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「伝奇集」はスゴ本

伝奇集 ボルヘスの、どろり濃厚・短編集。

 読者の幻視を許容するフトコロの深さと、誤読を許さない圧倒的な描写のまぜこぜ丼にフラフラになって読む。これはスゴい。特に「南部」と「円環の廃墟」は大傑作で、幾重にも読みほどいても、さらに別のキリトリ線や裂け目が現れ、まるで違った「読み」を誘う。シメントリカルな伏線の配置や、果てしなく反復される営為が象徴されるものを、「罠だ、これは作者のワナなんだ」と用心しぃしぃ読む。

 それでも囚われる。語りはしっかりしてて、描写は確かだから、思わず話に引き込まれ、知らずに幻想の"あっち側"に取り込まれる。どこで一線を越えたのか分からないようになっているのではなく、「一線」が複数あるのだ!そして、どこで一線を越えたかによって、ぜんぜん違ったストーリーになってしまう。解説で明かされる「南部」の超読みに、クラッとさせられる。語り手の夢なのか、語られ人の夢なのか、はたまたそいつを読んでいる"わたし"の幻なのか、面白い目まいを見まいと抗うのだが、目を逸らすことができない。「「「胡蝶の夢」の夢」の夢」の夢……

 読み手の想像力というか創造力を刺激するのも一流ナリ、さすが「作家のための作家」だね。たとえば、あらゆる本のあらゆる組み合わせが揃っている「バベルの図書館」は、まんまエッシャーの不思議絵をカフカ的に読んでいるような気になる。「カフカ的」と表したのは、明らかな歪みや矛盾をアタリマエとして淡々精緻に記されている点がそうだから。作品でいうなら「城」だ、あの「城」に図書館があるのなら―――いや、もちろん"ある"に違いない―――まさに本作で描かれたまんまの無限回廊になっているはず。

 自分の記憶をまさぐられるような薄気味悪い思いをさせられることもある。まぁこれは、ボルヘスの影響を陰に陽に受けた作品に触れた、わたしの記憶なのだろう。たとえば「隠れた奇跡」。まさに銃殺刑に処されようとする男に奇跡が訪れる話なのだが、似たプロットを手塚治虫の短編「処刑は3時におわった」で読んでいる。ぜんぜん違う話、かつ、どちらも傑作、そして読後やるせなさを感じるはず。

 さらに、架空の世界を、「それが存在した」という要約や注釈で差し出している「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」もスゴい。最初は、このプロットの白眉であるレム「完全な真空」「虚数」を思い出す。だが、現実を侵食するようになり、ついには飲み込んでしまう様子は、ラヴクラフトをまざまざと呼び起こす。ラヴクラフトでは街や家に限定された「リアル」が、世界ぜんたいに拡張されている感覚になる。くつしたが裏返されるように現実がでんぐりかえる恐怖を味わうがいい。

 驚いたのは、Kanon問題の解答が記されていたこと。なんと、月宮あゆの奇跡が孕んだ矛盾は、ボルヘスが半世紀以上も前に解いていたのだ。Kanon問題とは、ギャルゲやエロゲにおける平行世界的な構造の矛盾を示すもので、「あるキャラクターのルートに入ると、他のキャラクターが不幸になる」ことを指す。たとえば、栞ルートを選ぶということは、即ち、あゆが目覚めない未来に至ることになる。このKanon問題について、京アニが鮮やかな別解を示しているが、ボルヘスは「八岐の園」でこう記す。

時間の無限の系列を、すなわち分岐し、収斂し、並行する時間のめまぐるしく拡散する網目を信じていたのです。たがいに接近し、分岐し、耕作する、あるいは永久にすれ違いで終わる時間のこの網は、あらゆる可能性をはらんでいます。われわれはその大部分に存在することがない。ある時間にあなたは存在し、わたしは存在しない。べつの時間ではわたしが存在し、あなたは存在しない。また、べつの時間には二人とも存在する。
 そして、それぞれの時間の系列を観測するための「外側」があることを示唆する。「八岐の園」では、循環する、円環的な本を語り手に想像させているが、まさにこの循環性は、「円環の廃墟」で暗示されている。さらに、「円環の廃墟」で循環の外側へ出るために必要なことは―――(ネタバレ反転)死ぬような運命に陥っているにもかかわらず一切の傷もなく、それゆえ自分も誰かの夢によって作り出されたことに気づいた瞬間、消え去ってしまう―――だからKanonに戻ると、これは、月宮あゆの夢の話ではない、という解釈も可能になってしまう。すげぇ、ドラえもんの偽最終回(暗黒バージョン)並みにブラッキーだ。

