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「千夜一夜物語」はスゴ本

 「死ぬまでに読みたい」シリーズ。

 「あたり」に出会うと、ずっと読み続けたい、終わらなければいいのに……と思うことはないか?ページを繰る手ももどかしいのに、ページが尽きるのを惜しむ、矛盾した感情。「千夜一夜物語」別名「アラビアンナイト」は、まさにその鉄板の面白さ。誰が読んでも面白いという点では、古今無類であり、読む人の心を喜ばせ、高め、慰める力を持っている。

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 しかも、バートン版。「千夜一夜」は多くの人が編さん・翻訳しているが、なかでも一番エロティックでロマンティックでショッキングな奴が、バートン版なのだ。淫乱で野卑で低俗だという批判もあるが、その分、意志の気高さや運命の逆転劇が、いっそう鮮やかに浮かびあがる。妖艶な表紙からして子どもに見せられないし、残虐だったりドエロだったり萌えまくる描写が山とある。これらは、人性のドロドロの濃淡・陰影をつけるための淫猥ではないかと。

 物語のバリエーションは無数。シャーラザッドの千一夜におよぶ千態万様の物語は、悲劇あり、喜劇あり、史話あり、寓話ありといったふうで、変幻万化、絢爛無比の東洋的叙事詩がくりひろげられる。献身の情熱があり、狂信の沸騰もある。哀愁さそうペーソスあり、荘重から滑稽への急転落もある。甘さ、深さ、清純さ、多彩、華麗、強靭さがちりばめられているなかに、どうしようもない厭世観が透けて見える。

 この世ならぬ美しさの王女の体の、いちばん秘密なところに隠されていた赤い宝石の話とか、魔神のたわむれから、遠く離れた国の王子と王女が恋におちて数奇な運命をたどる一大ロマン「カマル・アル・ザマンの物語」とか、妖艶な美女との官能的な恋も束の間、怪盗の手により苦境に陥った商人のスリル満点の話など、まさに夢のような物語ばかり。妻の仕打ちに耐え忍ぶ夫に身につまされならも、二転三転どんでん返しでハラハラどきどきさせっ放し「靴直しのマアルフとその女房のファティマー」なんて、物語を読む面白さとか喜びのエッセンスそのものが沁み入ってくる。

 それも、いいところ、ちょうどのところで夜明けになる。シャーラザットの語りの上手さは絶妙だ。そりゃそうだ、女性に対する不信憎悪から、毎晩新妻を娶っては殺すシャーリヤル王を相手にしているのだから。つまらなかったら即殺される。ドラマやアニメと一緒で、主人公がピンチになって「どうなるの!?」というところで「つづく」。王はジリジリしながら次の夜を待つことになろう。

 「千夜一夜物語」とはつまり夜伽話だから、一戦交えた後のピロートークである。話の糸口は、妹が「ねえお姉さま、あの話の続きを聞かせてくださらない?」なので、王様は姉妹どんぶりも堪能していたのやもしれぬ。けれども、最初の数夜はともかく、夜が進むにつれ、物語の前にシているはずのセックスなんてどうでもよくなってくる。セックスそのものが前戯と化し、夜伽話そのものがメインとなるのだ。逆説的に、一夜の"語りの長さ"がよい証拠で、1ページ半で夜明けとなる第125夜などは、さぞかしお楽しみだったろうと想像すると愉しい。

 どこかで聞いたことのある話だぞ…というネタもある。弟に財産を残すため、自分の死刑宣告に猶予を願い、奔走する話とかは、太宰治が読んでたはず(もちろん当人が走ってる間は友人が身代わりだ)。どう見てもロビンソン・クルーソーにしか見えない漂流譚とか。「天女の羽衣」そのまんまの「バッソラーのハサン」や、ユリシーズ的展開を見せるシンドバットの物語や、ヨナの鯨を髣髴とさせる巨魚が出てくる。大爆笑したのは、ヒッチコック監督の「ハリーの災難」があったこと。直に読んでいるかどうかは分からないが、翻案・翻意で"物語"が引き継がれたに違いない。

