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生きることに意味はないが甲斐はある「それでも人生にイエスと言う」

それでも人生にイエスと言う こころが傷んだときの保険本。「なぜ私だけが苦しむのか」と同様、元気なときに読んでおいて、死にたくなったら思い出す。

 「なぜ私だけが…」は、わが子や配偶者の死といった悲嘆に寄り添って書かれている。いっぽう、「それでも人生に…」は、生きる意味が見えなくなった絶望を想定している。こうした喪失・絶望に陥っているときに開いてもダメかもしれない。だが、「あの本がある」と御守りのように心に留めおいているだけでもいいかもしれぬ。「これを読めば元気がもらえる」と言ったらサギだろうが、少なくともわたしは、これのおかげでもうすこし生きたくなったから。

 著者はヴィクトール・フランクル、ナチスによって強制収容所に送られた経験をもとにして書かれた「夜と霧」は、あまりにも有名。凄まじい実態を淡々と描いた中に、生きる意義をひたすら問いつづけ、到達した考えを述べている(リンク先のレビューにまとめた)。

 「それでも人生に…」は、このテーマをさらに掘り下げ、さまざまな視点から疑いの目と、批判への応答を試みる。いくつかは肌に合わないかもしれない。彼のように考えるのは難しい、そう感じるかもしれない。だが、それを理由にして、フランクルがたどり着いた答えを無視するのは得策ではない。いったん受けて、噛み砕く。

 フランクルはまず、自殺の問題を四つの理由から考える。心を病むのではなく、身体状態の結果から決断する場合、自分を苦しめた周囲の人へ"復讐"するための自殺、そして生きることに疲れて死のうとする場合のそれぞれに、応える。だが四つ目の理由に最も強く反応する。すなわち、生きる意味がまったく信じられないという理由で自殺しようとする、「決算自殺」の場合だ。

 決算自殺とは、いわば人生からマイナスの決算を引き出したので、死のうとすることだという。生きてきたその時点での、借方と貸方を比べ、人生が自分から借りたままになっているものと、自分が人生でまだ到達できると思っているものとを突合せる。そこでどうがんばっても返してもらうことはないことに気づいて、自殺する気になるのだと。

 これに対しフランクルは、「しあわせは目標ではなく、結果にすぎない」と言い切る。人生には喜びもあるが、その喜びを得ようと努めることはできないという。"喜び"そのものを「欲する」ことはできないから。

よろこびとはおのずと湧くものなのです。しあわせは、けっして目標ではないし、目標であってもならないし、さらに目標であることもできません。それは結果にすぎないのです。
 これは理解できる。「しあわせ」に向かって進んだり、「しあわせ」を手に入れたりすることは、ない。しあわせは、「なる」ものではなく「ある」ものなのだから。いま・ここでしあわせを感じることができるなら、それはしあわせで「ある」もの。脱糞や睡眠がしあわせなわたしにとって、「幸せになる」という言葉は、かなり奇異だ。しかしわたしは忘れっぽい。だから、「幸せはいつだって現在形」と書いておこう。

 不治の病にかかり余命が告げられた人、非生産的な毎日を送っている老人、病気で動くこともままならなくなった人、働けなくなった人―――著者は、さまざまな逆境を例に、そこでどう考えるかを提案する。いつまで不治だとみなされるかは誰にも分からないという。「ただそこにいる」だけで子どもや孫の愛情に包まれ、代替不可能でかけがえのない存在もあるという。

 たとえ全てのものが取り上げられても、人としての自由は、取り上げることができなかった強制収容所の体験を語る。つまり、選び取る自由は残っていたというのだ。収容所が強いる考えに染まるのではなく、"わたしならこうする"という選択の余地は、たとえわずかなものであれ、必ずあったという。そのわずかな余地で、"わたし"のほうを選べというのだ。

 つまり、生きることの一瞬一瞬が、この選択を問われていることに他ならないという。そして、生きることは、その一瞬の具体的な問いに答えることであるのだと。人生の意味を一般的な問題にすることは、あたかもチェスの個々の具体的な局面を離れて、「一番いい手は何か」と問うようなもの。定石はあるかもしれないが、あくまでもその一手を自らが選ぶことが、生きることだと言いたいんだろうね。

 反射的に次の言葉を思い出す(マザー・テレサ?)。「考えたとおりに生きなさい。さもないと、生きたとおりに考えてしまうから」。そして、その通りだと同感できるのだが、心からそう信じることは難しい。いま・ここで、身体的な不具合や、心理的な圧力から自由だからこそ、信じることが難しい。もしも、家族や健康が失われても、同意できないかもしれない……著者は、病気と死を「贈りもの」と言うが、とても無理だ。なのでこれは、「そのときになって」もう一度読もう。

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「スゴ本オフ@元気をもらった本」報告

 本を介して人と会い、人を介して本と会う。それがスゴ本オフ。

 いつもどおり、好きな本をもち寄って、まったりアツく語りあってきた。今回のテーマは、「わたしが元気をもらった本」。知らない本に出会ったときのワクドキ感もさることながら、知ってる(かつストライク)本を見せられたときの、「そうキたかーー!!」感覚にシビれた震えた濡れた勃った。

 そして、「元気をもらう」ってのは、本そのものに限らず「その本との出会い方」に強くつながっているなぁ、と実感。その本との関わり方がそのまま自分の元気に直結しているような、そういう紹介が印象的でしたな。まずは、ラインナップと全リスト(発表順)から。

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  • 【Dain】「子どもへのまなざし」佐々木 正美
  • 【Dain】「自分の小さな箱から脱出する方法」アービンジャーインスティチュート
  • 【Dain】「めぞん一刻(第15巻)」高橋留美子
  • 【Dain】「SLAM DUNK(第27巻)」井上雄彦
  • 【Dain】「よつばと(第9巻)」あずまきよひこ
  • 【Dain】「WORKING!!(第2巻)」高津カリノ
  • 【Dain】「おおきな木」シルヴァスタイン
  • 【Dain】「それでも人生にイエスと言う」V.フランクル
  • 【Dain】「大聖堂」ケン・フォレット
  • 【Dain】「ディスカヴァージャパン6月号(元気が出る100冊)」
  • 【ともこ】「るろうに剣心(第1巻)」和月伸宏
  • 【ともこ】「オンリー・ミー」三谷幸喜
  • 【ともこ】「有頂天時代」三谷幸喜
  • 【おおいわ】「週刊少年ジャンプ(最新号)」集英社
  • 【おおいわ】「チャンネルはいつもアニメ」藤津亮太
  • 【ろき】「まおゆう魔王勇者」橙乃ままれ
  • 【ろき】「あしながおじさん」ウェブスター
  • 【ろき】「煙か土か食い物」舞城王太郎
  • 【ろき】「スプライトシュピーゲル 」冲方丁
  • 【ろき】「いばら・ら・ららばい」雁須磨子
  • 【ばかいぬ】「長嶋茂雄からのメッセージ」小林信也
  • 【ばかいぬ】「放課後ウインド・オーケストラ」宇佐悠一郎
  • 【浮雲屋】「逆境ナイン(全巻)」島本和彦
  • 【浮雲屋】「吼えろペン(全巻)」島本和彦
  • 【さこ】「ご近所物語」矢沢あい
  • 【さこ】「夜間飛行」サン・テグジュペリ
  • 【さこ】「希望の扉を開く」ヨハネパウロ2世
  • 【さんしょう26】「さびしさの授業」伏見憲明
  • 【まち】「20世紀」アルベール ロビダ
  • 【まち】「ONE」リチャード・バック
  • 【まち】「ささやかだけど、役にたつこと」レイモンド・カーヴァー
  • 【おおつか】「ただマイヨ・ジョーヌのためでなく」ランス・アームストロング
  • 【タキ】「この世でいちばん大事な「カネ」の話」西原理恵子
  • 【ブックバス】「オーパオーパ!」開高健
  • 【ブックバス】「手仕事の日本」柳宗悦
  • 【でん】「調理場という戦場」斉須政雄
  • 【マスターライブラリアン】「人間の絆」サマセット・モーム
  • 【ゆうこ】「イワン・デニーソヴィチの一日」ソルジェニーツィン
  • 【ユウスケ】「文才がなくても書ける小説講座」鈴木信一
  • 【ユウスケ】「ぼくんち」西原理恵子
  • 【ゼムクリップ】「旅をする木」星野道夫
  • 【ゼムクリップ】「Big Fat Cat And the Snow of the century」向山 貴彦
  • 【タカタカ】「初秋」ロバート・パーカー
  • 【モト】「宮崎駿の雑想ノート」宮崎駿
  • 【モト】「犬」中勘助
  • 【モト】「美しい水死人」G.マルケス
  • 【やすゆき】「国のない男」カート・ヴォネガット
  • 【やすゆき】「うつを見つめる言葉」曽野綾子
  • 【やすゆき】「僕と君の全てをロックンロールと呼べ」サンボマスター
  • 【ずばぴた】「勇気凛々ルリの色」浅田次郎
  • 【itoishi】「星の牧場」庄野 英二(twitterより)
  • 【itoishi】「逆境ナイン」島本和彦(twitterより)

