてゾッとする。呪われた血筋とか、狂った思考を自らの中に見いだしたとき、「おまえだ!」と指差されたようなショックを受ける。幽霊は見るものの心にある。怖がっていたわたし自身が、実は怖がる対象だったことに気づいたとき、世界のどこにも逃げ場がなくなる。もっとも恐ろしい瞬間だ。

 中公クラッシックの新書は放流できなかったので、代わりにコミック版の「累」にする。怖いというより哀しさが前面に出てくる。また、トラウマンガ(トラウマ+マンガ)の金字塔である「地獄の子守歌」(日野日出志)と「関よしみ作品集マッドハウス」も放流する。

 「日常の中の非常」は、ホラーとしてなじみ深い。貴志祐介「黒い家」が一番怖いという人は、その理由として「明日はわが身」と言い切る―――たしかに。狂った粘着さんに目をつけられたら、日常は木っ端微塵になるね。「向日葵の咲かない夏」を、いつもと同じ世界が「揺らいでいく」のが怖いと言ったのはやすゆきさん。日常の中の「非日常」が逆転して取り込まれていく怖さなのか。

 興味深いのは、チャイナ・ミエヴィル「ジェイクをさがして」。SFホラーでラヴクラフトの系譜を引き継いでいるらしいが、「見えることと見えないこと」に執着しているとのこと。そこに所収されている「ボールルーム」が嫌ぁな話みたい。託児所で子どもが消える…で始まるのだが、何かが起こっていることは分かっているのだけれど、「何か」がよく分からない、見えないという恐怖。「何か」を描かないから、読み手は想像力を働かせる。

 暗闇とか幽霊というのは、「見えないから恐い」のであって、文字どおり枯尾花なのかもしれない。「見える=日常」「見えない=非日常」とすると、やたら暗闇を演出するジャパニーズホラーは定番かも。そして、その逆を突いた設定がジョゼ・サラマーゴ「白の闇」になるね。

 逆転した設定「非日常の中の日常」は、面白い。そこにホラーを見いだす発想がわたしになかったので、非常に新鮮かつ説得力があった。例えば、新井素子「ひとめあなたに」の、もうすぐ隕石が落ちてくることが分かっている「日常」の話。世界が終わるのに受験勉強に勤しむ女の子のエピソードなんて、確かにホラーだ。あるいは、映画になるが「ゾンビ」(Dawn Of The Livingdead)の舞台がショッピングセンターだから際立つ。買い出し(というか略奪なんだけど)に行くシーンは、日常ちっくなのに非常に異常に見えてゾクゾクする。

 日常から非常へのシフトが得意なのは、スティーブン・キングだろう。今回オススメされた「ローズマダー」「呪われた町」をはじめ、「霧」や「シャイニング」なんて、正常と異常の継ぎ目が見えないように上手く描いている。読んでる当人は変わらないから、「あれ? おかしな世界を"当然のもの"と見なしている私って?」と気づいてゾっとする仕掛け。一番怖いとプッシュされたのが「ジョウント」―――ああ、これは怖いというより嫌ぁな話。閲覧に注意を要する「5億年ボタン」が好きな人は大好物だろう。

 「ホラー」を御題にして面白かったのは、多くの方が、「ホラーって何だろう?」「怖いってどういうこと?」から入ったこと。例えば以下の発想はなかったので目ウロコ。そしてオススメするのが恩田陸「Q&A」なのが良いですな。

  1. ホラーとは恐怖だ
  2. 恐怖とは、恐ろしいと怖ろしい
  3. 「恐い」とは自分から一線引いた向こう側への怖さ
  4. 「怖い」とは自分の内面・主観的に感じるもの
 その延長で、「いちばん怖いのは、生きている人間だ」にたどり着く。まぁ大人の皆さんだし、スーパーナチュラルへの畏怖よりも、人間関係のトラブルのほうがやっかいだからね。でも、そこで持ってくるのが、五十嵐貴久「リカ」なのが余計に怖い。これは、メールだけの、たわいのないつきあいだと思っていた相手が超弩級のヤンデレだったという話。「あたしリカちゃん、今あなたの後ろよ」的な怖さをリアルに見せる。オチを叩く人もいるが、これがオフ会で出てくるのに意義があるぞ。

