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マクニール「世界史」はスゴ本

 800ページで世界史を概観できる名著。

 「シヴィライゼーション」という文明のシミュレーションゲームがある。暇つぶしのつもりで始めたのに、暇じゃない時間まで潰されてしまう危険なゲームだ。マクニール「世界史」もそう。それからどうなる?なんでそうなる?に次々と答えてくれる本書は中毒性が高く、読むシヴィライゼーションといってもいい。

 ゲームのように面白がれないが、ゲームのように熱中して、マクニール「世界史」の最新完訳版を読む。世界で40年以上にわたって読み続けられており、blog/twitter/tumblr でスゴいスゴいと噂には聞いていたが、たしかに素晴らしい。何が良いかっていうと、「眠くならない歴史」であるところ。

世界史1世界史2

 話は少しさかのぼる。流行に乗っかって教科書開いたはいいが、あれだね、睡眠導入剤として最適だね、山川世界史。パブロフのなんちゃらのように、開いた途端、急速に眠くなる。「メソポタミア」とか「プトレマイオス」なんて、文字列だけで眠れそう。睡魔と闘いながら、なぜなのか考える。シンプルな記述と、きれいにまとめられたトピックスは名編集といってもいいのに、どうしてこんなに眠いのか。高校授業の学習効果?

 ところが、本書でクリアになった。簡にして素な文はいかにも教科書的なのだが、トピックとトピックの因果をなるべく述べているところが違う。もちろん網羅性は求めるべくもないが、ただのトピックスの羅列である類書(含む教科書)とは雲泥。原因→結果が明記されてるところは批判的に(so-what?/why-so?)読み、省略されたり「分かっていない」とする部分は自分で考える。

 つまり、なぜそうなったのかだけでなく、なぜ「そうなったとされているのか」の両方を反問しながら読む。すると、歴史とは勝者のものであるだけでなく、(記録を残すという)取捨選択の結果だということが分かってくる。ウソは書かないが、ホントのことは全部書かなくてもいいからね。あるいは、そのホントって誰にとっての「本当」なのか、ツッコミを入れたくなる。

 この傾向は、評価が収束している古代よりも、判断が確定していない近現代に近づくほど顕著になる。なぜ日本の革命(明治維新)が成功したのかに対する筆者の見解は、そのまま欧米が日本をどのように見ているのかにつながっており、非常に興味深い。そう、下巻p.269から始まる8ページ足らずの「日本の自己変革」は必読だ。産業革命により地球規模で進出する欧米列強に対し、日本が取った態度を「アジア」という枠組みで解説してくれるのだ。

 かいつまむと、日本の成功は、武士と農民の関係にならう上下関係と相互義務の伝統が、会社や工場における「下請け制度」や「服従と義務」の観念に写しとられたのだという。こんなことができたのは日本だけで、そのタイミングも絶妙だったとか。さらに、日本の躍進の原動力は、かならずしも民主主義や自由主義ではないと踏み込んだ見方をしている。異論はあるだろうが、「日本がどのように判断されているか」を知る絶好の機会だろう。著者と脳内会話しながら読むと吉。

 本書の通読であらためて知ったことが沢山あった。もちろん、わたしの勉強不足に拠るのだが、気づきの宝庫だった。例えば鉄器。青銅器を駆逐したのは「より強力な武器だから」と習った(はず)が、本書では、鉄鉱石が得やすかったためだという(上巻p.115)。あるいは、聖書を壮大なプロパガンダと捉えると、物語の「理由」が理解しやすくなる。そのため、聖書の文脈からヘブライ史の真偽を検証する件は楽しめた。また、地政学的に見るならばアジアの支配者は中国であり、今の日本のほうが不自然な状態のように見えてくる ――― マクニールはシカゴ大学の教授。本書を鵜呑むのではなく、「そのように見られている」という自覚のもとに、判断材料にしたい。ホントかウソか、信じる・信じないを別として、そういう自覚を持つことで、よりメタな視座が得られるだろう。

