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現実を見失う毒書「コルタサル短篇集」

コルタサル短篇集 あ…ありのまま今起こった事を話すぜ! 『おれはコルタサルの書いた物語の中に没頭していたと思ったらいつのまにか外にいた』 な…何を言っているのかわからねーと思うがおれも何をされたのかわからなかった… 頭がどうにかなりそうだった…催眠術だとか超スピードだとか、そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ。もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…

 読んでいる自分が把握できなくなる罠に掛かる、しかも見事に。

 現実からその向こうへのシフトがあまりに自然かつスムースなので、「行った」ことに気づけない。リアルからギアチェンジしてゆく幻想譚ではなく、ユメとウツツが地続きなことに愕然とする。剣の達人に斬られた人は、斬られたことに気づかないまま絶命するというが、そんな感じ。

 ふつうわたしは、「本の中の世界」の現実と、「本を読んでいる」現実とを分けて考える。両者を隔てているのは、本を構成する物理的な紙の表面であったり、わたしの脳内世界を「脳内世界がある」と客観視できる自意識だったりする。おかげでどんな「非現実的なフィクション」だろうと「現実ばなれした悲惨なノンフィクション」だろうと、「いま・ここのわたし」と分けることができる。自分にひきつけて読むか、突き放すか、両者の間合いは、読み手の主導権に委ねられていると思い込んでいた。

 ところがコルタサルは、その距離をやすやすと越える。というか、別物だという「わたしの認識」を粉微塵にしてくれる。しかもわたしは、粉微塵になっていることに気づけないまま、罠にかかったまま放り出される。現実ばなれしている様子を、「夢のような」とか「非現実的な」と形容するが、その根拠となる現実があるから相対化できる。つまり、完全に遊離した「なにか」があるとしたら、それは名づけも描写も想像すらもできない。

 コルタサルが示す入口は、とてもありふれている。友達のアパートに滞在したり、カメラを携えて散歩にでかけたり、旅行帰りに渋滞にまきこまれたりする。そんな日常の出来事を追っていくうちに、紙の裏側、脳の外側にたどりつく。目を凝らしても境界線なんて見つからない。知らないうちにわたしの常識が通用しない場所に立っている。登場人物だけでなく、読み手ごと、世界ごと"もっていかれる"感覚に酔う・揺らぐ。「夜、あおむけにされて」は眩暈と吐き気を味わう。「南部高速道路」なんてご丁寧にも、"もっていかれた"あと、"もどされる"感覚で、まっすぐ立ってるのが難しいくらい。

 さもなくば、最初から「あちら」と「こちら」が交ざっている作品もある。区別不可能な「混ざっている」ではなく、見分けのつく「入り交じり」だ。しかし、注意深く進めていくうち、「あちら」と「こちら」がついに混じりあうところに達すると、分別することの無意味さに気づくのだ。「すべての火は火」を読了後、逆まわしに読むならば、より合わさった縄が解けるような気分になるだろう。

 これは、コルタサルの超絶技巧もさることながら、彼の現実認識に因っているのではないか。伝える都合上、「あちら」とか「なにか」といった、現実とは別物のような物言いをしてきたが、そうした幻想的といわれる非日常は、もともと現実とつながっていると考えているから、こんな奇妙な感覚をもたらす小説になったのではないか。つまり、現実が変化して非現実になるのではなく、メビウスの輪に表裏がないように、現実/非現実は地続きなのだ。

 "現実への揺さぶり"が、クセになりそうなスゴ本。これは。スゴ本オフ@松丸本舗でオススメいただいたもの。MOTOさん、良い(酔い?)本を教えていただき、ありがとうございます。

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風邪にかかるのが楽しみになる「かぜの科学」

 風邪にかかるのが楽しみになる一冊。

かぜの科学 風邪とは何か。風邪を「撃退する」ことはできるのか。ほんとうに「効く」療法はどれで、どれが俗信か。ポリオを根絶できるのに、なぜ風邪のワクチンがないのか―――

 病原体、媒介物、経路、処方箋、民間療法、市販薬の検証、最新の研究成果にいたるまで、著者はさまざまな切り口から風邪の正体に迫っていく。自ら臨床試験(治験)に参加して、試験の様子を報告する件なんて、まさに身体を張ったレポートだね。他人の鼻汁を注いだり、鼻ほじりをこっそり観察する実験は、読んでるこっちの鼻がムズムズしてくる。

 次の「常識」のうち、正しいものはどれだろう?