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 また、「溜まっていく怖さ」を指摘され、確かに「あるある!」と思った。「新耳袋」や「百物語」のことだよ。一つ一つの話はそれほど恐くないのだけれど、溜まっていくうちに怖さのヴォルテージが上がっていく。だんだん逃げ場を失って、精神的に追い詰められていくのが、たまらなく嫌。杉浦日向子「百物語」や山岸凉子「汐の声」なんて、まさにそのまま。どちらも怖さは一級品なので、未読の方はこれで涼んで下さいませ(わたしは真冬に読んで、トイレに行けなくなった)。

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 ゲームもあるかな~と期待してたら、あったので嬉しい。「弟切草」「学校の怪談」かと思いきや、「スーパーダンガンロンパ」が!学校という閉鎖空間で殺し合いをしてくださいというバトロワもの。曰く、サスペンスホラーだそうな。まなめもプッシュしてたし、その場で買う。ちなみにわたしは、ニャル子+まどマギつながりで「沙耶の唄」を放流した。エロゲというよりグロゲーだが、「狂った世界で狂わずにいるための、幼女とのピュアなラブストーリー」なんてプレゼンしたら女性陣が興味津々ノってくる。いいね!

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 気づき&課題図書たっぷりの楽しく恐ろしい会でしたな。怒涛の勢いで書いてしまったが、思ったこと、伝えたいことはまだまだありまくり。「ホラー」は一回ものじゃなくてシリーズにして、ホラー専用読書会にしたいくらい。「ヴァンパイア縛り」とか「一番怖いマンガ教えろ」とか。

 ラインナップは以下の通り。プレゼンされたり、twitterでオススメされたものを並べた。「嫌な」から「おぞましい」まで、怖い本、あります。

    ■生きてる人間が、いちばん怖い
  • 「黒い家」貴志祐介(角川ホラー文庫)
  • 「リカ」五十嵐貴久(幻冬舎文庫)
  • 「向日葵の咲かない夏」道尾秀介(新潮文庫)
  • 「初恋」吉村達也(角川ホラー文庫)
  • 「隣の家の少女」ジャック・ケッチャム
  • 「教室の悪魔」山脇由貴子(ポプラ社)
    ■古典は恐怖を知っている
  • 「真景累ケ淵」三遊亭円朝(岩波文庫)
  • 「遠野物語」柳田国男
  • 「百物語」杉浦日向子(新潮文庫)
  • 「冥土」内田百けん、金井田 英津子(パロル舎)
    ■ビジュアルの怖さ―――ゲーム、コミック
  • 「デビルマン」永井豪
  • 「地獄の子守歌」日野日出志
  • 「沙耶の唄」ニトロプラス
  • 「無残絵」丸尾末広、 花輪和一(エンターブレイン)
  • 「スーパーダンガンロンパ」SPIKE
  • 「バットマン:アーカム・アサライム」
  • 「マッドハウス 関よしみ作品集」関よしみ(ぶんか社)
  • 「諸怪志異(三)鬼市」諸星大二郎(アクションコミックス)
  • 「ポーの一族」萩尾望都(小学館文庫)
  • 「汐の声」山岸凉子
    ■この作家が怖い
  • 「漂流教室」楳図かずお
  • 「恐怖劇場」楳図かずお
  • 「ローズマダー」スティーブン・キング
  • 「呪われた町」スティーブン・キング
  • 「ジョウント」スティーヴン・キング(「神々のワードプロセッサ」所収)
  • 「厭な小説」京極夏彦(祥伝社)
  • 「朱鱗(うろこ)の家 絵双紙妖綺譚」皆川博子/挿絵・岡田嘉夫
  • 「おしまいの日」新井素子
  • 「ひとめあなたに」新井素子
  • 「グリーン・レクイエム」新井素子
  • 「インタビュー・ウィズ・バンパイア」アン・ライス(早川文庫)
  • 「クイーン・オブ・ザ・ヴァンパイア」アン・ライス(早川文庫)
    ■アンソロジーと規格外の怖さ
  • 「Q&A」恩田陸(幻冬舎文庫)
  • 「贈る物語 Terror」宮部みゆき編(光文社文庫)
  • 「淑やかな悪夢 英米女流怪談集」シンシア・アスキス(創元推理文庫)
  • 「檻の中の少女」一田和樹(原書房)
  • 「ジェイクをさがして」チャイナ・ミエヴィル(早川文庫)
  • 「カンタン刑」式貴士(角川文庫)
  • 「真夜中の檻」平井呈一(創元推理文庫)
  • 「運命が見える女たち」井形慶子(ポプラ文庫)
  • 「短劇」坂本司(光文社文庫)
  • 「黒揚羽の夏」倉数茂(ポプラ文庫ピュアフル)


