« 2010年7月4日 - 2010年7月10日 | トップページ | 2010年7月18日 - 2010年7月24日 »

熱帯夜にふさわしい「欲望という名の電車」

欲望という名の電車 ピューリッツァー賞を受賞した、生々しい戯曲。夏の深夜にふさわしい。

 「欲望」という名の電車に乗って、「墓場」という名の電車に乗り換えて、彼女が行き着いた先は、むきだしの「現実」という名の地獄だったのかもしれん。なすすべもなく堕ちてゆき、こぼれ落ちる富と過去を必死になってかき集め、ガラスのように繊細な幻影を張り巡らせているヒロイン・ブランチは、痛々しいを超えて恐ろしい。なぜならそこに、わたし自身を見るから。

 とりわけ、妹のダンナ・スタンリーとの会話は、緊張でピリピリする。性的な手の内を隠そうとするブランチと、動物的なまでに率直に「生」剥きだしのスタンリーとの掛け合いは、読んでるこっちが苦しくなる。「セールスマンの死」(レビュー)もそうだったけど、テネシー・ウィリアムズはこういうの天才だね。

 没落する地主階級と勃興する労働者階級、過去に生きる女と今を謳歌する男、ブランチとスタンリーの対立は、あっちこっちで感情のテンションをつり上げる。息が詰まりそうな濃密な空気のなか、手で触れられそうな張り詰めた空間は、寝苦しい熱帯夜そのもの。口を開いたら、重くて湿った空気が流れ込んでくるみたい。

スタンリー   女に向かってきれいだのどうのってお世辞を言うことさ。人に言われなきゃあ自分がきれいかどうかわからんような女には、まだお目にかかったことがないね、おれは。実際以上にしょってる女ならいるがね。昔つきあってた女の子で、しょっちゅう「あたしグラマーでしょ、グラマーでしょ」って言うのがいた、おれは言ってやったよ、「だからどうなんだ?」ってね。
ブランチ   そしたら、その人、なんて?
スタンリー   なんにも。はまぐりみたいに口をつぐんじまったよ。
ブランチ   それでお二人のロマンスは終わったの?
スタンリー   それで二人のおしゃべりが終わった、それだけのことさ。そういうハリウッド型グラマーに迷うやつもいるが、迷わない男だっているんだ。
 さらに、彼女の過去があばかれていく過程でヒヤッとさせられる。開けた窓からひとすじの風が流れ込んでくるかのよう。彼女がオブラートで包もうが誤魔化そうが、スタンリーは容赦しない。自分を見下す女を野卑に扱うことで、徹底的に満足感を得ようとする。彼の試みが成功するとき、ぎりぎりまで張り詰めた物語のテンションは、読み手の緊張感とともにブツリと放たれる。そして、まっすぐな矢のように、読者の心に向かって飛んでくるだろう、彼女の悲鳴とともに。

 美化した過去でもって眼前の現実から自分を守ろうとするのは、弱いから?その弱さを暴きたて、背けた目にリアルを突きつけるのは暴力なのか?「セールスマンの死」と、同じテーマ、同じ狂気が伝わってくる。彼女がしたことは異常かもしれないが、彼女は異常ではない。これ気づくとき、まさに同じ狂気を内なる自分に見出してぞっとするのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

amazonより書店、書店より図書館の方が優れているもの

 それは本へのアクセシビリティ。本を手にするハードルを低い順に並べると、次の通り。

  1. 図書館
  2. 書店
  3. amazon

 図書館がいちばん簡単だ。そこに実物があるし、興味があれば手にとって傍らの椅子に座って読めばいい。時間がなければ片端から借り出してしまえばいい。コストゼロで、「その本に集中する時間」が、純粋に投資となる。どんな本が読まれているかは、張り紙や図書館のウェブサイトで確認できる。そこで、流行りのベストセラーとは別に、長く読まれている隠れた名著を見つけるかもしれない。

 次は書店。「フリー戦略」なんてカコイイ用語があるみたいだが、あにはからんや、本屋は昔から実戦してきたよね、「立ち読み」で。小奇麗にパッキングして、試し読みも置かないような本屋は、その戦略を捨てているといえる。ただし、誘惑に気をつけなければならない。「レジに持っていくまで騙せたら勝ち」なんてやつだ。Popやレイアウト、パッケージや帯のキャッチーに騙されることしばしばで、元をとらねばと気負うと、お金のみならず時間のムダになる。

 最もハードルが高いのは、実はamazonなどのネットショップだったりする。なんせ「実物」がないうえに、画面上の"情報"だけで決めなければならない。おまけに手にとって見るためには、購入しなければならない。写真と違うとゴネてチェンジできる風俗店よりも、よっぽどチャレンジャーだ。沢山の本の"情報"があふれているにもかかわらず―――むしろ、だからこそ―――実際の本へのハードルが高くなっている。

 本の断片的な"情報"をすくいとって、「読んだ」ということにしたいのなら、ネットだけでいい。電子書籍という流行がこれを加速するのであれば、断片的な情報があたかも本の属性のように流通されるだろう。それで出版界が壊滅するかのような予言者がいるが、本当だろうか。断片ででしか消費されないような"情報"なら、なにも最初から本になるようなものではなかったということ。そういう本の「属性」を束ねて印刷して売りさばくような「本」が淘汰されるのは、むしろ喜ばしいことだろう(もっとも、そういう本は遅かれ早かれ消えるだろうが)。

