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3/4スゴ本オフやるよー

3/4のスゴ本オフは、申し込まれた方の全員が参加できます(抽選はありません)。ですので、直接ご来場くださいませー

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一筆書の人生「わたしは英国王に給仕した」

 給仕見習いから百万長者に出世した波瀾の人生を、いっきに語りおろす。

わたしは英国王に給仕した 各章の冒頭は、「これからする話を聞いてほしいんだ」から始まり、エピソードてんこ盛りでオチ・サゲ・目玉を詰め込んでいる。解説のいう「ビアホールの詩学」はぴったりやね。居酒屋で知り合ったオッサンが、半分自慢、半分法螺の過去話を開陳する。語りの上手さ、映画的展開、ちょっとの(かなりの?)エロスと、狂気と、死。居酒屋小説なるものがあるならば、まさに本書が適当だ。ナチス占領下のチェコの狂気が、狂気に見えないのは、語り手の吹き加減が上手いから?

 想像の視覚を刺激するようなうつくしいシーンが、ふんだんにある。「裸にした女性を寝かせ、その肢体を花で飾る」とか、「若い娘のおしりをひろげて、子供のようにはしゃぐ老人」なんて、読んでるこっちがまざりたくなる。女というものはどこもかしこも愛らしい・美しいものだが、作者は(主人公は)特にお尻が気になるようだ。女の最もうつくしい場所は、お尻だということが、随所の表現に見て取れる。「分かってるな、コイツ」思わずニンマリ握手したくなるね。

 とりわけ気に入ったのは、窓から捨てられたシャツが落下の際、バッと十文字に広がった一瞬をとらえたもの。旅行客が汚れた下着やシャツをホテルの窓から捨てる。その瞬間を待ち構え、つかみとって、洗って干して乾かして、売るのだ。シャツが輝くヒコーキのように見える。

それは姿を現して一飛行を停止したかと思うと、下に落ちてしまう。水の中に落ちてしまうものもある。それをおばあさんは集め、かぎの手でたぐりよせるのだ。わたしはおばあさんが深みに落ちないように足を押さえていなければならなかった。投げ捨てられたシャツが交差点の警官やキリストのようにさっと手を広げることもあった。ほんの一瞬、空中でシャツが十字架にかけられたかのようにパッと開いたかと思うと、すぐさま水車の木枠や水かきに落下する。

 ただ、毎夜毎晩、語り続けるような一本調子であることも事実。構成の妙とか伏線なんていくらでも仕掛けられたのに、あんまり見当たらない。後半に一つ気づいたのが、自分が大切に育んだある場所を失うシーン。亡失の悲しみよりも、その大切な場所を覚えてくれる人のことを考えて慰めるを見出すのだが、出だしの類似エピソードと見事にシメントリカルな構成となっている。

 ちょっとヒネって欲しいなぁというのは、無いものねだりか。そういや本書じたい、わずかな期間で一気に書かれたと解説されていたし。彼の、駆け上がるようで墜落するような人生は、池澤夏樹評によると、「エレベーターのような人生」になる。だが、紆余曲折もグロテスクな栄光もあるのだから、一筆書の人生というべきだろう。

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「デザインの骨格」はスゴ本

 ブログを「本」にすると、たいてい魅力を失う。

デザインの骨格  フロー的なコンテンツをムリヤリ紙化した呪いかね、と独り合点している。コンテンツが質量をもたないから、流し読みのように受けるわたしの態度のせいかもしれぬ。言葉にはチカラがあるのに、情報だけ吸われてすべってゆく感覚。しかし、嬉しい例外を見つけた。「デザインの骨格」だ。

 これはブログ「デザインの骨格」をまとめたもの。単なるブログ本ではなく、それぞれのサブテーマに沿って記事が取捨選択され、著者がどのようにアイデアの枝を伸ばしていったか「見える」ようになっている。これは編者のチカラだろう。さらにそれぞれの章立てを支える言葉のチカラが輝いて惹きつける。たとえばこうだ。

  • 4本脚のニワトリ
  • 雨はなぜ痛くないのか
  • 車を自分で運転しなければならなかった時代
  • Suicaの読み取り角度はこうして決まった
  • 感覚を射抜くことばを見つけよ
  • 働かないロボットたち
 「おやっ」「あれっ」と視線をつかまえて引きずり込む。最初は発想のズレに気づきをもらって読むうち、いい意味で、読み手が立てた予想を裏切ってくれる。ブログは読んでいたので二回目になるのだが、再読で発見がもらえる(言い換えると、わたしがいかに"読んでなかった"かの証明にもなる)。

