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「はじめてのがん」に備える

 最初に断っておくと、わたしが告知されたわけではない。

暮らしの手帖 ただ、日本人の2人に1人はがんになるといういま、何の準備もしないわけにはいかない。はじめてのチュウや初体験と同じように、初告知に向けて情報を集める。人生初のセックスと同じくらい重要だぞ、人生初のがん告知(たぶん)。

 もちろん、ある種のダチョウのように、地面に頭を突っ込んで逃避することも可能だ。あるいは、信号無視のDQNのように「見ない=存在しない」ように振舞うこともできる。しかし、自分を大事にするのは自分の努め。家族や仲間のいる「わたし」は、もはや自分だけのものではない。「そのとき」になってあわてて間違った行動をとらないために。今というときがイザというときなのだから。

 そんなわたしにぴったりの特集があった。「暮らしの手帖」の2010.12号だ。題して、「はじめてのがん(がんと告知されたら)」。書き手は森文子さんで、国立がん研究センターの副看護部長、プロフェッショナルやね。twitter で教えてくださった @hukadume さん、ありがとうございます。

 この特集では、告知されたら、具体的にどうすればよいのかがまとめてある。衝撃をやわらげるには、悩みを抱え込まない方法、(治療法ではなく)治療費やケアの相談先、ネットや本の情報をどう取捨選択するか―――いまのわたしにとって必要な情報が全てある。自分メモとして記すが、誰かのお役に立てば嬉しい。なお、自分用にピックアップしているので、必要とする方は本誌にあたってほしい。

 まず大切なことは、「いま、何ができるか、考えること」になる。がんと診断されると、何が悪くてがんになったのかとか、よりによってなぜ自分が……などと考えてしまうという。しかし、がんとは、原因と結果がはっきりしているような単純な病気ではないのだそうだ。だから、後ろ向きの反省(別名:後悔)をくり返すのではなく、「いまできること」に注意を集中する。

 次に忘れてはならないのは、自分のがんを正確に知ること。ありがちなパターンとして、即ネットや本の「がんが消える!」「がんの特効」に飛びついて、その「治ったと言われている」症例ばかりに詳しくなること。そして、自分との差ばかりに目を向けること。重要なのは、自分のがんの正確な情報だ。そして、自分の病状について、もっとも多くの情報を持っているのは、担当医(主治医)だ。だから、入院するまでに担当医にするべき問いは、次のようになる。

  1. どの臓器のどこにある、どういう性質をもったがんか
  2. 大きさや広がり、悪性度や転移の具合はどうか
  3. 五年生存率はどのくらいか
  4. いま、どんな治療法が考えられているか
  5. それぞれ治療法のメリット、デメリットはなにか
  6. 先生はそのうちの何を、どういう理由で奨めるのか
  7. セカンドオピニオンをとるときは協力してもらえるか
  8. 今までどおりの生活が、どの程度続けられるか
 最初の衝撃「どうしてわたしが、こんな目に……」が暴走すると、矛先が主治医に向かう。本来ならば協力者なのに、(ネットの○○という療法に反対だという理由で)人間味が無いだとか「わたし」を見てくれないといった「現代医療 vs 代替医療」の構図で考え始める。米原万理の書評集「打ちのめされるようなすごい本」の後半がそうだ。「私が10人いれば、すべての療法を試してみるのに」「万が一、私に体力気力が戻ったなら」といった語句のすきまに、あせりのようなものが読み取れているうちに、ブツっと途切れる。医師を信頼できず、残り時間を勉強と反目に使ってしまったのだ。優れた作家として、さらには本の目利きとして高く評価しているが、ことがんに関しては、反面教師なり。

 主治医と話すときのポイントは、次の通りとなる。ホントはもっとあるが、絞ってアレンジしてある(だから全部読むなら本誌にあたって欲しい)。

  1. 対話は「あいさつ」から
  2. メモれ
  3. 「言われたこと」を「そのままの言葉」でメモれ
  4. 一人より二人、パートナー同伴で(パートナーもメモる)
  5. 承諾をとって録音→後で理解したり家族に説明する助けに
  6. 分かるまで質問(事前に書き出しておく)
  7. 自覚症状と病歴は、医師に伝えるべき重要な情報
  8. 治療のフィードバックを正直に伝える
  9. 最新医療にも不確実や限界がある
  10. 治療法を決めるのは自分
 そして、話し合いを重ねることで、主治医や看護師と信頼関係を築けという。それができたら、「がん治療は半分以上、成功したようなもの」とまで言う。確かにそうだろう、告知されただけでも不安なのに、協力者が信頼できないのであれば、突き落とされる気分だろう。今ならネットという広大な闇(光?)があるので、そこをさまよっているうちにゲームオーバーとなる。

 本誌では、「ネットを使うな」「がん本を読むな」とは言わない。ただ、「ネットや本や取捨選択して」とアドバイスする。がんは百人百様、同じ臓器のがんでも、病状や体の状態が異なれば、治療法・術後のケア、抗がん剤の効き目や副作用も違ってくる。だから、ある人が副作用で辛い思いをしたとしても、それが「あなた」に抗がん剤をやめる根拠にはならないという。この詭弁はよく理解できる。一をもって全となす別名バンドワゴンで、人により状況により千差万別のがんに対し、そういう論を持ってくる時点で疑わしいと判断してもいい。

 ネットや本から集めたものは、「こんな情報があるのか」程度にとどめ、折に触れて主治医や看護師にチェックしてもらえという。がんについての本なら「総論」を書いたものにとどめておけとクギを刺している(ところが、その「総論」が分からない、がんの本はひとつのジャンル、代替治療はひとつの市場をなしている)。ネットなら以下が参考になるという。いざというときの入口として覚えておこう。

