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処女でない少女には、何が残るか?「聖少女」

聖少女 
 少女から処女を引いたら、「う」しか残らない。そしてその「う」は、嘘の「う」だ。少女とは、処女と嘘から成り立っていることを知らされる、倉橋由美子の傑作。

 やはり、作品にはふさわしい「読むべき年頃」がある。フィクションにまつわる仕掛けに不慣れな人が読んだら、ガツンと犯られる。高校生ぐらいのウブ(?)なわたしに読ませてやりたいw、いわゆる美少女ゲーム(死語)慣れしているなら、「交通事故」「記憶喪失」「遺された手記」の設定だけで見抜くだろうね(むしろ、これこそギャルゲのご先祖様だッ)。とはいえ、描写はリアルだ。

あたしははずかしさのあまり身悶えしました。熱い樹液のようなものが脚から胴へ、それからパパに捕らえられている果実の尖端にまで、はげしい勢いでのぼってくるのを感じながら、あたしは首を反らせ、パパの顎の下に頭をもたせかけていました。パパハアタシの胸がマダカタクテ樹ノ幹ミタイダトイウノカシラ?
 残念ながら読み手として"成熟"してしまっているわたしは、おしっこ香る小娘の戯言はすぐに見抜いた。が、それをつくりだした感情のほうは、読後の楽しみになった。いったい、なぜ、そんなことをしたのか?語り手である「ぼく」が探しては見失う、「彼女がそうする動機」は、ラストで読み手に託される。彼女―――未紀は、なぜ、「パパ」に処女をささげたのか?なぜ、あのノートを書いたのか?そして、なぜ、最後に(ネタバレ反転)「結婚の中に自分の死体を遺棄」したのか?

 もちろん作中に答えらしきものはあるし、それを受けた感想もネットに散見される。だが、信頼できない語り手がしゃべっているのだから、一応、疑ってかかるのが読み手のマナーというもの。

 たとえば、「ぼく」の名が「K」なのはなぜ?他は名前が与えられているのに、なぜ、イニシャルらしき「K」で済まされているのか?思い出すことは二つある。カフカ「城」の主人公、「ヨーゼフ・K」と、漱石「こころ」の先生の親友「K」だ。どちらにも共通することは、最初に与えられ、次に奪われる役回りだということ。

 それは俸給や恋なのだが、無残にも決定的に奪われてしまう。片方は追い詰められてゆき、もう片方は失意のうちに自殺する―――これが「K」の運命だとしたら?また別の読み方ができる。すなわちこの作品自体、「K」の物語だったという鬱展開。

 さらに、ヒロインの「未紀」という名に込められた暗示がこれを裏付ける。「紀」とは、物事の起こりはじめ、いとぐちを指す。つまり、「未紀」とは、「まだ始まっていない」ことなのだ。冒頭に戻ると、「ぼく」が過去を回想する形で物語がスタートし、ラストでは「ぼく」がもの思いに耽りながら未紀の尻を撫でるとこで終わる。つまり、未紀のことを追憶する、「いま」の時点から一回転しても、まだ始まっていない「ぼく」の運命が、読み手に委ねられるのだ―――考えた自分で言うのもナンだが、嫌な話ナリ。

 鬱妄想はともかく、これはハタチあたりで通過したいハシカのようなもの。わたしの場合、むしろ近親相姦させられる「パパ」に近い年代なので、そういったコトが自分の娘に対してありうるか?考えると面白かった。

 わたしの場合、この「パパ」になることは、ぶっちゃけありえない。ありうるとするならば、心身・環境ともに最悪の(別の言い方が許されるなら絶好の)タイミングが重なったときに、越えてしまうものだろう(S.キングの「ドロレス・クレイボーン」みたいなやつ)。こんなカクシンハン的にすることは、ない。ただ、娘が高校生ぐらいになったときに読ませて、「パパのヘンタイ!」と顔真っ赤にして罵られるのがオチだったりするだろうな。

 「俗物を嫌悪し、絶対者に屈服したい自分」というジブン・イデオロギーのためにインセストタブーを犯す。これは、全学連や共闘が流行った"あの時代"だからこそ。思想や観念にとらわれていれば、則を越えてしまうことが「流行として」許されていた、"あの時代"だから。いまやるならば、きっとファンタジーになってしまうだろう。いや、ファンタジーにしないと受け入れ難いだろうね。とある文化がはびこる異世界や未来設定にしないと、彼女や「ぼく」の「言い訳」がタワゴトじみてくる―――そういやこれ、本作に漂うカルキ臭ならぬハルキ臭だなぁと思ってたら、セイゴォ先生がすでに指摘していた→千夜千冊「聖少女」

 解説の桜庭一樹によると、日本の三大少女小説でもっとも重要なのが本作だという。他二作は、森茉莉「甘い蜜の部屋」と尾崎翠「第七官界彷徨」になる。よし、「甘い蜜」を読んでみよう。わたし好みを混ぜるなら、室生犀星「蜜のあはれ」と太宰治「女生徒」のオトコの妄念を入れたい。さらには、作者不詳の「逆光の部屋」も。ただし、匿名で発表されたとはいえ、「逆行の部屋」の作者は倉橋由美子だという説もある。

 読むべきお年頃を大幅に過ぎても楽しめる一冊。

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コメント

大好きな一冊です。

これはこれで究極の恋愛ですかねぇ。

って、でも、自分の娘の年齢が未紀を超えていることに愕然とします。

投稿: ひでき | 2010.05.14 11:15

>>ひできさん

究極の恋愛……確かにその通りですね。

昨夜(5/14)のスゴ本オフで紹介したのですが、その反応を見る限り、一定の年代以上になると「みな知ってる本」「影響を与えた一冊」になっているようです。

投稿: Dain | 2010.05.15 06:06

ブログに感想を書いたのでトラックバックを送らせていただきました。自分にも3才の娘がいることもあり、全体的に「う~ん」な感じですね。
1965年の作品と考えると、かなり時代の先を行っている作品なのだと思いますが、2010年に読むと、作者がテーマにしたいことよりも、時代的な古さが気になってしまいました。
こんな自分は、奥さんに隠れてエロゲをやるべきでしょうか。

投稿: ぽかり | 2010.05.20 22:08

やっぱりファーストキスをしてない処女の女の子は梅の花の香りがして可愛いねぇ。(^-^)v

投稿: パルミラ | 2013.11.01 22:15

処女最高!処女最高!処女最高!処女最高!処女最高!処女最高!処女最高!処女最高!処女最高!処女最高!処女最高!処女最高!処女最高!処女最高!処女処女処女処女処女処女処女処女処女処女処女処女処女処女最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高!!!!!!!!!!!!!!
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投稿: パルミラ | 2014.03.06 19:29

やっぱりファーストキスをしていない処女の女の子は梅の花の香りがして可愛いねぇ(^-^)v

投稿: あ | 2016.03.17 20:26

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