  1. 「免疫力」が低下すると、風邪にかかる
  2. 風邪には抗生物質が効く
  3. 風邪の予防には、ビタミンCが効く
 答えはマウス反転→【すべて誤り

 無知を承知で告知するなら、本書を読むまで知らなんだ。風邪の季節は免疫力アップを謳うサプリメントを買い求めるし、ひきそうなときはビタミンC入りのドリンクを飲む。医者にかかったら抗生物質を処方してもらうようにお願いする―――そんなわたしの蒙を拓いてくれる。

 風邪とは、ウィルスの侵入による身体の炎症プロセスだという。換言すると、風邪の症状は、わたしたち自身が作り出していることになる。ウィルスの侵入により、サイトカインと呼ばれる化学物質が放出され、これが免疫反応を調節し、病原菌を攻撃する。その一連の炎症プロセスが、鼻水や咳、痛みなどの「風邪の症状」になる。つまり、風邪とは、身体の防御作用そのものなのだ。

 したがって、活発な免疫系を持つ人のほうが風邪の症状に苦しむことになる。これは、「免疫力がある人は、風邪になりにくい」と真っ向から対立する("俗信"とまで言い切る)。そして、「風邪をひかない」人は、風邪ウィルスに感染していないわけではなく、感染してても症状が出ない(不顕性)ことを明らかにする。

 風邪はウィルスであり細菌ではない。だから、抗生物質は効かない。抗生物質は、細菌が細胞壁をつくるのを阻むことで細菌を殺す。ウィルスは細菌ではないから細胞壁をもたず、したがって抗生物質は全く効かない。同様に、抗菌、殺菌効果をうたう石鹸や製品は、風邪の予防に効果はない―――ひょっとするとこれらは常識なのかもしれないが、恥ずかしながら知らなかった……でも、インフルエンザの処方で抗生物質があったのはなぜだろう? インフルエンザもウィルスなのに。体力低下による細菌感染を防ぐためだろうか。

 また、風邪の入り口は鼻だという。手指についたウィルスが鼻いじりや鼻ほじりにより、侵入する。手にウィルス? ドアノブ、スイッチ、キーボードを経由して広がっていくという。わたしが想像しているよりも、はるかに汚れている実態が詳述され、思わず手を見たくなる。もっとも「不潔」なのは、携帯電話とキーボードで、丸洗いできるキーボードや、携帯電話専用の殺菌溶液を紹介している。

 だから、風邪の予防は、ビタミンCよりも手を洗って鼻いじりをやめることになる。「鼻なんて触らないよ!」という方は、カリフォルニア大学バークレー校の公共健康学部の教授のレポートを読むといい。10人の学生がそれぞれ1人で働く姿を観察し、1時間あたり平均16回、目、鼻、唇を手で触ったそうな(うち5回は鼻腔に指を入れた…平均でね)。

 なにかと悪者にされる風邪だが、読んでいくうちイメージが変わってくる。もちろん鼻水や咳は苦しいものだが、風邪にも有益なところがあるという。免疫系の発達を促すには、病原体への暴露を必要とする。つまり、病原体と戦う「鍛錬」をしないと未発達のままで、花粉など無害なアレルゲンに対し過剰な反応をしてしまうというのだ。幼年期に他の子や動物の微生物にさらされることによって免疫系を鍛え、アレルギーや喘息などへの耐性を発達させるという説だ。迷言「なあに、かえって免疫力がつく」まんまやね。

 そして著者は、風邪を擁護するばかりか、風邪との共存を提案する。風邪をひく、とは、自然の力を借りて学校や職場の圧力から逃れることなのだ。体の不調という代償はあれど、日常のストレスから逃れ、一人でゆっくり安静にすることができる。これは、ある意味で健康的なのではないか? と発想の逆転を促す。

 つまり、風邪とは、身体が送ってくる「休め」というメッセージなんだね。だから、ひいてしまったら、職場からも居間からも離れ、感染を広げないようにする。プラシーボ効果はけっこう「効く」らしいから、飲むときは自己暗示をかける。あとはひたすら、栄養と睡眠―――あまり風邪はひかないのだが、次回が楽しみだ。


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