   独立行政法人国立がん研究センター「がん情報サービス」
   財団法人先端医療振興財団「がん情報サイト」

 治療法についての質問は、以下が参考になる。明確な「問い」の形になっているので、いざというときはそのまま使える。

  1. 治療の目的は?
  2. なぜその治療を奨めるのか、なぜその治療が必要か
  3. 期待される効果、再発の危険はどのくらいあるのか
  4. (手術なら)起こりうる合併症や後遺症は何か
  5. (化学療法、放射線療法なら)どういう副作用がいつごろ起こり、どのくらい続くのか
  6. 副作用に対する対応策は
  7. その治療によって、今後の生活はどのように変わるのか
  8. 入院期間や社会復帰までの期間
  9. 保険適用か、自費診療か
  10. 費用はどのくらいかかるのか
 そして、セカンドオピニオンを受けたいとき、カドの立たない言い回しはこれ→「治療を決める前に、できるだけたくさんの情報を集め、納得して治療を受けたいので、○○病院でセカンドオピニオンを受けたいと考えています。必要な書類をお願いできるでしょうか。結果はご報告します」。くれぐれも内緒で受けないようにという。必要なデータを持っていけず、正確なセカンドオピニオンにならないから。

 他にも、おカネの話―――「高額療養制度」や「限度額適用認定証」の手続きが触れられているが、これは告知されたときに考えよう。気になる人は本誌でチェックしてみて。

 わたしは、「まだがんになっていない」だけ。告知されたとき、慌てないように、予習(と覚悟?)をしておきたい。とはいっても難しいだろうなぁ……

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この本がスゴい2010

 今年もお世話になりました、すべて「あなた」のおかげ。

 ともすると似たような本ばかりに淫するわたしに、「それがスゴいならコレは?」と教えていただいたおかげ。もちろん、好きな本だけ・本屋さんだけで完結しても問題ない。それでも全部読むのに一生以上かかるだろう。だけど、自分の地平を拡張するため、あえて知らない趣味、行かない場所に足を運ぶ。その収穫が、沢山の「あなた」からのオススメになる。昨年までの探索結果はこの通り。

 この本がスゴい!2009
 この本がスゴい!2008
 この本がスゴい!2007
 この本がスゴい!2006
 この本がスゴい!2005
 この本がスゴい!2004

 さらに、今年は「スゴ本」のチャネルを増やしたぞ。「スゴ本オフ」と銘打って、リアルでの交流を図ってきた(直近だとスゴ本オフ@ミステリを12/3にするよ)。ネット越しと違うのは、圧倒的な情報量。おすすめをプッシュする熱とエントロピーが直にびんびん伝わるし、あのエロいのをこんなキレイなお姉さんがッ!といったドキドキや、こんなオッサンが100%純愛を……なんて驚きが大量にある。これからも、blog + twitter + Ustream + YouTube と連携していきたいもの。あと、本屋オフも大幅増強したいですな。会議室でやるよりも少人数になるけれど、本屋オフは目の前の本棚での語りになるので、広がる広がる深まる深まる。

 【Book Talk Cafe】スゴ本オフ@SF編
 【Book Talk Cafe】スゴ本オフ@LOVE編
 【Book Talk Cafe】スゴ本オフ@夏編
 スゴ本オフ@松丸本舗(7時間耐久)
 【Book Talk Cafe】スゴ本オフ@BEAMS/POP編
 スゴ本オフ@松丸本舗(セイゴォ師に直球)
 スゴ本オフ@赤坂

 ネット/リアル問わず、オススメいただいたもの、本屋や図書館で呼ばれたもの、積読山から発掘したもの……今年読んできた中から、選りすぐってみた。「あなた」のブックハンティングの一助になると嬉しいし、「それがスゴいならコレは?」とおすすめいただくと、もっと楽しい。


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│このフィクションがスゴい!2010
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■ 「ブラッド・メリディアン」 コーマック・マッカーシー

 アメリカ開拓時代、暴力と堕落に支配された荒野を逝く男たちの話。

ブラッドメリディアン 感情という装飾が剥ぎとられた描写がつづく。形容詞副詞直喩が並んでいるが、人間的な感覚を入り込ませないよう紛れ込ませないよう、最大限の努力を払っている。そこに死が訪れるのならすみやかに、暴力が通り抜けるのであれば執拗に描かれる。ふつうの小説のどのページにも塗れている、苦悩や憐憫や情愛といった人間らしさと呼ばれる心理描写がない。表紙の映像のように、ウェットな情緒が徹底的に削ぎ落とされた地獄絵図。

 感情を伴わない暴力は自然現象に、人間の殺戮は必然に見えてくる。生きた幼児の頭の皮を剥ぐといった、こうして書くと残忍極まる行為でも、実行者は朝の歯磨きでもするかのようにごく自然に「す」る。もちろん行為の非道徳性を批判する者もいるが、どちらも感情が一切混じえてない会話・行動なので、読み手は移入させようがない。起きてしまったことは撤回されることはないのだ。

 どこにもない物語は、あたらしい神話と呼ぶのがふさわしい。


■ 「メイスン&ディクスン」 トマス・ピンチョン

メイスンディクスン1メイスンディクスン2

 「いつか」「そのうち」と言ってるうちに人生は終わる。だから読むんだピンチョンを。

 辞書並み(しかも2冊)の「メイスン& ディクスン」は、ドーパミンあふれまくる読書と相成った。小説的瞬間とでも名付たくなる、小説内時空間のどこにでも言及され・見渡され・語られている、代えるものがない強烈な感覚に浸る。酒みたいなものだ、酔いたいから呑むのであって、結果、酔うから楽しいとは限らない。もちろん微酔の楽しみもある一方、悪酔いの苦杯を舐めることもある。ピンチョンを読むのは、酔うことに似ている。バッドトリップ承知の上で、杯をあおる、ハイになるため。