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 わたしの場合、結果的に本から「元気をもらう」ことはあっても、元気をもらうために本を読む、ということは無い。元気ないときは、食べて飲んで寝るに限るから。けれども、「具体的な心配事」を追いかけていって、具体的な解を得たのが本だったということはある。読んだらニコニコ・ドキドキ・ワクワクを思い出せる本がある。そして、漠然とした不安におそわれるとき、お守りのように読み返す本がある。今回は10冊と、かつてないヴォリュームで臨んだぞ(ブックシャッフルは「大聖堂」のみ)。

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 今回の特徴として、コミックが最多だった。漫画から元気もらうってのは王道ですな。「壁にぶち当たる→壁を乗り越える」といえば少年漫画の王道ナリ。ジャンプ率が高かったのもうべなるかな。「週刊少年ジャンプ」をそのまんま持ってきたのにはビックリしたが、週1で必ず元気をチャージするってのはありだね。「SLAM DUNK」の至言「あきらめたら、そこで試合終了ですよ」は、ジャンプ読んでて出会えてよかった一言(たしか安西監督、山王戦の前にも言ってたような気が…)。

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 ものスゴくキアイの入ってたのが、島本和彦ランド。表紙からして灼熱している「逆境ナイン」と「吼えろペン」が、全巻持ち込まれてて、暑苦しいオーラを放っていた。サイバラの「カネの話」もド派手な表紙だけど、圧倒してたなぁ。た・し・か・に、これ読んだら元気出るというよりも、脳汁がドーピングされるね。だけど、浮雲屋さんの言うとおり、「元気が出るけど疲れる本」でもあるw

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 ヤラレタ!のは、レイモンド・カーヴァー「ささやかだけど、役にたつこと」。これは、たしかに、そのとおり。疲れたとき、傷心のとき、不安でたまらないときに、「ささやかだけど、役にたつこと」。これ読んだという経験は、元気がないときに思い出すべき"感情"だね。さらに、ソルジェニーツィン 「イワン・デニーソヴィチの一日」は、紹介されてガツンときた。これは読んでいるのに、このオフの俎上に入れるか、考えもしなかったので。でも、紹介されるとおり、「どんな状況にいても、幸せかどうか決めるのは自分だ」。沁みる。このオフやっててよかったぁ…

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 そして、課題本というか読みたい本がザックザクとお宝のように出てくる。「ただマイヨ・ジョーヌのためでなく」は、ずっと積本だったので良い機会だ、読む。「調理場という戦場」は、マネジメントの本質が書いてある(気がする)ので読む。西原理恵子の「この世でいちばん大事な「カネ」の話」は、ちょうど図書館で借りたところが、ブックシャッフルで周ってきたので、この新装版というやつで読む。同じく「ぼくんち」は、「好きな人ができると必ずプレゼントする」という惹句に読む読む。開高健は「オーパ!」から全シリーズ読み直すぞ。「美しい水死人」は絶版だが図書館で見つけた、読む。「あしながおじさん」は大人こそ読むべし、というろきさんの主張、「少女小説のヒーローは、たいていダメなおじさん」を確認するために再読しよう。「元気もらう」とは全く関係ないけれど、表紙が異様に可愛かったので、「いばら・ら・ららばい」読む、「めんどくさい女の子も、めんどくささを自覚してる」ことに萌え燃えしそうなので。参加できなかったけれどtwitterでつぶやいていただいたitoishiさんの「星の牧場」はピンときたので読む(そして、息子にも読ませるだろう)。紹介はなかったけれど、「君の行く道」はすげー気になるので読む。このオフ会がなければ出会うことはなかっただろう。紹介いただいた皆さんに感謝・感謝。

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 力仕事から気のつく仕事まで、サポートありがとうございます、Kさん。twitter実況していただいたずばぴたさん、お椀のようなレンズで激写してくださった大木さん、キアイでやってきたともこさん、司会のやすゆきさん、ありがとうございます。そして、KDDIウェブコミュニケーションズさん、会場を貸していただき、ありがとうございます。

 次回のテーマは「ジュヴナイル」、児童書ともティーンズとも取れるけれど、「本人が"ジュヴナイル"だと思ったらジュヴナイルなの」というやすゆきさんの定義でいきましょう。

 過去のスゴ本オフは以下をどうぞ。


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6億円のアルバイト

「あのさ」

「ん?」

「6億円のアルバイトってのがあるんだけど
 『ガレキを片づけるだけの簡単なお仕事です』ってさ」

「ガレキて…」

「そそ、あそこを片づけるバイト、超短期・超高収入ですぜ」

「そりゃ短期になるわさ」

「もう潮時じゃない? 下痢便タレ流すよりも、えいやって片づけるの
 『モニタリングしてます』って、見~て~る~だ~け~じゃねーか」

「そうだね」

「そりゃ100年くらい見てたら、線量は減るね」

「おいおい」

「その影響の大きさと、人柱の経済をコストにすると、1人6億×100人」

「高いのか安いのか、どっちだろうね」

「あるSFでさ、急いで宇宙船とばさなきゃいけなくなるワケ」

「いきなり何をwww」

「それで乗組員への放射線防護なんて最低限なつくりなの
ところがゴール直前でエンジン故障するの」

「それで?」

「すると、普段プラプラ遊んでたエンジニアが、『逝ってくる』のさ」

「どゆこと?」

「エンジンルームなんて、放射線飛びまくってるの
 だから死ぬまでのわずかな間でエンジンを修理するの」

「犬死に?」

「いや、もともと『使い捨て』を承知で乗船しているの、高給でね」

「高いのか安いのか、どっちだろうね」

「逃げ切れば賞金、つかまったら殺されるテレビショーがあってね」

「またいきなりwww」

「1ヶ月逃げ切ったら、10億ドル」

「ランニングマン(バトルランナー)だね」

「原作はいろんな意味で予言的なのさ」

「911とか311とか」

「10億ドルってぇと1000億円だじぇ」

「高いのか安いのか、どっちだろうね」

「でも6億だぜ、『逃げる』よりも『逝ってくる』ほうだけど」

「お金じゃないよ、そうなったら」

「釘宮理恵に罵ってもらうとかいいな、ナマで1時間くらい
 ルイズと伊織と大河を順番で」

「そんな願い事かよwww
 『契約したらどんな願い事でもかなえてあげるよ!』って言われたら?」

「さやかを返して欲しい、それからボクのお嫁さんになってもらうんだー」

「逝ってこい!」


この会話はフィクションであり、実在する企業、団体とは何の関係もありません。
この会話は脳内からにじみ出た汁であり、実在する嫁とは何の関係もありません。

太陽の簒奪者

バトルランナー

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5月27日はスゴ本オフですぞ(業務連絡)

