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本より読み手「本に遇うII」

 人生は短く、読む本は多い。だから打率を上げるのだ。

 ただし、好球しか打たぬという偏食ではもったいない。文芸しか読みませんとか、マンガはノイズですと胸を張るようにゃなりたくないね。視座を広げて高めるために、自分と似た趣味の/でも異なる傾向の優れた読み手を捜す。本を探すのではなく、人を捜すのだ。

 本書を綴った河谷史夫はまさにそう。朝日新聞「素粒子」で有名な方で、本書は雑誌「選択」のコラム十年分をまとめたもの。わたしと似て異なる嗅覚を持った、優れた読み手であり、盗みたくなる書き手でもある。「本にモノを言わせる」方法は、この著者から学んだ。だから本書は、このブログの種本といっていい。一冊目は既に[酒と本があれば、人生何とかやっていける「本に遇う」]でレビューしたので、種本の続編になる。

本に遇う1本に遇う2

 ある本をとりあげて、印象や引用を縦横無尽に駆使して、時勢だとか批判をぶち上げる。ときには痛快と哄笑をもたらし、ときには痛切と吐息を誘う。連載で読むと斬れれ味抜群だったのが、まとめて読むと大型パンチのように利いてくる。本作は10年分の集大成なので、「自民党をぶっ壊す」とか民主党の大勝といった、かつての時節ネタがぼろぼろ出てくる。そして、現在との彼我の差に愕然となる。この、楽観的な思考停止はいかにもアサヒ人らしいが、「今」から当時の記事を"総括"できるのだろうか。怖いような愉しいような気になる。良い意味でも悪い意味でも、「いま」にキチンとつながっているのだから。

 たとえば、「ならず者国家」 より、金王朝二代記をあげつらい、「ひでえ話だ。史上どこに、いやしくとも社会主義を標榜する国家が世襲されるなんてことがあったかね」とブチあげる(2007年)。三代目も世襲なんですケド。

 あるいは、「ブッシュのホワイトハウス」から、アメリカの共同幻想を批判する(2007年)。そもそも原住民を大量虐殺して国を始めたという経験のうしろめたさがあるという。これを抑圧するため、「自由、平等、平和」なる共同幻想を他国に押し付け、正当化しようとするのだと。まるで教科書のような論旨だ。だが、「アメリカの共同幻想」やら「ポストコロニアル批評」がどれだけ現実味を帯びているだろうか。ギロンとしては成り立つし、"お勉強"にもなるのだが、どれだけ現実に生きる人の思考を支配しているかというと、分からない。

 また、(十年も続けたのだから)ブレもある、それが面白い。2009年、田母神前航空幕僚長が言論の自由を主張した際、それに反論をぶつけてくる。理不尽な命令であっても、軍隊であるなら、とにかく従うべきだという。部下がいちいち判断して、上意に従うか否かを決めるようでは、軍隊が成立しないという。もっとも、自身がそう述べるのではなく、「自衛隊が危ない」を書いた杉山隆男の口を借りて主張する。だが待てよ、2006年「散るぞ悲しき」で硫黄島総指揮官を紹介する際、大本営方針の作戦を否定して持論を貫いたことを称揚していたではないかと思い当たる。こういうアラは、もちろんわたしにも沢山ある。つまり、読んでる本に気分が振り回される(そして、これこそキモチ良い)。

 わたしが読むような本ばかりを読む人なら、捜すまでもない、ここにいる。だから、わたしと異なる傾向の人こそ鐘太鼓で探すべし。けれども、まるで違ったストライクゾーンだと、そもそも打てない。だから、わたしと似た趣味人を求める。似てるけど違う、その重なる間合いが、ちょうどいい。「夜ごと、言葉に灯がともる―――本に遇うII」は、そういう本。

 「本に遇う」とは言いえて妙、偶然ばったり邂逅するというニュアンスだ。ずっと片想いを続け、「やっと逢えたね」と告げたくなるような一冊や、文字どおり「ひどい目に遭った」といえる劇薬モノもある。偶然よりもヒット率を上げるため、本を探すよりも、人を探す。よい本には、よい読み手がいるのだから。

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