 天文学者と測量士の珍道中から、その語り部の周囲、劇中劇さらに現代アメリカと、行単位に時を跳躍する超絶技巧もさることながら、メイスンにしか見えない幽霊女房や不可視のサイボーグ鴨や全員同じ夢を見ているとしか思えないしゃべる犬や礼儀正しい土人形を次々と登場させては煙に巻く人を喰ったピンチョン節をたっぷりと堪能する。複雑に折れ曲がる物語構造をもつ「ヴァインランド」とは異なり、焦点はメイスンとディクスンの二人なのでよもや見失うことはなかろうとタカくくってたら、ストーリーに「乗って」いるのに違う場所に連れて行かれる。高速で曲がるとき逆ハンあてて半ケツずつ横すべりしてゆくアドレナリン・ドライブ。

 酔うために読むスゴ本、M&D。


■ 「ドン・キホーテ」 セルバンテス

 「死ぬまでに読みたい」シリーズ。

ドン・キホーテ ひたすら面白い+泣ける+ハラハラしながら読む。いわゆる「ジュニア版」で筋は知っていたのだが、前編だけだったことが分かった。後編とあわせると、こんなにも芳醇な物語になっていたなんて!

 あまりにも有名な「風車に突撃」は、可笑しいというより痛々しい。ほら、仁侠映画を見たら肩で風切りたくなるのと同じで、厨二病をこじらせて邪気眼が開いたと喜んでいるようなもの。ちょっと痛いか、かなり気の毒かだ。

 ドン・キホーテの場合は、騎士道物語(今でいうならライトノベル)に熱中するあまり、ついに自分を伝説の騎士だと思い込んでしまう。都合のいい/悪いことに、その場その場の思いつきで「なりきる」人物をキャラチェンジするので、周りを混乱させたり自分が酷い目にあったり。このネタは魅力的だ。「ライトノベル」というジャンルが確立し、伝説級のキャラクターもいるから、このプロットは使いまわせるぞwwwたとえばこんな風に――主人公はアニメやマンガの影響をモロに受け、「邪気眼」に覚醒する(と、信じ込む)。そして、陰謀論の渦中に巻き込まれたと思い込み、きわめてフツーな日常を波乱万丈の冒険にしてしまう。

 この感染力はスゴい。「小説ベスト100」を挙げるとき、常に第一位になるのは、この物語への感化力によるもの。今回はひたすら面白い面白いと読んだのだが、換骨奪胎して現代でドン・キホーテを書いたらスゴい話になるだろうなぁ……あるいは、従者サンチョに焦点を当てて、彼の視点から再構成したらネタの宝庫になるだろう。いわゆる小説家たちがこの作品を高く評価しているのは、自身の創作意欲に火をつけたり、ガソリンを注入してくれるからかもしれない。

 最も公平で厳粛な評者は、「時間」だ。時の風雪に耐えて生き残った古典は、それだけ沢山の時代の人々に読まれたから。けれども、「ドン・キホーテ」を読むと、それだけではないような気になってくる。要するにこれは、パクれるのだッ!。盗れるところがいっぱいあるぞ。表立って堂々とやるか、あるいはコッソリ借用するかの違いはあれど、沢山の時代の作者たちに盗まれたからこそ、古典として生き残れたのだともいえる。

 読み手を創り手に変えてしまう感化力がハンパない物語。


■ 「伝奇集」 ホルヘ・ルイス・ボルヘス

 ボルヘスの、どろり濃厚・短編集。

伝奇集 読者の幻視を許容するフトコロの深さと、誤読を許さない圧倒的な描写のまぜこぜ丼にフラフラになって読む。これはスゴい。特に「南部」と「円環の廃墟」は大傑作で、幾重にも読みほどいても、さらに別のキリトリ線や裂け目が現れ、まるで違った「読み」を誘う。シメントリカルな伏線の配置や、果てしなく反復される営為が象徴されるものを、「罠だ、これは作者のワナなんだ」と用心しぃしぃ読む。

 それでも囚われる。語りはしっかりしてて、描写は確かだから、思わず話に引き込まれ、知らずに幻想の"あっち側"に取り込まれる。どこで一線を越えたのか分からないようになっているのではなく、「一線」が複数あるのだ!そして、どこで一線を越えたかによって、ぜんぜん違ったストーリーになってしまう。解説で明かされる「南部」の超読みに、クラッとさせられる。語り手の夢なのか、語られ人の夢なのか、はたまたそいつを読んでいる"わたし"の幻なのか、面白い目まいを見まいと抗うのだが、目を逸らすことができない。「「「胡蝶の夢」の夢」の夢」の夢……

 自分の記憶をまさぐられるような薄気味悪い思いをさせられることもある。まぁこれは、ボルヘスの影響を陰に陽に受けた作品に触れた、わたしの記憶なのだろう。たとえば「隠れた奇跡」。まさに銃殺刑に処されようとする男に奇跡が訪れる話なのだが、似たプロットを手塚治虫の短編「処刑は3時におわった」で読んでいる。ぜんぜん違う話、かつ、どちらも傑作、そして読後やるせなさを感じるはず。

 記憶を浚ったりや新たな発想をツツき出してくれるぞ。シナリオを求める人にはこういおう、「プロット盗み放題だぜ」ってねw ただし、ねっとりゲル状になっているので吸い出すには相当の力が必要。まさにどろり濃厚ピーチなスゴ本。


