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タイトルは釣り「もうすぐ絶滅するという紙の書物について」

 タイトルに釣られたものの、じつに愉しい読書だった。

もうすぐ絶滅するという紙の書物について 最高峰の知識人ふたりの、書を愛でるウンチクをたっぷり味わう。本好きにオススメ。これは、「物語を消費するのが好き」とか、「情報を吸収するのが好き」という意味ではない。消費や吸収なら、アニメやネットでイケるでしょ(「本」じゃなくて「画面」でおk)。そうではなく、「本を読むのが好きな人」なら、ニヤニヤしながら読むだろう。

 本書は、ウンベルト・エーコとジャン=クロード・カリエールの対談集。「薔薇の名前」「フーコーの振り子」の原作者エーコと、「存在の耐えられない軽さ」「マックス、モン・アムール」の脚本を書いたカリエール、どちらも最高の作家であり読者だ。

 そんな二人が、「電子書籍は本を滅ぼすか」について、開始30頁あたりで早々に結論を下す。勢い込んだ読み手には、ひょうし抜けするほどあっさりしてる。

ですから、「電子書籍」が書物を滅ぼすことはないでしょう。グーテンベルクが印刷術という素晴らしいものを発明した後も、ひきつづきコデックスが用いられ、パピルスの巻物やウォルミナが売り買いされたように、さまざまな実用と習慣が並存し、選択肢が広がるのは願ってもないことです。
 電子書籍を、デジタルカメラの比喩で予想する人がいる。要するに、フィルムカメラがデジタルの波に飲まれたように、電子ブックは紙の本を駆逐するというのだ。だが、われらがエーコ&カリエールは違う考えだ。「映画は絵画を滅ぼしませんでした。テレビは映画を滅ぼしませんでした。ですから、画面ひとつで世界中の電子文書にアクセスできるタブレット型のブックリーダーだって大歓迎なのです」なんていいだす。むしろ大事なのは、画面上で本を読むようになることで、これまで本のページを繰りながら得てきたものが、どんなふうに変わってゆくのかを知ることなのだという。

 二人はむしろ、本を、車輪のような、それにまさるものを想像できないほど完成された発明品だと考える。モノとしての本は、自転車やメガネ、スプーンやハサミと同じような存在だという。もちろん材質やデザインの点で変化はあるだろうが、本質的な機能や構造は、それ以上うまく作りようがないとまでいうのだ。

 その本質がコデックスなら、グーテンベルク以前も以後も「本」はあったし、これからもそうだろう。でも「紙」の本は?という問いには直接答えるのではなく、カウンターパンチを食らわせる―――曰く「耐久メディアほどはかないものはない」と。つまりこうだ、情報や個人の記憶を長期間保管できるものと見なされてきた、一連の記憶媒体の歴史を振り返る。フロッピーディスク、カセットテープ、CD-ROMなど、既に見向きもしなくなったメディアについて昔話を始める。

 たとえば、「フーコーの振り子」の初稿は1984年にフロッピーに保存したはずだという。あの時代なら5インチだろうから、読むならスミソニアンまで行かなければならぬ。しかもなんと、その初稿のフロッピーを失くしてしまったのだそうな。負け惜しみのように「タイプライターで打った原稿なら、今でも手元にあったはずです」というが、理解できる。学生のときワープロで打った卒論のフロッピーはもうないけれど、印刷したやつはダンボールに突っ込んであるから。

 ここからわたしの妄想。紙の本の他に、(もともとは紙メディアだった)デジタル化された「本」が普通になると、デジタル化された本の寿命はメディアの寿命に左右されるだろうね。たとえば、ほとんどのコミックはデジタルで流通し消費され、「モノとして残したい」欲求を叶えるために紙化されるだろうね。その瞬間、紙化された本は延命することになる。反面、本じゃなくてもよかったものがどんどんデジタル「本」になると、記録方式を越えて引き継がれるためには、『本』である必要がでてくるわけだ。

