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わが子がイジメられてるらしいと思った親が最初にしたこと

 それは記録。

 背中が痛いと訴えてくる息子を裸にしたところ、広範囲に内出血跡を見つける。詳細は省くが、殴られたらしい。「すわイジメ」と気負いたつのではなく、ゆっくりと子どもの話を聞く。度を越した悪ふざけなのか、陰湿なやつなのか見きわめがつかないし、子どもの話なので一貫性が見出しにくい。

 まず、子どもの話を遮ることなく最後まで聞く。たずねるニュアンスの「訊く」のではなく受け入れるように「聞く」。そいつを逐一記録する。客観的に述べるのは難しいだろう(大人だってそうだ)、だから矛盾点には目をつぶり、ありのまま記録してゆく。ついでに写真も撮っておく。トラブルが大きくなり、収拾がつかなくなってからではなく、(たとえ一面からでもそれを自覚しつつ)子どもからヒアリングを続ける。

 次に、「親は味方だ」というメッセージを伝える。独りで抱え込むなという。どうしても言いたくないのであれば、無理に聞くことはない。親に言うことで、「親→学校→対象の子」と拡散し、「チクったな(死語)」と余計に殴られるかもしれない。それを恐れているようだ。エスカレートしない限り、すぐにどうこうするつもりはないこと、今の時点では特別なアクションを起さないことを伝える。

 そして、「逃げろ」と伝える。ガッコの先生がいう「みんな仲良く」はウソだ、とハッキリ断言する。教室という小集団ですら、仲良くなれる人、そうでない人、どうしても避けたい人が出てくる。「避けたい人」とムリヤリ仲良くする必要もないし、反対に、嫌悪をあらわにしなくてもいい。「その人と仲良くすること」が精神的/肉体的に苦痛なのなら、あからさまじゃない程度に距離をおいてつきあえばよい、逃げればよい。この「つきあい方」「逃げ方」を学ぶのに絶好なのが、教室だ。

 おそらく、このやり方はPTA推奨ではない。けれども、わたしの子供時代の経験則により、この方法でいく。わたしの場合、親は子に一貫性を求め、そうでない場合は尋問口調になったもの。そして、親の望み通りに解釈できるまでの情報が集まると、今度は「親→親」申し入れを行い、不首尾なら「親→学校」ルートに拡散する。この時点で、対象の子は問題児(死語)として扱われ、以後、「いかに相手の子を『問題児』として認めさせるか」という排除のゲームに強制参加させられることになる。はじき出された子は、「いじめ」というのではなく、「無視」の対象となる。

 人が集まりゃ、引き合ったり、仲たがいしたりするもの。合う人と合わない人がいる、それが自然。「合わない」のをムリヤリ合わせようとすると、歪みとしこりが生まれる。そうではなく、そのときどうやって関係を維持していくかを模索するほうが有用かと。ルールが要るなら決めるし、反目しない最低限のつきあいに縮小してもいい。そういう自然現象をすっ飛ばして、「みんな仲良く」を"常識"として押し付ける。

 この"常識"は地獄の常識だ。だから逃げればいい。「逃げろ」と教わらなかったから、自滅していったんじゃないかと。「自滅=自殺」ではない。死んだ子のニュースが紙面を賑わしている。だが、その何百倍(何千倍?)もの子どもたちが、自分で自分を苛んでいるのではないかと想像すると、胸が痛い。少なくとも、わたしの子はそういう目に遭わせたくない、だからくり返す、「逃げろ」と。

ぼくはお城の王様だ しかし、自分の憎しみからは逃れることができない。つよい憎しみは口いっぱいに広がる。人を真剣に憎んだとき、自分の感情のあまりにも強烈さに慄く。スーザン・ヒル「ぼくはお城の王様だ」には、いじめで追い詰められた子どもが、自身の「憎しみ」の感情そのものに苛まれるシーンがある。いじめっ子を憎いと思う自分が、たまらなく嫌なのだ。子どもは、自分でも他人でも容赦しないし、手加減もしない。余談だが、本書はいじめをテーマにした小説として絶品、かつ、読んだことを後悔する劇薬小説としても最悪だ(褒め言葉)。子どもはどこまででも残酷になりうるのだ。でも、自分にはそうならないで、自分を責めないで、という代わりにこう伝える、「逃げろ」と。

いじめ対策マニュアル そして、「いじめ対策マニュアル」で親も予習する。最初のケアから「出るとこ出る」最終手段までを幅広くおさえている。いじめが起きるメカニズムの記述で、いじめを特殊なものと扱っていないので好感が持てる。現場の先生は、「いじめはあってはならないもの」と特別視するからね。また、安全配慮義務について学校側の責任が認められた例/認められなかった例を併記したり、いじめに関わる民事上/刑事上の責任と、追求する手続きが淡々と(感情交えずに)紹介されている。さらに、学校が「いじめではない」、あるいは「いじめられている側にも落ち度がある」といって取り合ってくれない場合、どうすれば良いかが書いてある(答 : 申入れチャンネルを変える)。小学生以上の親は、保険のつもりで一読しておいたほうが良いかと。

 最後に、子どもと一緒に空手教室に通うことに決める。でもって、わたしも一緒に習うことにする(わたしも初心者だ)。どうしてとーちゃんも一緒かって?そりゃわが子が強くなったら手ぇつけられなくなるからね。

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がんの入門書ってあるのだろうか?

