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「白鯨」は、スゴいと言うより凄まじい

 鯨で世界を束ねる、野心マンマンの試み、大成功。

白鯨上白鯨中白鯨下

 メルヴィルは、「鯨辞典」を書こうとしたに違いない。だが、あまりの博覧狂気っぷりに読者は逃げ出すだろうと踏んで、興味をつなぎとめるため、モービィ・ディックとエイハブの物語を織り込んだのだろう。

 あるいはメルヴィルは、30人の命を奪い、3隻の捕鯨船と14艘の捕鯨ボートを破壊し、2隻の商船を沈没させた「モチャ・ディック」というマッコウ鯨(実話)をテーマに、冒険小説を書こうとしたに違いない。だが、鯨そのものに魅了されるあまり、ついには関連するネタ全てをぶちこんだ全体小説に仕立てたのだろう。

 そう、これはラーメンでいうなら「全部入り」、小説ならば「ピンチョン」だ。執念と薀蓄が詰まったどんぶりに顔つっこんでむさぼり喰らう読書になる。その生態から始まり、消化器官や神経系の詳細な説明や骨相学的見解を逐一述べる一方で、苛酷な捕鯨の現場を簡素かつ的確かつ生き生きとリポートする。見つけ、追いつめ、しとめる場面は"狩り"そのもの、血が騒ぐ。

 捕鯨というより、闘鯨、そして屠鯨の場面に、手に汗ずっと握りっぱなし。150年と大海原を隔てているのに、読み手の闘争本能が燃え上がる。ずいぶん昔に失われた狩猟魂に、いきなり火が点けられる。おもわず拳をつき上げ「うぉぉっ」と叫びたくなる自分を押し留める。

 とはいえ、本体の構造は複雑妙味で衒学的なり。詩、論文、小説、伝説、口伝、物語、手記、神話、報告書そして聖書からの抜粋のみならず、地の文も一人称から独白そして三人称、神視点から戯曲方式まで取り入れ、あまつさえ物語内物語、物語物語まで盛りだくさん。おかげで、捕鯨の叙事詩的な壮大さと崇高なイメージが、歴史のなかで立体的に浮かび上がってくる。

 だが、やっかいなことに、この引用、ときに意図的ときに不注意により、必ずしも正確ではない。注釈と首っぴきで読み進めるのだが、この注がめっぽう面白い&タメになる。

 頭ガツンと殴られたのは、「鯨の頭はどこまでか」の考察(太字はわたし)。

四足獣なら何でもよいが、その脊柱を注意深く観察していただければ、それが小さい頭骨をつらねたネックレスに似ているばかりか、ひとつひとつの椎骨が未発達の頭骨の様相をしていることに一驚されることだろう。椎骨は未発達の頭骨にほかならない
 認識がでんぐり返った。たしかに節の一つ一つは神経の根にして叢だ。感覚と知覚を束ねているのが「アタマ」なら、あれはアタマなのだ。「アタマ」とは頭蓋骨に守られたところだとばかり考えていたが、あれ全部がそうなんだね。

 何重にも興味深いのが、一等航海士のスターバック。合理的だが信心深く、勇気と野蛮を持ち合わせる捕鯨員だが、聞き覚えないだろうか。そう、オサレが集うコーヒーショップ、あのスタバの名前は、このスターバックから来たそうな。だが、彼は一滴たりともコーヒーを飲んでいない(コーヒーが好きだという描写もない)。教養や歴史をありがたがるアメリカン・マインドが透け見えて、思わず微笑む。

 それよりも、いい奴なんだ彼は。船員としての任務を全うしようと、復讐に囚われたエイハブと衝突する。でも賢くたちまわり、表ざたにならないよう船長の意志を翻させようと、涙ぐましい努力をするわけ。あまつさえ、船長を○○しようとまでするのだが……ピークオッド号の良心ともいうべきスターバックが、狂気の塊と化したエイハブと対決するシーンは、目がひりつく読書になった。そして、スターバックの魂の叫びは、エイハブの心の底に届いたに違いない。「鯨vs人」で有名だが、ヒューマンドラマとして一級品だ、刮目シテ読メ。

「おおエイハブ!」スターバックがさけんだ。「いまからでも遅くありません。ご覧ください!モービィ・ディックはあなたを求めてはいません。やつを狂ったように求めているのは、あなたなのです!」

 知ってはいたが、「これはひどい」のは屠鯨のくだり。鯨油のためとはいえ、頭を切断し皮脂を剥がしたら、後は放置。老いた鯨から龍涎香を取り出したり、征服欲を満たすためステーキにすることもあるが、大部分は捨ててしまう。鯨肉鯨油のみならず、血・骨・腱も全て使い切り、一切の無駄を出さない日本の捕鯨とは好対照なり。鯨を"浪費した"ヤンキーが捕鯨の補給基地のため、日本に開国を迫るのは、なんという歴史の皮肉か。

 語り手に憑依してメルヴィルは断言する、広大な全世界を平和裡に、ひとつの束にまとめあげるような影響力を発揮しえたものは捕鯨業においてほかならないと。しかし、そのほかならぬ捕鯨業が、今日の自然保護問題や動物愛護運動、さらには公海利用に関する国際法上のパワーゲームの駒として扱われているのを考えると、本書の諧謔は何倍にも増幅される。あれほど海洋を"搾取"していた欧米の捕鯨業の大家として、メルヴィルはこうも言い放つ。鯨を捕り尽くすようなことになるかという懸念に際しての答えだ。