申込みをされた方にご案内のメールを送ったのですが、一人だけ宛先不明で帰ってきています。透明人間希望のYさん、メールをお待ちしています(右上の「プロフィール」のリンクからメールできます)。

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子育ての原則=待つこと「男の子が自立する子育て」

 最初に結論。子育てで最も大切なことは、「待つ」こと。

男の子が自立する子育て 「父親」をやるようになって十年たつ。もう赤ちゃんでも幼児でもなくなり、いわゆる「手がかからない」状態だが、もうしばらく父業は続くだろう...子が自立するまで。本やネットを読み漁り、近所の同業者と相談したり、試行錯誤をくりかえしてきた。育児関連は沢山あるが、子育ての原則はこれに尽きる、「待つこと」。

 具体的に何をどうケアするかは時期それぞれになるが、準備をしたら、あとは見守る。助走を手伝ったり、しばらく併走することはあるかもしれない。だが、構えは「待つ」だ。実のところ、わたしはこの「待つ」が苦手だ。つい、口を出したり手を出したり「なんでできないの!」と叱ったりする。そのたびに反省しながら、子どもの成長を待つのが親の仕事だと自分に言い聞かせる。

 放任ではなく、見守る。環境を整えたら、あとは子どもは育っていく。子どもの「育ち」を信頼するのだ。「誉める」ひとつをとってもそうだ。「誉め過ぎると天狗になる」という意見もあるが、ポイントを誤っているから。ポイントは「昔のわが子」、つまり、昨日の、先週の、先月の、去年のわが子と比べて、その成長っぷりを指摘するのだ。わたしは思い出す、初めてつかまり立ちできたとき、初めて"パパ"って言ったとき、わたしがどんな気持ちだったかを。種を剥いて発芽させることはできないし、馬にムリヤリ水を飲ませることは不可能。子どもの頭を引っ張ったって、背は伸びない。

 育ちを促すことはあっても、基本は「待つ」。この姿勢は著者と同じだったので、新たな気づきは少なかった。しかし、「促す」「準備する」アイデアは得られた。子どもの気づきや自覚を待つのは、大人の役割だが、子どもを導く「仕掛け」を施すのだ。「教え育むという教育の、子どもたちに『学ぶ意味と自覚』があってこそなのです」。まさに馬と水場のたとえやね。馬にムリヤリ水を飲ませることはできないが、ひと走りさせた後、水場に連れて行けば勝手に飲みだす。この、「ひと走り」と「水場に連れて行く」が具体的に書いてある。

 たとえば、生活記録表を提案する。営業日報やビジネスダイアリーのようなものだ。目標、目標を分解した課題、課題達成に必要なタスクを書き出し、日々の行動に落とし込む。毎日の行動を記録して、週単位でFit/Gapを分析し、振り返りとフィードバックを行う。要するにPDCAなのだが、提示のタイミングが重要。中学最初の中間考査の直後にするのだ。この洗礼で、「成績上位」のイメージが崩れたところ、「こんなものがあるのだけど...」と教える。やらされ感を抱かせないように「仕掛ける」のがポイントだそうな。また、勉強に閉じず、手伝いや楽しみのイベントも盛り込めという。わが家では普通の大学ノートでやってきてたが、中学になったらビジネスダイアリーにしてみよう。

 また、反抗期に現れる言動は、「自己表現の引き出しの少なさ」がそうさせているという。何を聞いても「フツー」としか返さなかったり、いかにも煩わしそうな顔をみせたり、荒っぽい言動を投げつけたりする。大人なら抑制した表現手段があるのだが、社会経験のなさから「つたない表現」しかできないと見るのだ。ここはかなり共感。わたしは、もういいオッサンなのに、うまく表現できなくてもどかしい思いを未だにしている。

 著者はこう提案する。Yes/Noで答えられる質問ではなく、どうだったか、どんな風に思ったか、そんな「How」の問いかけをせよという。そして、返事を聞いたとき、大げさな合いの手をいれろという。これは、自己肯定感を与えるための会話のセオリーやね。また、直接が難しいなら、落書きホワイトボードを間に、ワンクッションおいた「会話」を提案する。ここでも「ほめ上手」になることを主張する。小さいときはあんなにほめていたのに、子どもが大きくなると、親は「ほめ下手」になるという。耳が痛いナリ。

 さらに、子どもと語り合う場面を意識してつくれという。わたしの親は、「黙って背中をみせてやればいい」「家族だからわかってもらえる」「あ・うん」が大好きだったが、それが、いかにコミュニケーションエラーを引き起こしてきたか、今になって分かる。以下、著者が提案する「話のネタ」。いくつかは話したことがあるが、これを機に、意識して振ってみよう。

  1. 自分の子ども時代を語る。どんな遊びをしてて、何に悩んでいたかを話すつもり。
  2. 親が自分の親について語り継ぐ。どちらかというと批判的になりがちだが、わたしがどうやて克服したか、いまにどのように生かしているか、反面教師としての親を語る。
  3. 仕事の話をする。職場の雰囲気や、自分のキャリアプラン、過去の苦労(リアルデスマーチ)が良い?ネタになるだろう。
  4. 自分の失敗談。おそらく改まって話すというよりも、子どもがしでかした失敗を「わたしもやったことがある...」と伝えることで、次にどうすればよいかを考えてもらおう。
 不安はあっても、わが子を信じて、頼る。そんな「親の思い切り」が子どもの自覚を促すという。そして、親から信頼されているという感覚が自己肯定感につながる。そうだね、あれこれ手や口を出していじり回すということは、翻ってみれば、子どもを信頼していないことになる。さらには、「弄る=教育している」自己満足により親が自分を安心させていることにもなる。この負のスパイラルから親が自律することが、子どもの自立につながるのかもしれないね。

 一つ気になったのは、「親が」と書くべきところを、「お母さんが」になっている文がちらほらあったこと。父親不在の教育論はよくいわれるが、それを前提に語られると違和感がある。ソコを除けば、大いに賛同できたぞ。

 女の子バージョンとして、娘親限定「女の子が幸せになる子育て」を書いたけれど、やはり本書は男の子バージョンとして、親の振り返りに役立ったぞ。

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キスの科学「なぜ人はキスをするのか?」

 キスをする究極の理由から、科学的に正しいキスの仕方まで。

なぜ人はキスするのか 特に、効果的なファーストキスのアドバイスは、シングル(の男性)に朗報かと。ただし、「ファーストキス」の意味合いが違う。一般に「ファーストキス」とは、その人にとって生まれて初めてのキスのこと。だが本書では、その相手とする最初のキスのことを、ファーストキスと呼ぶ。初物と初キスの違いやね。

 見返しを眺めると、ずばり美人。こんなサイエンスライターが「キス」についてあれこれ調べて・自らも被験者となったレポートだなんて、ドキドキながら読むのだが……中身は至極まっとう。たがいのくちびるをかさねる、その行為を、以下の2つのアプローチから分析する。

  1. 生物学的、遺伝学的な要因
  2. 文化的、社会環境的な要因

 ボノボの例を用い、「キス」は人の専売特許ではないことを説明する。仲間をなめたり、鼻をこすりつけたりする行為は、人のキスに匹敵する。では、なぜ口なのか? 著者によると、ポイントは「匂い」になる。匂いは、他人と親しい人(パートナーやわが子)を区別する手がかりになる。