 ブログは(その本質上)時系列に読むしかないが、著者の仕事や興味の方向は、必ずしも時系列にまとまっていない。MacやiPhoneからAppleの(隠れた)美意識を発見したり、教える立場へのフィードバックを語ったり、それぞれ浮かんだものが、出た順に並んでいる。これを、「どう」デザインするのか、「なにを」デザインするのか、「なぜ」デザインするのかという切り口で編みなおし、読み直すことで、「デザインの骨格」の骨格が見えてくる。

 その粋を一言にするなら、「なぞるな、見抜け」になる。デザインとは、表面を写しとることではなく、その本質(=骨)を抽出し、かたちにすること。だから入り口は、身近なもの(例えば自分の手)を描くことによって、わかっているものの空間構造を捉えなおすことから始まる。著者は手を描くとき、指の輪郭から描かない。「見たまま」をなぞるのではなく、指の骨のつながりを最初に、次に骨を肉が埋めるように描くことをアドバイスしている。本には収録されていないが、「手を描いてみましょう」が分かりやすい。

 時事的な話題にも、この粋は生かされている。静かすぎるハイブリッド車に警告音をつける試みに対し、「新しい警告音」はよくないと批判する。だから、チャイムやメロディといった新規のものではなく、むしろ従来の「エンジン音」にするべきだという。なぜなら、街はさまざまな警告音に満ち溢れており、新しい「メロディ」はあっという間に聞き慣れてしまう。しかし、聞きなれた音の「変化」には意外なほど敏感なのだという。たとえば、電車の轟音でも平気で居眠りしていた人が、停車して少し静かになるとハッと目を覚ますことがある。同様に、エンジン音そのものは意識しなくても、その強弱によって、車の位置と動きを無意識に見張っているというのだ。

 この場合、「見張る」というより「聞きつける」「聞きとがめる」といった感か。たしかに、「そこにクルマがいる」ことは目で見ているが、「そこに『動いている/動く可能性のある』クルマがいる」ことは、そのエンジン音を耳で(肌で)感じ取っている。クルマの存在感をテーマにするならば、そのボディの形状や大きさに目を向けがちだが、その本質はエンジンで動く鉄塊だ。ハイブリッド車ではなく、完全電気自動車になっても、エンジンではなくモーター100%になっても、かなりの間、この本質はそのままでありつづけるに違いない。「わたしたちは、(自分が思っている以上に)車のエンジン音で身を守っているのです」という視点は、斬新かつ(気づかされると)当然に見えてくる。

  Suicaの読み取り面は、デザインの本質がカタチになった好例だと思う。さぞかし実地で試行錯誤してきたかと思いきや、そうでもないらしい。パターンを決めて、ある程度絞り込むことで、実験(=実地試験)を減らすことができる。Suicaの読み取り面の本質は、毎日使うようになっている人なら、よく分かっている。すなわち、「アンテナ面に当てる」ことと「一瞬とめてくれる」ことだ。問題は、これを慣れていない人にも促すカタチになっていること。こちらにアンテナ面を向けて、歩きながら「タッチ」をアフォードする角度が、13.5度を導いている。

 実はアレ、日常的に使っている人ならタッチしなくても大丈夫なことは知っているだろう(10センチぐらい上空でも認識した)。問題は、アンテナが読み取れるだけの「間」をおくこと。だから13.5度はタッチというよりも、近づけること、近づけることで「間」をおくことをアフォーダンスしているのかもしれない。

 あたりまえすぎて見逃してしまうことや、一定枠にハメて思考停止するようなことを、その前提から把握しなおす。著者がデザインした携帯電話は非常にユニーク&腹に落ちる例だ。携帯電話は、電話の進化として「いつでも」「どこでも」通話ができる目的で開発されたが、新しい価値は別のところにある―――すなわち、「個人情報の保持と発信」にあるという。携帯電話がこれまでの家電製品と一線を画しているのは、「自分の素性を明かしてからでないと買えないこと」を指摘し、携帯電話の本質は「私」と密接に結びついた機械だと喝破する(携帯電話は、「購入」ではなく「契約」するもの)。

 そして、「私」個人をデザインしたものとして、カギ(物理的な鍵)を考案する。つまり、ヒンジの部分がロックできる二つ折りの携帯電話をデザインしたのだ。ヒンジ部にキーを差し込んで回すことで、ロックが解除される仕掛けとなっている。残念ながら商品化には至らなかったが、指紋認証機能がその本質を受け継いでいるね。

 デザインの現場を通じ、本質を再把握する姿勢から学ぶことができる。手や手帖に書いておかなければならないほど重要なのは、「二律背反を疑え」だね。どちらも大切だと思っていることの二者択一を迫られるときは、一つを採り一つを捨てるしかない状況そのものを根底から疑え、というのが著者の考えだ。二つの選択肢しか見えない状況に自分を縛ってはいないか、そもそもなぜその二つなのか?そこを疑えという。「アイデアは二律背反を疑うところからはじまる」は、至言だ。