 もちろんこれらはコインの表裏で、アクセシビリティの高さは、スピードとトレードオフになる。図書館で気軽に、新刊本が借りられるワケではない。さらに書店員などの読み巧者のアドバイスが沢山もらえるべくもない。

 そこで、わたしのやり方を提案。ネットで集めた"情報"を元に、図書館で借りるのだ。懐は痛まない上に、ネットの"情報"の確度を洗練させることができる。つまりこうだ、信頼できる"情報"を元に、わたし好みorわたしが知らないスゴ本が提示されたとき、図書館へ予約する。

   新刊・文芸 : 悪漢と密偵
   学術・教養 : 読書猿
   文学・批評 : epiの十年十冊
   本の流行 : ガブのホントは教えたくない売れる"本"の秘密

 「悪漢と密偵」は、うれしい。店頭にもamazonにも並んでいない本が、いつ出るか分かる。各出版社のサイトにも「新刊案内」といったものはあるが、その出版社に限定されている。それらを束ねたここは、まとめのまとめといえる。書名、著者、出版社、簡単な紹介文でアタリを取り、よさそうなものは片端から図書館へリクエストする。ほとんどの本は購入してくれ、なおかつ誰よりも早く手にできるだろう。それを読んだうえで(あるいは読まなかったうえで)、買う買わないを考えればいい。

 「読書猿」「epiの十年十冊」は、ありがたい。まさに、わたしが知らない(または知ってるけれど未読の)スゴ本を示してくれる。けれどもやはり、向き不向きがあるので、念のため図書館で借りる→試し読めばいい。くり返し読むなら、そこであらためてamazonへ赴くのだ。

 さらに、騙されぬ先の杖として「ガブのホントは教えたくない売れる"本"の秘密」が役立つ。出版社や編集者が、どんな売り方戦略をしているか、こと細かに教えてくれる。業界の手の内をさらしてくれる、ありがたい人ナリ。"情報"や"属性"の断片を切り売りしている本は、もちろん読むつもりはないが、「なぜ、その本が売れるのか?」には大いに興味がある。ベストセラーは、ふだん本なんか読まないような人がこぞって欲しがるからなんだ。図書館のベストセラー棚を数十年単位で眺めていると、時代や風俗の"うねり"のようなリズムを感じる。

 不特定多数とネットで出会い、よさげな候補と図書館でおつきあいして、決めた一冊を書店やamazonで買う。つまり、ネットは未来の窓で、書店は現在のスナップ、そして図書館を永続化された自分の書棚にするんだ。

| | コメント (7) | トラックバック (0)

煉獄の日常「イワン・デニーソヴィチの一日」

イワン・デニーソヴィチの一日 極寒の強制収容所の、平凡な極限を描いた中篇。きわめて特殊な状況における、普遍的な人物群像を眺めているうち、「人間ってやつは、どこまで行っても、人間なんだな」と思えてくる。

 スターリン時代の収容所の一日が淡々と描かれる。いきなりラストから引用するが、これはネタバレではない。むしろ、どんな精神をもってこのような「幸福」を感じるのかを、そこに至る本文から読み取るべきだろう。シューホフとは主人公の名。

シューホフは、すっかり満ちたりた気持ちで眠りに落ちた。きょう一日、彼はすごく幸運だった。営倉へもぶちこまれなかった。自分の班が「社生団」へもまわされなかった。昼飯のときはうまく粥(カーシャ)をごまかせた。班長はパーセント計算をうまくやってくれた。楽しくブロック積みができた。鋸のかけらも身体検査で見つからなかった。晩にはツェーザリに稼がせてもらった。タバコも買えた。どうやら、病気にもならずにすんだ。
一日が、すこしも憂うつなところのない、ほとんど幸せとさえいえる一日がすぎ去ったのだ。
 もちろん営倉というのは名ばかりの牢獄に入れられなかったし、行くことはほぼ死を意味する作業をせずに済んだ。ごまかせた食べ物は椀一杯のみ。ブロック積みは「楽し」かったかもしれないが、凍雪(マローズ)の中での重労働だ。なぜ彼が、この極限に満ち足りて、ほとんど「幸福」とまで言えるのか―――本文を読めば慄然とし、同時に人間のしたたかさとはどんなものかを思い知るだろう。

 密告、裏切り、処罰、労働……苛酷な状況下で、人の心が折れようとするとき、イワン・デニーソヴィチはそれでも生き延びようとする。その日、その日を、一歩、一歩こなしていこう・生きようとするチカラを、読み手は受け取るだろう。ひどい状況に追い詰められた人物たちの様子に、読み手の心に哀傷と痛みをひきおこさずにはいられない。だが、その哀傷と悲壮は、人物たちが抱く感情と、これっぽっちも重ならないのだ。

 想像できないほど非道な状況を描いているのに、強靭なヒューマニズムの普遍性を見ることができる。面白い。抑制した語り口で日常を描いているだけなのに、体制への痛烈な批判となっている。面白い。ドストエフスキーにせよ、ソルジェニーツィンにせよ、収容所生活が作家を大作家たらしめているのではないか、と思えてくる。

 「生きていける」確信めいたものを受け取った一冊。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2010年7月4日 - 2010年7月10日 | トップページ | 2010年7月18日 - 2010年7月24日 »