 この顕著な例が、古典だ。著作権という制約もあるが、「コンテンツの寿命>メディアの寿命」となる古典を考えると、読まれる度に新しくなる強さを思い知るね。

 古典はあらゆるメディアに染み出していると言える。CD-ROM本になったのは、「ダ・ヴィンチ・コード」ではなく、「シェイクスピア全集」だし、オーディオブック化されるのは古典と相場が決まっている。源氏ひとつとっても、それぞれの時代の、「現代語」訳者が違うし、ドラマ化、映画化、メタファー、オマージュ、インスパイア、本、巻物、襖絵、塗りから歌、詩、唱、フィルム、LP、FD、CD、カセット、VHS、DVDそしてブルーレイと、さまざまな読み、読み方が提案され翻案されて、それぞれの時代の先端メディアに乗って流通する。電子書籍を「ブーム」だけで終わらせないためには、コンテンツのチャネルが「増えた」という視点が必要だね。青空文庫のテキストに限定せず、音声や画像も盛り込んだ「iPhoneで読む源氏物語」という サービスが生まれるだろう。

 妄想おわり。次々と繰り出されるウンチクに巻き込まれるうち、読んでるこっちも触発されるのだ。面白いねぇと反応したのが、「本を読むときの視線」。そういや、松岡正剛氏も、一流の作家は一流の読者でもあるから、その「読み方」「本の触り方」「本の愛で方」を撮影・録画しておけ、だなんて言ってたな(「読書とはなにか」まとめ)。カリエールは、読むときの視線を、書くときの視線に置換して考える。たとえば、フランス語や英語なら左から右だろうが、アラビア語やペルシャ語は右から左に動くことを指摘する。そして、この動きがカメラの動きに影響を与えているのではないかと仮説を立てるのだ。例として、トラベリング・ショット(カメラの位置を移動させながら撮影する技術/traveling shot)を挙げている。西欧のトラベリングが左→右がほとんどだというが、ちょっと注意してみよう。

 この、本を読むときの癖がその文化圏のものの見方に影響を与えている可能性を考えると、愉しい。本能的に目がそう動くのが、文化により縛られるのだ。遺伝のように引き継がれるのか、面白い。「マンガはなぜ面白いのか」を読んだとき、カンディンスキーの絵画論があった。描かれた人物の「向き」に比喩が隠されているというのだ。つまり、これから事件に(未来に)向かってゆく主人公は、たいてい左を向いている。これは、「左に向かって読んでいくことが左を進行方向とし、右を逆進や戻る方向として受け取るという、暗黙の了解を成り立たせているというのだ。宇宙戦艦ヤマトが左向きなのは、日本語のコンテンツだからという仮説だね。きちんと数えたわけではないが、「WATCHMEN/ウォッチメン」のキャラクターは右を向いた顔が多かったような気が(左を向くときは、「振り返る」動作だったような…)。次に読むときに気をつけてみよう。

 「本」の達人だからこそ、「言語の寿命」のスケールもデカい。「日本語が滅ぶ」と声高に叫ぶ連中の目線はせいぜい数十年。あたりまえだ、自分が生きたスケールでしか測れない想像力しか持ち合わせていないから。だがエーコは数百年、数千年のスパンでメッセージを伝える手段を考える(ケタ違いだね)。

 たとえば、「放射性核廃棄物質を警告する方法」が面白い。核廃棄物の放射能は一万年持続するという。厳重に格納しておくとしても、そこへ侵入を防ぐために、どのような標識でまわりを取り囲めばよいのかが問題だ。二、三千年たったら、読み解く鍵の失われた言語が出てくる。現在は英語をはじめ何十ヶ国語で「危険」だの「近づくな」と警告しているだろうし、絵文字や記号もあるかもしれない。

 しかし、厳重に囲めば囲むほど、「何か価値があるもの」というメッセージを出しているのと一緒だ。使われなくなった言語の末裔か、さらには宇宙や未来からの来訪者たちがやってきた場合、どのように「警告」すればよいか?NASAが依頼した言語学者の結論は、「どのような言語も絵文字も有効ではない」だ。言語は失われたらおしまいだし、絵文字はそれが生まれた文脈の外では理解されえないという。