 西欧の世界進出の動向が分かる「地球規模でのコスモポリタニズム」では、西欧がアフリカやアジアをどのようにレイプしていったかが、その自己正当化の詭弁も含めて克明に書いてある。思わず声に出して笑ってしまったのが、著者の立場(White-Men's side)からの以下の反論だ。人道主義者が泣いて悔しがることが、淡々と書かれている。下巻p.304のあたり。

実際のところ、帝国主義というのは現金に換算してみると、全体としては決して引き合わなかったことはたしかなようだ。アフリカの植民地行政と開発のためにかかった経費は、おそらくアフリカからヨーロッパに向けて送られた物資の総価額をこえていたであろう。(中略)もちろん経費をどのていどまで考慮に入れるかということによって、話は違ってくる。しかし、白人がアフリカの資源を掠奪して巨大な富を手にしたという意見は、単純計算による偏見でしかない

 太字化はわたし。オイルとコーヒー、ダイヤモンドとチョコーレート、そしてレアメタルというキーワードで、今でも、いつまででも反論できるだろうが、本書が書かれた1975年の「価値観」なのだから、大目に見てやるべきなのか。だが、注意するべきなのは、これが事実か事実でないかよりもむしろ、「そういう価値観」に乗っ取った教科書で今も勉強されているということなのだ。

銃・病原菌・鉄1銃・病原菌・鉄2

 人類の格差をテーマとした「銃・病原菌・鉄」というスゴ本がある。これは「なぜ西欧が地球の覇者なのか?」という疑問に、真っ向から取り組んでいる。西欧が富や権力を独占し、アフリカや南北アメリカ、オーストラリアを征服できた究極の理由を、とことんまで追いかける。

 ものすごく簡単にまとめてしまうと、その答えは「ユーラシアが横長で、アフリカ/アメリカが縦長だったから」になる。その結果、作物の集積や都市化、稠密化が比較的容易に果たされたことが、覇者の要因だという。だから陸塊がこのままだったら、たとえ歴史を100回繰り返しても西欧が勝つ、という話なのだ。地勢や気候からの検証は、マクニール「世界史」でもなされており、それぞれ照応しながら読むと、かなり納得できる(というか、グゥの音も出ない)。

山川世界史図録 もう一つ。マクニール「世界史」は、かなり図版を取り入れているが、それは文庫の哀しい性。やはりカラーや大判で見たい。なので、山川世界史図録を傍らに読む。図録というだけあり、様々なシーンがグラフや写真で照会できる。マクニールで why-so を、山川図録で so-what を互いに補い合いながら進める。そういや、教科書は開くと眠くなるのだが、図録はいつまで見てても飽きないなぁ。

 そういえば、はてな人力検索で「世界史をやりなおしたい」という相談 [URL] に色々紹介されていたけれど、眠くなりそうな本がちらほら。まず図録から入ったら良いかと。また、「世界史講義録 [URL] 」という世界史を丸ごとWebにしたサイトがあるけれど、(画面で)全部読んだ人はいるのだろうか?青空文庫の長編といい、長文をケータイやPCの画面で読むのは慣れてないので、ブックマークしただけになっている。あるいは、iPhone や Kindle が最初からある世代が、こういうリソースにすんなり馴染むのだろうか。

 文庫2冊で、世界史をつかむ。線引き・付せんも書き込みもオッケーだ。ツッコミと気づきメモで、わたしの「世界史」はノートブックのようになってしまった。座右に置いて何度でも確認するつもり。

 「読むシヴィライゼーション」にハマろう。

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裸がまぶしい「さすらいエマノン」

 コミック版「おもいでエマノン」の続編。「おもいで」のレビューは、最後は、どうか幸せな記憶を「おもいでエマノン」 をどうぞ。

明日をどこまで計算できるか 彼女の名前はエマノン ――― 四十億年分の記憶とともに生き続ける女性。見た目はハタチそこそこの娘にすぎない。長い髪、おおきな瞳、彫りの深い貌、そばかすが、日本人ぽく見えず、メスティーソのよう。前作では分厚いセーターに包まれた肢体が、今回では惜しげもなく日のもとにさらされている。すんなりと伸びた、まぶしい、うつくしい、彼女のはだかを、たくさん堪能できる。凝視せよ、眼福とはまさにこのこと也。

