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ハマる読書「はてしない物語」

 本を開くということは、本の中に入ること。

はてしない物語 そして夢中になるとは、夢の中に入ること。夢中読書をお約束する。ただし、ソフトカバーの上下巻はダメ。あかがね色のクロス張りの、あの一冊のハードカバーで読むべし(なぜだか読んだら分かる)。ハードウェアとしての本のチカラを思い知るだろう。

 三十年ぶりに読み返す。映画に捻じ曲げられた記憶を掘り起こし、新たな発見を得る。主人公のバスチアンは、(記憶の中では)美少年だったのに、活字は残酷にも「でぶでエックス脚、チーズのように血の気のない、美しいとはとうていいえない姿」と述べる。怒りっぽくて泣き虫で、いまいち自分に自信が持てないが、本を読むのが大好きな少年だ。

 そんな彼が、「はてしない物語」という本に出会い、ハマっていく。これは読み手の年齢にシンクロする。十代の、まさにそんな多感な時期に読んだなら、いっぺんに共感してしまうだろう。ミヒャエル・エンデもそこを狙って書いてるし、装丁もそこを狙ってる。本というモノ自体が持つ魅力が、ストーリーの引力とダイレクトにからみあう。読んでる途中に何度も表紙を確認したり、模様を撫でたりするだろう。

 もちろん、入れ子になった物語を解いていくのは気持ちがいいし、物語のもつチカラがリアルと相互に響きあうところでは、カタルシスをぞくぞくと感じる。これを超一級のファンタジーとして読んでもいいし、失われた自己を取り戻す回復物語として受け取るのもありだし、自己欺瞞の牢から脱出する成長譚として扱ってもいい。

 しかし、オッサンの再読となると、話は別。ちょうど本の真ん中のクライマックスで、重大なエラーに気づく。ひっそり隠れて本を読み始め、日が落ちたので七枝燭台のろうそくに火をつけたのが午後4時。そして、ある大きなイベントにより

膝の上にのせていた本のページから吹きだし、ばたばたとはげしくページをあおった。風はバスチアンの髪や顔に吹きつけ、息もできないほどになった。七枝燭台のろうそくの炎がおどり、水平にのびた。
これが午後12時、真夜中だ。いくらなんでも8時間も点いているのはおかしい。バスチアンはろうそくを替えなかったし、だいたい「溶けたろうが指のようにのびた」使いさしだ。バスチアンの運命に大きくかかわるこの場面は、ひょっとすると、"フィクション"なのではないだろうか。

 当然「はてしない物語」は"物語"だからフィクションであることは承知している。その上で、"物語というフィクションの中の現実"が虚構だったら? つまり、バスチアンは、真夜中になるずっと前から、眠ってしまっていたのだったら?

 地の文の、さらに外側の「語りえぬこと」について。物語の後ろ半分は、夢だったのではなかろうか……勉強も運動もコンプレックスを抱いていたから、「世界を救う物語」の主人公で自己を開放しようとしたのではないか。物語と現実との呼応は、ヒーローに自分を重ねたい願望が夢化したものであり、彼が挿入した妄想になる。妄想が現実を侵食するにつれて、うとうとし始め、あとは物語が夢を改変する(あるいは夢が物語を改変する)。

 覚えがないか? 物語の設定が丸ごと再現され、その世界を自分の思うがまま生きなおすような夢を見たことがないだろうか? わたしは、そんなバスチアンの夢を食んでいるわけだ。あかがね色のフォントや、青緑色のフォントで、現実と物語を刷り分けているつもりかもしれないが、ちょっと待て。上に記されているページ数の色は、ずっと青緑色で統一されている。それは、物語が現実へと相互作用しているからではなく、最初の1ページ目から物語だった証左なのかもしれぬ。いや、「はてしない物語」と謳っている以上、「 『 { はてしない物語 } を読むバスチアンの物語』 を読むわたし」という、"わたし"をひっくるめてフィクションなんだ。

 バスチアンは、「閉じている本の中では、物語はどうなっているのだろう? 」と問いかける。過去は思い出されるたびに更新されるように、物語は、読まれるたびに今を生きる。ひょっとすると、開いた人によって、物語は動的に変わっていくのかも。あなたが読んだ「はてしない物語」と、わたしが読んだ「はてしない物語」は、ぜんぜん別の"物語"なのかもしれないね。

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コメント

スゴ本ハンティングでこの本を薦められ、
何十年前に書かれたとは思えない 新しい 刺激を頂きました。
最初と最後にのみ登場する 
「名前が全てKのイニシャルの人が」 とても同一人物とは思えず、
世界が入れ替わったのか、そもそもこの世界が幻か等と
くだらない妄想をしてしまったものです。

投稿: 間宮 亮 (Air) | 2011.09.19 10:00

>>間宮 亮 (Air)さん

そう言っていただけると、わたしも嬉しいです。「K.K.K」は、ふつうに読むと同じ世界の別の物語を読んだ人になりますが、Airさんのご指摘通り、入れ替わった世界の人物としても面白いですね。
もう一踏みして、このあかがね色の本を手にする前と後では、読み手であるわたしの世界が改変されているととらえると、もっと妄想が膨らみます。

投稿: Dain | 2011.09.19 10:56

いつも楽しく拝見させていただいております。

はてしない物語が紹介されておりましたので、思わずコメントをしてしまいました。

>重大なエラーに気づく
には びっくりするやら感心するやら

そうですね、ろうそくが8時間もついているわけが
ありませんよね。

この本はわたくしが中学生のときに買ってもらい
いまでも大切に持っている本でございます。


でも読み返す勇気がでません。
あのときの感動が薄れてしまうようで・・

今一度開いてみようかと思ってしまいました。

長々と駄文、失礼いたしました。

投稿: とと | 2011.10.10 22:14

>>ととさん

「むかし感動した本」というものは、その思い出と伴に大事にしまっておきたいもの……それでも、機を見て読み返すことをオススメします。「あの感動」はもう無いかもしれないけれど、自分がどれだけ変わったかを改めて知るチャンスになります。さらに、見過ごしていたことに気づいたり、別の読み方が楽しめますよ。

投稿: Dain | 2011.10.12 00:48

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