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スゴ本オフ「親子でドキドキする本」

 好きな本をもちよって、まったりアツく語り合うスゴ本オフ。今回は趣向を変えて、子どもと一緒に楽しむ会、「親子でドキドキする本」をテーマに、オススメしたり語ったり、上手な語りに聞き入ったりする午後でしたな。

 いつもの KDDI Web Communications さんも飾り付けられてたりする。

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 実をいうと、テーマを一度、変えている。最初は、夏だからホラー系かなと聞いてみたら拒絶反応。ダメな理由は「どれくらい怖いか、分からない」とのこと。確かにそうだ。何が怖いかは人によるが、どこまでなら怖さを楽しめるかは、経験によるから。なので、怖いよりも「ドキドキする本」になったのだ。

 「ドキドキする本」なら、怖いだけでなく、「楽しい」も「知りたい」も入ってくる。魅力的なキャラクターにドキっとしたり、思いもよらない意外な展開にハラハラしてもOK。嬉しくってワクワクしてもありなのだ。

 人ン家の読書事情がうかがい知れて面白い。定番の福音館もあれば、知育的なのもある。親が読むと子も読むんだなーと思い知らされる。わたしの子? もちろんコミックですぞ(なにより親がマンガ好き)。

 娘が紹介したのは、「ショコラの魔法」というゴスロリ魔法少女の話。「笑ゥせぇるすまん」もしくは「地獄少女」的なストーリーなんだが、少女マンガにしては陰惨なり。何でも望むものと引き換えに、自分の何かを渡さなければならないという設定が、とてつもなくアレを思い出させるのだが、こっちが老舗。「美声を手に入れた代償として顔を潰された」少女の話とか、かなり嫌話。後で知ったんだが、「ちゃおホラーコミックス」というシリーズがちゃんと確立されているんやね。

 わたしが紹介したのはエドワード・ゴーリー「ウエスト・ウィング」。怖い絵本としては最ドキドキに入るが、ハマれるかどうかは人を選ぶ。全編いっさい文字が無く、どこかの屋敷が淡々延々と描かれる。「ウエスト・ウィング」とは何か、何が出てくるのか、何を伝えたいのか、全く分からない。でも「何かがいる…!」という嫌~な感覚は読み手の背筋に忍び込む。想像力を掻き立てられる読書。

  • 「大千世界のなかまたち」スズキ コージ
  • 「ショコラの魔法」みづほ梨乃
  • 「ウエスト・ウィング」エドワード・ゴーリー
  • 「人狼村からの脱出」SCRAP
  • 「いわいさんちのリベットくん」岩井俊雄
  • 「まんぷくでぇす」長谷川義史
  • 「ドラゴンスレイヤーアカデミー」ケイト・マクミュラン
  • 「恐竜のくれた夏休み」はやみねかおる
  • 「キツネたちの宮へ」富安陽子
  • 「おしいれのぼうけん」古田足日
  • 「とっとこ とっとこ」まついのりこ
  • 「うみのべっそう」 竹下文子
  • 「ソーダ村の村長さん」
  • 「魔女がいっぱい」ロアルト・ダール
  • 「光車よ、まわれ!」天沢退二郎
  • 「どろぼうがっこう」かこさとし
  • 「数の悪魔」ハンス・マグヌス
  • 「電人M」江戸川乱歩
  • 「おつきさまこんばんは」林明子
 「怖い」といえば、初対面の大人・子どもを相手に話すという行為そのものが怖かったのかもしれない。恥ずかしがったりためらったりするのも分かる。子どもにとって、「初めてのことをする」は、ちょっとした恐怖体験なのかも。

