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マンガはなぜ面白いのか

 答えをずばり→「動き」が楽しい。

マンガはなぜ面白いのか 物語の盛り上がり具合と、コマを行き来する目の動き、キャラの挙動が重なるとき、わたしは喜ぶ。「コミPo!」でマンガを描く(というか構成する?)ようになって、能動的にマンガを「見る」ようになり、さらに本書を読んで、ようやっと気づいたのだ。「マンガはなぜ面白いのか」は、自分がいかに複雑な手続きを経て、マンガ文法を読みこなしているか、改めて自覚させてくれる。

 (自分で)マンガを構成うえで、かなり役に立ったのは、「コマの変化による圧縮と開放の効果」だ。コマの大きさとコマ内の人物の比で緊迫感を表し、コマの広がる方向と、人物の動線を合わせること(合わせないこと)で、開放感と示す。指摘されれば、ああ成程かもしれないが、石ノ森章太郎の作成でもって腑に落ちる。わたしが「意識して」つくると、こうなる。
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小説のストラテジー この「運動」をキーワードに、小説の快楽を追求した評論がある。「小説のストラテジー」だ。記述の対象が移りかわる運動によって「快」がもたらされるといい、アイキュロスのアガメムノーンにおける炎を例にとる。炎は描写としてのかがり火だったり、憎悪や情炎の象徴だったり、戦火そのものだったりするが、その炎が時間・空間を渡っていく運動を感じ取ることで、そこに「快」を感じるという。ただし、ラインの行き来からもたらされる運動であり、マンガの二次元とは別物になる。

 小説の線的、マンガの面的側面を表すのに、一つの小話がある。生まれたときから盲目の子が、母に向かって「見えるってどういうこと?」と問うたとき、母は「遠くのものまでいっぺんに触れることよ」と答えたという。第一行から始まって、順番に遠くまで触ってゆくことが小説を読むことなら、「ここ」からいっぺんに遠くまで見渡せるのがマンガだ。行き来の運動の快のみならず、面や空間を視線が滑ってゆくのは心地よい。

 さらに、カンディンスキー「点・線・面 抽象芸術の基礎」を引いて、描かれた人物の向きの比喩を示す。ほとんど無意識のように考えていたが、言われると納得できる。つまりこうだ───これから事件に(未来に)向かってゆく主人公は、たいてい左を向いている。これは、「左に向かって読んで行くことが左を進行方向とし、右を逆進や戻る方向として受け取るという暗黙の了解を成り立たせている」というのだ。

 本書でいちばんハッとしたのは、「作品の中に流れている時間」に着目したところ。①描写される物語という一時的な発語の場所と、②話の中で回想場面が入り、③その場所を外から(将来から)眺めるメタ的な場所が生じる。つまり、現在の言葉、過去の言葉、ナレーションの言葉と、それぞれの場所の言葉を読者は選別して、三層に流れる時間を統合しながら作品を読んでる───という。

 これは、少女マンガによって開発された手法で、読む順序を与える時間分節の機能は、できるだけ解除されている一方で、読者の心理を誘導する圧縮・開放も解除されるのが常だという。異なる時間軸・空間の想起をアニメのセルのように重ねるコマ構成だ。こうやって抽象的な言葉だと分かりにくいが、見れば一発「あたりまえ」の世界だ。複数のコマをブチ抜いた立ち姿なら、少年マンガでもよく見られるだろう。

 マンガが、「どのように」面白くなっていったかを振り返る章も面白い。戦前マンガと手塚マンガの決定的な差や、厩戸の王子の記号(彼岸花のような髪型と髪飾り)が、心理表現に自由度を与えた証左、そして手塚マンガとゴルゴ13の「表情」からみる時代感性の落差。さらには吾妻マンガのような不定形の面白さが現れるためには、マンガ表現の記号的な意味の体系が一般化している前提を要する(だからそうした一般を少しズらした異化効果が成り立つというのだ)。

 まだるっこしい(抽象的な)書き方をしているのは、例がないから。一度「コミPo!」をお試ししてみるといいパワーポイントのようにキャラを配置でき、自由にポーズを決められるようになって、はじめてハタと気づき/思い悩むだろう。「どっちに向けて、どこにフキダシを置こうか」←いわゆる「暗黙のお約束」が分からないと、いつまで弄っても違和感ありまくりのマンガになる。

コミポパーフェクトガイド 「コミPo!パーフェクトガイド」は、そんなかゆいところに手が届く。コマの並びの空隙は、たての並びと横の並びと、どちらが広く取るのか?から始まって、フキダシの位置、数、どこからどちらへ読まれる(べき)なのかをアドバイスしてくれる。「手に何かを持たせる」とか「背景を水彩画風に変える」といった、ソフトウェアのTipsに限らず、「マンガとはこう描くべきだ(こう描くと読みやすい)」ルールが紹介されている。構図を変えるときのイマジナリーラインの重要性は、恥ずかしながらコレで初めて知った。

 マンガの場合も、blogと同様のゴールデンルールを適用する。つまりこうだ、「まず描いて(書いて)公表する、反応があったらフィードバックする」。ほらアレだ、兼好法師の徒然草の黄金律───「うまくなるまでは周りに隠しておこう」と、こっそり習っている人は多い。しかし、そういう人は決して上手くならない。むしろ、まだ下手なうちからうまい人の中に混じって、まわりからけなされたり笑われたりしても、それを恥とはせずに、平気で受け流すようにしないといけない。

 絵はモデリングにお任せするとして、構成とネームとアイディアで勝負しよう。それを可能にしてくれた「コミPo!」に感謝。

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コメント

佐藤亜紀はスノッブですがいいこと書きますよね。

投稿: nobu | 2011.02.09 18:32

>>nobuさん

スノッブスノッブ……あんまり彼女にピンとこない形容詞ですが、佐藤亜紀の着眼点は、あらゆる「芸術に反応すること」に共通すると思います。

投稿: Dain | 2011.02.09 22:52

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