 ストーリー的には小説版「おもいでエマノン」の後半のエピソードに想を得ている(ように見える)が、タイトルは「さすらいエマノン」なのでちょっと困惑する。ひょっとすると、わたしの思い違いかもしれないので、小説版「さすらい」を読む。すると、また違った「エマノン」が浮かび上がってきて面白い。

 地球と同じくらい永い永い記憶を守っているのはベースとして、人の可聴領域外の低音波が聴こえたり、時空間をジャンプしているとしか思えないような描写があったり、ちょい超能力が入っている。そして、それぞれのエピソードに出てくる彼女はいつも「ハタチそこそこ」のようだ。エマノンは(肉体的には)ごく普通の女性で、ただ記憶だけを世代ごとに引き継いでいるのだと思っていた。だが、こういう姿を見ていると、エマノンは永遠のハタチのように見えてくる。

Sasurai_2 太古からの記憶が「いま・ここ」を衝き動かしている壮大なテーマや、十年前の約束を果たすために身を危険にさらすエピソード、あるいは、究極のパンドラの箱を"警告"する役回りなど、短編のなかのエマノンは忙しい。ただ、役目を果たした ――― 次の"エマノン"にバトンタッチした彼女は、驚くほど平凡な女になるに違いない。興味深いことに、"先天的な記憶の引継ぎ"がなされない場合であれば、全ての母親はエマノンと等価になる。考えてみると、先天的な記憶の引継ぎをやっていないだけで、"生命"という炎は次々とバトンタッチしているんだなぁ…

 ヒトは生まれて、歴史の知的遺産を学習によって身につけるだけで、彼女と変わらない。さらにヒトのうち、個人はは自らの経験によって感情を経験している。エマノンにとって、生きているということは、記憶していることと等価なのだから、ヒトにとって("人類"というマスで見た場合)も同じことが言えるはず。わたしたちが、過去を、現在を覚えている限り、(わたしたちが)生きているといえるのだ。たとえヒトのメンバーの一人ふたりが死んだとしても、マスとしてそう言える。ヒトがマスになるとき、固有名詞や人種、特徴を失い、ただのヒトになる。NO-NAMEのただのヒトになる。

 それでも、彼女は、たった一人で、記憶を負っていることに変わりはないんだ。知だけでなく、情、感情も併せて負っているのだから。

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官能小説の奥義

官能小説の奥義 タイトルに偽りなし。官能小説の奥義だけでなく、書き方指南まで開陳してくれる、ありがたい一冊。

 官能小説とは、読者の淫心を刺激するためのもの。独自の官能表現を磨き、競い合ってきた作家たちの足跡をたどり、豊穣な日本語の世界を堪能することが、本書の目的だ。官能小説としての文体が確立するまでの歴史を追い、性器描写の工夫を解説し、性交描写の方法をパターンごとにまとめている。

 スゴいのはフェティシズムを分類した章。乳房フェチから尻、太腿といったスタンダードから、腋窩(えきか)フェチ、パンストの肌触りフェチといったニッチ系のニーズまで網羅してある。ひととおり目を通すことで、隠されていた自分のフェチに気づくかもしれない。

 あるいは、斬新かつ淫心をかき立てるオノマトペの紹介に気づかされる。舐め音や粘液音、挿入から射精音に分類されたオノマトペを眺めていると、いわゆるエロマンガのそれとはかなり違うのだ。マンガのほうは絵が主、オノマトペは「効果音」なのだが、小説では「描写」になるのだ(「くぱぁ」はマンガ表現だが、「ギクンギクン」は小説的)。

 さらに、ひたすら妄想を逞しくさせる官能用語が、いかに苦労して編み出されてきたかが分かる。たとえば女性器ひとつとってみても、その表現手法は5つに分かれるそうな。花や果実に喩える「植物派」から、昔ながらの「魚貝派」、変わりダネ「動物派」、マグマや大地になぞらえる「陸地派」や、俗語や医学用語をストレートに用いる「直接派」がある。