いろいろ議論はあろうが、鯨は個体としては死滅するが種としては不滅である、とわたしは断定するのである。鯨は諸大陸が海面に姿をあらわす以前から海を泳いでいたのである。
 本書は、サマセット・モームが選んだ世界の十大小説にエントリされている。だが、スゴい小説としてだけでなく、物議を醸す火薬をたっぷり孕んだアカデミック・ゴシップでもある。名著とかグレート・ブックとか呼ばれる奴は、「いま」に引きつけて読むと、何倍も美味しくなる。

 たとえば、モービィ・ディックを「白色人種の最深奥に宿る血の実体」と看破したのはD・H・ロレンスだし、モームは憎しみに駆られるエイハブこそ悪の象徴だと断じている。様々な人種が乗り込んでいるピークオッド号はさしずめアメリカ合衆国のアイコンか。するとピークオッド号の運命は、かなりねじれた寓意に満ちていることになるね。

 しかし、モームをはじめ、世間の「邪悪な狂人・エイハブ」には違和感を抱いた。確かに悪鬼の如く振る舞いをするときもあるし、子の親とは思えないほど冷酷な決断を下す瞬間もあった(レイチェル号の災難)。だが、一方で冷静に部下の判断を吟味して、自ら撤回することもあるし、故郷を思い出して落涙する人心も持っている。この差は何か?

 それは、エイハブにぴったりと寄り添っている、拝火教の呪術師が鍵となる。この呪術師・フェダラーは、エイハブの影のようにつきまとい、彼の不死をほのめかし、全幅の信頼を得ている。事実、呪術師の視線にさらされていないとき、エイハブはただの老いた船長のように見える。そして、クライマックス、呪術師が○○になったとき、エイハブはまるで別人のように心を開く。ジキルハイドのハイドの面を担っているのが、呪術師なのかもしれぬ。再読時は、呪術師が見ているか否かに注目しよう。世間のレッテル通りに読むともったいない。

 物語はしょっちゅう中断し、足踏みし、プロットが中途で変わったり、異質な挿話がはさまったり、つぎはぎ細工な「知的ごった煮」と呼ばれるにふさわしい。だが、そこから立ち上がってくる鯨の、マッコウ鯨の巨大さと獰猛さと美しさに、文字どおり目を見張るだろう。

 つぎはぎ構成をとっぱらって、物語だけを楽しみたい人は、下巻の解説にある、「『白鯨』モザイクの図」を見てみよう。「白鯨」を以下の3つに分け、各章にそれぞれの役割を振っている。

  N : 物語(Narrative)
  D : 劇(Drama)
  C : 鯨学(Cetology)

 モザイク状になった全体像から、N(物語)だけ拾い出して読めば筋は追える。すると、135章が77章と、ほぼ半分になる。ただし、寄り道回り道の楽しみが失せるのも事実。語り手と黒人の銛打ちのホモ・エロティックな関係を想像したり、なぜモービィ・ディックは白いのかといった、心理の深いところを衝く話を落とすから。いずれにせよ、再読・再再読には必携の表だな。

 心して飛び込め、物語世界に。

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コメント

いささか内容と異なるコメントで申し訳ないのですが、

>椎骨は未発達の頭骨にほかならない。

これとほぼ同様の主張を、ゲーテ形態学・動物学の本で読んだことがあります。メルヴィルも読んでたのでしょうか。

「科学者」としてのゲーテは興味深いテーマと感じています。

投稿: sarumino | 2012.03.29 02:47

>>saruminoさん

ご指摘ありがとうございます。そして、これっぽっちも内容と異なりません。ゲーテの主張を読んだかどうかは分かりませんが、その主張を借りているのは確かでしょう。この小説は、あちこちからの借り物を束ねているのです。

投稿: Dain | 2012.03.29 06:52

 なるほどー。小説を世界と輻輳し共鳴するもうひとつの世界にしようという試み、結構ある気がします。綜合小説といいますか。バルザックとかもそうでしょうかね?
 いつも斬新な視点で取りげてくださり、勉強になります。

投稿: sarumino | 2012.03.30 02:37

>>saruminoさん

コメントありがとうございます。
現実を「鯨」で串刺しにしようとする世界なのに、そこに微量の嘘を混ぜているので、どこまで信じていいか分からなくなる→圧倒的な鯨学の物量作戦で屈服する……といった展開でした。
バルザックは「人間劇場」を指していると思いますが、残念、未読です。まずは「ゴリオ爺さん」から読みたいです。

投稿: Dain | 2012.03.30 22:23

この記事について感想を言います。

「違います。残念でした。」

投稿: | 2015.01.17 01:09

おやおや、「実は違うんだけどなあ」とか「ま、そういう考えもアリかも知れないけどね」
とかそういう訳知り顔で答えを教えない(そもそも考えてない)コメントをあっちこっちにするのが趣味の私と趣向がかぶりますね

投稿: | 2015.09.15 09:24

正確には・・

「(学校の先生が言ってたことと)
違います、残念でした。」

というコメントをする
以上の知性がない。

投稿: ひろし | 2016.06.01 12:24

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