 「生活目線でがんを語る会」の第2回に参加してきた。

 かなりの人が罹るにもかかわらず、わたしはよく分かっていない。日本人の死因のトップは、がんだ。だから、わたしが罹る可能性は高い。というよりも、それ以外の原因だと、なんとか助かってしまうのだろう。だから、今のわたしは、「まだがんになっていないだけ」と言える。

 これほど身近な存在なのに、「がんとは悪性腫瘍だ」とか「外科手術や放射線治で治療できる」といった上っ面の知識しか持ち合わせがない。また、かつて言われていた「がん=死」とは限らないらしい。だが、どういう場合にそうなるのか、分からない。本屋に並んでいる「がんの本」は大量にあれど、誰かの「闘病記」だったり「最新医療」もしくは「代替治療」ネタだったりする。供給側からの理屈で見ると、このラインナップは、「がんを宣告された人」や「その家族」が飛びつくようなものだ。

 「まだがんになっていない人」をターゲットに、がんのメカニズムや一般的な治療方法を、サイエンスライターが噛み砕いたものは見つからない。たとえば、罹患部位別の割合や、その治療法のウェイト(薬学・外科・放射線療法)、サヴァイヴの年数とパーセンテージの統計など。さらに代替医療を選択する率とその効果を比較するといった客観的な情報が欲しい。主観的なものが多いのは、それだけがんが私的なものだからだろうか。

がん患者学 たとえば、「本に遇う」(レビュー)で絶賛され、"バイブル"のように扱われている柳原和子「がん患者学」がある。ごまんとある「がんの本」のうち、読むべきものは少ないが、この本は例外だという。「癌について知るべきことはほとんど全部この中に書かれている」と持ち上げるので、そうかと読み始めすぐにぶつかる。がんを「患者の立場」「医師の立場」そして「書き手自身の立場」から多面的にルポする試みは力作だったが、ひとつのフィルタリングが透けて見える。それは、「現代医療 vs 代替医療」の構図だ。つまり、現代科学の医療はアテにならぬというメッセージが一貫して響く。自分の身に降りかかった理不尽さへの憤りが、医者や治療法への批判に代替される。

打ちのめされるようなすごい本 また、米原万里の書評集「打ちのめされるようなすごい本」(レビュー)を思い出す。後半はがんの闘病記となっている。「私が10人いれば、すべての療法を試してみるのに」「万が一、私に体力気力が戻ったなら」といった語句のすきまに、あせりのようなものが読み取れているうちに、ブツっと途切れるように終わっている。闘う相手を医者にしてしまったこと。「どこか」に「なにか」があるはずだと、ネット相手に療法を探し回り、「勉強」をはじめてしまったこと。自分の時間を生きるのであれば、医師を信頼するのが最初だろう。もちろん、わたしも同じような罠にはまるかもしれない。だが、これを lifetime-eaterという「罠」だと気づいたことは記しておく(後で思い出すために)。

 「まだがんになっていない」わたしが予習するために、「生活目線でがんを語る会」に参加する。がんについての勉強会で、がんについて「なった人」や「治す人」のお話を伺う。自分が罹ったら、それこそ人生最大の事件として大騒ぎになるだろうが、「いつか」そうなることを見越して学んでおく。あいまいに目をそらすのではなく、そのときを想定して準備しておく。そういうわたしにとって、とてもありがたい会となった。今回は第2回で、「がんに罹った人」ではなく、「がんを治す人」しかも放射線治療に携わる先生の話が聞けた。がんの定義から放射線治療のメカニズムまで、わたしに分かる言葉で説明していただけた。

 まず、「がんとは未熟な細胞が無軌道に増加した状態」を指すのだという。よく言われる「暴走した細胞」だね。そして、その特徴は「増殖能力は高いが、傷つきやすい」という。正常細胞は「打たれづよい」反面、がん細胞は「打たれ弱い」傾向があるんだと。曰く、「厨二病のような打たれ弱さ」だという。だから、放射線治療は、正常細胞が傷つかない量ギリギリの放射線をかけることで、がん細胞だけを打つというやり方なんだと。これは分かりやすい。いままで、放射線をあてることで、よりがんになりやすいのではないか、と考えていた。しかし、そこはメリット・デメリットを考えて、リスクを取ればいいのだ。flyingLarusさんの、このつぶやきを覚えておこう(太字化はわたし)。