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 そしてお楽しみ朗読会。「ちっちゃい ちっちゃい」は年齢に拠らずドキドキさせられる。「かいじゅうたち」をあえて外したセンダック「まどのそとの そのまたむこう」は面白かった(これは読むより聴く話)。どこかで聞いたことのある「エパミナンダス」の会話調も聞いて楽しい。そしてこれか!と思わず膝を打ったのは「くわずにょうぼう」。怖いから少しズらした作品なり。

 twitter実況は親子でドキワク! スゴ本オフ「ドキドキお話会」まとめをどうぞ。やすゆきさんの『スゴ本オフ ホラー本の会』は昼間のお話の会からナイスな盛り上がりだった件だと会場の雰囲気がよく分かりますぞ。

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経済学者はバカなのか「さっさと不況を終わらせろ」

 どうやらバカは、わたしだね。

 なぜなら、これだけ丁寧に説明されても、理解できないから。いや、本書が難しいわけではない。クルーグマンの主張は明快だし、処方箋も具体的で分かりやすい。忙しい人は巻末の「訳者解説」から読もう。訳者・山形浩生が簡潔にまとめてくれている(毎度毎度ありがたい)。

  • 今(2012年)はまだ、リーマンショック以後の不景気が続いていてまともに回復してない。失業者の技能や労働市場での価値の低下から、その害が一時的なものではなく、長期的な被害になりつつある。だから景気回復策をきちんとやろう
  • その手法も明快で、昔ながらのケインズ的な財政出動をやろう。赤字国債を出して、大量の公共事業をやろう
  • いままで行われている景気刺激策は小さすぎる。これまでの規模の数倍をどーんとやるべきだ。ちゃんとGDPの需要と供給のギャップを見て、それを埋める規模のものを一気にやるべきだ。中央銀行はそれを金融緩和で徹底的に支援すべきだ
 この主張の背景・歴史・理由を噛み砕き、反対する人々がいかにダメなのかを徹底して説いたのが本書。わたしが理解できないのは、反対派の理由だ。クルーグマンは、こう表現する。
  • 感情的になっている
  • 過去の間違いを認められない
  • まちがった信念にしがみつく
  • 経済学を道徳劇として見たい欲求
 最後の、「経済学を道徳劇として見たい欲求」とは、「それまでの不品行に対する罰として扱いたい動機」なんだそうな。どれも、まともな反対理由に見えない。そんなバカみたいな理由で、本当に反対しているのだろうか、信じられない。まともな根拠があるんじゃないの?

 断っておくが、ブログで見かける「僕の考えた施策」ではない。なんちゃって教授や、経済学を振りかざす暇人は、ネットのおかげでたくさん可視化されるようになった。だが、そうした人々が「感情的」になったり「経済学を道徳劇する」のは、心の底からどうでもいい。そんな遠吠えではなく、現実の経済施策に影響力を持つ人が反対するまともな理由をこそ、知りたいのだ。

 本書では、影響力を持つ人を名指しで迎撃する。ヘリテッジ財団のブライアン・リードル、ジョン・ベイナー下院議員、ビル・クリントン元大統領、シカゴ大学のユージーン・ファーマの発言をとりあげ、無知・思い込み・感情といった側面から斬って捨てる。彼らが反対する理由は、もっと「まとも」なものがあるはずだ。著者の都合に合わせてフィルタリングされたため、実証的な反例がないのだろうか?

 実は一件ある。ハーバード大学のアルベルト・アレシナの「財政調整の物語」が、緊縮財政の拠り所なんだそうな。これは、財政赤字を減らそうとした国を調査した論文で、緊縮が経済拡張につながった例が沢山あるらしい。だが、クルーグマンによると、これはちゃんと検証されていない論文だという。例えば、証拠として挙げられる1990年代のカナダは、緊縮財政のおかげではなく、お隣のアメリカの好況が原因なんだって。赤字削減と経済の強さに相関があるからといって、因果関係にはらなぬという。

 クルーグマンの主張が明快で腑に落ちる分、反対派の理由は、「まちがってるからまちがっている」ように見えてしまう。最初の「まちがってる」はクルーグマンの主張と異なっていることを指し、後の「まちがっている」は現実の失敗を指す。同じ問題に取り組んでいるのに、違う信念に基づいているため、異なる解法になるのだろうか。