■ 「百物語」 杉浦日向子

 魍魎の類を描いた漫画で、身近な物の怪たちと付き合う。

百物語 これは、スゴ本オフ(夏)でオススメされたやつで、心をざわめかせる、夜中に独りのときに思い出しそうな話ばかり。江戸時代を舞台に、首がころりと落ちた話だとか、自分じゃない自分に悩まされる男の話、背中に毛の生えた赤子の化け物といった奇譚が、九十九話おさめられている。「百物語」と銘打っておきながら、九十九話で寸止めしているのには意味がある。百話語ると、怪異がホンモノになるからね。だから、最終話は自分で語り出してみよう。「地獄に呑まれた話」「魂呼びの話」「嫌うもの」あたりが、恐ろしく、イヤ~な話だった。

 不気味だとか怪異といった印象は、「ふつうじゃない」ものによって呼び覚まされる。ところがそんなのは上っ面なだけであって、もっと身近な、ひょっとすると身中なものかもしれぬ。たとえば、わたしの内臓は、そのまま曝せば不気味な色あいや形をしているだろうが、腹ん中にしまってある分には、わたし自身、わたしそのものといえる。皮ひとつ隔てているだけなのにね。この本に出てくる霊的現象も然り、薄皮一枚を超えれば、怪異どころか、ごく親しいものに見えてくる。

■ 「WATCHMEN」 アラン・ムーア

WATCHMEN 圧倒される暴力描写と、その暴力を肯定する「正義」とは何か?考える。あるヒーローにとっては、破壊願望や性衝動を発散するため、合法的に「悪を懲らしめる」手段としての「正義」だ。あるいは、別のヒーローにとっては、社会への怒りや怨恨、嫉妬や羨望を体現するルサンチマンとしての「正義」になる。あるいは、政治に利用され、緊張緩和の手段として濫用される「正義」を見ていると、勧善懲悪の時代がノスタルジックに思い起こされる。これは、オトナが読むヒーロー譚やね。ヒーローが被るマスクは、そのまま偽善を隠す覆面であることが、分かってしまった人のための物語。

 いっぽう、「悪」のなんとチンケなことか。コスチュームを着たかつての「悪の権化」いま「ただの老人」も出てくるのだが、利用されるだけの弱々しい存在。コスチュームを脱いだ「悪」は、強盗や誘拐といったハデハデしいものではなく、麻薬密売や売春経営といった地味な犯罪でシノギをこなす。それは、「悪」というよりもむしろ、生き抜く術のように見える。欲望や憎悪に上書きされた「正義」を見せ付けられていくうちに、しだいに「悪」のカタチが曖昧になってくる。

 物語全体が練りこまれ、濃厚で緻密に作られているため、ページを「巻き戻し」て、伏線の妙に「あああっ!」と叫ぶこと幾度か。まちがい探しのようにコマを凝視することしばし。犯人探しのメイズに迷い込むこと数多。そして、最大のミステリ、「なぜそうするのか?」に込められたメッセージの重さに潰されそうになって息たえだえになる。

 正義とは、「悪」っぽいものを対症療法的にやっつけるヒーローなどではない。「正義の反対は悪ではない、また別の正義」という至言を思い起こす。これは、オトナが読む「正義」の物語やね。正義の正体を知ってしまった人のための究極のブラック・ユーモアなんだ。


■ 「短篇コレクションI」 コルタサル他

短篇コレクション1 選者には申し訳ないが、わたしにとって、池澤夏樹という作家は、小説家というよりも、一流の読み手となっている。思想や歴史臭が鼻につくようになってからこのかた、彼の小説は手をださなくなってしまった。代わりにエッセイを、特に書評を高く買っている。すぐれた作品を掘り出しては、いかにも読食欲を刺激するように紹介する。作品の根幹を短いフレーズでずばりと言い当てる技は、詩人のキャリアが生かされている。踏み込みすぎてほとんどネタバレ状態のもあるが、それはそれ。この河出世界文学全集も、池澤夏樹さんだから読んでいるようなもの。

 その期待に100%応えているのが、この短篇集。どれもこれも珠玉だらけ。プロット・キャラ・オリジナリティに優れた短篇のお手本のような傑作から、不条理譚なのに巨大な隠喩だと解釈すると仰天するしかない作品、「もののあわれ」とはコレだという指摘が腑に落ちる、でも異質な物語など、読み終わるのがもったいないものばかり。

 地域性に目配りの利いた、良い選だと思う。こういう短篇で目を磨くと、いい作家になるのだろうか。


■ 「アイの物語」 山本弘

 人類が衰退し、マシンが君臨する未来から、「現代」をふりかえった秀作。

アイの物語 スゴ本オフ(SF編)で小飼弾さんがアツく語ってたもの。「現実よりも物語の方が素晴らしいじゃないか!物語が現実でもいいじゃないか!」というメッセージがずしんとクる。SFがすばらしいのは、現代を「ふりかえって」眺めることができるから。未来や別次元から、「いま」を理解しなおすのだ。もちろんテクノロジーが混ざるから、バイアスはかかる。だが、拡張された鏡ごしに、「いま」を観察できるのだ。

 アンドロイドがヒトに語る6つの物語。それぞれの物語が、「いま」で言う「SF短編」となっている。元ネタ探しが楽しい―――シーマン、BBS、連作小説、攻殻機動隊、老人Z、ラブプラス……「ラブプラス」は世に出ていなかったから、"予言"的中度をふり返ってもなかなかのもの。500頁超の大作だが、ミステリ要素の強い展開とあまりの面白さにイッキ読みしてしまう。