 この、「物語が物語を産む」という感覚は、読んでたわたしも同期してた。きら星のごとく挿話・逸話に溢れているから、組み合わせるだけでオリジナルになる。さらに自分の暖めていたネタを、この設定で演出させることもできる。シャーラザットに触発されて、語りたいという欲求がむくむくと湧き上がる。ネタの宝庫なのだから、わたしの記憶と反応してインスパイアされること必至。ネットで知った小話を、さも自分が体感したかのように語りなおす(騙りなおす?)ようなもの。

 この誘惑に駆られた人はいる。沢山の訳者や紹介者が、別のお話を捏造したり、混ぜ込んだりしたそうな。有名どこは、「シンドバットの七つの航海」。ホントは「千夜一夜物語」とは別ものだったにもかかわらず、アントワーヌ・ガランという編者が勝手に組み込んでしまったという。これだけ面白くで莫大な物語を訳したり編集したら、つい自分も一つ加えたくなる「出来心」が生ずるのも無理もない。ディズニー「アラジン」や手塚治虫、ルパン三世や「アイの物語」などに受け継がれ増殖していく様は、物語の母艦そのもの。千夜一夜物語は、あらゆる物語を孕んだ物語なのかもしれない。

 ちなみに、「シンドバット」の面白さレベルは、「中」なので、児童書だけで知ってる気になってたらもったいない。少なくとも、少年少女版「アラビアンナイト」では、「シンドバット」が盛大に去勢されてることが分かるだろう。好奇心旺盛な若者の冒険を描いたというより、行く先々で殺人と略奪に勤しんだ告白記と読める。特に、次から次へと落ちてくる人を石で撲殺するスプラッタなシンドバットは、おぞけをふるって読むべし。

 そして注釈は、徹底的に実証的。詳細かつ膨大な注釈は、リチャード・F.バートンの博覧強記っぷりをたっぷり見せつけてくれる。ソマリランドの黒人の陽根を測ったら6インチ(平時)だったとか、東洋では小便をする際、女は立ち、男はしゃがむものだとか(オンナの立ちションはあたりまえだった)、騎乗位はコーランでご法度な理由だとか、実にまぁよくご存知で。注の端々に著者の信条めいたものを垣間見て、微笑んだり苦くなったりする。男は多妻主義的(ポリガミック)で女は一夫主義的(モノガミック)なんだって。そして、「男は女そのものを愛するが、女の愛情は男の愛情に対するもの」と言われると、ちょっとうなだれたくなる。

 語り手はシャーラザットのはずなのに、彼女をさしおいて"ほんとうの語り部"が貌をのぞかせるときもあり、ぎょっとさせられる。そしていちいち示唆的な箴言を吐く。曰く、「女に相談せよ、そして正反対に行え」とか、「知識が分別をしのぐ者は無知ゆえに滅ぶ」とか。「げに女の狡知は大なり、まこと悪魔の邪心といえども、女の邪心にくらぶれば弱し」とか言うくせに、「喜びは三つのものにあり。すなわち肉をくらい、肉に乗り、肉を肉の中に入れることなり」とアンビバレンスな一面も。

 全11巻を一気に読む必要はない。枕元でちびちびと、シャーラザットの一夜語りをそのままに、毎夜の楽しみにしてもいい(わたしは、1年かけて惜しみ愛しみ読んだ)。千と一夜の後、シャーリヤル王に訪れた変化は有名だが、シャーラザットに起きた出来事には感無量になった。

 死ぬまでに読みたい、もとい、読まずに死ねない物語。最高の物語とは、これだ。

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コメント

夏の夜にちょっとずつ読み進めたい。
こういう幸せな読書体験ができる本もなかなかないですよねえ

投稿: | 2011.10.28 21:01

>>名無しさん@2011.10.28 21:01

はい、読む前から「幸せな読書体験」を確信でき、なおかつ実感できる希有な本ですよ。

投稿: Dain | 2011.10.30 09:14

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