 とまれ、わたしの妄想の暴走はともかく、記憶を浚ったりや新たな発想をツツき出してくれるぞ。シナリオを求める人にはこういおう、「プロット盗み放題だぜ」ってねw ただし、ねっとりゲル状になっているので吸い出すには相当の力が必要。まさにどろり濃厚ピーチなスゴ本。

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この恋愛本がスゴい

 スゴ本オフ(恋愛編)でまったりアツく語り合った中からいくつか。

 いちばん面白かったのは、「オススメの恋愛本を紹介しあう」のが目的なのに、だんだん話が「恋愛とは何か?」にシフトしていったこと。なぜその本がオススメなのか?についての説明が、そのまま「自分にとって"恋愛"とはこういうもの」に換えられる。それは経験だったり願望だったりするが、それぞれの恋愛の定義なのだ。「本」という客観的なものについてのしゃべりが、「私」という個人的なものを明かす場になる。

 「レンアイ」ってのは、ドラマや映画や小説で市場にあふれ、ずいぶん手垢にまみれているのに、いざ自分が体験するとなると、非常に個人的な一回一回の出来事になってしまう。墜ちて初めて、一般化されていたワタクシゴトに気づくという、とても珍しいものなんじゃないかな。いわゆるスタンダードな王道から、変則球なのに「あるある!」「そうそう!」と手や膝を打った覇道まで、スゴ本オフでの気づきをつづってみよう。

愛するということ まず王道だったのが、エーリッヒ・フロム「愛するということ」。「愛とは、"愛される技術"ではなく、"愛する技術"なのだ」と断言する著者に、すこし引くかもしれない。わたしの紹介は「5冊で恋愛を語ってみよう」を参照いただくとして、オフ会ではMOGGYさんの、本の内容以上に、誰に教えてもらったか、というコンテキストが大切にハッとさせられる。確かにその通りで、どんなにすばらしい本でも、出会うタイミング、出会うきっかけというのがある。ちょうどいいタイミングで、ちょうどいい本にめぐり合うのは、運命みたいなものかもしれない。

 実はこの本、一番カブったものでもある。わたしを含め、実に五人の方がこれを、「オススメの恋愛本」として持ってきたのだ。それぞれの「この本との出合い」を思い出してもらうと、ほとんどの人が「異性に勧められて」になる。そして、その異性はパートナーか、そこに近いところにいる人だという、面白い結果が得られた。「愛するということ」をオススメするということは、遠まわしの愛情表現なのかもしれないですな(実はわたしも嫁さんに勧めたw)。

きのう何食べた もう一つ王道、まーしゃさん「愛とは料理だ」にガツンとやられた。ウンウンとうなずきながら、「愛とは料理を作って一緒に食べること」を考える。愛する人のために、材料を準備して、調理して、できたてを食べてもらう。じぶんも一緒に食べる。笑う、楽しい、幸せ。これぞ愛じゃないの、とシンプルかつ説得力あふれる定義のもと、オススメされたのは「きのう何食べた?」。愛のためにゴハンを作って食べるゲイカップルの話なのだが、相方が女性でも自然に見える。というか、ゲイもストレートも関係ないんじゃないかなー、と思えてくる。

 愛とは料理だ―――この感覚が分かるようになるのまでに、わたしはずいぶん、嫁さんにお世話になっている。感謝せねばなるまいて。Cookpadやfinalvent氏からレシピを仕込み、相手の好みを考えつつアレンジする。そういうときの料理は、作っているときから幸せになるし、食べてもらうと倍加する。極東ブログ:牡蠣のオリーブオイル掛けは白ワインと一緒に、冬の夫婦呑みの定番となっている。

