« 2011年5月1日 - 2011年5月7日 | トップページ | 2011年5月15日 - 2011年5月21日 »

軽い仏教「官能仏教」

 奔放+エロスな解釈に眩暈する。

官能仏教 コンテキストは、いったん世に放てば、どう扱おうと受け手の勝手。「仏教」も然りかも……そんな気がしてくる。「官能」+「仏教」は本書の造語なのだが、稚児愛、両性具有、性に対するおおらかさなど、妄念・愛憎・欲情にまみれた逸話説話を聞くにつけ、見るにつけ(図柄が多彩なのだ)、わたしが知らない仏教は、きっとあなたが説いている状態にまで至る。

 たとえば、光明皇后のエピソード。膿だらけの病人の垢すりをする際、光明皇后が膿を口で吸い取り、「慎みて人に語るなかれ」と口止めしたところ、病人は大光明を放ち、「あしゅく如来の垢を去ったことを慎みて人に語るなかれ」と告げた話がある。ネタは知ってたが、紹介の仕方がエロい。「男はその行為を要求する」とか「光明皇后は、頭の頂から、かかとまで、男の全身を吸い舐っていく」という書き口は、いろいろいけないことを想像してしまう。「謎の白い液体」もかくや…と想像したくなるほど。

 この話には余談がある。玄奘三蔵の旅に同様の話が出てくるという。あの「西遊記」の三蔵法師の話だ。男が女に、光明皇后が三蔵法師に代わるだけで、やることは「口で濃汁を吸い取る」といっしょ。ただ後半が違って、膿だらけの女はたちまち観音菩薩に変じ、玄奘に巻物を渡したという。その巻物こそ「般若心経」で、その後の玄奘たちの苦難を救ってくれることになる―――ってそんなのあったっけか? これは「西遊記」ではなく、「今昔物語集」が出典なのだからかも。おぞましいエロスに、おもわず読みたくなる。

 もっとエゲツない欲情もある。旅の男を見初めた女が、逢う約束をするのだが、男は逃げだし、女は追う。ちと逆のようだが、若い男女の追いかけっこ、微笑ましいぢゃないかと思いきや、女は蛇になり、竜になり、口から炎を吐くようになる。愛欲に狂い、化物になり、「観音さま、助けて!」と叫びながら滅びの道をひたはしる。命からがら男が逃げ込んだ鐘の中、竜は鐘ごと焼き尽くす話。絵巻物「道成寺縁起」だそうな。

 あるいは、歓喜天について。頭が象の二体のガネーシャが互いに抱きしめあう図なのだが、あれは「鼻を用いた愛撫」「両足を踏む愛情表現」も含まれるという(その発想はなかった)。もとは、世界を手に入れようと悪さをするガネーシャ(ビナーヤカ)を、観自在菩薩が女体化して、愛の作法をもって抱擁する。愛の作法とは、鼻をもって互いの背を愛撫し、胸を合わせ、手で相手の腰を抱く。腹を合わせ、両の足で踏み、赤い裳裾をつける(敬愛を表わす)らしい。愛を示すために「踏む」のは重要、と。

 また、仏教世界での「踏まれる神々たち」を紹介する。踏む/踏まれるは征服関係を示すが、本書では女神カーリーに踏まれているシヴァ神が微笑していることを指摘する。その笑顔は、降伏でも敗北でもないからだという。「踏む」ということは愛情表現の一種だということを知ってはいたが、「踏まれる」こともいっしょなのかと思い知る。精進しよう。

 実践に役立つ(?)テクニックも紹介される。バラモンがが弁才天を口説き落とす「しゃべり方」だ。女という存在は、ほめられるのが大好きだと。美そのものといえる弁才天も同じで、とにかくほめてほめてほめまくる。しかし、抽象的な誉め方ではダメ。その肉体を、言動を、具体的に例示しつつ誉めるのがポイントになる。すると天女さまは、心地よくおなりになって願いを聞いてくださるかもしれないという。オンナは、ほめるもの。オンナは、誉めてキレイになる、これは鉄板ナリ。バラモンさまもわかってらっしゃる。

 こんなノリで、欲情直球で「仏教」を開陳する。「愛欲と仏への信心は、相反するものではない、ともにある」とか、「しょせんこの世は、男と女……これでいいのだ」といった、欲望への全面降伏的な態度が随所に見受けられる。そして、そうした態度を補強するようなエピソードを引っ張ってくる。諦観したような開き直りを見ると、そんな軽いものだっけ? というねじれた目になる。欲望の追求は、たしかに大切だ。が、そのダシに「仏教」がムリヤリ使われているように見える。

 つきぬけた情念は、ある種の「悟り」なのか? 深く考えず、「仏教」に触れてみるのも一興。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

「スゴ本オフ@元気をもらった本」のお誘い

 尻込みしてる人? がいるようなので、再告知。

 Book Talk Cafe は、好きな本を持ち寄って、ユルくアツく語ろうよという場。けして、読書猛者が集まってトークバトルするものではありません。

 「行きたいけど、わたし読書家じゃないし……」は損してる。聞き役に回ればいいじゃない、狩場を広げるチャンスですぞ。質問コーナーで、「○○でいいのあります?」とぶつければ、こんなblog越しじゃなくて即答・即応します。

 だいたい、わたし自身、この企画を通じて、いかにスルーしてきたかを思い知った。たとえば、ル=グゥイン「ゲド戦記」。ええっ!?読んでなかったの(ププ)なんてよく言われるけど、食わず嫌いしてた。深さと広さと面白さは、「読まずに死ねるか」レベルやね。また、重松清「カシオペアの丘で」は、がんを一人称で考えるきっかけとなった。オススメされなければ、「知ってはいるけど読まない」スゴ本のままだった。

 これはタイミングだ。いい本なんだけど、分かってるんだけど、プッシュされなければ、手にとって読もうとしないまま―――もったいない。ターニングポイントや人生イベント、そのときそのときの具体的な問いに具体的に応えるのは、必ず「人」になる。

 つまり、適切なタイミングで適切な一冊に逢うためには、媒介する人を要する。人をみて本を説くのだ。漫然と平台や密林を狩っても、めったに出会えない。流行本を餌のように消費するのもいいが、知らない狩場や獲物を覗いてみてはいかが?

 申込は、5/27 スゴ本オフは「元気を貰った本」からどうぞ。

 今回のテーマは「元気をもらった本」だけど、万人ウケしなくてもOK。みんなが納得しそうな本なら、不幸自慢とかスピリチュアルに偏る。けれども、ここは一人称で考えよう⇒「わたしが元気をもらった本」。これもタイミングが重要。どんなときにその本を手にして、どういう元気(勇気・強気・狂気?)を得たかが、語りどころやね。オールマイティな元気本も出るだろうし、具体的な問いへの「解」となる一冊に出会えるかもしれない。

 大事なことなのでもう一度、「スゴ本は人を介する」。言い換えると、「あなたが知らないスゴ本を読んでる人」と出会う場、それが、Book Talk Cafe

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年5月1日 - 2011年5月7日 | トップページ | 2011年5月15日 - 2011年5月21日 »