   きちんと知れば、怖いことはない。
   むしろ癌の方が怖いし、できる治療が適切なタイミングで受けられない方が怖い。

 いざ自分が「まだがんになっていない」から「がんに罹った」に、そしてさらに「放射線治療を受ける」ことになったら、今のように考えられないかもしれない。しかし、予め知っておくことで、次に「リスクを取るか取らないか」からスタートできる。もちろん千差万別だろうから、ここで学んだまんまであるはずがないことは承知の上。それでも、がんを予習しておきたいもの。

 最後に。「生活目線でがんを語る」を企画したやすゆきさんをはじめ、スタッフの方、登壇していただいた先生方に、感謝します。ありがとうございました。忙しい中わざわざ時間を割いてプレゼンしていただいたのだから、授業料を渡しても良いくらいなのに……無料なんだよなぁ。おそらく第3回目もあるだろうから、さらに予習して待つ。「まだがんになっていない人」向けの入門書を探しているのだが、いいのがあったら、ぜひ教えてくださいませ。当日のU-Streamと「つぶやき」まとめは、次の通り。


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すごい言葉

すごい言葉 エレベーター読書の続き。エレベーター読書とは、会社のエレベーターを待っている時間+乗っている時間だけ読む本を決めて、毎日少しずつ進めること。詩や名句集にちょうどいい。

 今回は「すごい言葉」、一度読んだら、一生忘れられない言葉を「すごい言葉」と呼んでいる。さらに本書では、誰もが知ってるような有名なやつではなく、人知れず埋もれているような箴言・名言を紹介している。ズキンとくる辛辣なやつから、思わず笑みがこぼれる痛快なものまで取りそろえている。暗鬱から哄笑まで、エレベーターを降りたときの気分のブレが激しい。

    幸福はコークスのようなものだ。
    何か別のものを作っている過程で偶然得られる副産物なのだ。
    ―――オールダス・ハクスリー

 これなんか、ハッとするより後でじわじわくる言葉だ。「幸福の追求」という言い回しが空々しい理由に思い当たる。なんか「幸せでない」状態から、「幸せである」状態に移行したりするのじゃないんだ。幸せとは、ただそう感じるだけのもの(だから幸せを感じることができないならば、一生"不幸せ"のままだろう)。幸せとは、「なる」ものじゃなくて「ある」ものなのだから。

    未熟な詩人は模倣し、熟練した詩人は盗む
    Immature poets imitate; mature poets steal.
    T.S.Eliot

 Immature と imitate で韻を踏んでいる。言い忘れてたけど、本書で紹介されている全ての「すごい言葉」には、原文の英文が添えられている。英語関連の編者ならではの配慮だね。リズムやリピートが同時に目に入ってくる。このT.S.エリオットのは有名どこだけど、tumblr や twitter で、この変調を目にしたぞ。

    オリジナリティとは、失敗した模倣のこと。

    オリジナリティってのはね、うろおぼえのことなんですよ。
    自分が感動したものを適当に再現したら、
    それがその人のオリジナリティになるんです。

 引用元と引用先が入り乱れ、幾度も retweet や reblog を交錯しながら浮かび上がってくる。必ずしも、欲しい情報だけが欲しいわけじゃない。必要なのも、欲しいのも、欲しいかどうか分からない(けど関連しそうな)情報も、見たいのだ。この、"ゆらぎ"の入った取捨選択の技術として、tumblr は素晴らしい。

    私は書評を書く前にその本を読んだりしない。
    読めばどうしても先入観を持ってしまう。
    ―――シドニー・スミス

 「本を読まずに書評する」という態度は、ありだ。「その本を読んだ」と言うが、いったいわたしはその本の何を読んだのだろう?と自問したくなるときがある。一字一句覚えているわけでもなし、字面をなぞっただけの"読書"になったとき、いっそ読まずに、その本の「他の本からの相対位置」だけを調べあげたほうが、「読んだ」になるのではないか。「読んでいない本について堂々と語る方法」で読書観が揺さぶられると、この主張が刺さってくる。

 頭ガツンとよりも、その言葉をコアにしてゆっくり考える言葉が多いようだ。ずっと後になって伏流水が湧くようにアイデアがまとまって出てくる。「すべての歴史は現代史」とか、「芸術は真実を悟らせるためのウソである」、あるいは「人間は自ら作りだした道具の道具になってしまった」といったすごい言葉は、その例や物語を探りはじめる良い触媒となる。

 ジワジワ自分を変える言葉たちを、どうぞ。

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