芋虫 覇道は、ユースケさんの推した、乱歩の「芋虫」。知ってる人なら「えっ?」かもしれない。だけどこれは、愛の小説なのだ。「愛とは、ゆるすこと」なんだ。

 戦争で両手足と声と音を失った夫に献身する妻の話。その「献身」が「愛」なのかというと、それは違う。無抵抗で醜い芋虫のような夫と、健康で艶かしい肢体を持つ自分を比べ、彼女の嗜虐心はいっそう高められる。そして、夫に唯一残された「視る」ことに耐えられなくなった妻が、ある一線を越えてしまう。おのれがやったことを激しく悔い、「ユルシテ」と夫の肌に指文字を書く妻に、夫はある返事をする。その返事と、その後に夫がとった行為こそ、愛だと思う。やったことは取り返せない、(ネタバレ反転)失われた光は戻らない。だから、「やったこと」を後悔しながら世話をさせるよりは、いっそその後悔すらなくしてしまえる手段をとる。もちろん彼女はいっとき悲しむかもしれないが、生き延びなければもっと辛い思いをさせてしまう―――そこまで考えた上での行動だろうと想像すると、「愛」以外の言葉が見つからない。

デッドゾーン も一つの覇道が、S.キングの「デッド・ゾーン」、正直、うすいさんからこれ聞いて「あっ」と思った。たしかに、確かにこれはラブ・ストーリーだわ。交通事故で四年間の昏睡状態になり、目覚めたあと予知能力を身につけた男の悲劇―――なのだが、そういう超自然的なストーリーを抜きにして、これは愛の物語だと断言できる。

 オフ会で話す機会がなかったのだが、S.キングは「愛」を描きたくて、その方便としてホラーじみたストーリーをでっちあげているように思うときがある。「デッドゾーン」もそうだし、「グリーンマイル」の所長の妻の話なんてド真ん中。「クージョ」はその愛が無残にも奪われる話だし、「ペット・セメタリー」は愛が暴走した悲劇、「クリスティーン」や「ミザリー」、「ローズ・マダー」には、この上なく真摯な、狂った愛を読み取ることができる。

 要チェックなのは、ともこさんオススメの「パーマネント野ばら」。西原理恵子の傑作だということは知ってはいるものの未読だったのだが、「切なくて、実にならない、大人の女の、イヤな恋」という紹介に惹かれる。男と女の間を流れる、暗い河から差し出された「情念本」としてぜひ読んでみよう。

 以上、スゴ本オフ(恋愛編)から選んだ「スゴい恋愛本」。文字どおり山のように紹介されており、すばらしい狩場だった。実況は、twitterまとめtogetter:スゴ本オフ(恋愛編)をどうぞ。さらに、「Love!!」な2回目が終りました。や、第2回スゴ本オフに行ってきたもあわせてどうぞ。紹介された全リストを作ってみた。参考にしてほしい。カッコ 【 】 内は紹介者。

  • Dain】聖少女/倉橋由美子/新潮社
  • Dain】少女セクト/玄鉄絢/コアマガジン
  • Dain】春琴抄/谷崎潤一郎/新潮社
  • Dain】おおきな木/シルヴァスタイン/篠崎書林
  • Dain】愛するということ/エーリッヒ・フロム/紀伊國屋書店
  • やすゆき】Kiss/谷川俊太郎+谷川賢作/プライエイド
  • ともこ】ラヴァーズ・キス/吉田秋生/小学館
  • ともこ】パーマネント野ばら/西原理恵子/新潮社
  • PAO(ぱお)】あなたが好き/タンタン(唐唐)/ディスカヴァー・トゥエンティワン
  • PAO(ぱお)】嫉妬の香り/辻仁成/集英社
  • chachaki】イニシエーション・ラブ/乾くるみ/文芸春秋社
  • yuripop】ム-ミン谷の十一月/トーベ・ヤンソン/講談社
  • yuripop】君へつづく物語/日の出ハイム/海王社
  • オータ】芋虫/江戸川乱歩/新潮社
  • モギー】愛するということ/エーリッヒ・フロム/紀伊國屋書店
  • モギー】陽子(荒木経惟写真全集)/荒木経惟/平凡社
  • しゅうまい】ジャスミン/辻原登/文芸春秋社
  • ぽかり】純愛カウンセリング/岡村靖幸/ぴあ
  • ぽかり】僕の小規模な失敗/福満しげゆき/青林工芸舎
  • taka_2】飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ/井村和清/祥伝社
  • さいとう】ノルウェイの森/村上春樹/講談社
  • さいとう】INTO THE WILD/Jon Krakauer/Anchor
  • 【てつ】愛するということ/エーリッヒ・フロム/紀伊國屋書店
  • 【てつ】愛の法則/米原万里/集英社
  • 【点子】春琴抄/谷崎潤一郎/新潮社
  • 【点子】半所有者 秘事/河野多恵子/新潮社
  • 清太郎】封印の島/ヴィクトリア・ヒスロップ/みすず書房
  • 清太郎】青春と変態/会田誠/ABC出版
  • 【ハーレクイン】ハーレクイン名作セリフ集/非売品?
  • nao】尾瀬に死す/藤原新也/東京書籍
  • nao】結婚のアマチュア/アン・タイラー/文芸春秋社
  • nao】風味絶佳/山田詠美/文芸春秋社
  • まーしゃ】愛するということ/エーリッヒ・フロム/紀伊國屋書店
  • まーしゃ】きのう何食べた?/よしながふみ/講談社
  • sako】冷静と情熱のあいだ/江國香織/辻仁成 /角川書店
  • sako】トーマの心臓/萩尾望都/小学館
  • うすい】デッドゾーン/スティーヴン・キング/新潮社
  • 【まち】危険な関係/ラクロ/角川書店
  • zubapita】嵐が丘/エミリ・ブロンテ/新潮社
  • zubapita】華麗なるギャッツビー/フィッツジェラルド/新潮社

