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劇画「家畜人ヤプー2」がパワーアップしてるぞ

 天下の奇書「家畜人ヤプー」のコミック版。

 「子どもからエロを隔離せよ!」という怒号(歌声?)でゾーニングが流行ってる。「非実在青少年」とかいう脳みそ花畑な連中がいるが、学級文庫に乱歩や手塚が並んでいるのは知ってるのかね。「火の鳥」や「二十面相」に耽るわが息子は、「芋虫」や「人間椅子」まであと半歩。見てみぬフリはできぬ。書くにせよ、読むにせよ、物語の駆動力は性と死なのだから。

 わたしの子ども時代は、もっとオープンだった(だからこんな変態が育ったともいえるw)。「ドーベルマン刑事」はジャンプだったし、「実験人形ダミー・オスカー」にはお世話になった。しかし、セックスもバイオレンスも「こんなものか」とタカくくっていた小僧に、石ノ森章太郎/沼正三「家畜人ヤプー」は強烈すぎた。人間を完全に改造しつくし、便器や家具にしてしまう発想はなかった。いや、この世界の「日本人=ヤプー」は「人」ですらないのだから、ショックを受けるほうがおかしいのだ。想像力の極北に立つと、日常が異常に見えてくる。

家畜人ヤプー1家畜人ヤプー2

 白人が頂点に君臨し、黒人は奴隷で、日本人は養殖・消費される未来社会(イースと呼ばれる)。ポイントは「黄色人」ではなく「日本人」であるところ。徹底的に日本人を卑下し、唾棄し、叩きのめす。日本人の感情を俎上にすえた巨大なSMプレイやね。国辱とはなにか、感情レベルで実感できるかも。

 いいや、と全力で拒絶してもいい。これは未来の空想譚なのだからとココロに予防線を張っおくのだ。しかし、そんなことすると、第2巻でガツンとやられる。日本史そのものがイースの干渉の歴史であることが明らかにされるのだから(副題のとおり、まさに「悪夢の日本史」やね)。荒唐無稽?コウトウムケイだ。だが辻褄あわせやリアルの追求をするよりも、そんなことを思いつく発想のほうがスゴい。

 復刊「家畜人ヤプー」【18禁・グロ注意】で、レビューしたとき、オススメされたのが、蜈蚣Meribeの「バージェスの乙女たち」。これはこれでスゴいのだが、同じ発想がヤプーの続編にあったとは……開いた口を塞ごうと意識した唇に、イヤな感触を共感してしまうかも。この酷さは、わたしの口からは言えぬ。2巻でつまびらかにされる天狗とオカメの件は、ご自身の目でお確かめあれ。

 原作は沼正三、これを元にして石ノ森章太郎が劇画にしたのが第1巻ヤプー。それを引き継いだのがシュガー佐藤の第2巻ヤプーとして復刊している。いや、復刊というよりもリニューアル?リボーンなのかもしれない。描くタッチもコマ構成もシームレスにつながっており、お見事としかいいようがない。キワどい表現手法や挑発的な映像を眺めていると、エロスよりも不可解な気分にハマる。新しき樽に詰めた、年代モノの美酒を味わえ。むろん小学生にはムリだけど、高校ぐらいになったら、こいつを笑って読めるように育つとイイナ!

 SMとSFの、強烈な融合を見るべし。

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徹夜小説「ガダラの豚」

 2ちゃんねらが絶賛してた「ガダラの豚」読了。なるほど、「寝る間も惜しんで読みふけった」のは、激しく同意、わたしにもあてはまった。

 図書館に限るが、面白い小説を探す方法がある。天(本の上面)から見てみよう。新刊本なら長方形の天が、平行四辺形になっているはずだ。つまり、背(背表紙)がナナメになっているのが、面白い本なのだ。本は開くと、開いた場所から背がひしゃげてくる。閉じると、元に戻ろうとするが、ずっと開いていると、開きグセがつく。つまり、ナナメになっている背が急角度であればあるほど、「ずっと開きっぱなしになっていた」すなわち「閉じる間もなかった」本になる。