 その元となる皮脂腺が集中しているのが、鼻の周り、うなじ、顔だ。だから、顔を近づけて匂いをかぐことが、人類にとってのキスの始まりとなる。だが、おおっぴらに相手をくんくんかいでしまえば、相手は困ったりイラついたりするかもしれない。これをスマートに解決する手段が「キス」なのだという。もともとは生物学的な行為だった「匂いかぎ」が、文化的な行為「キス」に洗練されていくさまは面白い。

 同時に、キスの対象となる「くちびる」の機能について分析を深める。誰もが思いつきそうな(そしてデズモンド・モリスが喝破した)「口紅メーカーが作り出しているのは美しい口ではなく、一対の特大の陰唇」を解説し、「唇は女性の生殖能力の指標」と言い切る。四足歩行の頃なら、発情期かどうかは尻のあわいで一目瞭然だ。が、二足歩行になり、見えにくくなったラヴィアの代わりに、くちびるが象徴化されたという。尻が胸に、陰唇が陽唇になったんだね。

 文化的側面からのキスの分析も興味深い。キスに言及した最古の文書は、B.C.1500頃のバラモン教の聖典「ヴェーダ」にあるという。"kiss"にあたる言葉は載っていない代わりに、「口を使って匂いをかぐ」行為として紹介されている。それは、「くんくんかぐこと」と「匂い」の両方を意味し、「ふれる」行為もほのめかす言葉だそうな。著者はカーマスートラや古代ローマのオウディウス「愛の技法」を渉猟し、キス(や互いの匂いをかぐ行為)は、文化や時代を超えているという。

 さらに、未来のキスとして、「セカンドライフのアバター同士のキス」が盛んなことや、Nintendo-DSの「ラブプラス」を紹介し、「CG技術が向上しリアルに見えれば、プレイヤーは仮想の恋愛関係であろうとアニメのキャラクターに喜んでキスするようだ」という。そうかぁ? ……画面の少女にキスするか否かは、グラフィックスの多寡ではなく、リアルと一緒で「その気になるか否か」によると思うぞ。「ときめきメモリアル」の伝説の樹の下でキスを交わしてきたからこそいえる。ブラウン管は、あたたかいぞ。

 キスをしている人に注目し、神経学的・生物学的に何が起こっているかを分析しているあたりで、大胆な仮説を立てている。キスをすると生体の化学反応、嗅覚、触覚を通じて情報のやりとりがおこなわれるが、これは、「キス以上の関係を進めるかどうかの判断」をしているというのだ。これは、意識の上ではあたりまえすぎることかもしれない。だが、本書では意識下に言及する。つまり、カップルがキスすると、互いの健康状態、生殖能力、遺伝暗号の適合性の手がかりを手に入れるというのだ。

 ちょっと残念だったのが、「キスの音」の分析がなかったこと。キスする2人がやりとりするものは、味覚、聴覚、触覚、フェロモンの感覚情報だという。聴覚が抜けているぞ。相方の舌が蠢く感じや、息の通る音、むむむといった唸りが(口づけで接触しているから)直に頭ン中に響く。これ、極めてエロいんですけど。これは音というよりも震動で、唇という感覚器官を通じてはじめて成り立つ、あの、「キスの感じ」だ。蠕動する触れ心地があり、なま温かい味と吸われる痛み、ナッツ系に微かに脂の混ざった香りが直接、脳にくるのだ。なので、わたしにとってキスとは感覚ぜんぶ入りの行為だ。この辺が言及されてなかったので、ちょっとさみしい。

 最後に。ファーストキスを成功させる秘訣をまとめてみた。詳細な説明は直接あたってみてほしい。いかにも恋愛講座でてきそうだが、科学に裏打ちされた経験則は黄金則。だから素直に利用しましょう。

  1. 口臭予防必須
  2. カップルの相互理解
  3. あせらず、期待感を育む
  4. リラックスできる環境
  5. キスの前の愛撫
  6. 神経質にならず、思い切って脳と身体に任せる
  7. 感情的にも身体的にも相手を受け入れる
 他にも、男女のキスの好みの違い(キスは目的か手段か)、キスをするとき顔を右に傾ける理由など、キスについての知識はかなり増えたが、キスの不思議な魅力は、さらに増すこととなった。

 次のキスが楽しみになる一冊。

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真摯さは、ここにある「夜間飛行」

 ピーター・ドラッカーが強調する「真摯さ」は、サン=テグジュペリの「夜間飛行」にあった。

 飛行士が書いたものとして有名だし、じっさい操縦席に居るように生々しい。まぶしいほどの星明りを浴びながら、嵐の目を上昇するシーンは、同じ光を肌に手に瞼に感じるだろう(絶望感とともに!)。徹底して削ぎ落とされ・濃縮されており、描かれなかった場面が、幻肢のようにうずく。そう、飛行士の嫁さんのとこだ。彼女の不安とその先の感情は、削られたからこそ、わたしの肉が削がれたように感じる。

 しかし、ここでは夜間飛行の指揮を執るリヴィエールについて書く。郵便会社のマネージャーとして欧州-南米航路を受け持つ。自分に厳しく、同じ厳しさを部下にも強いる「情け容赦のない」プロフェッショナルだ。飛行士や整備士と交わす会話の端々から、畏れられ絶対視されていることが分かる。だが、リヴィエールの内省に触れると、彼の繊細さ、思いやり、感受性の高さが直に伝わってくる。部下が感じる痛みを手に取るように分かっていながら、そのそぶりを毛ほども見せない。

 リヴィエールは自虐的(?)に独白する。「ひとに好かれたければ、ひとの気持ちに寄り添ってみせればいい」。ところが、同情しようとする自分を、それを外面に出そうとする自分を鉄の意志で押さえつける。なぜなら、自分の仕事は、状況を制することにあるから。部下を鍛え上げ、郵便事業を進める「状況を制する力」をもたせてやらなければならないというのだ。

 ときには部下を危険にさらし、おもねる整備士は無慈悲に斬る。「夜間飛行を続行させる」―――この目的のために、自分を、部下を、文字どおりささげるのだ。「人間の幸福は、自由の中に存在するのではなく、義務の甘受の中に存在するのだという事実を、明らかにしてくれた点に感謝する」と平然とつぶやく。仕事人間の残忍さにも見えるこの態度は、ドラッカーのいう「真摯さ」そのもの。だが、リヴィエールは「仕事人間」ではなく、強いていうなら「目的人間」だ。

 原語は "integrity" という「真摯さ」は、よく言い換えられる「誠実さ」「率直さ」とは異なる。マジメで素直な性格という意味ではない。その証拠に、不真面目で、ひねくれた性格だが、「真摯なボス」というのは確かに存在する。その違いは、「目的」にある。"integrity"は、まず「目的」を要するのだ。それに対し、ひたむきに厳密に向き合う。目的に対して、正直さや誠実さを一貫して発揮できる―――これこそ、ドラッカーが強調したマネージャーに必須の条件「真摯さ」であり、リヴィエールそのものなのだ。

「ものごとというものは」と思った。「ひとが命じ、ひとが従い、それによって創り出される。人間は哀れなものだ。そしてひと自身、ひとによって創られる。悪がひとを通じて現れる以上、ひとを取り除くことになるのだ」
 彼は、マネージャーの孤独を知っている。目的を遂げること、そこへ向かって進む・進める全ての打ち手を実行する。そのために「誠実」「率直」に振舞うのだ。態度は、自分で決めることができるから。自分のしていることが善なのかどうか、分からない。仕事をするうえでの正義の価値もわかりやしない。それでも、折り合いをつけて努力していくことしかない……部下に声をかけるリヴィエール、「いいから、ロビノー、言われたとおりにするんだ。部下を慈しめ。だがそれを口に出すな」。本当は、自分に向かってつぶやきたかったのではないだろうか。