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 おまけというか、リクエストへの返事。まなめ王子から、「非モテに効く恋愛本ある?」と訊かれていたので、オフ会の俎上から考えてみた。恋愛は(自分が体験するときは)とても個人的な出来事であるにもかかわらず、映画やドラマや小説で消費されるときは、ものすごく一般化される。ラノベやアニメにいたっては「記号化」という言葉を使ってもいいくらい。ハーレクインの中の人が、「ハーレクインとは色恋ファンタジーである」と喝破したけれど、ハーレクインに限らないかと。

 なので、マジレスすると特効本はない。お手軽にモテ・テクを紹介する本は多々あれど、マニュアル化した釣り方なら相応のサカナしか釣れないということで。だけど、「モテ」を離れて恋愛ってなんだろね?を考えるなら、フロム「愛するということ」がオススメ。これは、良い意味でも悪い意味でもバイブル、染まらないように読もう。あと、「愛とは料理」は真理なので、「きのう何食べた?」をどうぞ(既読だろうが、「愛は料理」を考えながら再読して)。好きな誰かがいるのなら、その人をどのように大切にするのか(そしてその気持ちをどのように伝えるのか)を考えるだろう。

 なに?出会いがない?勇気を絞って料理教室へ行くんだ。イオンのクッキングスタジオとか見てみろ、若い女性ばっかりだぞ。肉じゃがのレッスン料が三千円とかふざけているけれど、わたしがもう少し若ければ狩場に……ゲフンゲフン、とともかく、自炊で上げた腕をアッピールする場として最高だと思う。


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5冊で恋愛を語ってみよう

 スゴ本オフ(恋愛編)で語ろうと思っていること、あるいは話したこと。

 わたしが語るとき、キーボードを経由したほうが上手くしゃべれるようだ。なので、いったん吐き出してみる。事前メモのようなものだけれども、事後にこうして公開するのもいいだろう───

 レンアイ、と一つ言葉で語られているものの、「恋」と「愛」はまるで別もの。「恋」と「愛」の違いは、「心」のありように表れている。すなわち、下に心で下心なのが「恋」で、真ん中に心がある真心なのが「愛」だ。では下心と真心の違いは?それは、「もらうこと」と「あたえること」になる。

 恋する人は下心を持つ。すなわち見返りを期待した行動をとるのだ。もちろん、好きな人に食事をごちそうするとか、プレゼントを渡すのは、「あたえること」に相当するのだが、そのお返しに○○だったり△△をさせて「もらうこと」を期待している。恋することは、もらうこと。高揚した感情や、身体の快楽だけでなく、失恋の「痛み」すらもらうことに入る。

 愛する人は真心を持つ。すなわち見返りを期待せず「あたえること」が自らの望みとなる。「あたえる」ことができるくらい自分が豊かなことを確認する。あたえられる相手の喜びが自らの喜びになる。逆説的だが、「あたえること=もらうこと」になる。