 そして、これらに付随して、「肉」という語感をいかに操るか、作家たちの工夫はソコにあるという。「花芯」や「アワビ」はありがちかもしれないが、「肉のつまみ」や「マグロの赤身」といった言い方は、よく見ているなぁと感心するばかり。作家の発想力というか妄想力のスゴさを感じさせてくれる。

 オナニーのためだけならエロ画像や動画を見ればすむ。にもかかわらず、文章を読んで興奮するということは、そこに想像力が働いているはずだ。言葉に誘発されたイマジネーションに溺れているのであり、それは受身としての"生理的反応"ではない。その触媒となるシチュなりフェチに浸るのが、官能小説の醍醐味と言ってもいい。

 かくいうわたし自身、この世界から久しく離れており、本書で再会して懐かしい作品いくつかあった。特に館淳一「愛しのエレクトラ」は、お世話になった名作で、引用箇所はわたしが最も気に入っていたシーンだった(さすが!)。というのも、著者・永田守弘氏は、「ダカーポ」の官能小説を紹介するコラム、「くらいまっくす」の書き手なのだから。創刊以来、26年間も続いたそうな(「ダカーポ」は2007年に休刊)。

 紹介するだけでなく、書き方のレクチャーもすごい。官能小説の書き方十か条があるので、簡単にまとめてみよう。

  • 第一条 : 官能小説は性欲をかきたてるだけのものではない。性欲はオナニーで消えてしまうが、淫心は人間が根源的に抱えているものであり、オナニーでは消えない。性欲の奥に流れているものである。
  • 第二条 : 好きな作家を見つけよ。淫心の入口はフェチ、自分自身のフェチを見つけろ。
  • 第三条 : まず短編を書いてみる。30-50枚くらいの短編を、フェチを意識しながら書けという。好きな作家の未読作品の最初と最後をそれぞれ5ページだけを読んで、真ん中を自分で想像して書き、比べてみろという。
  • 第四条 : 官能シーンを早く出せ。いきなり性交シーンという意味ではなく、胸でも尻でもチラリズムでもいいから、読み手のフェチを刺激することを始めよという。
  • 第五条 : 自分がしたくてもできないことを書け。やったら犯罪だが、小説として書くのは問題なし。想像力、願望力をたくましくして、したくでもできないことを弄べと励ます。
  • 第六条 : 三人以上の人物を登場させよ。一人の男と一人の女だけでは、話がふくらまない。キャラ×シチュ×フェチがバリエーションの基本だね。
  • 第七条 : 恥ずかしいと思うな。自分のパンツを脱いでいるつもりで、すべてをさらけだすつもりで書けという。これは文芸小説についても言えるね。
  • 第八条 : オノマトペをうまく使う。オノマトペに限らず、その状況を的確にイヤらしく一語で示すことができれば、官能小説として成功だと思う。
  • 第九条 : 性の優しさ、哀しさ、切なさを知っておく。セックスを書くということは、基本的に男女の粘膜の触合いを表現することではあるが、それを掘り下げていくと、性というものが持っている優しさ、哀しさ、切なさに突き当たるというのだ。オルガスムスとは小さな死。
  • 第十条 : 書いている途中でオナニーをするな 【重要】。これ重要。自分が勃起しないような小説で、読者を勃起させることはできないが、だからといって、その勃起でオナニーをしてはいけない。パワーが落ちて、書き進める気がなくなってしまうというのだ。接して漏らさずの誓いを守るでござる。
 官能小説入門として読むと便利だが、それだけにとどまらない。「櫻木充は匂いフェチの本質をわきまえている」とか「女にハードエロは書けないという偏見を覆した藍川京」といった、作家の本質をズバリ言い当てており、官能小説ブックガイドとしても白眉。ホームのキオスクに並んでいるアンソロジーを手当たり次第に試す前に、まず本書で嗜好の傾向を押さえよう。ヒット率が高まること請合う。

 濃密で豊穣な日本語を、ご堪能あれ。

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