 リヴィエールの描写が彼の内面に寄り添ういっぽう、彼が下した決断・行動・指示を受け取る人物は客観視した書き口だ。いわば、上長は内から、部下は外から見ていることになる。そのため、彼の独善性の出所を知っている読者は、その結果を受ける整備士、飛行士、その新妻の心象を思いやって、二重の苦しみを感じる。つまり、リヴィエール側からの「あなたのことは分かっている…だが、やらざるを得ないのだ」と、部下側の「どうして分かってくれないんだ」に挟まれて動けなくなる。夢中に読んでるときは、サン=テグジュペリの"手"は見えなかったが、考察するに、狡猾なほど巧妙なテクニックだ。

 さらに、加速性や多角的な展開で進行感を高める手法は見事だ。作中時間はわずか2時間、そこに12章の「シーン」を詰め込んである。全体像はあたかも設計図を引いてつくりあげたような構成美を成し遂げている(光文社古典新訳の解説に詳しい)。特に後半、展開がトロットからギャロップへ駆け上がるように、「シーン」を小さく間を狭くとるように配置する。この結果、最も濃密となる時間は、ほぼ読む速度に合わせるリアルタイムなスピードになっており、否応なしに臨場感を促す仕掛けだ。

 本書はスゴ本オフ@松丸本舗(読まずに死ねるかッ編)でMOTOさんにオススメされたもの。ありがとうございます、MOTOさん。食わず嫌いは良くないですな。

夜間飛行_新潮 新潮文庫は美文の誉れ高い堀口大學訳。時代がかったカタさがまたいい、という方もあろうかと。納得いかないのは、併録されている「南方郵便機」の方を持ち上げているところ。おそらく当時流行のフレームにムリヤリ合わせて書いたようにしか見えぬ。

愛されようとするには、同情さえしたらいいのだ。
ところが僕は決して同情はしない。いや、しないわけではないが、外面に現さない。僕だとて勿論、自分の周囲を、友情と人間的な温情で満たしておきたいのはやまやまだ。医者なら自分の職業を遂行しながら、それらのものを勝ち得ることもできるのだが、僕は不測の事変に奉仕している身の上だ。不測の事変がいつでもこれを使いえるように、僕は人員を訓練しておかなければならない。
夜間飛行_光文社 光文社古典新訳文庫は、二木麻里訳。人文系リンク集「ARIADNE」(アリアドネ)の主催者、といったほうがご存知の方も多いかと(老舗だからね)。解説を読む限り、解剖するほど読み込んでいることが分かる。なによりも、「いまのことば」の方が好ましい。
ひとに好かれたければ、ひとの気持ちに寄り添ってみせればいい。
だがわたしはそんなことをまずしないし、心で同情していても顔には出さない。とはいえ友情や、人としての優しい感情に包まれたいと願わないわけではないのだ。医師であれば仕事を通じてそうした交流を得られるだろう。だがわたしの仕事は状況を制することにある。だから部下たちも鍛え上げて、状況を制する力をもたせてやらなければならない。
 いわゆる「名訳」は新潮文庫。だけど「読みやすさ」は光文社古典新訳になる。お試しあれ。


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横田創「埋葬」はスゴ本

 事実へのかかわり方で世界がズレる、これは初感覚ナリ。

埋葬 読んでるうち、世界がでんぐり返る瞬間は体感したことがある。だが、これはその先がある。でんぐり返った所が真空となり、そこが物語を吸い込み始めてしまうので、穴をふさぐために自分が(読み手が)解釈を紡ぎなおさなければならない―――こんな感覚は、初めてだ。

 若い女と乳幼児の遺体が発見された。犯人の少年に死刑判決が下されるが、夫が手記を発表する。「妻はわたしを誘ってくれた。一緒に死のうとわたしを誘ってくれた。なのにわたしは妻と一緒に死ぬことができなかった。妻と娘を埋める前に夜が明けてしまった」―――手記の大半は、妻と娘を「埋葬」する夫の告白なのだが、進むにつれ胸騒ぎがとまらなくなる。

 なぜなら、おかしいのだ。冒頭で示される記事と、あきらかに辻褄があわないのだ。「信頼できない語り手」の手法は小説作法でおなじみだが、夫は嘘は語っていない。妄念と真実の混合でもない。さらに、この事件を取材される側のインタビューがモザイク状に差し込まれる。どれも核心に触れながら、微妙にズレている。インタビュアーの会話で芥川の「藪の中」が出てくるので、おもわず現代版「藪の中」と評したくなる。

 しかしこれは罠だ、あの短篇とはまるで違う。むしろ正反対の問題を差し出している。「藪の中」の本質は、「真実は一つ、解釈は無数」だ。死者も含む登場人物の数だけ解釈はあるものの、ただ一つの真実は「藪の中」にしたいから、タイトルでそう伝えている。ところが「埋葬」は、事実へのかかわり方(深度と密度)によって、事実のほうがズレてくる。インタビューと手記の穴が食い違ってくる。

 そして、だれかの"語り"だけを選べない。選んだ瞬間、選ばれなかった"語り"が埋めていた空虚をふさぐため、読み手が再解釈しければならなくなる。その余地が大きすぎで、選んだ"語り"が空虚に飲み込まれてしまうほど。あたかも、地の文であるインタビューの記録と、表の文である夫の手記が、角度を変えると入れ替わってくるかのよう。

 たとえば、わたしが写真を「見る」とき、プリントされた被写体を見ているのか、写真という媒体物を見ているのか。どちらかを選ぶことはできない。なぜなら、被写体を見ずに媒体を眺めることも、媒体物を目に入れないように被写体だけを見ることも不可能だから。この、見るものと見ているものの境界線は、みるみるうちに、やすやすと超えられてゆく。

 そして、ある到達点で、地の文と手記が逆転するかの感覚に呑み込まれる。地の文も手記も、記述として完全に独立に示されているのに、互いにロックインされていることに気づく(ここで、わたしはもう一度読み直した)。さらに、「地の文と会話文」、「見るものと見られるもの」、さらには「他者と自己」のダブルミーニングが、隠喩となって作中のあらゆる場所に埋め込まれていることに気づく。だまし絵のように巧妙堂堂としているので、気づいた瞬間にぎょっとなる。

 このとき、わたしはこの物語を外から見ている読者なのに、どう読むの? どう再解釈するの? と急かされている気分になる。見ているのでなく、見られている。読んでいるはずなのに、読まれている。物語に見かえされているのだ。わたしが"語る"のを待っているのだ。

 わたしは、読み手「わたし」であることを放棄して、物語そのものにならなければならない。折りしも、登場人物たちは、気味が悪いほど本質的に同じことをしている―――「あなた」のように考え・行動する「わたし」が語られ、「他人のためになにかを言うということは、他人をわたしにすることである」と主張される。

 読み手を語り手に逆転させること、これこそ、この作品のホントのねらいだったんだね……気づいたときには手遅れで、読んだ人に"語り"たくなる。そういう、麻薬的なスゴ本。読むのなら、注意深くどうぞ。くれぐれも、流し読んで、「○○○ワンアイディアのミステリ」なんて評さないように(もったいないぜ)。

 本書は、The Red Diptych 「2010-12-10 横田創『埋葬』を再読したが……」(ネタバレ有)で知った。HowardHoaxさん、ありがとうございます。