 ブログを「本」化するとき、こうした至言は根のように残る。時間軸で見ると部分的だったり進行中だったりする話が、テーマごとに伸びてゆくのをあらためて読み直すと、最初からこの本こそを目的として書かれたかのようだ。ブログを本にすると魅力が薄れるのが常だが、本書は逆で、より惹きつけられ・完成されている。書き手の悪戦苦闘から、自然に、「デザインとは見る習慣・訓練である」フィードバックを何度も受け取れる仕掛けが施されている。書き手のセンスと編集力の勝利やね。

 デザインの骨格をつかまえる一冊。


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「初秋」は息子に読ませたい

 文句なし傑作。

初秋 ジャンル的にはハードボイルドだが、大人と少年の交感ものとしてジンときたし、ビルドゥングスロマン(成長譚)とも読める。本書はスゴ本オフ@ミステリでやすゆきさんが目ぇウルウルさせながらオススメしてたので読んだんだが、正解ですな。

 離婚した両親の間で、養育費の駆け引きの材料に使われている少年がいる。心を閉ざし、ぼーっとテレビを見るだけで、周囲に関心を示そうとしない。私立探偵スペンサーへの最初の依頼は、「父親に誘拐された息子を母親に取り戻す」だったはずだが、放置され、ニグレクトされた少年に積極的に関わろうとする。そのスペンサー流のトレーニングがいい。

「おまえには何もない。何にも関心がない。だからおれはお前の体を鍛える。一番始めやすいことだから」

ときには突き放し、ときには寄り添う。厳しくてあたたかい、という言葉がピッタリだ。これは二色の読み方ができて、かつて少年だった自分という視線と、いま親である立場というそれぞれを交互に置き換えると、なお胸に迫ってくる。少年が無関心という壁をめぐらすのは、自分を守ろうとする態度。その防御壁が一気に崩れ去るところは、ちゃんとハードボイルドしている。いっぽう、やったことがない父親役を買ってでたスペンサーは、妙な距離をおきつつ、「大人になること」を叩き込もうとする。

 年をとるのは簡単だが、大人になるのは難しい。そも「大人になる」とはどういうことか、わたしの場合、親するようになってようやく分かった。そして、その答えがスペンサーと一緒なので愉快になった。大人になるということは、「できることをやる」。体を鍛えて強くなり、大切なものを守るとか、料理や洗濯など、自活できるようにするとか、あるいは、得意や興味を伸ばして収入を得るといったことも大切だ。だが、もっと根っこのところについて、スペンサーはこう述べる。そのいちいちが、かつての自分自身に言い聞かせているように見える。

「いいか、自分がコントロールできない事柄についてくよくよ考えたって、なんの益にもならないんだ」
「なにか重要なことについて、例えば、お父さんがまた自分を誘拐しようとするかもしれない、といったことについて考えるときは、彼が試みるかどうかについてあれこれ考えるよりは、彼が試みた場合にどうすのがいちばんいいか、とうことを考える方がいいんだ。彼がやるかどうか、きみには判断できない、彼の考え次第だ。きみは、彼が試みた場合にやるべきことを決める。それはきみの考え次第だ。わかるか?」

 自分の方向(運命、将来、状況、環境…)について、あれこれクヨクヨ思い悩むのを、「考える」とか「検討する」と思っている人がいる。それは、「考え」ていることにならない。自分が改善できることや、自分が影響を与えることができることを見極める。そして、自分ではコントロールできないことは極力「考え」ない。「たられば」については、可能性×影響度の高い順にその対策だけを講じておく───要するにリスクマネジメントやね。人生がままならないものなら、ままなるものを注視・注力しよう。これについて、イチロー大兄がうまいこと言ってた。打率争いをしている他の選手についてコメントを求められたとき、こう答えたという。

「自分でコントロールできるものとコントロールできないものを区別し、自分がコントロールできるものだけに集中する」

 この方法は応用が利く。Tumblrで拾った名言に、こうある「つらいことがあったら、事実と解釈を分けよう」……たしかに。事実はコントロールできないけれど、解釈はできる。事実をどう捉えなおすかによって、次のアクションが打てるかもしれない。少年・ポールは、スペンサーの導きで、自分が置かれた状況を捉えなおす。もろ肌ぬいだスペンサーの活躍は、いささか出来すぎているかもしれないが、そこはそれ、ハードボイルドのお約束。

 これは、中学ぐらいになった息子に読ませてやりたい。きっと少年の情感に寄り添った読書になるだろう。そして、息子が成長し、子どもを持つようになったら、もう一度読ませてやりたい。スペンサーの視線になっているだろう。

 子どもの目線と、大人の目線と、両方で読むべし。

  

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