 財政出動の反対派の理由について、クルーグマンに説明を求めるのが誤りかもしれぬ。ケインズとは異なる立場を持ち、実際の経済施策に影響力を持つ人―――小野善康をカウンターにしてみよう。小野は内閣府の経済社会総合研究所所長で、Wikipediaによるとケイジアンとは違う意見を持っているようだ。中公新書「不況のメカニズム」が適当だろうか。菅直人との対談「節約したって不況は終わらない」あたりが面白そうだ(実際に起きたことと比較して採点できるから)。

 というわけで、愚かなわたしを再確認できる読書だった。ただ、愚かなりにヒヤリとした箇所があったので補足する。

 本書の末尾で、好況不況は、政府支出で引き起こされる一例として、「戦争」を持ち出す。1929年から1962年の「政府支出と経済成長」のグラフを掲げ、第二次大戦や朝鮮戦争前後の政府支出の激増や激減に対して、経済全体もそれに応じた好況や不況となったと述べる。クルーグマンは決して、「景気のために戦争せよ」などと言ってないが、人によってこのレトリックを悪読みしかねないので注意が必要だろう。取りたい人にとって、格好の揚げ足となっているからね。

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松丸本舗に足りないところ

 一度入ると出てこれない書店、松丸本舗。行くたびにゴッソリ財布がやせ細るのでキケン極まりないが、本年9月にクローズしてしまうという。もったいないこと夥しいものの、「大人の事情」は致し方ない。

 松岡正剛さんの博覧驚喜や、松丸本舗の魔窟っぷりは書籍に譲るとして、ここでは松丸本舗に足りないところを語る。もちろん、氏のコンセプトに則った一種のセレクトショップなので、偏りがあるのは当然。しかしそれでも、「この視点があるとイイナ!」と果たせなかった思いがある。残さないために書いておく。

 足りない視点はただ一つ、「生活臭」だ。カッコよく「ライフスタイル」と言いたくなるが、違う。「ライフスタイル」だと、アートやカルチャー、デザインといった概念がついてきて、これは松丸の最も得意とするところなってしまうから。

 生活臭、すなわち生活につながる本が見当たらない。「実用書」という視点だと掘り出せるが、リアルよりも、もっと本の側に寄ったもの。たとえばレシピ本、それも読む(見る)ことを前提としたものは見当たらない。「Soup Stock Tokyoのスープの作り方」なんて、見て・読んで・作って美味しい本なんだが、無い。

 リアルライフが遠いように見える。食とか、モノとか、住まいとか、生活に直結した「使える本」が無い。いや、皆無ではない(はず)。あるにはあるが、捉え方が違う。あったとしても、それは異文化や時代を相対的に評価するための本であって、自分の生活に取り込んで役立てる位置づけではないのだ。

 これはわたしの妄想だが、1週間の献立を考えたり、汚れ具合で重曹とクエン酸を使い分けたり、種から何かを育てたりした経験が少ないような―――気がする。日常から乖離した超人的な教養人だからこそ、そんな生活じみた臭いが感じられないのかも知れぬ。

 もちろん、「すぐ役立つ本は、すぐ役立たなくなる」と言われるし、そんな本は星の数ほどある。だが、血肉化の過程は、文字どおり血になり肌に馴染むものであり、「読む」という行為よりも実践的だ。そうした、触ったり味わったりする本が遠いのだ。松丸ワールドでは、「本=教養」であって実生活から離れたところにある。これは、無いものねだりなのかも。

 ここからお誘い。松丸本舗でブックハントしよう。暑い盛り、厚い財布と、熱いハートを携えて、ガツンと狩りにいこうぜ。赤いバックを目印に、徘徊するわたしを捕まえて、オススメ合戦しましょうや。「こんな本が読みたい」という相談にも乗りますぞ。

  日時と場所 8/7 12:00~17:00 松丸本舗
  参加費無料、申込不要、途中参加・途中退出OK
  終わったら、有志で一杯やりましょう

 今までの松丸オフのレポートは、以下の通り。そういや、「アンナ・カレーニナ」ここで買ったんだった。

スゴ本オフ@松丸本舗(2010.08)
松岡正剛さんオススメの劇薬小説(2010.10)
松岡正剛さんと小飼弾さんの対談を聞いてきた(2010.10)
「読まずに死ねるかッ」スゴ本オフ@松丸本舗(2011.03)
みんなでブックハンティング@松丸本舗(2011.08)

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