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軽い仏教「官能仏教」

 奔放+エロスな解釈に眩暈する。

官能仏教 コンテキストは、いったん世に放てば、どう扱おうと受け手の勝手。「仏教」も然りかも……そんな気がしてくる。「官能」+「仏教」は本書の造語なのだが、稚児愛、両性具有、性に対するおおらかさなど、妄念・愛憎・欲情にまみれた逸話説話を聞くにつけ、見るにつけ(図柄が多彩なのだ)、わたしが知らない仏教は、きっとあなたが説いている状態にまで至る。

 たとえば、光明皇后のエピソード。膿だらけの病人の垢すりをする際、光明皇后が膿を口で吸い取り、「慎みて人に語るなかれ」と口止めしたところ、病人は大光明を放ち、「あしゅく如来の垢を去ったことを慎みて人に語るなかれ」と告げた話がある。ネタは知ってたが、紹介の仕方がエロい。「男はその行為を要求する」とか「光明皇后は、頭の頂から、かかとまで、男の全身を吸い舐っていく」という書き口は、いろいろいけないことを想像してしまう。「謎の白い液体」もかくや…と想像したくなるほど。

 この話には余談がある。玄奘三蔵の旅に同様の話が出てくるという。あの「西遊記」の三蔵法師の話だ。男が女に、光明皇后が三蔵法師に代わるだけで、やることは「口で濃汁を吸い取る」といっしょ。ただ後半が違って、膿だらけの女はたちまち観音菩薩に変じ、玄奘に巻物を渡したという。その巻物こそ「般若心経」で、その後の玄奘たちの苦難を救ってくれることになる―――ってそんなのあったっけか? これは「西遊記」ではなく、「今昔物語集」が出典なのだからかも。おぞましいエロスに、おもわず読みたくなる。

 もっとエゲツない欲情もある。旅の男を見初めた女が、逢う約束をするのだが、男は逃げだし、女は追う。ちと逆のようだが、若い男女の追いかけっこ、微笑ましいぢゃないかと思いきや、女は蛇になり、竜になり、口から炎を吐くようになる。愛欲に狂い、化物になり、「観音さま、助けて!」と叫びながら滅びの道をひたはしる。命からがら男が逃げ込んだ鐘の中、竜は鐘ごと焼き尽くす話。絵巻物「道成寺縁起」だそうな。

 あるいは、歓喜天について。頭が象の二体のガネーシャが互いに抱きしめあう図なのだが、あれは「鼻を用いた愛撫」「両足を踏む愛情表現」も含まれるという(その発想はなかった)。もとは、世界を手に入れようと悪さをするガネーシャ(ビナーヤカ)を、観自在菩薩が女体化して、愛の作法をもって抱擁する。愛の作法とは、鼻をもって互いの背を愛撫し、胸を合わせ、手で相手の腰を抱く。腹を合わせ、両の足で踏み、赤い裳裾をつける(敬愛を表わす)らしい。愛を示すために「踏む」のは重要、と。

 また、仏教世界での「踏まれる神々たち」を紹介する。踏む/踏まれるは征服関係を示すが、本書では女神カーリーに踏まれているシヴァ神が微笑していることを指摘する。その笑顔は、降伏でも敗北でもないからだという。「踏む」ということは愛情表現の一種だということを知ってはいたが、「踏まれる」こともいっしょなのかと思い知る。精進しよう。

 実践に役立つ(?)テクニックも紹介される。バラモンがが弁才天を口説き落とす「しゃべり方」だ。女という存在は、ほめられるのが大好きだと。美そのものといえる弁才天も同じで、とにかくほめてほめてほめまくる。しかし、抽象的な誉め方ではダメ。その肉体を、言動を、具体的に例示しつつ誉めるのがポイントになる。すると天女さまは、心地よくおなりになって願いを聞いてくださるかもしれないという。オンナは、ほめるもの。オンナは、誉めてキレイになる、これは鉄板ナリ。バラモンさまもわかってらっしゃる。

 こんなノリで、欲情直球で「仏教」を開陳する。「愛欲と仏への信心は、相反するものではない、ともにある」とか、「しょせんこの世は、男と女……これでいいのだ」といった、欲望への全面降伏的な態度が随所に見受けられる。そして、そうした態度を補強するようなエピソードを引っ張ってくる。諦観したような開き直りを見ると、そんな軽いものだっけ? というねじれた目になる。欲望の追求は、たしかに大切だ。が、そのダシに「仏教」がムリヤリ使われているように見える。

 つきぬけた情念は、ある種の「悟り」なのか? 深く考えず、「仏教」に触れてみるのも一興。

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「スゴ本オフ@元気をもらった本」のお誘い

 尻込みしてる人? がいるようなので、再告知。

 Book Talk Cafe は、好きな本を持ち寄って、ユルくアツく語ろうよという場。けして、読書猛者が集まってトークバトルするものではありません。

 「行きたいけど、わたし読書家じゃないし……」は損してる。聞き役に回ればいいじゃない、狩場を広げるチャンスですぞ。質問コーナーで、「○○でいいのあります?」とぶつければ、こんなblog越しじゃなくて即答・即応します。

 だいたい、わたし自身、この企画を通じて、いかにスルーしてきたかを思い知った。たとえば、ル=グゥイン「ゲド戦記」。ええっ!?読んでなかったの(ププ)なんてよく言われるけど、食わず嫌いしてた。深さと広さと面白さは、「読まずに死ねるか」レベルやね。また、重松清「カシオペアの丘で」は、がんを一人称で考えるきっかけとなった。オススメされなければ、「知ってはいるけど読まない」スゴ本のままだった。

 これはタイミングだ。いい本なんだけど、分かってるんだけど、プッシュされなければ、手にとって読もうとしないまま―――もったいない。ターニングポイントや人生イベント、そのときそのときの具体的な問いに具体的に応えるのは、必ず「人」になる。

 つまり、適切なタイミングで適切な一冊に逢うためには、媒介する人を要する。人をみて本を説くのだ。漫然と平台や密林を狩っても、めったに出会えない。流行本を餌のように消費するのもいいが、知らない狩場や獲物を覗いてみてはいかが?

 申込は、5/27 スゴ本オフは「元気を貰った本」からどうぞ。

 今回のテーマは「元気をもらった本」だけど、万人ウケしなくてもOK。みんなが納得しそうな本なら、不幸自慢とかスピリチュアルに偏る。けれども、ここは一人称で考えよう⇒「わたしが元気をもらった本」。これもタイミングが重要。どんなときにその本を手にして、どういう元気(勇気・強気・狂気?)を得たかが、語りどころやね。オールマイティな元気本も出るだろうし、具体的な問いへの「解」となる一冊に出会えるかもしれない。

 大事なことなのでもう一度、「スゴ本は人を介する」。言い換えると、「あなたが知らないスゴ本を読んでる人」と出会う場、それが、Book Talk Cafe

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「千の顔をもつ英雄」はスゴ本

 昔むかし、あるところに若い脚本家がおりました。野心家の彼は、誰もが夢中になる映画をつくろうと思い立ちました。そして彼は、古今東西の神話や伝説から物語の共通性を抽出した「千の顔をもつ英雄」を元に、ひとつの映画をつくりました。

 その映画の名は、「スター・ウォーズ」。

千の顔をもつ英雄1千の顔をもつ英雄2

 おびただしい事例を枚挙し、かつて持っていた初源の意味がおのずから明らかになるように、原型神話そのものに語らせるのが、本書の試みだ。それによって、宗教と神話の仮面を被って偽装されてきた人類の世界観を詳らかにする。さらに、伝説の人物の生涯、自然の神々の力、死者たちの霊、部族のトーテム祖先たちの形姿を借りて描かれる"英雄"たちの行動を積分することで、いわゆる「英雄の条件」を深堀りする。