 なぜマシンが支配しているのか?どうしてそんなフィクションを語って聞かせるのか?布石のように敷かれてゆく「SFの短編」は、最初はぎこちない習作のようで、だんだんと上手くなってゆく。つくり話めいていればいるほど、地の話の真実味が増すという仕掛け。6つ目の話が終わったとき、アンドロイドは言う。

  「ええ、あれはみんなフィクションだけど、真実よりも正しい」

 そして7つ目の物語が語られるとき、真実よりも正しいフィクションのチカラを感じるだろう。惹句に「機械とヒトの新たな関係を描く、未来の千夜一夜物語」とあるが、本当に千夜のストーリーに拡張したならば、「銀河鉄道999」のような伝説となるだろう。これは、SF短編を包含したSF大作なんだ。


■ 「カシオペアの丘で」 重松清

 他人事ではなく、自分事としてがんを考えるきっかけになった。

カシオペアの丘で(上)カシオペアの丘で(下)

 人間の死亡率は100パーセント。そして、その可能性が最も高いのは、がんになる。わたしががんになったら、何が起こるのか。具体的な症状や療法よりもむしろ、わたし自身がどう受けとめ、家族にどんな影響を与えるのか。この小説を読みながら、嫌が応でも主人公とわたしを重ね合わせる。

 重松清は初めてなのだが、上手いな、この人と思わせるのは、単純な闘病記や家族ドラマに留めなかったところ。読者へのサービス精神なのか、フィクションのチカラを利用して、殺人事件やミステリ要素を盛り込んでおり、ページを繰る手を休ませない。要所要所でグッとくる仕掛けもよくできており、伏線回収の情景もドラマチックだ。「きこえ」は悪いがエンタメ的なり。

 しかし、主旋律はしっかりとしている。40歳、仕事もあれば、家庭もある男。まんま、わたしにあてはまる。レントゲン検診で「要再調査」となり、精密検査でかなり進行していることを告知される。否定や怒りを経て、受容までの各段階や、家族の反応、封印された「思い出」への再訪、そして自分自身をゆるすこと―――人生の残された時間をいかに過ごすか。早すぎるがんの進行にあわせた展開のテンポが絶妙で、こころにくいほど。

 彼の反応は、わたしのものだ。うっかり同化して、思わず涙ぐむ。めちゃくちゃぐちゃぐちゃにされるのは、わが子へどう伝えるか。主人公は、小学四年生の一人息子がいる。「死」はもうわかる年頃だ。パパの楽しい思い出を残すだけで、ホントのことを言わずに死んでいくか、それとも、ありのままを伝え、きちんと「別れ」を告げるか、彼の煩悶はそのまま、わたしを身悶えさせる。タイトルでもある「カシオペアの丘で」、彼が、息子に、伝えた言葉のひとつひとつが、わたしの胸を撃つ。わたしの胸に刻み込まれるような読書になる。

 わたしなら、どうする?

 「生活目線でがんを語る会」がある。最近の記事は、最新の放射線医療はスゴかっただな。わたしは、「まだがんになっていない人」なんだな。そういう人が、がんになってから大急ぎで勉強するのではなく、今から予習(予行)するつもりで目配りをしていこう。


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│このノンフィクションがスゴい!2010
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■ 「怒らないこと」 アルボムッレ・スマナサーラ

 怒らずに生きるための一冊。

怒らないこと 最初に著者は挑発する、「怒り」について誰も知らないと。「怒るのは当たり前だ」と正当化したり、「怒って何が悪い?」さもなくば「怒りたくないのに、怒ってしまう」という人は、自分にウソをついていると断言する。「本当は怒りたくない」なんて言い訳して、ホントは怒りたくて怒っているのだと喝破する。そして、怒りたくないなら、怒らなければいいというのだ。

 さらに、「怒り」の根っこには必ず、「私が正しい」という思いが存在するという。かつて自分が怒ったとき、その理由を冷静に客観的に分析してみると、「自分の好き勝手にいろいろなことを判断して怒っている」というしくみがあるというのだ。これは、他人に対する怒りだけでなく、自分自身に向けられる怒りも同様だという。

 つまりこうだ。「私にとって正しいなにか」があって、それと現実がずれているときに怒るのだ。「私は正しい」「私は完璧だ」という意思があるのが根本で、実際そうではない出来事に会うとき、自分のせいにするのだ。「私は正しい」のに、「この仕事がうまくいかない」と自分を責めたり、「私は完璧」なのに、「自分が病気になってしまった」と自分に対して怒りを抱いたりする。そういう人こそ、建前として「私はダメな人間だ」と謙虚(?)に振舞いつつ、実は心の奥底では、「絶対にそうじゃない、私こそ、唯一正しい人間なんだ」と考えているという。しかしそれこそが、怒りスパイラルの原因なんだ。

 本を読んで怒るのをやめられれば苦労はしないぜ、と自分でも思う。それでも、自分の「怒り」の根っこをつかまえ、より扱いやすくするためにはなる。結果、「怒らないこと」は選べることに気づくのだ。


■ 「転校生とブラックジャック」 永井均

 心脳問題を対話により深堀りした名著。

転校生とブラックジャック 若いとき、一度はかぶれる独在論。つまり、この宇宙にひとりだけ「私」がいるということの意味を追求する。あれだ、2chやtwitterで見かける「おまえ以外bot」を世界レベルまで拡張したやつ。

 自分自身を指差して、私だということができる。でもそんな指差しなどせずに、世界中でただ一人、ただそこにいる<私>は、他の誰でもないし誰でもありえない。誰かが「私」といくら言おうとも、ここに、例外的な<私>が存在する―――この<私>が「私」であることを論理的に証明しようと問いつづける。