 わたしが借りた、一巻本の「ガダラの豚」の背は、45度だった。これほど急角度なのは珍しい。半信半疑で読みはじめ、とまらなくなる。テーマは超常現象と家族愛。これをアフリカ呪術とマジックと超能力で味付けして、新興宗教の洗脳術、テレビ教の信者、ガチバトルやスプラッタ、エロシーンも盛り込んで、極上のエンターテイメントに仕上げている。中島らも十八番のアル中・ヤク中の「闇」も感覚レベルで垣間見せてくれる。

ガダラの豚1ガダラの豚2ガダラの豚3

 エンタメの心地よさといえば、「セカイをつくって、ブッ壊す」カタストロフにある。緻密に積まれた日常が非日常に転換するスピードが速いほど、両者のギャップがあるほど、破壊度が満点なほど、驚き笑って涙する、ビックリ・ドッキリ・スッキリする。この後どうなるんだーと吠えながら頁をめくったり、ガクブルしながら怖くてめくれなくなったり。

 面白さはいたるところにあるが、わたしがいちばん惹かれたのは、「読めない」ところ。つまり、スーパーナチュラルという「筋」なのか、そうでないのか、最後まで分からない。超能力を見せつけたあと、そのトリックを暴く。宗教のウサン臭さを追い詰めたあと、宗教がリアルに及ぼす力を見せつける。呪いが荒唐無稽であると語った直後、効く根拠として科学的・文化的背景をとうとうと述べる。

 オカルトとサイエンス、両方に軸足を置いて、どっちにも転べるようにしてある(そして、どっちに転がしても「読める」ように仕掛けてある)。ホンモノの呪いなのか、プラセボ合戦なのか、最後まで疑えるし、読み終わっても愉しめる。どっちに倒すのかは、読み手がどっちを信じてるのかに因るのかもしれん。その証拠に、キャラを換えシチュを変え、こう言わせる。

人間っちゅうのはな、見たいと思うもんを無理矢理にでも見るもんなんや
信じたい気持ちだけがそこにあった。彼女はただ、自分の業苦から救われたかったのである。
君たちは、ほかに説明を思いつかないというだけの理由で、簡単にまちがった結論に飛びついてしまう。それを知ってほしい。何か説明できないことがらがあっても、ただちにそれをスーパーナチュラルだと思い込まないでほしい。

 トリックだトリックだと思い込ませておきながら、スーパーナチュラルな事象をたたみかけてくる。仕掛けたタネをあばきながら、読み手に「いや、でも違うぞ」と自問自答させながら転がってゆくお話は、先がウスウス分かっていても、こ・わ・い・デ。

 もちろん、アラを探せばいくらでも、叩けばネタは山ほど出てくる。ラストの怒涛の活劇では、強引なつじつまあわせに鼻白むし、(ネタバレ反転)サブリミナルが出てきたときはガックリときたが、それでも物語のパワーにもっていかれる。そう、もっていかれる読書なのだな。

 二十年も前に書かれた小説なので、歯がゆいところも出てくる。イマドキの若者なら、敵陣に乗り込むときはiPhone+GPSで装備するだろう。志村うしろ的シチュエーションも、U-Stream や twitter 実況で回避してしまうかもしれない(当然、超常演出はガジェット向けに強化されるだろう)。むしろ逆手を取って、ガジェットをオカルト化してしまうかもしれない。「着信アリ」とか「女優霊」が浮かぶが、そっちのセカイへ逝ってしまっており、肌合いが違う。「ガダラの豚」は、日常と親和した異常というか、現世と来世のネガポジ関係が、互い違いにあらわれている。

 ウンチクともかく、寝食忘れて読みふけれ。まちがいなく面白いから。

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セカイ系の近未来SF「虐殺器官」

虐殺器官  スゴ本オフ@ミステリで惹かれて手にしてイッキ読み(カネヅカさんありがとうございます)。ガジェットとウィット満載で大いに楽む一方、マイノリティ・リポートとメタルギア・ソリッド(MGS)を足して割ったようなセカイにくたびれる。