 たとえば、「思い出をもつこと」に言い換えてもいい。親しい誰かと遊園地に行ったとしよう。そこで「思い出作り」をするのが「恋」の関係、「思い出をあたえあう」のが「愛」の関係になる。つまり、「二人の笑顔の写真」を残すために行動するのが恋で、「その人を笑顔にさせる」ようにはたらきかけるのが愛だと思う。だから愛する人は、別に遊園地に行かなくても「愛」することができるのだ。この前提で、恋愛について5冊で語ろう。

聖少女 一冊目は「聖少女」。これは恋の話。処女喪失を「パパ」にしてもらうことを弄る少女の話だ。ここで「もらうこと」とされているのは、近親相姦という事実。バージンなら「あげる」じゃないの?とツッコミ入れたくなるが、「絶対者=パパに処女をささげた」という"コト"が欲しいのだ、彼女は。いっぽうで、ベースの語り手である「ぼく」は、彼女の感情を欲しがる。「好きだ」という感情を。この小説を面白くさせているのは、どいつもこいつも「もらうこと」しか考えていないところ。当然作者は、おいそれと「あたえ」ないので、登場人物はみな、どこかに喪失感覚を抱いたままだ。

春琴抄 次から違ってくる。「春琴抄」は、恋から愛へクラスチェンジする話だ。それもただの愛ではなく、狂愛とでも呼ぶべきか。盲目の箱入り娘に恋をした下男という初期設定から、すごいところへ行ってしまう。読み手はこの下男のような思い切ったことができるか(ちょっとだけ)考えるが、まちがいなく「ムリ!」という結論になるだろう。彼は、自らの両眼を針で突き刺すことで、「目が見える自分」を彼女にあたえる。「恋は盲目」ではなく、「愛で盲目」なのだ。ちなみに、本作のヒロインである春琴は、日本文学史上最強のツンデレだぞ(参考→ツンデレ小説ベスト【まとめ】

おおきな木 さらに四冊目、「おおきな木」は愛の話だ。少年とりんごの木の交流という、いっぷう変わった設定ながら、じわりとクること請合う。少年が青年になり、成人し、中年になり…と時間が経つ中で、りんごの木は変わらない「愛」を彼にささげる。「アイヲササゲル」なんて抽象的な言い回しをやめるなら、「持っているものを惜しみなくあたえる」やね。彼の要求がエスカレートしていくにつれて、りんごの木があたえられるものも限られてくる。それでも、何の見返りも期待せず、ただ嬉しい顔を見たいがためにあたえつづける。この「りんごの木」を誰におきかえるかで、読み終わったら胸がアツくなるだろう。わたしは、その熱を「愛」と呼ぶ。

愛するということ 最後が、「愛するということ」。これはズバリ「愛」に正面から応えた小論だ。よくある「愛される技術」なんてハウツーと混同すると、きっと後悔する。これは、考え方を変える本であって、方法を探すものではないのだ。しかし読者はだまされる。著者フロムはこう言い切るから―――「愛は技術だ」とね。愛とは、人が自らの孤独を癒そうとする営みであり、愛するとは、幸福に生きるための「技術」なのだという。技術なのだから、トレーニングを積むことで、誰にでも身につけられる。金で着飾ったり自己啓発して「愛される人」を目指すのではなく、「愛する人」になるよう研鑽せよという。読み手は、「愛」の定義が自分のなかで逆転してくるはずだ。

 「ではどんな訓練が必要か?」と問うても、本書に具体的なレッスンはない。これはハウツーではないのだから、「視座が変わった、あとは自分で実践する」が正解やね。わたしは「身近な人にあたえること」だと取った。家族や友人、同僚など、自分の周囲に、自分ができるもの・ことを、あたえること。愛する技術とは、あたえる技術。それは自分の時間であったり、労力だったり、笑顔であったり、傾ける耳だったり、感情を寄せ合うことだったりする。怒りっぽくて好き嫌いの激しいわたしだが、「あたえること」を「愛」なんだと決めて、実践している。

───さて、実際のオフ会では、こんなカンジ→togetter:スゴ本オフ(恋愛編)、まとめていただいたしゅうまいさん、ありがとうございます。参加いただいた方、協力いただいたスタッフの方、感謝しています。

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