 だから、具体的なエピソードの英雄成分の抽出において、オビ=ワンやルーク、ヨーダやベイダー卿といったキャラクターを微分することも可能。だが、それはものすごくゼータクな読書になるはず。読み進むにつれて、スター・ウォーズに限らず、記憶しているあらゆるヒーロー・ヒロインたちのエピソードの噴出に取り囲まれて身動きが取れなくなるからね。

 また反対に、今のウツワに注ぎなおすことによって、本書を新しい酒として発酵させることも可能だから面白れぇ。要するに、このフレームから別の物語を紡ぎなおすのだ。どんなストーリーフレームが「面白い」ものとして人類の深層レベルで記憶されているのかが列挙されているから、あとは「いま・ここ」の演出方法に沿って飾りなおすだけというお手軽さ。ストーリーテラーとして生計を樹てる人なら、必ずおさえている(もしくはパクっている)一冊やね。それくらい普遍性と恒常性を持っている。

 著者キャンベル曰く、そこには人間行動の意識化されたパターン下にある無意識的な欲望、恐れ、緊張に付与されている象徴を汲み取ることができる。換言すると、神話の恒常的なパターンを分析さえすれば、(時代・地域を超えた)人間性の最深層に秘められた記録を抽出できるというのだ。

 その神話の骨格を図示したもの。

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 本書のメインストリームもこの円環構造に沿っている。それぞれの時代・地域での日常生活の営みのなか、冒険へ召喚される。桎梏からの脱出、境界を超越し力の源泉へ潜入し、賜物を携えてこの世に還ってくる。そこには神話が語られる時代・地域特有の試練が待ち構えており、賜物を手にした後は(お約束のように)ガーディアンとのチェイスがある(いわば、胎内めぐりやね)。メドゥーサの首級を持って逃げるペルセウスや、妻で妹をたずねるため冥界に降りるイザナギ、太陽神の館をもとめて旅立つナヴァホ族の双生児、黄金の羊毛を手に入れるべくシュンプレガデスの二枚岩をかいくぐって大海に出るイアソン、ブッダと菩薩の永遠と時間の同一性……それぞれの伝承で示される英雄像は、差異性よりアナロジーに焦点が合わさっている分、驚くほど似通っている。

 たとえば、英雄の呪的逃走で、何かを残すことで逃走者の身代わりとする逸話で「三枚のお札」に酷似したニュージーランドの民話を聞かされると、どちらかがどちらかに伝播したというよりも、むしろ「英雄の逃走」としてヒトの思考(嗜好?)に刷り込まれていると考えたほうが、より合理的な気がしてくる。キャンベルの言うように、わたしたちは解剖学的に均質なのと同様に、(科学や文明や文化にかかわらず)世界を把握する本質として同等な存在なのかもしれない。

 本書のレジュメは下巻の解説から、もっとお手軽なら松岡正剛氏の「千夜千冊」から辿れる(特に後者はgoogleでいける)。だが本書は、読んでく自分のココロに浮かんだ"記憶"にモノを言わせる読書にしたほうが、激しく頷ける。その意味で、あらゆる徹夜小説・夢中本の集大成であり、原質物である読書になる。読み手がストーリーテラーならバイブルそれ自体になるし、消費者なら「ネタ本」そのものやね。

 「あなたもジョージ・ルーカスになれる!」というキャッチーをつけるなら、まず本書。ただ、自分にとっての「普遍性」を注ぎ込む必要はあるが。


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スゴ本オフ@ジュンク堂池袋本店レポート

 4/30 のブック・ハンティングの報告と、次回(5/27)のご案内。

 実は初見のジュンク堂池袋本店、広くて濃くて、いい狩場。地下1階から地上9階まで、エスカレーターで縦横無尽に行き来すると、それだけでヘトヘトになる。めあてのジャンルを絞って狙って狩るのが効果的だな。

 肩透かし喰らったのが、4F「学問の入口フェア」と7F「新入生フェア」。超大型書店なのに、ささやかすぎるラインナップ。棚そのものの魅力は「ふつう」で、新刊を除けば大きな図書館のような風情をかもす。代わりにトークイベントやサイン会は充実しており、イベントで集客する仕掛けなのだろう。気になったのは、客単価。会計は1階に集中させているため、何をどれくらい買ったか丸分かり。立地が最高なので客足は途絶えないが、ほぼ1人1冊のため、ピンポイント買いをしていることが分かる。平台や棚に魅力を持たせ、目当ての本+隣近所の二三冊という訴求力をつければ鬼棒だろうに。

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 そんな巨大な店内をさまよい続けること5時間、よくぞ探して・見つけて・ご一緒いただけました、ありがとうございます> torin さん、ゲンさん、ピングーさん、ライナスさん。見つけられなかった方、ごめんなさい。次回は、文庫棚やフロアを限定する工夫をしますね。

 ふだん自分が周回しないような棚での新たな収穫が、教員棚。torin さんの誘導でたどり着いたのだが、小学校の先生向けの棚が面白かった。ずばり、ガッコのセンセが求めている技術は、「マネジメント」と「コーチング」であることが如実にわかる品揃え。学習指導要領と赤本はもちろん大事だが、棒読みデモシカ先生はやんわり馘首される。「ほめる技術」とか「傾聴のテクニック」、「共感をプレゼンする」といった惹句を見ると、オヤこれはいわゆる「自己啓発」を同じではないかと気づく。

 しかも、ちょっと昔の自己啓発本を眺めているよう。課長の教科書みたいなマネジメント系、やたら傾聴を煽るコーチング本、さらにわたしがハマってた「子育て」ジャンルとも微妙に被る…つまりこれは、コンテンツの染み出しってこと。生徒を/わが子を/部下を/自分自身を「育成する」根っこは共通していることが分かる。言い換えると、売れてるビジネス本の主格目的格を入れ替えるだけで売れセンが出来上がる。

上手な愛し方 また、わたしが近寄らない「肉食女子向けマニュアル本」のコーナーが異様に充実してた。これはジュンク堂の戦略なのか、それとも需要があるからこうなってるのか分からないが、見事に表紙がピンク系+アゲ盛り状態。可愛らしい女の子が「別れた彼とヨリを戻す方法」に魅入っている姿に、おもわず目を背けてしまう。「彼の気持ちを一秒で見抜く技術」というコピーは、「決算書を一秒で読む技術」に空目するし、「○日で金持ちと結婚する方法」は、「○日であなたの会社を変える」とシンパシーを感じる(一緒なんだけどね!)。ただし、何事も鍛錬は大事なので、「上手な愛し方」は読んでおこう。

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アフォリズム かなり惹かれたのが、ロバート・ハリス「アフォリズム」、ソクラテスからウディアレンまで、格言・箴言を525集めたものなんだけど、オスカーワイルドが多すぎて笑った。英語も併記されているので、韻踏も確認できて嬉しい。すごい言葉と同じアレンジだが、採っている人(のウィット)が違うので、全く別の仕上がりとなっている。イッキに読める劇薬系として「血と骨」と「闇の子どもたち」をオススメしたら、torin さんがひょいひょいと買っていかれる。さすが「バージェスの乙女たち」をオススメしてくるだけある、と変に感心する(よい子はどれも読んではいけません)。

