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物心の両義性を問う「パラドクスだらけの生命」

 著者とサシで殴り合える啓蒙書。パラドクスだらけの生命

 これは、書き手がわたしのレベルまで降りてきてくれているおかげ。著者アンドレアス・ワグナーはチューリヒ大学の生化学者なのだが、自分のフィールドに固執しない自由さを持つ。量子力学、論理学、哲学の分野をまたぎ、科学哲学を語る。ヒュームの懐疑論の周辺をうろうろした議論なので、かじったレベルでも喰いつける。

 本書は、かなりの大風呂敷だ。生物の物質的なふるまいから、集団としてのふるまいまで、様々なレベルで生命現象を説明している。だが、それぞれにおいて逆説的な観点を指摘する。つまり、生命のふるまいは、化学物質の視点から説明できる一方で、生命の"意思"による解説も可能だというのだ。ちっこい微生物や菌類、(メタファーとしては危険だが)遺伝子まで、この「モノとココロ」の両面性を持つという。

 さらにこれは、生物学の枠を出て、素粒子や気象のふるまいや、ゲーデルの不完全性定理まで拡張する。どうやら著者は、生物の世界にも非生物の世界にも、パラドキシカルな二面性があり、その両方の関係性(テンション/tenshion)のダイナミズムが創造性を生み出しているといいたいらしい。この「テンション」は、「緊張」ではなく、特別に「綱引き」という訳語が与えられている。「緊張」は単体でもできるが、両義性の引っ張り合いという意が含まれている。

 この両義性を、「自己と他者」、「部分と全体」、「リスクと安全」、「創造と破壊」のそれぞれのテーマにあわせ、生物学の最新の知見とともに一般化しようとしている。この生物学パートの部分はとても面白く読めた。

 たとえば、化学物質に従っているにもかかわらず、あたかも「意志」をもって「予想」しているかのように動作するべん毛のメカニズムは、SFのロスト・テクノロジーみたく興奮した。また、眼の生成過程で、水晶体、虹彩、ガラス体、角膜などの部品をつくるため、神経管と外胚葉という二つの細胞群が応対しあう様子を詳述する。著者の言うとおり、まさに「コミュニケーション」という名にふさわしい。さらに、アポトーシスの必要性―――「死」があるおかげで今の世界が生き残れたというメッセージは、かなりの説得力がある。

明日をどこまで計算できるか しかし、その一方で、生物学「外」の話になると、どこかで聞いたことがあるネタがでてくる。「明日をどこまで計算できるか?」でおさらいしたカオスの縁の話になる。「明日をどこまで…」では、「気象」、「遺伝」、「経済」の歴史と最新事例を引いて、複雑な方程式やモデリングで理論付けても、そこにあるのは人が理解できる主観が混じるストーリーに過ぎないと結論付ける。世界は一定の法則にしたがって動く機械だと解釈し、その法則は過去を観測することによって因果律を逆算するやり方は、初期値の微細な変化や多すぎるパラメータにより予測不能になる。

 著者は、カオスや複雑系の研究拠点であるサンタフェ研究所の客員教授でもあるのだから、この考えに与しているのは分かる。だが、因果律に「意味」を与えられるのは、単にスケールの問題ではないかと。眼の生成や微生物のべん毛のメカニズムは、いかに複雑とはいえ、分子レベルまで砕いたから説明できた。今の科学ではここらが限界だろう。観察者である人間が「意味」を与えられるまでスケールを拡大/縮小する操作を繰り返せば、因果律を説明できたことになるのだから。

 ところが、「気象」なら、この微視スケールのまま観測対象を丸ごと扱えるのであれば、厳密な予測が可能になる。ときに気まぐれに見える「遺伝」も、超長期スパンで測定できる実験室(きっと「年代」というスイッチがあるはずw)があれば、厳密に説明できるのでは……と期待してしまう。この時点でわたしの想像は科学者の傍らにおらず、遠くへスッ飛んでしまっているのだが、それはそれで面白い。著者は、科学者として正確かつ誠意的に応えようとするいっぽうで、わたしはそんな限界を超えることを企むのだから。

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