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「デザインの骨格」はスゴ本

 ブログを「本」にすると、たいてい魅力を失う。

デザインの骨格  フロー的なコンテンツをムリヤリ紙化した呪いかね、と独り合点している。コンテンツが質量をもたないから、流し読みのように受けるわたしの態度のせいかもしれぬ。言葉にはチカラがあるのに、情報だけ吸われてすべってゆく感覚。しかし、嬉しい例外を見つけた。「デザインの骨格」だ。

 これはブログ「デザインの骨格」をまとめたもの。単なるブログ本ではなく、それぞれのサブテーマに沿って記事が取捨選択され、著者がどのようにアイデアの枝を伸ばしていったか「見える」ようになっている。これは編者のチカラだろう。さらにそれぞれの章立てを支える言葉のチカラが輝いて惹きつける。たとえばこうだ。

  • 4本脚のニワトリ
  • 雨はなぜ痛くないのか
  • 車を自分で運転しなければならなかった時代
  • Suicaの読み取り角度はこうして決まった
  • 感覚を射抜くことばを見つけよ
  • 働かないロボットたち
 「おやっ」「あれっ」と視線をつかまえて引きずり込む。最初は発想のズレに気づきをもらって読むうち、いい意味で、読み手が立てた予想を裏切ってくれる。ブログは読んでいたので二回目になるのだが、再読で発見がもらえる(言い換えると、わたしがいかに"読んでなかった"かの証明にもなる)。

 ブログは(その本質上)時系列に読むしかないが、著者の仕事や興味の方向は、必ずしも時系列にまとまっていない。MacやiPhoneからAppleの(隠れた)美意識を発見したり、教える立場へのフィードバックを語ったり、それぞれ浮かんだものが、出た順に並んでいる。これを、「どう」デザインするのか、「なにを」デザインするのか、「なぜ」デザインするのかという切り口で編みなおし、読み直すことで、「デザインの骨格」の骨格が見えてくる。

 その粋を一言にするなら、「なぞるな、見抜け」になる。デザインとは、表面を写しとることではなく、その本質(=骨)を抽出し、かたちにすること。だから入り口は、身近なもの(例えば自分の手)を描くことによって、わかっているものの空間構造を捉えなおすことから始まる。著者は手を描くとき、指の輪郭から描かない。「見たまま」をなぞるのではなく、指の骨のつながりを最初に、次に骨を肉が埋めるように描くことをアドバイスしている。本には収録されていないが、「手を描いてみましょう」が分かりやすい。

 時事的な話題にも、この粋は生かされている。静かすぎるハイブリッド車に警告音をつける試みに対し、「新しい警告音」はよくないと批判する。だから、チャイムやメロディといった新規のものではなく、むしろ従来の「エンジン音」にするべきだという。なぜなら、街はさまざまな警告音に満ち溢れており、新しい「メロディ」はあっという間に聞き慣れてしまう。しかし、聞きなれた音の「変化」には意外なほど敏感なのだという。たとえば、電車の轟音でも平気で居眠りしていた人が、停車して少し静かになるとハッと目を覚ますことがある。同様に、エンジン音そのものは意識しなくても、その強弱によって、車の位置と動きを無意識に見張っているというのだ。

 この場合、「見張る」というより「聞きつける」「聞きとがめる」といった感か。たしかに、「そこにクルマがいる」ことは目で見ているが、「そこに『動いている/動く可能性のある』クルマがいる」ことは、そのエンジン音を耳で(肌で)感じ取っている。クルマの存在感をテーマにするならば、そのボディの形状や大きさに目を向けがちだが、その本質はエンジンで動く鉄塊だ。ハイブリッド車ではなく、完全電気自動車になっても、エンジンではなくモーター100%になっても、かなりの間、この本質はそのままでありつづけるに違いない。「わたしたちは、(自分が思っている以上に)車のエンジン音で身を守っているのです」という視点は、斬新かつ(気づかされると)当然に見えてくる。

  Suicaの読み取り面は、デザインの本質がカタチになった好例だと思う。さぞかし実地で試行錯誤してきたかと思いきや、そうでもないらしい。パターンを決めて、ある程度絞り込むことで、実験(=実地試験)を減らすことができる。Suicaの読み取り面の本質は、毎日使うようになっている人なら、よく分かっている。すなわち、「アンテナ面に当てる」ことと「一瞬とめてくれる」ことだ。問題は、これを慣れていない人にも促すカタチになっていること。こちらにアンテナ面を向けて、歩きながら「タッチ」をアフォードする角度が、13.5度を導いている。

 実はアレ、日常的に使っている人ならタッチしなくても大丈夫なことは知っているだろう(10センチぐらい上空でも認識した)。問題は、アンテナが読み取れるだけの「間」をおくこと。だから13.5度はタッチというよりも、近づけること、近づけることで「間」をおくことをアフォーダンスしているのかもしれない。

 あたりまえすぎて見逃してしまうことや、一定枠にハメて思考停止するようなことを、その前提から把握しなおす。著者がデザインした携帯電話は非常にユニーク&腹に落ちる例だ。携帯電話は、電話の進化として「いつでも」「どこでも」通話ができる目的で開発されたが、新しい価値は別のところにある―――すなわち、「個人情報の保持と発信」にあるという。携帯電話がこれまでの家電製品と一線を画しているのは、「自分の素性を明かしてからでないと買えないこと」を指摘し、携帯電話の本質は「私」と密接に結びついた機械だと喝破する(携帯電話は、「購入」ではなく「契約」するもの)。

 そして、「私」個人をデザインしたものとして、カギ(物理的な鍵)を考案する。つまり、ヒンジの部分がロックできる二つ折りの携帯電話をデザインしたのだ。ヒンジ部にキーを差し込んで回すことで、ロックが解除される仕掛けとなっている。残念ながら商品化には至らなかったが、指紋認証機能がその本質を受け継いでいるね。

 デザインの現場を通じ、本質を再把握する姿勢から学ぶことができる。手や手帖に書いておかなければならないほど重要なのは、「二律背反を疑え」だね。どちらも大切だと思っていることの二者択一を迫られるときは、一つを採り一つを捨てるしかない状況そのものを根底から疑え、というのが著者の考えだ。二つの選択肢しか見えない状況に自分を縛ってはいないか、そもそもなぜその二つなのか?そこを疑えという。「アイデアは二律背反を疑うところからはじまる」は、至言だ。

 ブログを「本」化するとき、こうした至言は根のように残る。時間軸で見ると部分的だったり進行中だったりする話が、テーマごとに伸びてゆくのをあらためて読み直すと、最初からこの本こそを目的として書かれたかのようだ。ブログを本にすると魅力が薄れるのが常だが、本書は逆で、より惹きつけられ・完成されている。書き手の悪戦苦闘から、自然に、「デザインとは見る習慣・訓練である」フィードバックを何度も受け取れる仕掛けが施されている。書き手のセンスと編集力の勝利やね。

 デザインの骨格をつかまえる一冊。


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