血と骨1血と骨2闇の子供たち

 で、立て続けに怖い系である、「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」「黒い家」「墓地を見下ろす家」「ぼっけぇきょうてぇ」「隣の家の少女」「ぼくはお城の王様だ」がリストアップされる。電車で「黒い家」読んでたら、隣に座ったおばちゃんが怖くなったそうだが、さもありなん。「墓地を見下ろす家」はバーン・ドーンと「何か」が出てくる怖さではなく、読んでるうちに空気がスっと冷たくなる本やね。「隣の家…」をPOPでプッシュしているわりにケッチャム色が薄い棚なので不思議だ。さらに徹夜エンタメ系として、「マシアス・ギリの失脚」や「クシエルの矢」、「奇術師」(クリストファー・プリーストね)が出てくる。ゲンさんによると、プリーストは読む順番があるらしい。「魔法」→「奇術師」の順で読むと、より一層おいしいらしい(メモメモ)。

砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない墓地を見下ろす家隣の家の少女

 そして、ダブルでプッシュされ陥落したのが、「グラン・ヴァカンス」(飛浩隆)。ブログでもオフ会でもさんざんオススメされたのだが、口をそろえて「これはイイです!」と断言されると弱い。そういや最近SF食べてないので、よい機会ナリ。ピングーさんからの耳よりな情報が、「競売ナンバー49の叫びは読みやすいですよ」。一瞬耳を疑ったが、「ピンチョンにしては…」という枕詞を補って納得する。新訳の「V.」を前に呻吟してたが、今年は「49」が出てから再開してみるか。

 書店というパブリックな場と、ネットという(やはり)パブリックな場を有機的につなげないだろうか? ひとつの試みが、twitterであり、もうひとつは、U-stream 。今回は両方やってみた。まずtwitter、ハッシュタグ#sugohon でつぶやき続けたところ、反応がいただけた(makinoa さん、Polyhedrondiary さん、nn0to さん、ありがとうございます)。定価で7980円の「理想の図書館」がamazonマケプレで1000エンで売ってるなんて情報は、買おうかどうか迷っているわたしにとって、貴重な情報でしたな。また、ハンティング・ログとしても重要。以下twitterで残した「掛かった獲物たち」。

  • 数学ガール 乱拓アルゴリズム(結城浩) もちろん買った、1900円はお得すぎる!
  • 数学の文化史(モリス・クライン) 「ベッドルームで群論を」に並べてあったので
  • 上達の技術(児玉光雄) 分かりやすいイラスト「達人のサイエンス」が種か
  • 視覚の冒険(下條信) 認知科学とアフォーダンスと唯脳論のため
  • V.(ピンチョン) もちろん新訳のね(旧訳もってるけどw)
  • 理想の図書館(ベルナール・ピヴォー) いわゆる"種本"やね
  • 池澤夏樹の世界文学リミックス メルマガは読んでたけど、まとめて読み直す
  • 学問の取扱説明書(仲正昌樹) マル経がボロクソに叩かれてて噴いた
 ソロ・ハンティングだとtwitterとの相性がいいことが分かった。iPodでちまちま打つのは面倒なので、もっとダイナミックにPCを持ち込みたい…が、顰蹙モノだろうなぁ…そうそう、「反論の技術」は既読(とはいってもナナメ読み)でした>torin さん。店員さんに訊くとか、備え付けの端末で検索するのもアリだけど、ジュンク堂池袋本店の専用アプリ(iPhone/Android)なんてものがあったら、より早く深く潜れそうだね。わたしの収穫は以下の通り。イチバン狩ったのはtorinさんなのだが、撮り忘れてた!無念。

Photo_3

 また、U-stream は、 iPodから実況というのをやってみた! と自慢したいのだが、流した映像を確認する術を持たなかったため、上手くいったのかどうか不明。鑑賞された方がいらしたら、フィードバックをいただけるとありがたいです。試行錯誤の段階だけど、こんな形を目指したいですな。

  1. フェア棚やチカラを入れている棚を撮影
  2. ブログやfacebookやtwitterで告知
  3. U-stream で実況
  4. twitter でフィードバック「さっきの棚みせて」「それならコレがオススメ」
  5. フィードバックをU-stream に反映
  6. 参加者がfacebookに画像、感想を貼り付け
  7. ブログでまとめ
 U-stream や twitter はフローとして情報放流→フィードバックを繰り返し、facebook のWallやブログでスキミングする。そうしたWallやブログがつみあがることで、棚=書店の「カタログ」が出来上がる。棚を通じて書店の特徴が表れるので、自分向けの棚=書店を探せる。いわばブックショップ・ハンティングの狩場が誕生する

 もう一つ。これは狩りの後の宴会で、ピングーさんとゲンさんに気づかされたこと。「最近の若者は本を読まない」の話題。そうかな、ちゃんと読んでるようだけど……いえ読んでないですよと応酬しあううち、「ひょっとして、スキーマに閉じているのでは」という気になってくる。「ラノベは読むけど…」「新書オンリー」「自己啓発書中毒」な"読書家"がいる中、それぞれの世界が閉じた中でフラット化が進んでいるのかな、という仮説を立ててみる。

 つまりこうだ、小説であれ実用書であれ、種本、本歌というものがある(オマージュ元、インスパイアネタといってもいい)。それぞれのジャンルが閉じてしまうことで、種本が見えなくなり、クソもミソも一緒くたの状態になっているのかもしれぬ。ジャンルを跨ると新鮮味が出るのはその反証で、先に挙げた「ビジネス書→教員関係」の波及や、ラノベ風味数学書「数学ガール」、経済風味ラノベ「狼と香辛料」あたりがポロポロ出てくる。

 そして、"その次に読む本"が出てこないのが現状ではないか。「数学ガール」は例外的にも、「この本は次の本を参考にしています」があるけれど、種本は隠されている。特にビジネス系は、恥ずかしげもなくパクっては、口をぬぐって黙っている。1500円くらいで土日で「分かった」気になりたがるカモリーマン相手の商売、ボロいよなぁ……それでも、そういう人は分かることよりもそんな気分を求めているから、"正しい"需要供給なのかも。ジャンル横断的に、最初はこれ、次はこれ、と読む順番を指し示してくれる先達者がいると、取捨選択にかかるエネルギーを大幅に減らすことができる。「そういうの、カネ払ってでも教えて欲しいよね」とわたしが言うと、ピングーさん曰く、「大学の授業料ですね」とのこと。お見事!

 で、次回のスゴ本オフ(Book Talk Cafe)のお知らせ。U-stream中継は微妙ですが、オススメ本を持ち寄って、ゆるく、アツく、語りあいましょう。本から元気をもらうには、読み手のタイミングが必要だと思っています。おもわぬ昔語りになりそうかも。ブックシャッフル(本の交換会)をするので、放流しても良い本を持ってきましょう。本のプレゼンで紹介するだけの「見せ本」と、交換のための本を別々に用意するのもアリです。というか、わたしがそうします。自分に底ヂカラをくれる本は、おいそれと放流するわけにいきませんので……

  • テーマ:わたしが元気をもらった本
  • 日時:2011年5月27日(金)19:00開場 19:30開始 21:30終了予定
  • 場所:KDDI ウェブコミュニケーションズさんの会議室(6階ですぞ)[地図]
  • 定員:20名
  • 参加費:千円(軽食と飲み物を用意します)
  • 懇親会:会が終了後、希望するみなさんと懇親会を開催します。予算は3千円程度です。
  • 申込み:こちらからどうぞ→5/27のスゴ本オフは「元気を貰った本」の回です。

 今までの回はこちら。「ふいんき」をつかむのにどうぞ。

2010/04/07 【Book Talk Cafe】スゴ本オフ@SF編
2010/05/14 【Book Talk Cafe】スゴ本オフ@LOVE編
2010/07/16 【Book Talk Cafe】スゴ本オフ@夏編
2010/08/27 【Book Talk Cafe】スゴ本オフ@BEAMS/POP編
2010/12/03 【Book Talk Cafe】スゴ本オフ@ミステリ
2011/03/04 【Book Talk Cafe】スゴ本オフ@最近のオススメ報告

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