 本書を面白くかつユニークにしているのは、全編をダイアログ形式にしていること。著者自身をモデルにした「先生」と、12人の学生A~Lがこの問題を議論する。A論B駁といった感じで、議論が転がっていく・掘り下がっていく様子がよく見える。

 実はこの学生、著者の分身のようなもので、それぞれの側からの問答のフィードバックループをつなげた試みらしい。自説を曲げない人や、「解答」を欲しがる人がいて妙にリアルだけど、「自分の考えに近いのは誰か?」「その学生はどのように『問い・答え』をくり返しているか」探しながら読むと楽しい。ただ、出てくる議論は(カブれた人なら)既知のものばかり。主張の目新しさではなく、その問いに対し、どう格闘するかが大切なのだ。

 本書は分裂勘違い君劇場「ネットに時間を使いすぎると人生が破壊される。人生を根底から豊かで納得のいくものにしてくれる良書25冊」で知ったもの。fromdusktildawnさん、ありがとうございます。おかげでいい本に出合えました。


■ 「論理トレーニング101題」 野矢茂樹

 「東大教授が新入生にオススメする100冊」に、必ず登場する名著。

論理トレーニング101題 本書は、安直ビジネス書に群がり、カモにされているカモリーマン向けではない。週末にナナメ読んで、「なんとなく分かった気分になる」自己満足を目指していない。1問1問、エンピツとノートを準備して、101問すべてに取り組むべし。「解説書なんかいくら読んだって論理の力は鍛えられない。ただ、実技あるのみ」のとおだ。やれば、やった分だけ向上する。

 大きく2部に分かれており、前半は、接続詞に注意して正確に議論を読み取り、その骨格をつかまえるトレーニング。そして後半は、演繹と推測の適切さを論証し、さらに論証を批判的にとらえる訓練をする。すべて、①練習問題→②自力で解く→③解説と答えあわせのくり返し。章末に、ちとムズめの問題が待ちかまえており、③の理解を確かめることができる。200ページたらずの薄手の本なのに、中はどろり濃厚で、「飛ばして」「ナナメに」読まれることを拒絶している。ちょっと紹介してみよう。

   問71  次に含まれる論証の隠れた前提を取り出せ

  1. テングダケは毒キノコだ。だから、食べられない
  2. 「さっき彼と碁を打ってただろ、勝った?」「いや、勝てなかった」「なんだ、負けたのか、だらしないな」
  3. 吠える犬は弱虫だ。うちのポチはよく吠える。だから、うちのポチは弱虫だ
 順番に考えてみる。 1. は簡単だろう。「毒キノコは食べられない」という前提が隠れている。「A=B、B=C、ゆえに、A=C」の論証のうち、「B=C」が省略されたもの。 2. は少してまどった。隠れた前提なんてあるの?としばし悩んだのち、「勝ってない≠負け」に気づく。将棋なら千日手、囲碁だと持碁があるからね。

 解けなかったのは 3. だが、これは難問らしい。正解をマウス反転させておくので、ご自身で考えてみてほしい。言い換えると、これが解けるようなら、本書をクリアできる論理力はあることになる。答え→ポチが犬だとはどこにも書いていない。もし、「うちのポチ」が虎だったらこの論証は成り立たない。そして、解説が素晴らしい。書名のリンク先で紹介しているので、ぜひお立ち寄りくださいませ。


■ 「世界史」 ウィリアム・マクニール

 800ページで世界史を概観できる名著。

 「シヴィライゼーション」という文明のシミュレーションゲームがある。暇つぶしのつもりで始めたのに、暇じゃない時間まで潰されてしまう危険なゲームだ。マクニール「世界史」もそう。それからどうなる?なんでそうなる?に次々と答えてくれる本書は中毒性が高く、読むシヴィライゼーションといってもいい。

 ゲームのように面白がれないが、ゲームのように熱中して、マクニール「世界史」の最新完訳版を読む。世界で40年以上にわたって読み続けられており、blog/twitter/tumblr でスゴいスゴいと噂には聞いていたが、たしかに素晴らしい。何が良いかっていうと、「眠くならない歴史」であるところ。

世界史1世界史2

 話は少しさかのぼる。流行に乗っかって教科書開いたはいいが、あれだね、睡眠導入剤として最適だね、山川世界史。パブロフのなんちゃらのように、開いた途端、急速に眠くなる。「メソポタミア」とか「プトレマイオス」なんて、文字列だけで眠れそう。睡魔と闘いながら、なぜなのか考える。シンプルな記述と、きれいにまとめられたトピックスは名編集といってもいいのに、どうしてこんなに眠いのか。高校授業の学習効果?

 ところが、本書でクリアになった。簡にして素な文はいかにも教科書的なのだが、トピックとトピックの因果をなるべく述べているところが違う。もちろん網羅性は求めるべくもないが、ただのトピックスの羅列である類書(含む教科書)とは雲泥。原因→結果が明記されてるところは批判的に(so- what?/why-so?)読み、省略されたり「分かっていない」とする部分は自分で考える。


■ 「神話の力」 ジョーゼフ・キャンベル

 世界と向き合い、世界を理解するための方法、それが神話。

神話の力 現実が辛いとき、現実と向き合っている部分をモデル化し、そいつと付き合う。デフォルメしたり理由付けすることで、自分に受け入れられるようにする。例えば、愛する人の死を「天に召された」とか「草葉の陰」と呼ぶのは典型かと。そのモデルのテンプレートが神話だ。いわゆるギリシア神話や人月の神話だけが「神話」ではなく、現象を受け入れるために物語化されたものすべてが、神話になる。

