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劇薬小説「夜のみだらな鳥」

 愛する人をモノにする、究極の方法。

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 それは、愛するものの手を、足を、潰して使えなくさせる。口も利けなくして、耳も目もふさいで使い物にならなくする。そうすれば、あなた無しではいられない身体になる。食べることや、身の回りの世話は、あなたに頼りっきりになる。何もできない芋虫のような存在は、誰も見向きもしなくなるから、完全に独占できる―――「魔法少女マギカ☆まどか」で囁かれた誘いだ。

 悪魔のようなセリフだが理(ことわり)はある。乱歩「芋虫」の奇怪な夫婦関係は、視力も含めた肉体を完全支配する欲望で読み解ける。まぐわいの極みからきた衝動的な行為かもしれないが、彼女がしでかしたことは、「夫という生きている肉を手に入れる」ことそのもの。早見純の劇薬漫画「ラブレターフロム彼方」では、ただ一つの穴を除き、誘拐した少女の穴という穴を縫合する。光や音を奪って、ただ一つの穴で外界(すなわち俺様)を味わえというのだ。

 感覚器官や身体の自由を殺すことは、世界そのものを奪い取ること。残された選択肢は、自分を潰した「あなた」だけ。愛するか、狂うか。まさに狂愛。

 ドノソ「夜のみだらな鳥」では、インブンチェという伝説で、この狂愛が語られる。目、口、尻、陰部、鼻、耳、手、足、すべてが縫いふさがれ、縫いくくられた生物の名だ。インブンチェは伝説の妖怪だが、小説世界では人間の赤ん坊がそうなる。老婆たちはおしめを替えたり、服を着せたり、面倒は見てやるのだが、大きくなっても、何も教えない。話すことも、歩くことも。そうすれば、いつまでも老婆たちの手を借りなければならなくなるから。成長しても、決して部屋から出さない。いるってことさえ、世間に気づかせないまま、その手になり足になって、いつまでも世話をするのだ。

 子どもの目をえぐり、声を吸い取る。手をもぎとる。この行為を通じて、老婆たちのくたびれきった器官を若返らせる。すでに生きた生のうえに、さらに別の生を生きる。子どもから生を乗っ取り、この略奪の行為をへることで蘇るのだ。自身が掌握できるよう、相手をスポイルする。

 読中感覚は、まさにこのスポイルされたよう。「夜のみだらな鳥」は、ムディートという口も耳も不自由なひとりの老人の独白によって形作られる……はずなのだが、彼の生涯の記録でも記憶でも妄想でもない独白が延々と続けられる。話が進めば理解が深まるだろうという読み手の期待を裏切りつづけ、物語は支離滅裂な闇へ飲み込まれるように向かってゆく。

 これは、ポリフォニーな構成だからなのかと、最初は疑った。さまざまな登場人物の「一人称」を織り敷いているので、誰の告白か分からなくなってしまったのだという仮説だ。しかし、登場人物の時空がバラバラなのだ。複数の時空軸が説明なしで入れ替わり、切り替わる。登場人物どうしは同じ過去を共有しているときもあるが、読者が既に読んだはずのエピソードはガン無視したやりとりをする。「おれ」で指すのが主人公ではなく、別の時空のムディートの記憶を持つ「おれ」が、突然出てくる。「あなた」が登場人物の誰かだったり、読み手そのものを指し示す。

 畸形のわが子のために、世界中から畸形ばかりを集めて、畸形の楽園を作るエピソードや、肉体の器官が少しずつ取り替えられ、20%しか残っていない「おれ」が赤ちゃんとしてぐるぐる簀巻きにされる話など、ストーリーラインも狂気を孕んでいる。アリストテレスは「醜いものも、美しく模倣することができる」と説いたが、この世界は「狂ったものも、正確に描写することができる」と呼んでもいいだろう。

 気づいたときには「おれ」の饒舌に囚われており、読み手は、「おれ」はいつ・どこのおれなのか、「あなた」とは誰なのか、探しながら惑いながら読むハメになる。現実と妄想、歴史と神話、論理と非合理といった要素が入り混じっており、何が確かな事実であり、何が根も葉もない虚構でしかないのか、疑うことも確かめることもできない。密閉された、息苦しい世界を這い回るような、袋の中で生きているような感覚だ。「おれ」の執念のかずかずによって歪曲され、誇張される描写に、読み手は突き飛ばされる。精神衛生上、非常によろしくない。読めば読むほど、ダメになってゆく。すがるように独白にしがみつく。この連想世界では、「おれ」しかいないのだ。たとえどんなに非合理であっても。

 本書は、「劇薬小説ベスト10」で教わった逸品。「狂鬼降臨」や「城の中のイギリス人」といった肉体的おぞましさをキワ立たせるものや、「児童性愛者」や「隣の家の少女」のような精神的衝撃を受ける中で、本書は、悪夢に呑まれて帰ってこれなくなる肉体・精神の双方に対してダウナー系ダメージを喰らわせてくれる。

 生きた迷宮をさまようような、誰かの悪夢を盗み見ているような毒書。

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コメント

以前にお勧めコメントを書かせていただいた者です。
感想を纏め辛い怪作を対象に、かくも丁寧かつ分かりやすいレビューが書けるとは、感服いたしました。
自分も数年に渡り何度も読み返して、その都度ごちゃごちゃする物語を纏めて何かしらの文章に残そうとしてきましたが、未だに形になっていません。
この分量で、この物語の感想が読めるのはとても素晴らしいことだと思います。

さて、刺激されましたので再読してきます(笑)

投稿: シロ | 2011.04.07 22:11

>>シロさん

おおお!
もとはといえば、この悪夢、シロさんの手招きによるものですね。吐き気を伴う極彩色の悪夢を、たらふく堪能しました。ありがとうございます。
「夜のみだらな鳥」の解読は、岩波新書赤の「ラテンアメリカ十大小説」が役立つと思います。

投稿: Dain | 2011.04.08 06:58

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