 延々続く「僕の語り」が特徴的で、過去と悪夢と現在を説明なしに並べてみせる。同じ脳内だから分け隔てしないよ、という手法は好きなんだが、骨子はかなり単純だ。個人認証による厳格な管理社会を突き進む「先進国」と、搾取と内戦と環境破壊が凄まじい「後進国」、キレイに分れた近未来。大量虐殺を引き起こす「虐殺の器官」を追う米軍特殊部隊のエリートが主人公で、徹頭徹尾、彼のモノローグに付き合わされる。

 この「語り」が面白い。自分(の感情)をつき放して論理を積み上げる冷静さと、母の半生をうじうじ思い悩むマザコン根性が代わりばんこに浮かんできて妙にリアルだ。冷たいユーモアも笑える。屠殺した鯨やイルカの筋肉組織を利用して飛行機の翼をつくるといった、某保護団体が知ったら卒倒しかねないドス黒ネタを淡々と説明する。そんなに未来の話じゃないから、「僕」は某団体の経緯を知ってるはず。にもかかわらず、皮肉味を一切交えずに言い切るのは、いったい誰に対してだからだろう?と苦笑する。

 随所に埋め込むネタ・パロディも面白い。機関銃をすえられ、軍事車両として再利用される日本車は、頭文字D「藤原とうふ店」だろうし、六次の隔たり(ケビン・ベーコン数)から「初体験リッジモント・ハイ」を思い出す主人公に思わず握手したくなる。あまつさえ、敵役がおもむろに「好きとか嫌いとか最初に言い出したのは~」と話し出したので感涙にまみれる。「やたら有能な官僚組織が出てくる軍事小説、あるだろ。俺はああいうの、片っ端から発禁処分にすべきだと思うんだ」は、どうみてもトム・クランシーですありがとうございます。

操作される脳 もっとも、主人公の「冷静さ」は、純粋戦闘員となるためのケミカル・トリートメントに因るものだから笑えない。戦闘の障害となる痛覚や良心そのものをマスキングして、「痛み」を知覚しても「感じる」ことを抑えるといった脳医学的処置は、グロテスクだが実際に行われている。死なない兵士はムリとしても、死ににくい兵士はできる。恐怖や痛みを感じずに突撃し、見聞きしたすべての情報を丸ごと記憶している。傷を受ければ即座に自己治癒し、睡眠や食べ物なしでも活動可能な兵士をつくりあげる。「操作される脳」(レビュー)では、こうしたDARPA(米国防総省国防高等研究計画局)の研究を紹介している。MGSまんまやね。

子ども兵の戦争 よく勉強しているなぁ、と関心したところも。現実の出来上がっていない子供たちを誘拐して、兵士に仕立て上げるサマや、「国家のイメージはPR会社によって大きく左右される」と言わしめるところなんて、「子ども兵の戦争」(レビュー)や「戦争広告代理店」(レビュー)だね。物資の運搬や食事の作業のみならず、実際の戦闘、かく乱、スパイ活動、さらには自爆テロの弾頭として「消費」される子ども兵や、(大人の)兵士に「妻」として与えられる少女の兵のエピソードは、まさに「見えない兵士たち」まんまやね。映画なら「フルメタル・ジャケット」に出てくる髪をふりみだしたスナイパー少女を思い出す。

 ただ、一人称である以上、どうしても地の文を「僕」が解説する形になる。実弾飛び交う戦闘中にしみじみ昔をふりかえる様子は異様だし、はみだした腸とか穿たれた後頭部のディテールは詳しいくせに、生きて話している相手の背格好や顔つきには興味がないようだ(そしてまさしくそこが、主人公のキャラクターでもある)。主人公はカフカを持ち出して語りたがるが、むしろカミュ的なマザコンだろう。ほら、ラストに彼が取った行動は、ムルソーの「太陽のせい」というセリフがピッタリ。

 ミステリ要素は、タイトルの「虐殺の器官」の謎に迫るところになるが、ううむ、(ネタバレ反転)リング・らせん・ループの悪い冗談にしか見えない、いわゆる言霊ってやつ。説得力も同様やね。いい意味でも悪い意味でも、エンタメ足算の足跡だらけなのでご注意を。

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