 エーコの解決策はシンプルだ、反転表示にしよう。

一番上の層では廃棄物を希釈して放射能を微量にし、その次の層ではもう少し放射能を強くする、というような埋め方にするのです。もし来訪者たちが、誤って、手もしくは手に相当する器官を、廃棄物の埋まった土地に突っ込んでも、指の骨を一個失うくらいですみます。それでもしつこく続ければ、指を一本は失うかも知れません。しかし、そのくらいで諦めるだろうと確信できます。
 こういうケタ違いのスケールに曝されていると、「日本語が滅ぶ!」とか「最近の若者の言葉づかいが!」とかいう爺婆があわれに思えてくる(エーコもじいさんだがw)。危機感を煽って売りつけるマッチポンプは商売の基本なので、商売っ気のないエーコ爺さんならではともいえるな。

 このように、「本」を物質としてのメディアとみたり、数千年に渡るメッセージとみたり、はたまた「発明品」という位置づけで歴史の文脈においたりする。そのたびにわたしは、ハッと気づかされたり妄想バブルを膨らまされたり、かなり忙しい読書だった。この二人、筋金入りの書痴でありながら、「本」をかなり自由に考えているね。

 さまざまな「本」の読み替えがユニークだが、本棚を「ワインセラー」として比喩したのには膝ポンだった。本の達人だから、積読なんてもってのほかなんてくるかと思いきや、「本棚はワインセラーです。入れておくのは、読んでも(飲んでも)いい本か、読んでも(飲んでも)良かった本です。そのまま一生読まないかもしれませんけど、それでかまわないんですよ」という。「話題の」本を三年後に読んだっていいじゃないか、と新刊恐怖症に対抗するメッセージをもらって元気付けられる。

 原題を直訳すると「本から離れようたって、そうはいかない」だそうな。タイトルはかなり「意訳」だが、この釣りに掛かるような本好きなら大満足の一冊になる。喜んで釣られろ。

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コメント

こんにちは。実は数年前から遊びに来ている、読者のひとりです。
僕自身読書を始めた時期が二十歳からと遅いのでとても偉そうなこと言えないのですが(両親に読書を強要されて嫌になってしまったのです)、dainさんのブログは取り上げる本のジャンルも豊富ですし、dainさんの読書評も面白いので参考にしています。
電子書籍は紙の媒体を駆逐するのか、という話題は僕自身も考えてきました。ですが、「以前の耐久メディアを思い出す」という視点で考えるとこんなにすっきりするとは、とてもびっくりです。
dainさんの妄想部分も反論を考えながら読もうとしましたが、「確かに……」と完敗しました。先端技術でまず使われるのは名作古典ですよね(著作権という問題もあるでしょうが)。
全く関係ない話ですが、「放射性核廃棄物質を警告する方法」にストーリーを感じました。物語を作るのが大好きなので、このような想像力と創造力を刺激させるものに触れられると、それだけで一日が満点になります。
では、長々と失礼しました。これからも面白い記事を、そしてdainさんのよりよい読書ライフを期待しています。dainさんの読書ライフイコール記事ですからね。応援しています!

投稿: たかうどん | 2011.02.24 20:08

>>たかうどんさん

濃い口のコメント嬉しいです。ただ、わたしのことを高く買いすぎです。デジタルメディアの耐久性のショボさは、30歳以上なら身をもって知ってる(はず)です。newtonとかzaurusとかPDAとかの屍の上に、「今」があるのですからw
それから、「放射性核廃棄物質を警告する方法」はエーコオリジナルでもなんでもなく、似たようなプロットはSF短編にいくつかある(はず)です。
そして最後に。このブログで取り上げられないようなキッツいやつも「日常的に」読んでますよ。本屋オフとかでお会いしたらガシガシオススメしますよー(読書は毒書なのです)

投稿: Dain | 2011.02.26 01:07

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