 本書は神話の大家、ジョーゼフ・キャンベルの対談をまとめたもの。キャンベル本は、現代の小説家やシナリオライターにとってバイブルとなっている。例えばジョージ・ルーカス。スターウォーズの物語や世界設定のネタは、古今東西の神話から想を得ているが、その元ネタがキャンベル本なのだ。本書では、「英雄の冒険」や「愛と結婚」といった観点で古今東西の神話を再考し、神話がどのように人生に、社会に、文化に影響を与えているかを縦横無尽に語りつくす。おかげで、あらためて「分かり直した」感じだ。存在には気づいていたものの、名前を知らなかったものを教えてもらった。

 次は「千の顔をもつ英雄」に行こう。


■ 「黒檀」 リシャルト・カプシチンスキ

 ルポルタージュの最高傑作。スゴ本。

黒檀 開高健「ベトナム戦記」が一番だった。しかし、アフリカの本質をえぐりだした、リシャルト・カプシチンスキ「黒檀」が超えた。この一冊にめぐりあえただけで、河出文学全集を読んできた甲斐があった。スゴい本を探しているなら、ぜひオススメしたい。ただ、合う合わないがあるので、「オニチャの大穴」を試してみるといい。十ページ足らずの、アフリカ最大の青空市場を描いた一編だが、ここにエッセンスが凝縮している。貧困としたたかさ、そしてカプシチンスキ一流のユーモアが輝いている。

 アフリカの多様性を言い表すパラドクスがある。ヨーロッパの植民地主義者はアフリカを「分割」したと言われているが、それはウソだ。「あれは兵火と殺戮によって行われた野蛮な統合だ!数万あったものがたったの五十に減らされたのだから」というのだ。アフリカはあまりに広く、多様で、巨きい。だから、大陸全体について書くなんて無茶な話。だから、「アフリカ文化」「アフリカ宗教」と括りたがるエコノミストや人類学者は二流以下になる。では、どのように書けば?

 著者は、「見たこと」を中心に据える。その場所に飛び込んで、目撃者としての観察と経験でもって、アフリカを点描してゆく。たしかに伝聞や噂よりは信憑性が高いだろうが、「点」にすぎないのでは?どっこい、個々のトピックやルポは点にすぎないが、時間や場所の異なるいくつもの点を並べていって、そこから全体像が浮かび上がらせる(お見事!)。個人的な体験と庶民の視線を使い分けながら、より大きな問題、より全体的な問題が見えてくる。本人曰く「文学的コラージュ」と呼ぶこの手法により、本質は細部に宿ることをルポルタージュで証明する。

  大事なことなので、もう一度。本書は、ルポルタージュの最高傑作。これと「ベトナム戦記」に匹敵するようなものがあるなら、ぜひ教えてほしい。


■ 「土の文明史」 デイビッド・モントゴメリー

土の文明史 土壌の肥沃さと土壌浸食から歴史をとらえなおす快著。文明の発展は土壌の搾取と放棄のくり返しによるものだということが分かる。

 本書のシンプルな結論を図で説明する(p.17より引用)。「土」はもっとも正当に評価されていない、かつ、もっとも軽んじられた、それでいて欠くことのできない天然資源である。肥沃な土壌は、地下からの岩石の風化と地表での侵食、およびその間の微生物・昆虫・ミミズなどの生物と植物類の生態系のバランスの上に成り立っている。あらゆる文明の興亡は、「いつこの土壌を使い尽くすか」「肥沃度をどのように保(も)たせるか」に依拠する。土壌の生成を上回るペースで浸食を加速させる農業慣行により、肥沃な土壌を失ったときが、文明の滅ぶときである。つまり、土の寿命こそ文明の寿命なのだ。

 人類史をたどりなおすようにして、土壌が果たした本質的な役割を探る試みは、とても新しく感じた。さらに、農耕の発達が人口増をもたらす一方、それらをたゆみない収穫量の増加によって養うという終わりのないレースだと喝破する視点はスゴいと思う。広く、深く、長いスパンを持った目線でないと、見えない。

 そして、ちと恐ろしいシミュレーションを、過去の「実験」に求めている。大ざっぱにいって、文明の寿命は、農業生産が利用可能な耕作適地のすべてで行われてから、表土が侵食されつくすまでにかかる時間を限界とする。もちろん気候や地質学的条件は異なれど、土地の荒廃は文明の生命線を断つことにつながる。このシミュレーションを、土地利用が限定されたイースター島の歴史に求めている。限られた土壌資源を使い果たし、ついには互いに喰い合う食人にまで行き着いた事例はヒトゴトに思えない。


■ 「松岡正剛の書棚」

 松丸本舗の写真集。

松岡正剛の書棚 究極の本屋、松丸本舗の書棚を、可能なかぎり書影が識別できるように写している。「ただ本が並んでいる」ような画像ではダメなのだ。書棚の「並び」が命の写真集なのだから、書名ができるだけ鮮明に見えるように、仕掛けが施されている。

 すなわち、棚2~3段ごとに撮影した写真を「貼り合せて」構成している。棚の全景を一枚の画像として撮ったものではないのだ。そのため、よーく見ると画像がズレている部分がある。あたりまえだ。松丸の本棚は「平面」ではなく、でっぱっていたりへこんでいたりしている。さらに曲面構造の本棚もある。そんな凸凹を、一枚の平面に写し取れるわけがない。おかげで、一冊一冊の並びがクッキリと見える。どういう"意図"でこれらの本を並べたのか、想像するだに愉しくなる。一見して不明なのは、ちゃんとト書きが記されている。

 松岡正剛は言う、「たった一冊で人の人生は変えられる。世界も入る。そういう本のあり方を一人でも多くの人に伝えたい」。この思いは、棚の前に立つと分かる。大きいか小さいかは分からないが、わたしの人生を一変させてしまうようなスゴ本は、この棚のなかにある。そう確信させる本力があるんだ。

 究極の本棚を、ご覧あれ。


■ 「数の魔力」 ルドルフ・タシュナー

数の魔力 古代の数秘術から現代の量子論にいたるまで、人と数のかかわりをひも解いているが、類書と異なるポイントは、「数とは何か」ではなく、「数とは何を意味しているか」を語るところ。

 実際、宇宙のどこを見渡しても、「数」など存在しない。否、花弁の一枚一枚、星ぼしの一つ一つは数えられるではないか、と言える。だが、花弁の「一枚」と「一枚」は異なるし、星も然り。それらを「同じもの」と人が認識したところから「数える」が始まる。数は、人が世界を認識して初めて誕生したのだ。人が世界を知ろうとしてきた軌跡には、必ず、数による抽象化という財産が残されていると言ってもいい。

 本書は、この「数そのもの」ではなく、「数が意味するもの」に焦点を合わせ、歴史を語りなおす。だから、ピタゴラスなら「数が象徴するもの」即ち数秘術の話になるし、バッハの平均律は周波数と整数比の考察になる。デカルトだと空間認識に数を用いた話になり、ボーアなら原子モデルと整数の関係を追及する。これらは、数の性質を紹介する話ではなく、対象の性質を「数」で把握しようとしたアプローチになる。


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│この本がスゴい!2010 【ベスト】
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■ 「ヴァギナ」 キャサリン・ブラックリッジ

 知ってるつもりのヴァギナが、まるで違ったものに見えてくる。全年齢に推奨。

ヴァギナ のっけからのけぞる。モザイクかかっているものの、ヴァギナそのものが誇らしげに表紙に掲げている(遠目だとちゃんと認識できる)。表紙だけでなく、子を産むヴァギナや、常態のヴァギナなど、普通では見られない写真や図版も豊富にある。写真だけでなく、科学や宗教、歴史、神話と伝承に、文学と言語、人類学、芸術の幅広い資料から徹底的に調べ上げている。

 そして、偏見と妄想をとっぱらったヴァギナを多角的・広角的に紹介する。同時に、ヴァギナに対する文化的・科学的バイアスを指し示すことで、どれだけ歪んだヴァギナ・イメージに染まっているかをあぶりだす仕掛けになっている。これを読むことで、男女問わずヴァギナ観がガラリと変わることを請合う。

 著者曰く、ヴァギナは単に精子と子どもの通り道だけではない。父親となる相手の決定に関して、性交の前にも最中にも後にも支配力を振るっているというのだ。女性器の発達過程を振り返り、ヴァギナの本来の機能を洗い出す。それは、自分にとって最も適合する精子を見つけるために、精子を集め選別すること―――これこそ、メスの生殖器の本当の機能なのだという。メスの生殖器は受動的な入れ物ではなく、子孫の健康を保証し、さらには種の生存を保障するという、生命の最も重要な仕事を納める聖堂だというのだ。ヴァギナを入り口だとばかり思ってたわたしは反省すべき。あれは、未来の出口なんだね。

 ヴァギナ観を一変させる、決定的な一冊。


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│この劇薬・エロ系がスゴい!2010
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 成人向けなので格納。

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プレゼンを上達させる三冊

 昔の蔵出し。プレゼン上達のための三冊。要するに場数の問題なのだが、もっと準備するべきところがあるのでは?備えあればうれしいな、といえる三冊を選んだ。週刊アスキー2010年1月5・12日号のレビューを転載(編集部より許可済)。

プレゼンテーションZen 「プレゼンテーションZen」は、読むだけでプレゼンが上達する。いや、「見るだけ」で上手くなる。なぜなら、本書そのものが優れたお手本になっているから。巷に数多のハウツー本とは一線を画し、優れたプレゼンへのメソッドではなく、アプローチや心構え、哲学を提示する。プレゼンといえばパワーポイントを弄ることだと思っているなら、「まず、パソコンから離れろ」という提案は新鮮かも。重要なのはストーリーテリング(物語)で、スライドはその「演出」にすぎないという。だから最初は紙とエンピツだけで、「何が言いたいのか、なぜそれが重要なのか」に向かい合えというのだ。詳しい紹介は、「プレゼンテーションZen」はスゴ本もあわせてどうぞ。

 「プロフェッショナル・プレゼンテーション」は、タイトルとは裏腹に初心者向け。お約束とお作法が詰まっている。プレゼンテーションはコミュニケーション、その極意は、「キーメッセージの主語を『あなた』にすること」だという。主語を「あなた」にすることで、聞き手は「なぜ?」「どうやって?」と反応する。そんな問いに答えるように準備をするんだ。漠然と「○○するべき」だけでは、「お前がそう思うんならそうなんだろ、お前ん中ではな」で終わってしまうから。詳しい紹介は、むしろ初心者におすすめ「プロフェッショナル・プレゼンテーション」をどうぞ。

考える技術・書く技術 これら二冊は、プレゼンの中身がある人向けなのだが、そもそも内容がまとまっていない人には、「考える技術・書く技術」を強力にプッシュする。「考える技術」「書く技術」「問題解決の技術」の三本構成で、そこに一本通っているスジが素晴らしい。それは、「明快な文章を書くということは、明快な論理構成をすることにほかならない」という原則で、どこを開いても詳説してある。まず自分が納得できなければ、説得しようがないからね。たくさんの薄っぺらなハウツーよりも、ただ一つの原則をマスターすべし。

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